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Broken Flowers …はうはう河馬の脂肪遊戯

いらっしゃいませ。お独りさまで?どうぞお好きな席に。

2025-02-13(木)…2日目…第26首「をぐらやま峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆきまたなむ」貞信公

2025年02月13日 | 小倉百人一首


第26首「をぐらやま峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆきまたなむ」貞信公(藤原忠平)

第26首の二日目。

みゆき待たなむ…と歌われているから
もしや、中島みゆきの出待ちを歌った歌かと思えば
さにあらず、
この「みゆき」は
上皇だと…御幸
天皇だと…行幸
…と書くそうで
帝のお出かけのことだそうな…。

「もみぢさん、天皇があなたを見にくるまで頑張って紅葉でいてくれっ!」
という意味らしい…。
…知らんけど。

さて。
朝飯を食べながらスマホをいぢり
この歌の作者である藤原忠平ゆかりのお寺さんをふたつ見つけた。
法性寺と極楽寺。


1)法性寺


法性寺 (京都市東山区) - Wikipedia

 



京都駅から近い。
歩いて30分弱だ。
天気もいいし歩くのが好きだから徒歩で行くことにした。


ウィキペディアによると
寺名:法性寺(ほっしょうじ)
山号:大悲山
宗派:浄土宗西山禅林寺派(尼寺)
本尊:千手観音
拝観:予約制





法性寺に到着。
門が閉じられている。
残念。








門前に設置されている案内板を読むと
寺は、藤原忠平(880-949)によって創建され
藤原忠通(1097-1164)の頃に隆盛を極め、
その後戦火に焼け落ち、明治維新以降に名前を継いで再建されたようだ。


藤原忠通 - Wikipedia

藤原忠通 - Wikipedia

 



Googleで法性寺の口コミを見たら
拝観できなくて良かったかもしれない。
なんだか厳しい批評がいっぱいあった…(^_^;
いつか特別拝観があったら、その時にでも訪れてみたいなあ。



2)東山本町稜墓参考地

極楽寺に向かう道すがら、稜墓参考地に遭遇。
どうやら仲恭天皇を祀っているらしい。
稜墓には近寄れないが、道の奥、左側に墳墓が見える。








仲恭天皇 - Wikipedia

仲恭天皇 - Wikipedia

 




3)遣迎院

極楽寺に行く途中にあった、寺名がわからなかったお寺さん。
Googleマップによると遣迎院というお寺さんらしい。
こちらも町寺なので門が閉じられていた。
創建当時は法性寺の寺内にあったお寺さんらしい。
石塔に「西山国師御終焉之地」とあった。



遣迎院 (京都市東山区) - Wikipedia

 











4)極楽寺(十王堂)



法性寺から道沿いに10分程度歩いて極楽寺に到着。
外観は法性寺と似ている。
町寺で、門は閉められていたのでお参りはできなかった。




極楽寺(東山区),Gokuraku-ji Temple "Kyotofukoh"


寺名:極楽寺(ごくらくじ)
山号:金龍山
宗派:浄土宗禅林寺派
本尊:阿弥陀仏









藤原忠平が建てた法性寺(ほっしょうじ)の十王堂があったとされ、
十王像や、法性寺中堂の本尊であったと伝えられる薬師如来坐像などがあるらしい。
「極楽寺」の名は、深草にあった、忠平の父・基経が建てた極楽寺の名を継いだと言われている。

十王とは,死後の世界である冥府にいる10人の王のこと。
秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・太(泰)山王・平等王・都市王・五道転輪王の総称。

京都市東山区にある極楽寺の十王堂と十王像について知りたい。 | レファレンス協同データベース

レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築する調べ物のための検索サービスです。参加館の質問・回答サービスの事例、調べ...

レファレンス協同データベース

 



さて。
今日のミッションは終了してしまった。
どうしよう…。
近くに何かあるかしらん?
…伏見稲荷があることに気がついて行ってみました。


5)伏見稲荷神社




極楽寺から10分ほどあるいて、稲荷神社に到着。
ここはもうインバウンドで大盛況。外つ国の方々がいっぱいいる。
いろんな言葉が飛び交っている。

それにつけても、
いろんなものの値段が、俺には高い。
手が出ない…。























上まで登ってみようかと思ったんだけど
雨が降ったりやんだりの天気で
いまひとつ楽しめそうになかったんで
途中で引き返してきた。












それにしても
あかぎれが治らなくて
もーやだ。






絆創膏、はりまくり
塗り薬、ぬりまくり。

2025-01-16(木)…第24首…2日目「このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに」菅家

2025年01月16日 | 小倉百人一首
 


06:30 ホテルの朝食。がっつり食べる。










1)京都御所

今日は京都御所へ向かうことにした。
御所って予約いらないんだね。
9時開場ってことだったんで
京都駅から地下鉄で今出川駅まで行き
6番出口か出て京都御所へ向かう。

到着時刻は8:55くらい。
混んでるのかと思ったが
俺の前に3人の外国人さんがいるくらいで空いていた。




9:00 開場 
職員さんから簡単な手荷物検査を受け、
番号札をいただき、札を首からかけると、自由散策できるみたい。
以前行った仙洞御所の見学の際には
訪問者ひとかたまりごとにガイドさんがついて説明してくれたので
京都御所が自由散策だったことにがっかりしたんだけど
休憩所の看板に「9:30 ガイドさんによる案内」とあるのを見つけ
時間まで休憩所界隈で時間をつぶしすことにした。









