Broken Flowers …戯れ言・繰り言・かあるくかるく…

いらっしゃいませ。お独りさまで?どうぞお好きな席に。

2024-06-12(水)…第16首「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」中納言行平

2024年06月12日 | 小倉百人一首


中納言行平って誰なんだろうとググってみたら
在原行平という人らしい。




だから、今回は須磨。
京都じゃなくて須磨。
兵庫県だよ兵庫県。
京都の次の駅、新大阪を飛び越えて、大阪府の隣の県の兵庫県。

新大坂で「こだま」から「さくら」に乗り換え「西明石」駅で下車。
そこから、少し戻って須磨。

ところが、
西明石について
在来線に乗り換えようとしたところ、アクシデントに遭遇。
大阪の茨木でトラブルがあって、JR電車がめっちゃ遅延してるとのこと。
電車がまともに走っていないようだった。

不思議だったのは
新大阪までの切符しか買っていなかったので
新大阪から乗越、西明石で精算しようとしたところ
駅員さんから950円しか請求されなかったこと。
随分と安いような気がしたんだけど、ま、俺の思い過ごしかな。


西明石からJRの在来線に乗ったんだけど
ちょっと進んで数分止まるを繰り返し、なかなか前に進まない。
そんなJRを見限り、途中、山陽電鉄に乗り換えて、どうにかこうにか須磨寺駅に到着。








松風村雨堂

ここからGoogleさん頼り。
まずは、松風村雨堂に行く。
松風村雨堂は、行平が須磨で暮らした際に、彼をお世話した2人の女性の住まい?















百人一首の「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」は
行平がその2人の女性との別れの際に詠んだ歌らしい。(諸説あるようで)
「私のことを待っていてくれると聞いたならば、すぐ帰ってきましょう」という意味らしい。
帰ってくる気なんてないくせに…と思ってしまうのは、
俺が浅いニンゲンだからだということで…。

行平が、形見分けに烏帽子や狩衣を掛けた初代の松は既に無く、
現在、二代目?三代目?の松があるんだそう。

んでもって、
行平は、マジ因幡国に赴任したん?
遙任だったりして…。
え?マジ因幡国に赴任したん?
そりゃあすげぇや。


さ、次は須磨寺へ。
せっかくなんで、松風村雨堂の近くにある須磨寺に立ち寄る。

須磨寺












Google!さんに案内されて、ほどなく須磨寺へ到着。
まずお寺の入り口手前にある、海外の仏像が陳列されているところにお立ち寄り。
























平敦盛の首塚があったりしました。







須磨寺は大きなお寺で、遊園地みたいな感じ。
なんて言っていいのかなあ…迷える衆生の悩みを全て引き受けてくれそうな、そんな感じ。
万華鏡みたいなお寺さん。楽しめる。









宝物館には、行平が創始者と言われる一絃琴が陳列されていた。(写真撮忘れ)(^_^;
さ。次は源氏物語と縁のある現光寺に。

現光寺




















せっかく
ここまで来たんで須磨の海を見物に。
JR須磨駅は、海縁にあると言ってもいいくらい。
海に近い。

須磨の海










訪れた時期が早かったせいか
海の家は建築中で、砂浜にはほとんど人はいなかった。
ひたすら暑い。


さ。海も見たし、次、次。
京都に戻ります。
山陽電鉄→阪神乗入→阪神梅田駅→徒歩→阪急梅田駅

久しぶりに阪急梅田駅構内を歩いて懐かしさがどっと心の中に湧き出る。
あー、昔もこんなふうだったなあ。
動く歩道。
駅に上がる階段。
阪急電車が何車両も並ぶ情景。
3番街
17番街
32番街

阪急梅田駅→阪急烏丸駅→地下鉄→丸太町駅下車→徒歩

陽成院跡

で、5/16に行きそびれた、「陽成院」邸宅跡に。
第13首「つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる(後撰集 恋 776)」と詠んだ方の家の跡。










「跡」であるので、
邸宅の跡形はさらさら無く、現在は小さな公園になっている。
このあたりで後陽成天皇は暮らしていたようだ。

さてと。
帰るにはいい時間。

京都駅まで戻り
地下街ポルタで夕飯。
串カツ屋さんで腹を満たす。






2024-06-07(金)…3日目第14首「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」河原左大臣

2024年06月07日 | 小倉百人一首



ほい。
ホテルの朝食を食べてと…



今日は、錦市場にある神社へ行く。
錦天満宮も、源融と縁があるらしい。



京都駅前のスタバにも寄ってみた。



錦天満宮の一角に塩竈神社がある。




四条烏丸の16番出口を上がっていくと
すぐ近くに錦市場の西端がある。
錦市場を歩くのは、たぶん初めて。





たくさんの商店が並んでいて
歩いているだけで楽しい。
訪れたのは、午前中の早い時間で
開店していないお店もあったのだが
それでも、楽しかった。





で、商店街の東端、つきあたりに錦天満宮が見えてくる。













目的地の塩竃神社。
ここでお参り。





来た道を戻り、京都駅に。
恒例、駅2階のミスドで小休憩。
お土産を買って新幹線に乗り込み帰路につく。

京都「河原左大臣3日間の旅」、これにて終了。







久々の京都、めっさ楽しかった。
訪れるところが、それほど人気のないところばかりなんで空いてたし。(^_^;











