よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

神仏とのつながり

2016年07月22日 | 運気アップ
最近、ある本を読んで呆気に取られた。

・月の穢れを神様は嫌がる
・神様は忙しいからずっとそこにはいてくれない
・僧侶でないと、仏様とはつながることは難しい
・不動明王は仏像を通さないと本体とつながれない


どんな状況であっても、深い愛で見守ってくれるのが神仏だと思うのだが。

「神様は忙しい」、天網恢恢疎にして漏らさずという言葉を知らないのかな。

僧侶でも人格のあまりよろしくない方もいるし、一般人でも品格のある方もいる。
(新美南吉の『百姓の足、坊さんの足』を読もう!)

そして、不動明王へのトンデモ発言!
不動ファンの私は力いっぱい反論したい。

“この不動明王はその所為なし ただ衆生の心想に住まい給う”(不動経)

お不動様は居所を持っているわけでなく、ただ人の心に住んでいる――。

どうして仏像がないとつながれないのか。
さっぱりわからない。


作者のS.Sさんに対しては「そういう感覚の方なんだろうな」としか思えないが、
ぽか~んとするのはそういう話をあっさり鵜呑みにして
「勉強になりました!神仏はそういう仕組みなんですね!」と信じ込んでしまう方々だ。

何を信じるかは本人次第であるが、執筆者の思想をそのまま我が物にしないよう
自分の感覚を大事にしたほうがいいなと思う。

特に「視えない世界」は
あちらとこちらの常識は違うんです
の一言で何でもありになりやすいものだから。


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