9:30 粋な帽子と黒いコートをまとった宮内庁の職員の方による京都御所ツアーに参加。
職位さんの見事な説明のおかげで、楽しく、あっと言う間の1時間の見学ツアーだった。
それにしても、紫宸殿の大きさにびっくり。
でかいでかい。












そしてお目当ての清涼殿。
遙か昔の平安時代、ここに雷が落ちて公卿たちが右往左往していた様を想像し
広い御所の、よりによって、ここ清涼殿に落雷するなんて、
そりゃあ、祟りだと思っただろうなあ…と妙に感慨深くなってしまったり。笑。
そして、今日は雷は落ちてはくれないんだろうか…と不謹慎にも思ってみたりしたけれど
期待どおりには行くはずも無いし
なんてたって、現代だもの、避雷針のひとつやふたつ、設置されているのが当たり前。
ご安全に、なのだ。













あ。
清涼殿の前に広がるお庭は、白い砂利が敷き詰められているだけで、
清廉としていて、凜とした、緊張した感はあったけど、殺風景だったので
天皇の日常のお住まいにしては、ちと寂しい風景だったのではなかろうかと考えてしまいました。
念願の清涼殿、訪ねることができて最高でした。


























御所の門
















2)菅原院天満宮神社
京都御所の、道をはさんだ西側にある、
菅原道真及び道真の祖父並びに道真の父の3代を祀った神社であり、
道真が生まれた霊地であるという。

あれ?
昨日、訪れた管大臣神社にも、(見られなかったけれど)道真出生の井戸があったけど、
この菅原院天満宮神社にも、「出生の井戸」がある…?
んでもって、菅大臣神社にあった「菅原邸跡」の石碑もあった。
すげー。














3)吉祥院天満宮

京都駅まで戻り、市バス42号で15分ほど。
けれどこの42号、1時間に1本ほどしかなく
地理に疎い俺はほかの路線で行くことも考えられず
(ほら、なるべく近いバス停で降りたいし。)
結局、30分ほど待って42号に乗車。
42号だったら、そのものズバリのバス停があるみたいだから安心。

で、
「吉祥院天満宮前」で下車。
徒歩5分。
妙に歪んだ橋を渡ると、そこは吉祥院天満宮。






ここには、菅原道真のへその緒を埋めた塚があるそう。
ぐるっと見渡すと、朱色に塗られた塀に守られた塚が垣間見えた。




そして、道真公出生の井があった。
これで出生の井戸、三つ目だ。
うーわ。
三つ目。
じつは、菅原道真は3人いた説?w
じつは、三位一体で行動していたとか説?っw
どこが正しくでどこか騙っているということでなく
つくづく道真という方は、徳があった方だったのだろうなあ。
1000年経った今でも、こんなにみなに頼りにされてるんだから。




そして
道真が朝廷に行く前に姿を映したという鑑の井。
もちろん、当時のものではなく社伝から模した物







そして
菅原院南庭七男畠跡碑。





この碑に係る京都市のデータベースは下のURLをクリック
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/mi012.html

吉祥院天満宮社伝によれば,この地は,菅原道真(845~903)の曽祖父古人及び祖父清公の所領であった。
延暦23(804)年に遣唐使として渡航した清公が,吉祥天の霊験を受け,帰朝後この地に仏堂を造り,吉祥天を安置した。
道真は,承和12年6月25日この地七男畠という所で誕生し成育されたという。
この石標は,菅原院南庭七男畠跡を示すものである。
京都市のデータベースから引用


んでもって
文章院聖堂御蹟碑。

「佛教大学教育学部学会紀要 第17号(2018年3月)京都市域に所在する『教育碑』についての総合的考察(一)
(教育碑に関する実地調査結果とその分析) ̶̶教育学科 生田)氏によると、
「菅原道真(845 ~ 903)の祖父・菅原清公(770 ~ 842)によって,833 年に開かれた文章院聖堂跡を示す碑。
文章院は,大学寮におかれた紀伝道の教育機関であるが,大学寮が現在の二条城付近に位置したことから,
文章院がこの地にあったとは考えにくく,菅原家の私的な学問所・聖堂と推察される。」とのこと。
この研究結果は、ググると見つかるんで探してみてね。





で、石碑が壊れて何が書かれていたのか判読できないものもあった。
勿体ない…。
でも、こうやって、壊れ、消えていくことで、歴史は、時間の中に埋もれていくんだろうなあと思うと
なにやら、じーんとするものがある。




そして、こういう石碑についても、ちゃんと研究され、そして考察等が公開されていることに驚いた。
さすが、京都、なのだ。



あ。
こんかい再認識したんだけれど
道真さんを祀っているところは、みんな天満宮と称するんだね。
ググってみたら
天神さん(雷神さん)を祀る神社を天満宮というらしく
清涼殿に雷を落としたとされる道真さんは天神さんなので
道真さんを祀る神社は天満宮と言われるらしい。
てことは、もしかすると、道真さん以外の天神さんを祀っている天満宮もあるのかしらん?