2024-06-06(木)…2日目「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」河原左大臣

2024年06月06日 | 小倉百人一首
はい。
二日目。
今日も源融ゆかりのあちこちを巡ります。
つか、楽しい~。

今日は、さてと…朝飯食ってと。







渉成園


東本願寺の飛び地…渉成園(しょうせいえん)まで歩きます。
なんでも、源融というお方は、この近くで塩を焼いたとか…マジ?
酔狂という好事家というか、
風雅というか粋というか、
よほど財力があったんだろうなあと…。
左大臣まで昇進した方ですから、裕福だったんだろうなあ。





今では美しいお庭になっているようです。








渉成園の入り口を入った左手に飲み物の自動販売機と休憩所があったんで
しばし、喉を潤しながら小休憩。
暑い…。

さて、次は

河原院趾

河原院趾まで歩きます。
渉成園を出て高瀬川沿いに北進していくと
ほどなく五条と交わる所に着きますが
そのちょっと手前に河原院趾の石碑がありました。
















この辺りに源融は住まわれて、塩竃マニアだったっつーから素敵です。(そうか?
そして「塩竃」という地名は今でも残っているようで、その勢いは想像できました。






本覚寺



たまたま本覚寺の前を通りかかり
案内板に源融の名前があったので立ち寄りました。











そして
山名に「塩竃」を冠するお寺さん。
上徳寺
外国の方がたくさんお参りに来ていました。
なぜなんだろう…。














さて。
地下鉄に乗って阪急に乗り継ぎ嵐山へ。
やっぱり嵐山は混んでる…。










清涼寺
嵐山のメインストリートをひたすら歩いて
突き当たりにあるお寺、「嵯峨釈迦堂 清涼寺」に。



このお寺に源融の墓所があるとのことだったんですが
境内にある案内板に、その表示がなく
広い境内、どこにあるんだろうと途方に暮れてしまいました。








途方に暮れた中
思いついたのがGoogleマップを使うこと。
さすが、Googleさん。
Googleマップでガイドしてもらったら、
下の写真の建物に隠れるように墓所があることがわかり、無事たどりつけました。








棲霞観趾
清涼寺内に棲霞観趾の説明板。
源融が営んだ山荘趾、だそうな。






ところで
清涼寺には、
あの世と此の世を行きつ戻りつした小野篁が、帰ってくる出口がありました。





さあ、帰りはJRで京都駅まで。
例によって、地下のポルタで夕飯。










これで二日目、終了~♪
本日予定していたミッション、コンプリート。
寝るし。

2024-06-05(水)…第14首「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」河原左大臣

2024年06月05日 | 小倉百人一首






京都。
いつものとおり始発の新幹線で到着。



今日は、京都駅から滋賀県の堅田駅に向かう。
堅田駅からバスに乗りバス停「南庄」で下車。
そこから、15分ほど歩き、目的地の「融神社」に着いた。









バスだが、9時20分南庄「着」のバスでたどり着かないと
次の10時20分南庄「発」のバス(しかも平日のみ)に乗れない。
10時20分発のバスを逃すと、次のバスは3時間後の、午後1時…(^_^;
まあ、ここから堅田駅まで歩けない距離ではないが、1時間20分ほどかかるようだ。













平日の境内は静かで、俺以外人はいない。
参道を歩き、神社に詣でる。
二つのお社にお参りして深呼吸。
この神社は、源融(みなもとのとおる)を祀る神社だそうで
あの源氏物語の光の君のモデルになったと言われているお人だそう。















百人一首 第14首
「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」河原左大臣
この河原左大臣が、源融のことだそうで。

二つ並んでいたお社、
どちらが、どなたのお社なのか、わからなかった。
周囲を見回しても説明を記した看板はないようだった。

百人一首に選ばれている歌人が
神となって祀られている神社があちこちにあるけれど
藤原道長は、なぜ神様にならなかったのか…不思議。
どこかにあるのかなあ…。



















帰り、南庄のバス停で、同じようにバスを待っていたご婦人とバスが来るまでお話ができた。

堅田駅周辺に訪れるべき場所があるかと尋ねると
1)浮御堂を、みなさん、訪ねる。
2)湖族資料館も人気がある、とのこと
どうやら、堅田は、湖族と呼ばれる人々が生活を営んでいた場所らしい。

俺が、NHKの「光の君へ」を見ていると言うと
3)それなら、石山寺へも行かないと…
とのことだった。

今日は、融神社以外は予定もなかったんで、ご婦人に教えてもらった場所を訪ねてみることにした。


10時20分 南庄発のバスで堅田駅へ帰る。
堅田駅でバスを乗り換えて、浮御堂まで行った。








浮御堂までに行く途中、見かけた寺社に立ち寄った。

本福寺













伊豆神社
伊豆神社っていう名称が珍しく感じたけど…静岡県の伊豆由来?と考えたけど
どうも、そうではないみたい。












浮御堂
















どういうわけか、高浜虚子の句碑が、湖の中に建てられている




妙盛寺
帰り道、案内板があったんで立ち寄った。












バスで堅田駅まで戻り、
そこから石山寺まで電車を乗り継ぐ。



JR湖西線 堅田駅→大津京
京阪大津京→石山寺
そして、駅から800m徒歩。
暑いので、ゆっくり歩く。











石山寺
このお寺で紫式部は源氏物語の着想を得たらしい。
源氏物語を綴るときに使った「硯」も残っているんだとか。
マジ?




