夕方、母が食事もそこそこに表に出て行き、皿に松明を置き火を燈す。
父が逝ってから、もう何回忌になるんだろうか…ふと、考えてみた。十三回忌は終わったはずだから…まぁ、その辺り、それくらい。十七回忌にまでは達してないはず。こんなふうに人並み程度(またはそれ以下)の信心しかない俺も、母の迎え火を焚く姿を見ていると、この時ばかりは、この火を標にして、父が無事我が家に帰ってきてくれるようにと願ってしまう。
迎え火を焚いている母の表情は寂しげに見えるが、父が家に帰ってきてくれるという思いからか、少しうれしそうにも見える。
朝方、あれだけ激しかった蝉時雨が、夕方になるとまるで聞こえない。 窓を開けて食事をとっていると、いらつくくらい大きな蝉の声だったのに。代わりに聞こえてくるのは、蛙の鳴き声と、姿を知らない虫の音ばかり。今日も夜が来る。
思いを次代へ残して死ねるのも人だからこそ。
先代の思いを抱えて生きていけるのも人だからこそ。
でも、それもこれも、つながっていればこそ成せる業。
だから、伝えたり伝えられたりってことができるってことは、
幸運にも独りじゃないってことなんだ、きっと。