などと取るに足らないようなことを考えつつ
帰りは徒歩でJR西大路駅へ。




そこから電車で京都は一駅。

伊勢丹に寄ってお土産なんぞを選び~の
(いや、このお土産を選ぶってすきなんだけど)
少し早めのお夕飯をポルタで食べ~の、
で今日のミッション終了。








さ。
酒も飲んだし寝るとします。
おやすみなさいませ。

2025-01-15(水)…第23首「月みればちぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」大江千里

2025年01月15日 | 小倉百人一首

新幹線内で、恒例の朝飯



京都について、京都駅の3階の喫茶店による。
今日は朝から、パンばかり食ってばかりいる。





スマホで、大江千里(おおえのちさと)を調べているのだけれど
これといった情報が、まるで引っかかってこない。

第23首 大江千里(おおえのちさと)
月みればちぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど

照りもせず曇りも果てぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき
(新古今 春上)

しく…か行四段活用…匹敵する、及ぶ

ジャズ歌手の大江千里(おおえせんり)さんの情報が
やたらと引っかかってきて笑える。

寄った喫茶店は、
京都駅3階、いつものミスドの上の階。
珈琲とトーストで770円。





天気は曇り。雨が降ってきそうな曇り。
天気はこれからよくなるらしい。

大江千里については、あきらめ~。



2025-01-15(水)…第24首「このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに」菅家

2025年01月15日 | 小倉百人一首
大江千里については
情報をキャッチできず、あきらめた。
はい、次。
次の首は、菅家。
菅家とは菅原道真らしい。

第24首 菅家(菅原道真)
このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに

Googleマップさんによると
京都駅から道真さんゆかりの「管大臣神社」まで歩きでおよそ30分。
歩くぞっ。






1)管大臣神社

京都の道は碁盤の目だから歩きやすい;
この前歩いた西本願寺西側の通りを北進。
管大臣神社に着く。









東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ












道真に懇願された梅は太宰府まで飛んでいったそうだからたいしたものだ。
梅にまで愛された道真さんなのだ。
管大臣神社には、道真出生の井戸があるのらしいのだが
施錠され入れない境内な中にあるようで見ることはできなかった。
そこには見事な銀杏の木がたっているようだ。









2)菅原邸跡

管大臣神社の北の入り口に石碑がたっている。
つまり、管大臣神社は、菅原道真邸があった場所に建っている、
菅家廊下といわれた学問所の跡でもあるらしい。
管大臣神社側と向かい側の民地側とふたつ石碑が立っていた。











3)北管大臣神社

菅原邸跡の石碑から角を曲がって徒歩5秒、路地のどんつきにある。
小さなお社の神社だった。
「紅梅殿」の文字。
道真の父君である菅原是良(これよし)を祀っているらしい。
残念なことに入り口が施錠されてしまっていてお参りはかなわなかった。










4)火尊天満宮(かそんてんまんぐう)

北管大臣神社から西へ徒歩10分程度くらい。
小さな小さな天満宮さんだった。
最初は見落として先に進んでしまったほど。
さりげなく何気なくおわしましている。
でも見かけによらず(←失礼)祇園祭では油天神山をだす神社らしい。
ご神体の道真公を山へ還すんだとか。








5)水火天満宮。

火尊天満宮からバス停まで徒歩5分。
そこから市バス9番で20分程度だった。




トレーニングもできる公園に隣接。
腹筋もできるベンチだとか妙なものがいっぱい。
公園にトイレがあるせいかタクシーが隣道に列んで停車している。
この天満宮さんは地元の人に大切にされているんだろうなあと思えた。
いっぱいいわく付きのものがあるし。
















6)北野天満宮
水火天満宮から徒歩で30分ほどだったかな。
バスで行こうと思ったけれど、結局、歩いちゃった。



数年前は正月の三が日にお参りしていたせいで
出店と初詣での参拝客でごった返しているという印象が強く
今回もにぎやかなんだろうなと思ってお参りしたのだけれど
あれまあ、静かなもんでさあね。
平日ということもあってか。東参道にほぼ人はおらずびっくり。
こんなに人がいないんだ。(いや、いるにはいるんだけど)



















東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
































帰ろう
しばらく歩いてバスに乗車。
バス停の横を通りかかっているところへ
「京都駅」表示のバスが来たんで即乗り。

遅めの昼飯






ちょっと食い過ぎているみたい。
お気に入りのお好み焼き屋さんへはいかなかった。
早めの夕飯はホテルで済まそうと考えて
駅前の伊勢丹で食い物を購入。
あれだ
弁当はやっぱ温めたほうがうまいかもしれない。汗




露天風呂に2回入って就寝。




2024-12-18(水)…光れ君よ…番外京都

2024年12月18日 | 小倉百人一首


光る君へロスってことで、そうだ京都、行こう。
道長さんのお墓参りに行ってきました。

朝飯…恒例・お茶と御茶家。朝から呑むこの罪悪感…堪えられない…。



新幹線の車窓からは雪の積もった山々が見えた。



京都駅に到着。
恒例:ミスドで今日の計画を練る。



京都駅から奈良線。



最寄りの駅から徒歩5分で、宇治稜に到着。





宇治稜1号はこんなふう。







藤原氏の有力者がいっぱい名を連ねてる。
宮内庁の管理下なんだ。










で、そこから
道長さんのお墓を言われている32号稜まで歩く。





稜墓はこんなふう。伐採されて風通しがよくなっていた。



道長さんが建てたと言われる浄妙寺跡までさらに歩く

浄妙寺 (宇治市) - Wikipedia

 