石山寺の門前では、落語?が行われているようだった。











参道を歩いて行くと
牛車が飾ってあったり








光る君への特設会場に入ってみた。












会場を出て
参道を進むと、階段。







階段を上りきると境内が広がる
























この部屋で紫式部は源氏物語を書き記したらしい。
本堂の一等地。(^_^;
ここを貸し切りにして使っていたのだろうか…。






大友皇子を祀ったお社がありました。















紫式部像…光堂を下ったところにありました。
お寺の入り口からけっこう遠い…。

















さ、帰ろう。
暑くて、汗でベタベタ。




石山寺から石山で乗り換えて京都へ。
駅前の地下街ポルタで焼き鳥。





さてと
寝ます。









とりあえず、ここまでで、日記を一旦UP。
加筆訂正で、まだまだ続く…(^_^;









2024-05-16(木)…第13首「つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる」陽成院

2024年05月16日 | 小倉百人一首
つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる(後撰集 恋 776)
    陽成院(868~949 第57代天皇 清和天皇の皇子)



京都2日目。
折角、京都に来たんで
百人一首を巡る旅、再開!

前回の京都はいつだったんだろうと
日記のタグをさぐってみると、2019年10月19日の日記だった。
ほぼ、5年経ってる。
5年ぶりの再開!
5年かければ、人は顔立ちも変わる…って言うから
俺もたいそう変わってるんだろう。
あ、5年前は坊主頭で、今は、落武者ロン毛。笑
ほんと、時の経つのは早いものだ。

百人一首の旅、今回は、第13首。
「つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる」

陽成天皇は、随分と幼い頃に即位されたが
問題行動が多く、若い頃に退位され(させられ?)
その後、院として60年以上生きながらえた方だったらしい。

縁ある地がどこかにあるのかと思い
ググってみたけれど、まるでヒットしなかった。
ありゃまあ…。
それでも陵があるようだったので
京都駅前から陵まで歩きで行ってみることにした。



昨日の京都御所より、遠いじゃん。笑。



さあ。歩こ。
京都駅前からテクテク。

途中で、こんなん見っけ。
「七条仏所趾」
この辺りに、仏師がいっぱし住んでいたらしい。







その昔、方広寺に京都大仏があった名残で、「大仏前」交番という名称らしい。
交番ができた頃には、大仏がなくなってから数世紀は経っていると思われるが
なぜ、大仏前と名付けられたのか…地名に残っているのかな。
ちなみに、三十三間堂前にある交番なわけで…。
つか、大仏があったのはいつまでなんだ…。



で、調べてみてビックリ。
昭和48年に火災で焼失するまで、大仏はあったんだって。
だから、大仏前交番って言うの?

都市史19 大仏殿

で、折角、なんで、交番前の三十三間堂に寄ってみた。
堂内の仏様群。
変わらぬ、圧巻。
圧倒的迫力。
根こそぎ、救ってくれそうな感じ…。





で、ついでに、
京都国立博物館に立ち寄り、雪舟の特別展を拝見。
正直、良さがわからんかった。(浅はかなド素人ですんで)









特別展をやっている建物の入り口に方広寺の礎石が埋まっているらしい。

昼飯は、京都国立博物館の入り口に併設されているレストランでナポリタンとビール。






で、ここで端と気がつく。
いかん。
あちこち寄り道していると、時間ばかりが過ぎてっちゃう。
脇目もふらず、陵まで行かねばっ。

てなわけで
いろいろなお寺さんの誘惑にも負けず、ひたすら歩く。

途中
京都大学の医学部の供養塔を見かけ、厳粛な気持ちになった。
塔婆からすると、検体をしてくださった方々が、ここに弔われているんだろう。
心の中で手を合わせた。






陽成院稜は、真如堂の入り口のすぐ近く。









しばし、周りを眺め、陵に頭を垂れて、来た道を戻る。

折角なんで
帰り道に、真如堂だとかに立ち寄る













境内は、ほぼ誰もおらず、静かなものだった。

ついで金戒光明寺
こちらも、境内に、ヒトは、ほぼ誰もおらず、ただ暑さが身に染みた。










さ、来た道を帰ろう。

途中みかけた二宮金次郎の像。
薪を担いでない…。
ただひたすら読書をしているとしか思えない。
いまふう、ってヤツなんだろうな。



平安神宮前を通り過ぎて







通りかかった、お蕎麦屋さんで昼食。





人気のお蕎麦屋さんらしく、閉店間際なのにヒトが並んでた。
最後尾にすべりこみ、おいしくいただきました。

さあ、京都駅までサクサクあるくぞ。









歩いて目に入ってくる、町並みが楽しい。

京都駅前地下で、ビール&焼き鳥



ホテルに帰ってコンビニ飯。(^_^;



さ。ネルベ。

















20191019(日)…第12首「あまつ風くものかよひ路ふきとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ」僧正遍昭

2019年10月19日 | 小倉百人一首
午後からは、恒例百人一首を巡る寺社参拝。

今日は、僧正遍昭さん。
百人一首の「あまつ風くものかよひ路ふきとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ」と
詠ったお坊さん。


Wikipediaによれば、

仁明天皇の蔵人から、承和12年(845年)の従五位下・左兵衛佐、承和13年(846年)の左近衛少将兼備前介を経て、嘉祥2年(849年)に蔵人頭に任ぜられる。嘉祥3年(850年)正月に従五位上に昇叙されるが、同年3月に寵遇を受けた仁明天皇の崩御により出家する。最終官位は左近衛少将従五位上。

円仁・円珍に師事。花山の元慶寺を建立し、貞観11年(869年)紫野の雲林院の別当を兼ねた。仁和元年(885年)に僧正となり、花山僧正と呼ばれるようになる。『日本三代実録』によれば、この年の12月18日に宮中仁寿殿において、光孝天皇主催による遍昭の70歳の賀が行われていることから、光孝天皇との和歌における師弟関係が推定されている。 京都市山科区北花山中道町に墓がある。


