Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Recipes for making a talent才能作りのレシピー

2020-02-29 | 生き方

『才能があるか無いかは努力した者だけが言えるセリフだ』と

観ていたアニメの主人公が言っていた。

“Talented or not it is only allowed to tell for whom efforts have done”

this line was told by the main character when I was watching TV anime.

それを聞いた時、眼がぱっと醒めた。

When I heard that my eyes awoke in a flash.

 

私はこれといった才能が無い。

I have no specific talent.

絵は上手く描けて学校の教室に展示されたことは結構あるが、

学校の課題以外は描いたことが無い。

I was somehow good at drawings

so a few paintings of mine exhibited in the classroom

but never drawn anything other than school assignments.

作文も何回か選ばれたことはあるが、

それも必要とされない限り書いておくことはない。

Essays also have been selected several times,

but I didn’t write anything unless needed to record.

 

3か国語もなんとか話せるが、

それは生きるための術だから日常生活の活動でしかない。

I can somehow speak three languages,

but it is just daily activities because they are tools to live.

デザインも習ったが、仕事まで発展できずで、

自分の住まいディスプレイに役たてるレベルに留まった。

Also, I learned to design,

but I couldn’t improve it to work and stayed at the level

that was just useful for my home decorating and display.

 

料理やお掃除などの家事は特に上手くも下手でもなく、

問題がない程度で収まっている。

For my housework, such as cooking and cleaning,

I am neither particularly good at it nor bad,

so fit into the limit with no problems.

簡単に言うとこれが私だと言える独自の能力が無く、

人よりできると言える技も無いということだ。

To put it simply, I don’t have a unique capability

that makes me distinctive as being me,

and there are no better skills to show than others can do.

 

だから、自己紹介する時など何を言えばいいのか相当悩む。

So, when I introduce myself,

I am quite troubled about what to say.

好きな色とか、好きな食べ物とか、

他人にとってはどうでもいいことだし、

好きな本や好きな映画とかも、

状況によって感想も変わってくるから、

ピックアップして言えない。

People never care about my favorite color, food I like

and even I can’t pick up to say the books or movies that I like

because their impressions get change by the situations.

 

毎日、夕食の支度や家事をしている一人の時は

キッチンの窓から裏庭をぼんやりと眺めたり

流れている水の音をただ無心に聞いたりする。

Every day, the time when being alone

while I do housework or preparing for dinner,

Watching dully backyard from the kitchen window,

Listening to the sound of flowing water without thinking.

そうだらだらしていると必ず、

今私は何をしているのだろうかと心からの問いが聞こえてくる。

Whenever I have time such being slovenly,

I can listen to my inner voice questioning what I am doing now.

 

その問いが聞こえると

私は今すべきことをしていると自問自答をする。

Heard that voice I answer to myself

that I am doing what I should do now.

 

私にとってすべきこととは、したい・したくない関係なく、

今手元にある仕事をすることだと決めているから、

何かをする行為自体に意味がある。

As for me, the meaning of what I should do is

an act of working to be done

that I am holding now in my hands,

regardless of whether I want to do it or not.

だが、すべきことはするのがあたり前だから、

他に疑問の余地が無い。

However, there is no question elsewhere

because, should do is the matter of grant to do so.

 

そこまで考えると、これらすべきこと以外に

私に何ができるのだろうかと次の疑問が湧く。

With that in mind, the next question arises as to what else I can do

besides these should do kinds of stuff.

その連続する疑問に一旦、火が付くと火が黙々と燃え上がる。

Once the question was continuous

it starts to be lit on fire silently.

 

私ができることはなんだろうか。

What is can I do?

そう考えると私にしかできない、

何か才能があると言えるものがあるのかと

次々と問いが繋がってしまう。

Reaching to the question,

such monologue questions come up one after another

asking that if I have a significant talent which only, I can do.

 

 

バレエを初めてトライしたのは35才当たりの時で、

当時通っていたジムのバレエクラスだった。

The first time I tried ballet was

when I was around 35 at a gym ballet class.

トライして1分も経たないうちに、

私にバレエは全く向いていないことを知った。

As soon as I was trying within a minute,

I realized clearly that I was not any good at all for ballet.

 

けれど、トライすることを辞めなかったのは、

バレエは向く向いてないことが明確に決まっていて、

明快だったからだった。

But I didn’t stop trying

because ballet has made me sure that

who is gifted or never be and it seemed clearly decided already.