小学校?の入り口の真ん前に跡地の標があった。
ここは写真を撮りづらい。
小学校の中を撮影しているアヤシいジジイに思われてしまうかも…(^_^;











駅まで戻り、宇治駅に行って
平等院鳳凰堂を拝見。





























せっかくなんで
このあたりで昼飯をと思ったんだけど
さすが観光地宇治、嵐山に負けず劣らずのお値段で断念。
俺には手が出ない。












源氏物語ミュージアムを訪れてみたり~の。








結局、京都駅まで戻り、恒例ポルタで昼飯





ホテルにチェックインして


で、外出して
ラーメンを食ったのだけれど、
店の中が暖かすぎて汗だくになってしまい
味わっているような状況ではなくなってしまい
ついでに食い過ぎで気持ちが悪くなってきた。
珍しく喰ったことを後悔。


はい。
おやすみなさいませ~。

2024-12-04(水)…第22首「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」文屋康秀

2024年12月04日 | 小倉百人一首

第22首「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」文屋康秀

小野小町と良い仲だったらしい。官人しては卑官に終始したとウィキペディアにある。
「卑官」って…悲しい表現だな。
ろくに出世もできず出向先の係長で終わった…みたいな感じ?
他人事に思えないぢゃん。笑



文屋康秀 - Wikipedia

文屋康秀 - Wikipedia

 



12月だ。
人恋しと泣け12月

クリスマスソングを歌うように、京都へ。
ちゃうちゃう
滋賀にちょぃと行ってきた。












今日の目的地は押立神社。
滋賀県東近江市にあるこの神社は、
文屋氏が氏神とした押立大明神を祀っているとのことで
宮司さんは康秀の子孫にあたる方だそう。




近江鉄道五箇荘駅で下車。
ここから気長に徒歩。

途中、虹が出ていたりして気分が高まる。
銀杏も見事に色づいていた。






途中
畑田城遺跡と記された所を通過
ウィキペディアに掲載されてないようだ。







ググったら畑田城遺跡の発掘PDFをみっけ



そして畑田廃寺遺跡も見学。
ここに大層なお寺があったらしい。
夢の跡だ。










しばらく歩いていくと交差点に辿り着く。







押立神社に到着

押立神社の本堂と山門は重要文化財。
かつては国宝だったらしい。














門前には
文屋康秀と文屋朝康の和歌の石碑が立っている。
凜とした空気と紅葉
例によって、俺以外に参拝客はいない…。
静かな境内。















さ。
今度は八日市駅まで歩こう。





だが
ちょぃバテ気味。
バスに乗ることにした。
バス停のずっと遠くになにやらゆかりありげな神社が見える。
疲れてなかったら、歩いて行ってしまうところだが、今日は写真で我慢する。
Googleマップだと山王神社…かな。









バスに揺られて八日市駅に到着









例によって
恒例ポルタ内のお店で昼食
お好み焼きがうまいねぇ
ビールも美味い。












今日の泊まりは奈良なんで
観光客御用達の近鉄特急で近鉄奈良駅。

チェックインして外出して
ホテルの近くのラーメン屋さんでラーメン&ビール。
夫婦でやってる今風のラーメン屋さん。
俺のお気にいり。








ではではおやすみなさいませ。
では、最後に一曲、中島みゆき「杏村から」。
ほれ。ぽちっとクリッククリック。


杏村から






2024-11-28(木)…第22首 ふくからに秋の草木をしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀

2024年11月28日 | 小倉百人一首
文屋康秀のことをググってみたが
いまひとつよくわからない。
ヒットする情報のほとんどが、終生、木っ端役人(失礼な言い方)で終わってしまった残念なお役人さんといった風。
だが、絶世の美女と言われる小野小町と良い仲だったらしいから驚き。

朝飯…昨晩の飲み残しの焼酎にトマジュー(^_^;



で、
いくら調べても、文屋康秀の所縁の地が出てこない。
なんでだ~。
三河掾だったらしいので
三河に何かあるかと思って調べてみても
三河は徳川家康だの豊臣秀吉だののメジャーなお歴々がいらっしゃるもんだから
文屋の「ぶ」の字もないようだ。
中古三十六歌仙の一人というのも、「中古」って表現がなんだか微妙な気がする…。
不憫…。

そして
日記のタイトルにあげた、百人一首のこの歌も
どうやら息子の歌らしいとも云われている…おうまいがっど。不憫も極まった…。


ウィキぺディアはここをクリック


うーむ
半ば諦めて、調べていくと
嵐山に
嵯峨嵐山文華館という博物館?があることを知り、
そこに文屋康秀の人形が飾ってあるらしいことがわかったので
今日は、そこに行ってみることにした。
嵯峨嵐山文華館は、百人一首関連を常設とする博物館?美術館?らしい。