とあったので、元慶寺と雲林院と中道町にある墓に行ってみることにした。


元慶寺は、京都駅から地下鉄東山線に乗って御陵駅下車。
徒歩10~15分。
御陵駅は、天智天皇陵を訪れて以来。
ここからグーグルマップさんのお世話になる。
強めの雨が降っていたので傘と携帯で手が塞がり写真を撮る気になかなかなれない。






元慶寺に到着。
小さめなお寺だったが、御朱印を求めて参拝客がちらちらいらっしゃった。





拝観料は必要ではなく、ゆえにリーフレットなどもなかった。
もしかすると、御朱印と一緒に手渡されていたのかもしれない。



時期が時期だったので
雨上がり、蚊が…。



元慶寺から徒歩5分。
幹線道路から、狭い路をほんの少し入ったところ。





住宅地の中に、僧正遍昭さんのお墓はあった。
桓武天皇の孫?ということで宮内庁で管理しているようだった。







円墳の上に木が育っているのが印象に残った。








さ、次は、雲林院。
地下鉄東山線に乗って二条城前で降りて、そこからバス。
でも、地上に出てみると、激しい雨。
しばらく駅の出入り口付近で雨宿り。
雨が弱まるのを待ってバス停に歩く。
GOOGLEさんの地図は、バス停の案内に弱いんだよね。
四つ角のバス停の場合、どこの角にバス停があるのかよくわからないことがある。
(俺の使い方が悪いのかも)
ちょっと前に行った紫式部のお墓の近くにあるらしい。

バスに乗って、このあたりだろうと思えたところで下車(いい加減)
また強くなってきた雨の中をしばらく歩くとありました、雲林院。
小さなお寺。
特にこれといった感慨もなく、ああ、このお寺を遍昭さんが建てたんだなあと。










説明文を見れば、たいそう大きなお寺だったのだが
大徳寺に吸収され、消えていったらしいようなことが書かれていました。
栄枯盛衰。





ともかく、
今日は、さわやかウォーキングといつもの百人一首めぐりができて大層満足。
ホテルにチェックインしても良い時間。
バスに乗ってホテルにGO。


ホテルに到着。
部屋に入ってみると、ドアの突き当たりの、本来、窓のあるところにトイレがあって
トイレの向こうに、窓がある…
そして、シャワーは写真では見えないが、トイレの左側にあった。
変な作り。
部屋の中にフロントに通じる電話はなく、廊下に設置してるとのこと。
経費節減?

なんだろう…。
このホテルの違和感…馴染めない。w






しばらく部屋で過ごし、
買い物に行こうと1階に降りてみれば
フロントの方が、全員外国の方になっていて、少々びっくり。
コンビニの店員さんが、外国の方ってことは
都会では珍しくなくなってきてるけど
そうか、ホテルでもそういうふうになりつつあるのかな。
人手不足ってヤツなんだろうか。

20190729(月)…これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふ坂の関…蝉丸

2019年07月29日 | 小倉百人一首
和邇~山科~大谷
駅を出て歩いて、数分で、逢坂関。
 
 
 



駅を出てすぐのところに「蝉丸神社」。
蝉丸も神様になってらっしゃった。
急な階段を上り、お参りする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
お参りを済ませて、さらに数分歩く。
この辺りは、鰻が有名らしい。
大きな鰻のお店があった。
 
 
 
 
 
 
 
 

で、到着。
これがあの有名な…。
知るも知らぬも、だもんね。

でも、なんだか拍子抜け。
いや、イメージとしては、もうちょっと…うーん。
 
 
 
 

 
石碑のある場所の説明文を読むと、
坂を下ったところに、
もうひとつ謂われのある神社があるらしい。
蝉丸神社分社と関蝉丸神社上社の間のどこかに、
逢坂の関があったらしいと書いてある。
せっかくなんで行ってみた。
道はめっちゃ交通量が多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


関蝉丸神社上社に行こうとして左側の歩道を下ると、
神社の手前100メートルで歩道がなくなり
路肩しかなく身の危険を感じた。
が、ここまで来て、坂を戻るのも、なんだかなんで路肩を歩いた。
よゐこの皆さんは、横着せず横断歩道を渡って道路の右側歩道を行きましょう。
 
関蝉丸神社上社は
地元の方に大切にされている神社なんだろうなあ。
謂われが書かれているはずの表示板は、無垢のまま?風雪に消えたのか?
文字が読み取れない。
 
 
 
 
 
 


お参りをして、来た道を戻る。
道の上、切り立った山をみあげると
そこかしこで、樹木が倒れていて、道路に落ち込まんばかりで、
この道、ヤバない?
 
 
 
 
 
 
 
 
1000年の昔に
盲の蝉丸が
この地を訪れて
耳に聞こえた行き交う人の音の風景だけで
あの歌を歌ったのだと思うと、すげぇなあと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふ坂の関
 
人生はすれ違いばかり、なのかも。
 
さ。電車に乗ろう。
 
 
 
 

20190729(月)…わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人にはつげよ蜑のつりぶね…参議 篁

2019年07月29日 | 小倉百人一首

早朝、湖西線で和邇駅に向かう。
暑い中、歩くのは自殺行為と思われたんで、6時半にホテルをでた。
和邇駅には鈍行しか停車しないみたい。
今日は山科駅で乗り換えが多くなるはず。

 

 

電車は、平日のこの時間、やたら空き空き。
余裕で座れて、和邇駅で下車。
 
 
 
 
 
商店街を歩く。
小野妹子の町とあちこちに書かれている、
妹子いち押しの町らしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その昔、この辺りで有力な一族であったのだなあ、小野氏。
でも、駅名の和邇氏も有名だったんじやなかったっけ?

