11月13日 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
黄砂のせいかそれとも本当に曇っているのかそんな京都に行きました。
今回は「源氏物語研究会」の皆さんと一緒です。
私自身は瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」をさらっと読んだことはあるのですが、バスの中で皆さんの話を聞いていたら詳しい裏の話までわかって興味深い旅になりました。
近江国庁跡(大津市神領)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/db/cc5ca74df7396eecaad9866374b3f777.jpg)
奈良時代から平安時代にかけて役所があった所。今でいえば県庁。
源氏物語で斎宮が伊勢に行く最初の宿泊所「瀬田の頓宮」はこのあたりらしい。
瀬田の唐橋(大津市唐橋町)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/02/e4bc9ad544a48d7bcf15108351a55eeb.jpg)
平安時代東国に下る時使った。
源氏物語では六条御息所、空蝉、浮船が通っている。
逢坂の関(大津市逢坂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9a/4cab0844167da100362d9c9847c26716.jpg)
平安時代は三大関所の一つ。
光源氏が中央政界に返り咲きお礼詣でに石山神社に詣でた時、夫の任期が明けて京都に上っていた空蝉とすれちがう場所。
蝉丸神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/65/029844bdce396d5ea9f35f242ef0e648.jpg)
逢坂山の下にあり「これやこの 行きも帰るも 別れでは 知るも知らぬも 逢坂の関」
百人一首 10番の作者 蝉丸を祭る神社。 神社の前に舞台があるのが興味深かった。
修学院離宮 総門 (京都市左京区)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/bd/7bcc91a982a111deebb8eb8c208fcaa8.jpg)
17世紀中頃 後水尾上皇が作られた離宮。
平安時代 このあたりから大原までを小野の地名で呼ばれていた。
源氏物語では落ち葉の宮の母、一条御息所が病気療養のためこの近くに移り住む。
夕霧がたびたび訪れる。
離宮に入るには事前に申し込まないといけない。
門の前の人は参観の時間を待っている人たち。
三千院横から来迎院へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/42/0e031dccb954ec9b2196041847a1afed.jpg)
来迎院を通り越して音無しの滝へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/99/b78fc22549fa173e38cec7a3335d37bd.jpg)
音無しの滝 (京都市東山区)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/9c/b5a1f0b98f156af653425bb5029e6df3.jpg)
天台声明や融通念仏宗を興された聖応大師良忍上人が声明の修行をしていると、ついには声明と滝の音が和して滝の音が聞こえなくなったという故事がある。
源氏物語では落ち葉の宮が夕霧に渡した歌に「音無しの滝」が入っている。
又 浮船が入水自殺をしたのもこのあたりらしい。
岩戸落葉神社 (京都市北区)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a7/eaa4ab8f52c30098c6d4203cc751bffc.jpg)
着いたのは6時過ぎ、すっかり暗くなって何も見えない。
主催のS先生が「イチョウのライトアップの日」を14日と勘違いしていてちょっとがっかりする。
ここは落ち葉の宮が住んでいたという説がある場所。
祠も岩戸社と落葉社が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c6/20578996ff4e23c5111c88d9532168a6.jpg)
昼間であればこんな風景 (20メートルもの巨木のイチョウ)docoico.netより
一日中京都を駆け抜けた旅だった。
源氏物語の知らないことがいっぱい勉強できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
黄砂のせいかそれとも本当に曇っているのかそんな京都に行きました。
今回は「源氏物語研究会」の皆さんと一緒です。
私自身は瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」をさらっと読んだことはあるのですが、バスの中で皆さんの話を聞いていたら詳しい裏の話までわかって興味深い旅になりました。
近江国庁跡(大津市神領)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/db/cc5ca74df7396eecaad9866374b3f777.jpg)
奈良時代から平安時代にかけて役所があった所。今でいえば県庁。
源氏物語で斎宮が伊勢に行く最初の宿泊所「瀬田の頓宮」はこのあたりらしい。
瀬田の唐橋(大津市唐橋町)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/02/e4bc9ad544a48d7bcf15108351a55eeb.jpg)
平安時代東国に下る時使った。
源氏物語では六条御息所、空蝉、浮船が通っている。
逢坂の関(大津市逢坂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9a/4cab0844167da100362d9c9847c26716.jpg)
平安時代は三大関所の一つ。
光源氏が中央政界に返り咲きお礼詣でに石山神社に詣でた時、夫の任期が明けて京都に上っていた空蝉とすれちがう場所。
蝉丸神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/65/029844bdce396d5ea9f35f242ef0e648.jpg)
逢坂山の下にあり「これやこの 行きも帰るも 別れでは 知るも知らぬも 逢坂の関」
百人一首 10番の作者 蝉丸を祭る神社。 神社の前に舞台があるのが興味深かった。
修学院離宮 総門 (京都市左京区)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/bd/7bcc91a982a111deebb8eb8c208fcaa8.jpg)
17世紀中頃 後水尾上皇が作られた離宮。
平安時代 このあたりから大原までを小野の地名で呼ばれていた。
源氏物語では落ち葉の宮の母、一条御息所が病気療養のためこの近くに移り住む。
夕霧がたびたび訪れる。
離宮に入るには事前に申し込まないといけない。
門の前の人は参観の時間を待っている人たち。
三千院横から来迎院へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/42/0e031dccb954ec9b2196041847a1afed.jpg)
来迎院を通り越して音無しの滝へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/99/b78fc22549fa173e38cec7a3335d37bd.jpg)
音無しの滝 (京都市東山区)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/9c/b5a1f0b98f156af653425bb5029e6df3.jpg)
天台声明や融通念仏宗を興された聖応大師良忍上人が声明の修行をしていると、ついには声明と滝の音が和して滝の音が聞こえなくなったという故事がある。
源氏物語では落ち葉の宮が夕霧に渡した歌に「音無しの滝」が入っている。
又 浮船が入水自殺をしたのもこのあたりらしい。
岩戸落葉神社 (京都市北区)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a7/eaa4ab8f52c30098c6d4203cc751bffc.jpg)
着いたのは6時過ぎ、すっかり暗くなって何も見えない。
主催のS先生が「イチョウのライトアップの日」を14日と勘違いしていてちょっとがっかりする。
ここは落ち葉の宮が住んでいたという説がある場所。
祠も岩戸社と落葉社が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c6/20578996ff4e23c5111c88d9532168a6.jpg)
昼間であればこんな風景 (20メートルもの巨木のイチョウ)docoico.netより
一日中京都を駆け抜けた旅だった。
源氏物語の知らないことがいっぱい勉強できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)