京都駅から山陰本線(嵯峨野線)に乗車し嵯峨嵐山駅で下車。
有名な竹林の小道を歩く。
まだ人出はそれほどではなく落ち着いて歩き回ることができた。








竹林の小道

竹林というとお洒落だが、竹藪って言うとヤブ蚊を連想。
身体がかゆくなってくる
外国の人にとっては、竹林って珍しいものなんだろうか。











野宮神社

小道の途中にあった野宮神社に立ち寄る。
伊勢神宮に行く前の斎宮がこの地で身体を清めていたという。
1年以上も清めまくりで、大変だったろうなあ…。(下衆な考え












宝厳寺

紅葉が美しい。
観光のハイシーズンってこういうことかあって思い知った。
なるほどねぇ…。
行ってみるもんだ…。満足。










































嵯峨嵐山文華館

館内、ほぼ写真撮影がOK。
文屋康秀の人形を激写。
和歌の英訳も記されていて、へぇと思う











渡月橋

船遊びの興じる方々がいたり
平日なのに、結構な混みよう。














福田美術館

嵐山文華館で
館員さんに勧められるままに
共通入館券を購入しちゃったんで
何の興味もなかったけれど訪れてみた。
あれだね
展示されているモノ全て
興味がないとつまらんものにしか見えない。
何がいいのかよくわからない
でも、館内は大盛況。









さ、帰ろう。
JRの駅まで戻る。
途中、何か喰おうかと思ったが
俺の甲斐性では購入できない価格でびっくり。










結局、京都駅まで戻って
地下街のポルタでお好み焼き。
うまー。





あ。
お好み焼き、撮り忘れてる…。



で、後日談

その後、
検索の条件を変えたら
文屋康秀の所縁の地がHIT!
あれまあ、滋賀県にある押立神社が所縁の地でらしいことがわかった。
なんとかと検索サイトは使いよう…ってことですやん。
最寄りの駅から6km弱歩くようだ…つまり往復12km…(^_^;。
歩けない距離じゃないし、場合によってはバスでも行けそう。





来週行ってみようかしらん…←懲りてない


夕飯は、高齢…ちゃう…恒例、コンビニ飯




とっとと喰って
ちびちびのんで
さっさと寝るっ。
おやすみなさいませ~

2024-11-03(日)…吹田サービスエリアは一般道から入れる?入れない?

2024年11月03日 | 小倉百人一首



吹田サービスエリアの下りに百人一首の歌碑があるらしいので
おお、ぜひ行ってみたいと思い
徒歩でも入れるかどうか、ネットでググってみた。

AIの回答では、「徒歩でも入れる」との答え。
検索でヒットしてきたブログの記事でも入れることが記されていたのだけれど
そのうちのひとつに入れなかったとする2024/9/09付けの書き込みが目にはいった。

ヒッチハイクのため一般道から吹田SAに入ろうとしたところ
今まで通行可能だったところが施錠されていて入れなかったとのことだ。
入れるとしていたブログの日記の年は、概ね2015年くらい。
入れなかったという書き込みは2024年の9月。
いつのまにやら施錠されたのだろうか。

あぶねーあぶねー。

どうやら現在では入れなくなっているようだ。
歩いて行くところだった。
つか、俺も自分の目で見たわけではないんで
どうか、どなたか確認に行ってみてください。(^_^;

歩いていって
SA外周を歩き回って、
右往左往して体力使って
結局入れなかったら、ダメージでけぇよねぇ。。

行くの、やめやめ。

ウェルカムゲートができたら行ってみようかしらん。



【熊貓堂ProducePandas】COSMIC ANTHEM JP Ver. Dance PV 熊猫堂











今日は早朝gymで筋トレ。
頑張らなくっちゃ…。









2024-10-30(水)…第19首「難波潟短き葦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」伊勢

2024年10月30日 | 小倉百人一首

第19首「難波潟短き葦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」伊勢


(私はあなたのことをずっと想っているのに)
大阪湾に生えてる葦の、
茎にある節と節との間の短い間隔のような
短い時間の逢瀬もないままに
ずっと過ごして行けと…(恨



つまり

「最近、少しも逢ってもらえないんだけど、
ずっと逢えないまんまなわけ?え?(恨」

ってことみたい。(^_^;


というわけで
今日の目的地は「伊勢寺」。









JR京都駅からJR高槻駅に。









JR高槻駅からバス。
のぼりの坂道なのでバスのほうが楽ちん。




門前には「伊勢寺」と書かれた碑。
石碑の存在感ありすぎ。













このお寺は伊勢の晩年の旧居だった。

小さなお寺で、普通のお寺。
いわゆる観光客で賑わうようなお寺ではなさそうだった。
俺が行ったときも、参拝者は俺ひとりだったし。(^_^;