そう言えば、昨日訪ねたお寺の最寄りの駅名が「小野」
ここにも「小野」駅がある。
小野氏は、ものすごい豪族だったのだろう。

そんなことを考えながら道を行く。
暑い。
一キロそこそこで目的の神社に着くはずなのだが、
すでに汗が噴き出し始める。ヤバい。
 
 
 


目的地である「小野篁神社」に到着。
 
静かな神社。
小野篁神社。
小野篁はこの地で神になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参道には、小野小町の塔もあった。
昨日訪ねたお寺にもそれぞれ小町の塚やら塔があったのだが、
それぞれ小町の何を祀っているのだろう。
…と、これは無粋なことかもしれない。
小野一族の史実と事実と伝説がこんなにたくさんだってことだ。
もう、リスペクト。
 
 
 
 
 
 
 
 


境内をひとまわりして
来た道を戻る。
丁度、通勤時間。
案の定、汗だくのまま、ほぼ満員電車に乗らなければならなくなる。

山科で乗り換えて、大谷駅に向かう。
で、大谷駅でひととおり歩き(別日記参照)
電車に乗って、市役所前まで。
ここでバス205系に乗り換えて…って、バス停がどこなのかわからなくて難儀した。
四つ角のバス停って、下手すりゃ8カ所あるわけで、
目的地に向かうバスが、どのバス停に止まるのか、表示を見つけるのに時間がかかる。
 
 
 
 
 
 
小野篁のお墓に行く。
いや、昨日ホテルでテレビで見たんだよね。
なんと紫式部のお墓の隣にあるんだとか。
紫式部を護るために、小野篁のお墓が横にあるのだとか。
行ってみました。
何の脈絡もなく、いきなり二人のお墓だけがあるんで不思議。
 
 
 
 
 
タクシーで乗り付けたカップルが
中に入らず、入り口だけをスマホで撮影してたけど
俺と同じで昨晩テレビを見たんだろうね。
 
 
 
 
 
 
あの世と此の世を行き来したと伝わる、小野篁。
紫式部をしっかり護ってくれてるんだ。
合掌。
 
 
 
 
 
 
 
ふと疑問に思ったんだが
「紫式部の墓」って表記、ありえるの?
没した時に、既に「紫式部」って言われてたんだろうか??
刺さったトゲのように、妙な違和感を覚えながら
次の目的地、六道珍皇寺へ行く。
 
 
 
 
途中、昼飯時だってことに気がつき
サイゼリアで飯。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 六道珍皇寺。
ここは何度か訪れている。
小野篁が此の世とあの世を行き来するのに使った井戸がある。
また閻魔様の像が祀られている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回、はじめて、お線香が買え、ご満悦。
俺は御朱印に興味が無く、線香マニアを自負してる。
家の仏壇に供える線香を行く寺で購入している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あまりの暑さに
いつもだったら歩く距離をバスで移動し
早々にホテルに戻ってお洗濯。
飯もコンビニ飯。
 
 
 
おやすみなさいませ。。

 
 
 

20190728(日)…花のいろはうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに…小野小町

2019年07月28日 | 小倉百人一首


花のいろはうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに

世界三大美人のひとりと言われた小野小町の歌。
わかりやすい。
年を取れば皆思うことなのだ。
衰えていく自分とどう折り合いをつけていくか。





少し前は、やたらアンチエイジングって流行ったけど、
見た目若くても、見た目だけで
確かに年齢はいっちゃてるわけで、
見た目若くても意味がない。

年は、相応にとって行くべきものなのだ。

花は盛りの時期があるからこそ、
散る段になって惜しまれるのだろうよ。





はじめに訪ねたお寺は、清凉山 欣浄寺。
京阪、墨染駅下車。徒歩数分。



開祖道元と伝える。
本尊は「伏見の大仏」で知られる丈六の大仏。

寺地は、小野小町に恋い焦がれた深草少将の邸宅跡といわれ、
境内に少将塚、小町塚、
深草少将姿見の井戸(涙の水)がある。


以上、ウェブからの引用。





寺への入り口の道路標識があったのだが
どうみても、寺が貸し出ししている有料駐車場を指していて、寺の入り口を示していない。
よくわからないままに、駐車場から寺の裏側から、遠慮がちに寺内に入った。
飾り気のない少し荒れた感じがする飾り気のないお寺だった。





井戸のようなものがあった。
たくさんの蝉があちこちで羽ばたいていて驚かされた。

大仏がいらっしゃるらしいのだけれど、
お堂内はアクリルの扉越しにしか拝見できず、
拝むことはかなわなかった。





小町の塔もあるらしいのだが
表示がはっきりしなかったので見つけることができなかった。

庭を巡り(と言っても小さなお庭)、
表門に回ってみると、表門は施錠されていた。
何それ。
裏はガラ空きじゃん。
焦る。





結局、裏口とは別の、勝手口みたいなところから出てきたのだが…。


2番目に訪ねたお寺は、善願寺。

地下鉄東西線醍醐駅下車。
結構、歩く。
迷いながら20分くらいかな。
夏にはきつい。
汗だくだく。





腹帯地蔵として有名。安産祈願にご利益があるらしい。
小町榧(カヤ)の大木がある。






小町榧とは、深草少将の小野小町のもとに百夜通いした話にちなむものらしい。
小町に 百日通ってくれたら、思いを受け入れますよと言われ
少将は、通った日数を数えるために一日一つずつ、
小町のもとに榧の実をおいていったらしい。

99日目、病に少将は亡くなってしまい
嘆いた小町が、その99個の榧の実を蒔き、
育ったうちの一本がこの「小町榧」。


以上、ウェブからの受け売り。





このお寺、道路に面してお堂があるので、
お参りするにはしやすいが
中を拝観するには、
電話予約が必要だった。
がーん。





いきなりお願いするほど、図々しくもなれないので
表からしかうかがえなかった。笑

カヤの生木に不動様が刻まれているんだとか…。





3番目に訪れたお寺は、随心院。
善願寺から醍醐寺バス停まで歩き、そこからバスで停留所3つめで下車。
バスの冷房に生き返る。
今日は暑すぎる。





随心院の公式HPはこちら





広い境内。
梅林。
小町がこよなく愛した、化粧するための井戸がある。
思っていたよりも、小汚かった。(^_^;)。正直な感想。







また寺の裏手には、小町へ届いた恋文を納めてあるらしい文塚があった。
蚊が多くて閉口。
また文塚までの通路が荒れていて、
塀が倒れているわ、木は折れているわでスリリング。










お寺のHPによると、
随心院あたりは、小野小町が晩年を過ごした場所らしい。






ふと、思ったのだが、平安時代の頃の女性って
紫@式部 だとか
清@少納言 だとか
父?夫の役職名で呼ばれるか
菅原孝標@女とか、父?夫の名前に「女」だとか「母」だとかを付けて
呼ばれることが多いように思われるのだけれど
小野@小町の小町って何?










ググってみても、「小野小町」の説明ばかり。

さて、4番目に訪れたお寺は、補陀落寺。
叡山電鉄市原駅下車。
徒歩10分くらいかな。





熱くて死にそう。

小野小町終焉の地らしい。
しかし、残念なことに、お堂が閉まっていて「山門不幸」の張り紙。
何のことかわからず、ググってみると
お寺さんのお身内に不幸があったりすると、こうやってお堂を閉めるらしい。
















残念ながら、寺内(そう広くない)を見渡して
ホテルに向かった。









ホテルまでの帰り道。
京都駅前の地下街に立ち寄り、ラーメン 餃子 ビール!

で、爆睡。









20190727(土)…わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山とはいふなり(喜撰法師)

2019年07月27日 | 小倉百人一首


突如、颱風が目の間に…って
結局、この辺は反れて過ぎさってくれたみたい。
有り難屋、有り難屋。





明日から、また京都を散策しに行くんだけど
喜撰法師さんの喜撰洞は、軟弱な俺にはハードルが高い。
1時間くらいの里山ハイキングらしいけど知らない山は恐いしね。
台風一過で、道もぬかるんでいるだろうから。
道に迷いそうなところもあるらしい。


ウィキペディア「喜撰」はこちらから。


ものの本によると
この法師さん、百人一首が作られるころには
その作品も散逸していて、採用されたこの一首ともう一首だけが残っている、とされているらしい。

うぢ山…だから、宇治なんだろうけど、
喜撰洞以外に、所縁の地とかはないようだ。

むぅ。

いつか
原付でも借りて、ダムまで行ってみることにしたいなあ。









20190716(火)…喜撰

2019年07月16日 | 小倉百人一首


ふぅ。
今日も頑張りました。

仕事は前向きに!と自分に言い聞かせ続けて
夢中になってやってるけど
冷めた自分もどこかにいるわけで。

食っていくため。
食っていくため。
食っていくって大変だなあ。


フィットネスクラブに行くつもりでいたけれど
連れが飯にしようというので、例によってしゃぶしゃぶ屋さんに。


頑張らなくっちゃ。
頑張らなくっちゃ。


ウィキペディアの「喜撰」はこちら






そろそろ、
次回の一泊二日の旅行のテーマを
深掘りしておこうと思って
喜撰法師の下調べ。

喜撰法師…探してみたけど本はないみたい。
あったとしても古書で、手が届かないみたい。


Wikipediaによれば、
喜撰洞っていうのがあるみたいなんだけど、
1時間程度の初心者向けの登山のよう。

山中ひとりって、俺、心細くて嫌いなんだよね。
「熊出没注意」なんて看板があったら、絶対、ダメ。笑









20190617(月)…天の原ふりさけ見れば春日なる御蓋の山にいでし月かも…安部仲麿

2019年06月17日 | 小倉百人一首

 

行ってきました。近鉄に乗って。

 

 

京都からあっというまに近鉄奈良に。

 

 

 

奈良はあまり行ったことがないのでちょっと緊張。
右も左もわからんのです。写真は近鉄奈良駅を出たところ。

 

 

恒例百人一首を訪ねる旅…今回は「安部仲麿」。
金があったら中国にでも行けばいいんでしょうけど、
お金もないし海外なんて行きたくもないしで、
所縁の地はないものかと探してみたところ、
春日神社と御蓋山を見つけ、
よっしゃ行ってみようと相成りました。

 

 

天の原ふりさけ見れば春日なる御蓋の山にいでし月かも


地図を見ると結構な距離。
地図のずっと左のほうで、写真には出ていません。
通り道に興福寺があったんで「阿修羅~」と(心の中で)叫びながら
国宝館を訪れました。

しばらく歩いてやっと春日大社の参道に到着。
まだまだ歩きます。

 

 

微妙に晴れ渡り、少し動くと汗ばむくらいの暑さ。
汗かきの俺にはこたえました。

 

 

広い参道が、いつまでも続きます。
本殿に近くづくにつれ、賑わってきました。
外国の方がめっさ多いですね~。


 

 

お約束の鹿。参道にはあちこちに鹿の糞。

 

 

春日大社に到着です。
境内に入って、さらに500円(だったか?)を納めて、御蓋山を拝みにいってきました。


 