毎回感じるんだけど
俺のl行くところって、お客さん、いない…。
インボイスって何なの?って感じなんだけどぉ。

で、
本堂の西側、石段を少し上ったところに伊勢廟がある。
ここでお参り。























伊勢廟から振り返ると
高槻の町並みが見える。

あらっ♪我が母校の名前がっ。

高槻キャンパスって
俺が在学中にはなかったから
拡張したんだろうなあ。
儲かってんだろうなあ…。















本堂















高槻駅前のロッテリアで軽くお食事。
なんか中途半端な時間。




そして
高槻駅で食事






京都駅に移動して





地下街で夕飯。
なんか喰ってばっかり…










そしてホテルにチェックイン。






おやすみなさいませ

2024-10-23(水)…第18首「住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」藤原敏行朝臣

2024年10月23日 | 小倉百人一首


第18首「住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人めよくらむ」藤原敏行朝臣

この方は、めっちゃ達筆だったらしいが、
現存する書跡は神護寺の「三絶の鐘」の鐘銘だけらしいので神護寺へ行ってみた。

神護寺は以前行ったことがあり、
大層な山寺で
暑い時期に汗かきは行ってはいけない場所だと知っていたが
10月だからいいだろうと思ったのが、甘かった。

今年はいつまで経っても暑い…。
めちゃくちゃ暑い…。
なーんでやねんと、思いながらも

神護寺にバスは到着。

バス停を降りると
そこは雪国だった…なんてことはなく
一度、川まで坂を降りて
そこから、また参道を上るという
汗かきには優しい道程。











めっちゃ坂。

参道の入り口には
旅館や料亭が並ぶ。









上り坂~~~











入り口の山門をくぐると
いきなり平地が広がる…






















肝心の鐘堂は、
なんと改修工事中で
中を見るどころか、近寄れやしなかった。





オウマイガッ!
神も仏もないものかっ。(^_^;


汗だくになって上ってきたのに…しばし放心状態。
10月も下旬だというのに、何、この暑さは…。

カメラで遊んでみたりして。


























京都駅まで戻り
遅めの昼飯を食べて
近鉄で奈良駅に。

今日の泊まりは奈良。

7時頃、ホテルを出て商店街を歩いてみたけど
奈良駅周辺は夜が早いようで
お店が閉店しているところが多かった。











そんな中、ラーメン屋さんを見つけ、つけ麺をいただいた。








ではおやすみなさいませ。




2024-10-03(木)…IPPO

2024年10月03日 | 小倉百人一首



雨。
強い雨の中を歩いて廻るのは全然楽しくないので
朝飯を食ったあと、ホテル最上階の大浴場を楽しんでから
ゆるりと外出。
京都駅あたりをふらふら。
囁くような雨。







京都駅2階?のミスドのカウンター席で
改札を行き交う人を眺めながら、読書。







伊勢丹でお土産を物色。
これがまた楽しい
贈る人が喜んでくれるのはどれなんだろうと必死こいて考えながら選ぶから。


イヤホンで聞いてるBGMは
少し前から注目していたグループ「くまのみ」さん。
メンバーが4人から3人になって少し寂しかったんだ。
頑張っていってほしい。



「IPPO」Music Video / QUMANOMI




昼食はデパ地下で弁当を買ってホテルで喰うことを思いつき
伊勢丹地下2階?の食品売り場をぶらつく。
あれね
すっごくいろんなお店がお弁当を作ってるんだ。
初めて気づいた。
いろんな種類の弁当がありすぎて決められない。
食べられる量に限りがあるのが惜しい。w
食品売り場を異邦人のように彷徨っているうちに
結局、タイミング良く話しかけてくれたブースの弁当を購入。

都会はいいなあ。
いろんな種類の弁当がこんな狭い場所で所狭しと売られている。









しばらくホテルで転た寝なんぞしたあと
駅南のイオンモールに。
併設されているの映画館に寄ってみたら
「10月1日から
株ティ・ジョイさんが運営している映画館は
シルバー割引が60才から65才に変更」とお知らせが貼ってあった。
愕然。
1,300円→2,000円。
5.5割UP!
他の映画館もこれに倣うんだろうか。
新作映画を映画館で見られる時代じゃなくなってきたなあ…。
何か興味を引くモノをやっていたら見てみようと思ってきたくらいだったんで
踵を返して映画館を退出。
2,000円じゃあ見る気になれない。
サブスクに流れてくるまで待つとしましょう。


夕飯はイオンモール内になった中華屋さんでからしそば。




お。
宝くじ売り場があるじゃん。
てことで、連番10枚購入





さあ
あとは酒飲んで寝るだけ。

2024-10-02(火)…水始涸

2024年10月02日 | 小倉百人一首


あまつちのみずが涸れる頃、だそうな。
それにつけても半端なく暑い。

暑い最中には行きたくても行けなかった京都
今回、暑さを避けて訪れたつもりだったが、全然、暑さを避けたことになってない。
何、この暑さ。
汗だらだら。
自宅から駅まで歩くだけで、ほら俺、汗が吹いてくる。





朝飯は、お茶とおにぎり。
俺以外の乗車客は、ほぼ、これから仕事のスーツ族。
それに紛れて、こそっとお茶を楽しむのは気がひけるけど、
でも、そのコソコソ加減で旨さも増してくる。
皆さん、お仕事、頑張って!
俺は休みだけどっ。






今日は、「萱の御所」と呼ばれる不退寺を訪れた。
京都じゃないじゃん。
奈良じゃん。
京都駅から近鉄に乗車して新大宮駅で下車。
駅から徒歩で20分くらい。





暑い。
汗びしょにならないように、慎重にゆっくりと歩いた。
生まれて初めて日傘(雨傘)をさして歩いた。
あれね、日傘ってほんと暑さを遮ってくれるんだね。
直射日光を浴びるよりも数段、楽ちん。
もっと早くから日傘を使えば良かった。







訪れて来る人も少ないのか
寺内には人はおらず静かで居心地が良かった。











在原業平が建立したと言われるお寺で
壮年期の業平自身が住んでいたところであるそうだ。
寺の維持が大変なのか、あちこち荒んだふうにも感じられた。
でも、手が回らない荒ぶれた庭もなにやら風雅な感じもする。
