この先が、拝む場所になっていますが、神聖な場所だと思うので写真は撮りませんでした。
御蓋山は、春日神社の大切な場所だそうで、山は禁足地になっているそうで、
人は足を踏み入れてはならない場所なのだそうです。

 



御蓋山の近くに来すぎているので、御蓋山の全景がどうなっているのかはわかりません。(^_^;)
たぶん、奈良市内の高層の建物から山を見ればわかるんでしょうね。

 

 

境内の中をひとまわりして
たくさんの神様にお祈りを。

 

 

来た道を戻って、近鉄に乗車。
京都に戻ります。

 

 

残念ながら御蓋の山に月は見えませんでした。昼間だし。(^_^;)


 



 

奈良は平城京を着々と復元しているようですね~。
浪漫というか、スケールが大きいというか、完成したらどんなふうになるんだろう。

 

 

 天の原ふりさけ見れば春日なる御蓋の山にいでし月かも

遠い唐土からの祖国への望郷。
切なくなりますよね~。


20181210(月)…中納言家持…(第7首)かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける

2018年12月10日 | 小倉百人一首


おはようございます。
ホテルで朝食。




えっと。
今日は、百人一首7人目。
中納言家持…って誰よ。
ググる。

あー。
大伴の。
そう。
大伴家持【おおともの・やかもち】さん。


「かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける」

「かささぎの橋」って、
七夕の夜に、天の川にかかる、かささぎの翼を重ねて作られた橋、のことなんだって。
牽牛は、その橋を渡って、織り姫に逢いに行ったんだとか。
その橋に霜が降りるように、宮中の橋にも霜が降りまくって、夜も更けきった…ってことらしい。

京都奈良界隈に限定して、
百人一首に所縁のある寺社を訪ねてるんですが
大伴家持さん、あんまり京都と奈良に所縁の地がないみたい。

なんだよねぇ。
百人一首の歌人なんて、京都の貴族や坊主ばっかりだと思っていたら
存外、京都とそれほど関係ない方が多いようで(今までのところでの話)
大伴家持さんも、
所縁の地って京都にはないみたい。

それでも、さすがGOOGLEさん。
うすーく「住吉大伴神社」が検索に引っかけてくれたんで
行ってみました。


京都駅からバスで。
「JR3」バス乗り場。
行先は、立命館大学方面、「龍安寺」で下車。





下車して
仁和寺側に、徒歩5分。
思ったとおり小さな神社…










でも、神域の凜とした空気を第六感に感じつつ
神様に静かに手を合わせました。













きぬかけのみちをはさんだ、神社の反対側に
大層、立派な石碑が建っていたんですが
どういうわけなのか
フェンスで囲まれていて
入り口が鍵がされていて中に入れませんでした。















中島みゆきさんの歌、
「世情」が脳裏を横切って流れていきました。

シュプレヒコールの波♪
通り過ぎていく♪

施錠だけに、世情、なんつって。(笑う所よ)

伴善男が866年の応天門の変で伊豆!に流刑されて
大伴一族は、歴史の表舞台から消えていったようで
なんだかなあ~と栄枯盛衰のハカナサってヤツにしみじみ。















次に龍安寺の石庭を鑑賞。
何回か訪れていますが、良いところですねぇ。。
紅葉、少し遅かったですけど楽しめました。















次に仁和寺。
秋の特別拝観を拝見しました。
こういう大きなお寺は、特別拝観の時でもないと
境内を歩くだけになっちゃうからねぇ…特別拝観で良かった。。













で、そこから歩いて
椿寺と言われる地蔵院に。



岡田准一主演!映画「散り椿」予告




映画「散り椿」に関係があるお寺さんのようです。
残念ながら、咲いてはいませんでした。














お祈りして、しばらく椿を観賞した後
京都駅までバスで移動。







20181013(土)…猿丸太夫…奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき

2018年10月13日 | 小倉百人一首



明日は今日になりました。
おはようございます。
って相変わらず目覚ましいらず。
4時には、パッと目が開いて、まんま起床。
時間を持て余し、もう少し遅く起きても良かったなあ。














今日は猿丸太夫縁の猿丸神社に最初に向かうつもりで。
その後は、適当に。
宇治周辺を歩いて回ろうかと。














事前の調べでは
1)毎月13日は祭日らしく直通バスがあるらしい。
2)調べてみると、そのバスは午前中だけ運行している。
3)神社から駅方面に向かう帰りのバスの最終が午前11時台。
4)とすると10時台には到着して神社にいたい、となる。
5)逆算していったら始発で、出かけなければ返ってくるのが無理のよう。















早朝の新幹線のホーム。
いつもはもう少し人がまばらだったような気がするが
行楽シーズンってことなのか、人が多めに感じる。
それでも、新幹線は空席ばかりで余裕で席に座ることが出来て早速腹ごしらえ。
















恒例おにぎりとお茶割。
遠目には、「お茶」に見えるはず。
朝から酒を飲んでる人間って、軽蔑されそうで。
でもまあ京都に行くときの楽しみのひとつになっている、「朝から飲酒」(^_^;)
















腹も朽ちたしほろ酔いだし、車窓の風景を楽しみながら
うつらうつらしている間に京都駅に到着。
奈良線に乗り換えて宇治駅に直行。













宇治駅に到着して、バス乗り場に直行。
ここで45分待ち。

JR宇治駅から、バス停「維中前」【いちゅうまえ】まで。
30分ほどだろうか、途中うとうとしてしまっていた。
さらに、ここで、10分ほどバス待ちして、バスを乗り継ぎ。
13日にしか運行していない猿丸神社行きに乗る。