本堂内でご本尊を拝みながら
受付の女性に、
お寺やご本尊様について
いろいろと説明をしていただけた。
なんでも、見事に彩色の残っているご本尊の兄弟仏が、
奈良国立博物館の仏像館に常設されているとのこと。
興味があったので、あとで仏像館にも寄ってみることにした。
(仏像館には、先月、行ってるんですけどね)













不退寺を後にして奈良国立博物館を目指す。
確か、受付の女性が、「バスは1時間に2本」と言っていたんで
近くにバス停があるはず。
大通りに出ると、バス停発見。
ラッキーなことに、行きたい方向のバス停だった。
さらにラッキーなことに、バス停に着くやいなや、バスがやってきた。
らっきーぽっきーけんたっきー。(死語







近鉄奈良駅のバス停で下車して昼飯にした。
何を食べようと彷徨っていたところ
カレーショップのお姉さんが声をかけてくれたので入店。
楽しいお話とともにカレーをいただいた。もちろんビールも。
めっさ美味かった。





カレーを食したあと仏像館まで歩いた。
例によって、鹿がわんさか。
そこらに鹿の糞が落ちていて、うっかりすると踏んでしまいそう。
鹿は、たいそう人気者で、あちこちで観光客が鹿を取り巻いていた。
俺は全然鹿には興味がないのだが…。

そして仏像館に入る。
お目当ての兄弟仏がどれなのかいまひとつわからなかったので
説明をしてくれるボランティアさんに尋ねてみたが
ボランティアさんも要領を得ない様子だったのだが
なんと、職員の学芸員さんに聞きにいってくれた。
つまらない要件で、お手を煩わせて恐縮です。
おかげで、どれが兄弟仏かわかって、楽しく仏像を鑑賞できました。






まだ時間が早かったので
興福寺の秘宝館…じゃなくて、国宝館に入館して
八部衆立像を拝見。
もちろん、お目当ては阿修羅像。
ほら、「百億の昼と千億の夜」にも出てきたじゃん。阿修羅。(古い

阿修羅像を見ていたら、法隆寺の百済観音像もお目にかかりたいなあと思えてきた。




近鉄奈良駅から京都駅に帰る。
そして地下街ポルタで早めの夕飯。








そしてホテルにチェックイン
ひとりなのに、なぜかダブル??
予約を間違えたかしらん?




で、ホテルの近くのコンビニで仕入れた酒とつまみで独り酒盛り。






おやすみなさいませ~♪


浅い眠り




























2024-07-10(水)…第17首「ちはやふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」在原業平朝臣

2024年07月10日 | 小倉百人一首

第17首 在原業平朝臣
ちはやふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは


恒例 新幹線始発での朝飯。
お茶におにぎり。😁



新幹線で京都駅。
そこから在来線でJR向日町駅(むこうまちえき)に行き
バスに乗る。バスは1時間に1本。









暑い。
暑いの嫌い。
汗かきだから。
動きたくない。
動くと汗が噴き出してくる。

1)十輪寺

在原業平が晩年閑居したお寺だそうだ。
















塩焼きが流行だったのか、塩竃を設け塩焼きの風情を楽しんだという。
寺内には塩竃の旧跡がある。








春には桜が美しく咲くらしく、
「そうだ、京都行こう」のCMにも取り上げられたことがあるようだが、
いかんせん、遠い。
自家用車ならあっと言う間だろうけど、
公共交通機関利用だとなかなか訪れるのが難しいと思う。

でもまあ
そういう俺は公共交通機関利用者なんだけど。


【TVCM】2014年 春「十輪寺」そうだ 京都、行こう。




業平さんのお墓もあったりする。
思いのほか、ささやかなお墓だ。








本堂にあがってお参りもできる。
もちろん、堂内は撮影禁止。
そして、本堂のすぐ前に木々があるので本堂全体の写真が取れない。(^_^;
下の写真の左の建物が本堂。






2)善峯寺

十輪寺のお参りを終えて
せっかくなんで、善峯寺まで足を伸ばす。
バスで終点?までだったかな。

山寺だ、
山を登る。
やっちまった。











汗だく。
汗でTシャツが透ける。
絞れるくらい。











参道を登るほどに
バス停が次第に遙か下になり
京都の町並みが山を越えて見え出す。

汗だく
汗だく
しぼっても無駄
拭いても無駄
汗だく汗だく
流れるなんでもんじゃない。
バケツの水を頭からかぶったよう…。












びっくりするくらいの見事な松
俺のカメラの腕では見事さが撮れない。
ぜひ、一度、足を運んでみてください。
もちろん、真夏に。(^_^;










桂昌院の遺髪塚もあった。(お墓は東京都の増上寺。)
桂昌院は徳川家光の側室で徳川綱吉の生母。
お万の方に仕え、春日局の目にとまり、家光に見初められ、将軍の生母となり…すごい人生の人だなあ。

汗だくのまま、遺髪塚に手を合わせる。


桂昌院ファンの方はぜひ足を運んでみてください。
もちろん真夏に。(^_^;(^_^;








さ。
帰ろう。
帰りのバスが強冷房であることを祈ろう
そうじゃないとシャツが乾かない。















京都駅まで戻り昼食&水分補給









3)在原業平邸跡

次は
在原業平邸跡

いつか行ってみたい京都万華鏡ミュージアム。
いい味出てる。

こんなところに業平さんは住んでいたらしい。
都会じゃん(ちがう













さ。
ホテルにチェックインして寝るべ。
独りで外食が苦手な俺は、夕飯はコンビニ







あ。
自分へのお土産に茶筅を買った。




2024-06-14(金)…京都3日目

2024年06月14日 | 小倉百人一首


二白三日の京都旅行。
三日目は、一日目と二日目に行けなかったりした所があった場合の予備日と考えてるから
予定通りにコトが済むと、帰るだけの日になるわけで。



ホテルで朝食を摂ってチェックアウト。
京都駅南の商店街行って土産物を物色。

買ったのは
阿闍梨餅と小物入れ。




あたいの夏休み


♪お金貯めて三日泊まるのが夏休み~♪
♪夕べ買った土産物屋のコースター 安物だけど自分用じゃないもんね♪

土産物を選んでいるときに、上記の歌がヘビロテで頭の中に流れてくる。
ツレは喜んでくれるかな。
誰かのために、プレゼントを選んでいる時間って、ほんと好き。













新幹線に乗れば、あっと言う間に家に着く。
さあ、日常の始まりだ。

昼飯は、地元の駅前で。



夕飯は、地元のスーパーで弁当

2024-06-12(水)…第16首「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」中納言行平

2024年06月12日 | 小倉百人一首


中納言行平って誰なんだろうとググってみたら
在原行平という人らしい。




だから、今回は須磨。
京都じゃなくて須磨。
兵庫県だよ兵庫県。
京都の次の駅、新大阪を飛び越えて、大阪府の隣の県の兵庫県。

新大坂で「こだま」から「さくら」に乗り換え「西明石」駅で下車。
そこから、少し戻って須磨。

ところが、
西明石について
在来線に乗り換えようとしたところ、アクシデントに遭遇。
大阪の茨木でトラブルがあって、JR電車がめっちゃ遅延してるとのこと。
電車がまともに走っていないようだった。

不思議だったのは
新大阪までの切符しか買っていなかったので
新大阪から乗越、西明石で精算しようとしたところ
駅員さんから950円しか請求されなかったこと。
随分と安いような気がしたんだけど、ま、俺の思い過ごしかな。


西明石からJRの在来線に乗ったんだけど
ちょっと進んで数分止まるを繰り返し、なかなか前に進まない。
そんなJRを見限り、途中、山陽電鉄に乗り換えて、どうにかこうにか須磨寺駅に到着。








松風村雨堂

ここからGoogleさん頼り。
まずは、松風村雨堂に行く。
松風村雨堂は、行平が須磨で暮らした際に、彼をお世話した2人の女性の住まい?















百人一首の「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」は
行平がその2人の女性との別れの際に詠んだ歌らしい。(諸説あるようで)
「私のことを待っていてくれると聞いたならば、すぐ帰ってきましょう」という意味らしい。
帰ってくる気なんてないくせに…と思ってしまうのは、
俺が浅いニンゲンだからだということで…。

行平が、形見分けに烏帽子や狩衣を掛けた初代の松は既に無く、
現在、二代目?三代目?の松があるんだそう。

んでもって、
行平は、マジ因幡国に赴任したん?
遙任だったりして…。
え?マジ因幡国に赴任したん?
そりゃあすげぇや。


さ、次は須磨寺へ。
せっかくなんで、松風村雨堂の近くにある須磨寺に立ち寄る。

須磨寺












Google!さんに案内されて、ほどなく須磨寺へ到着。
まずお寺の入り口手前にある、海外の仏像が陳列されているところにお立ち寄り。
























平敦盛の首塚があったりしました。







須磨寺は大きなお寺で、遊園地みたいな感じ。
なんて言っていいのかなあ…迷える衆生の悩みを全て引き受けてくれそうな、そんな感じ。
万華鏡みたいなお寺さん。楽しめる。









宝物館には、行平が創始者と言われる一絃琴が陳列されていた。(写真撮忘れ)(^_^;
さ。次は源氏物語と縁のある現光寺に。

現光寺




















せっかく
ここまで来たんで須磨の海を見物に。
JR須磨駅は、海縁にあると言ってもいいくらい。
海に近い。

須磨の海










訪れた時期が早かったせいか
海の家は建築中で、砂浜にはほとんど人はいなかった。
ひたすら暑い。


さ。海も見たし、次、次。
京都に戻ります。
山陽電鉄→阪神乗入→阪神梅田駅→徒歩→阪急梅田駅

久しぶりに阪急梅田駅構内を歩いて懐かしさがどっと心の中に湧き出る。
あー、昔もこんなふうだったなあ。
動く歩道。
駅に上がる階段。
阪急電車が何車両も並ぶ情景。
3番街
17番街
32番街

阪急梅田駅→阪急烏丸駅→地下鉄→丸太町駅下車→徒歩

陽成院跡

で、5/16に行きそびれた、「陽成院」邸宅跡に。
第13首「つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる(後撰集 恋 776)」と詠んだ方の家の跡。










「跡」であるので、
邸宅の跡形はさらさら無く、現在は小さな公園になっている。
このあたりで後陽成天皇は暮らしていたようだ。

さてと。
帰るにはいい時間。

京都駅まで戻り
地下街ポルタで夕飯。
串カツ屋さんで腹を満たす。