現地に行って知ったのだけれど
バスは京阪バスしか走っていないと思っていたのだが、
地域のコミュバスも周遊運転(しかも無料)していて、猿丸神社にも行っていた。
どちらに乗ろうか迷ったが、今回は下調べをしたとおりの京阪バスで猿丸神社へ。
だいたい10分くらいだったかな。













猿丸神社のバス停で下車。
駐車場には20台くらいの車がとまっていて、地産の農産物などを売っていた。
もちろん、百人一首の句の碑もちゃんとある。

そこから徒歩で1分。
こじんまりとした神社があって、祭日であるからか、人が切れることもなく、参拝者が続く。
癌封じの御利益があるらしく、
たぶん、その病気の快癒のための願かけにきている人がほとんどだと見受けられた。














一心不乱に祈りを捧げている人。
神社の建物を何十回と回って祈りを捧げる人。














俺が賽銭を投げて祈ろうとしたときに
神社の中ではお祓いが行われていて、たぶん、奥さんが病になってしまったんだろう…
神主さんからのお祓いを
夫婦で、頭を垂れ、お祓いを受けている、
旦那さんが奥さんの背中に回し、旦那さんの精一杯の思いで
奥さんを包み込むように…














それに気がついた瞬間、鼻の奥がツンとなっちゃって
こみあげてくるものがあって、足早に逃げました。

なんかねぇ…切なくて悲しくて。














絵馬には
「再発しませんように」
「転移しませんように」

ああ。
もう。

俺の父親も、この病気で逝ってるので
ここに来てれば治ったのかなあ…なんて、ね。












全ての願いが届き、かないますように。
伏して願う。全ての人の願いが届き、かないますように。。


帰り、今度は、コミュバスで維中前まで。
ここで15分ほど待ち合わせ、宇治駅まで帰りました。
ちょっと、神社のパワーにやられちゃったみたい。。。














宇治まで来たんで
大好きな平等院鳳凰堂の宝物殿に。
飛天?
あの像が大好きなんですよね。
雲に乗って、にぎやかに音楽を奏でながら
迎えに来てくれるらしいじゃないですか。













昼飯を摂って、恵心院に。
ボランティアのガイドの方をひとりじめ。
つか、ここ、誰も参拝客の方がいらっしゃいませんで…(^_^;)
楽しみました。

宇治神社、宇治上神社、

訪れているうちに夕方に。

京阪電車で、宿のある深草駅まで。













あとはもう、いつもと同じ。
コンビニ飯と酒。笑。
早起きだったせいか、あっと言う間に爆睡。










GOOD NIGHT。

20180806(月)…柿本人麻呂「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」

2018年08月06日 | 小倉百人一首


朝飯をちゃっちゃと済ませて…
7時からレストラン開店なんだけど
あっという間に満席になって
あっという間に空席になる…。




みんな忙しいんだね。



8月6日(月)午前8時5分

さ、出かけます。





ホテルから出て見上げる空は
「今日も暑くしてあげるからね~」
と言っているようだった。




8月6日(月)午前9時26分



乗り換え
電車の乗り換えって、少し緊張するよね。



路線図を見て気がついたんだけど
昨日の駅「貴生川」からでも、「柘植」で乗り換えて「加茂」まで来られる。
このコースでも面白かったかも。



8月6日(月)午前9時42分










バス30分待ち。
なんか楽しい。









バス停から歩いて1分。
岩船寺に到着です。
このお寺も、柿本人麻呂と何かつながりがあると聞いてきてみたのですが…。




岩船寺は緑に囲まれ
どこから見ても
美しかった。




紫陽花寺と言われるらしいから、花時に来れば
さらに美しいんだろうなあ。



お堂の中には
1,000年前からある
仏様の像が。





お堂の中は少し涼しい。




汗が引く。





平日だったせいか
訪れる人はまばらで
リュックをベンチに起きっぱなしにして境内を歩き回ってしまった。







8月6日(月)午前11時23分




暑いけど
素敵なお寺さんでした。









そろそろバスがくるかな。






岩船寺のすぐ横に白山神社があることに気がついて
せっかくなんで、そちらもお参りしてきました。





階段50弾ほどで、白山神社に到着。
お社が2つ。
間近に見られるというか、触ることもできます。(しませんが。)














岩船寺から浄瑠璃寺までバスで数分。
バスで数分かもしれないが
バスが来るまでが数十分待ち。






ここにも三重の塔。
最初のインパクトってヤツかもしれないが、印象は岩船寺のほうが強く感じた。浄瑠璃寺の塔は、大人しい感じ。









お堂の中には
見事な像が並んでいた。
う^わ。
すげー。
予備知識なしに来ちゃったもんだから、びっくり。










8月6日(月)午後0時4分






黙祷したあと、昼飯。




飯を食って、バスの時間調整。
涼しい室内ですごすことができたんで汗がひいた。







バス。
ふぅ。
疲れた。
山が荒れてる。








8月6日(月)午後2時39分

京都に帰ってきたんで
ビール。








夜は京都のフォロワーさと一杯。
鱈腹、ビールを楽しんだ。










帰ってきてから
悪い癖で
コンビニで買い込んで
さらに食らう。

別腹なのよね。(何が?)




スマホをいぢくっているうちに爆睡。


今回、柿本人麻呂って人をテーマに回ってみたんだけど
「ああ、ここに」…と感じられるところがなかったなあ。
回った御寺様、どこもかしこも、「うちも柿本人麻呂さん、祀ってありますよ」みたいな感じだ。


終焉の地である島根まで行ってみたら、大々的に柿ノ本人麻呂してるんだろうか。