こんなに才能が無いことが初めから分かれば、

あるか無いか迷う時間が省けるから、

考えに悩まずにことを済ませる。

When such acknowledgment comes for the first try

whether who has it or not,

it can save time for the wandering around

and cut the troublesome thoughts out.

 

だから、バレエは趣味にも入らず、

ジムのトレーニングの一種に過ぎなかった。

So, for me, the ballet was not even my hobby,

it was just one of the training programs at a gym.

だが、仕事を辞めてまともな時間ができた時に、

やりたいことのリストを作っていたら、

なんとバレエがトップ3の中に入っていた。

But surprisingly, when I could have a decent time after quitting my job,

I made a list that I have been wanting to do,

the ballet was rose up in the top three.

 

恐らく、バレエは内筋肉を使うから、

作りたい体形を手っ取り早く作れると見積もったに違いない。

Probably, ballet has to use internal muscles,

so I might have calculated that

ballet can make the ideal shape of the body quickly which I desired to be.

 

それでもバレエはできる時に、

無理のない程度でやって、

ステップを覚えるために一人で練習をすることは全くしなかった。

Even though I did ballet conveniently only when I had extra time,

I never practiced alone to remember the steps.

そのような冷たくも熱くもない生ぬるい心構えが、

気が付いたらいつの間にか積極的な取り組みに変わっていた。

Such temperature neither cold nor even warm,

the mental attitude I had was like lukewarm,

but without realizing I suddenly found

my thought was changed into proactive for ballet.

 

今思うと私のバレエの心の持ち方が変わったきっかけは、

今のバレエ先生に出会ってからだったかもしれない。

Now, to think back then,

which trigger could lead me to change my mind

how to manage ballet was,

probably it was from the moment

when I met my current ballet teacher.

 

彼女は成人バレエを習っている私達に

彼女自身の理想を要求しない。

She does not demand her own ideals forms to us,

we the adult ballet leaners.

だが、毎回新しい振り付けを教えてくれて、

脳に刺激を与えてくれる。

But she teaches us a new choreography for every class,

and it stimulates the brain.

 

彼女が教える指導法は基本的なテクニック中心で、

その基本から枝別れしたような応用編についていける人は

自由に新技術を身に付けられ、

その難易度についていけない人は基本に留まることができる。

Her teaching is mainly based on basic techniques

and the practical application version is branched out from the basics.

If someone can come up with the practical application,

can freely acquire the skills

but if not be able to catch up with the difficulty can stay on the basics.

 

教える側が教わる側の発展意欲を握っていなく、

学ぶ側が自分を進歩させるか・しないかを選択していく教え体系である。

The systematic teaching structure shows that

the instructor does not operate the learner’s conation of improvement,

but leaners choose whether to manage to improve or not in their own ways.

 

その結果、教わることに心的負担が無く、

ついていけないことにストレスが無い。

With those results,

there are no mental burdens for learning

and no stress in not being able to keep up.

私はバレエに才能が無いと初日で達観したから、

彼女の指導法が心地良かった。

As I saw the insight that I don’t have any talent for ballet at the first tried day,

her way of teaching made me taken easy.

 

けれど、性格上、ただ真似るだけはできないタイプなので、

時間がある時は常にバレエに関する本を読んだ。

However, for my personality,

I am the type that never just imitates,

so I have been always reading ballet books whenever I have time.

自分が教わっているバレエが何で成り立って、

何を必要とし、どのようにさせるのかを

理論から理解しておきたかったからだった。

That is because I wanted to comprehensive from those theories,

such as what is consisted of ballet,

what is in need, how it makes to be.

 

だから毎日、分かるまで、

何かを掴めるために努力をした。

So, I efforted every day to get an understanding

and tried to grasp something until knew something.

その分かろうとすることが日常になって、

分かろうとする意識さえなくなって、やがて習慣になった。

Such attempting to understand it became a daily routine,

and the conscious to know was fade out,

finally it became a habit.

 

バレエの運動力学の原理を知るとそれを自分に実験する。

When I learned ballet kinematics and the principles,

I experimented with me.

 

実験で分かったことを実際のレッスンで試す。

Things that I earned from the experiments

I tried it in actual lessons.

 

試したことで何が効いているのか、効いていないか把握する。

Knowing what is worked on me and what did not by trying it.

 

効いたことと効いていないことのデーターを集める。

Collecting data either way what could work or not.

 

そのような実践の繰り返しだった。

I repeated such practices on me.

 

だが、ある日、何が引き金になったか定かではないが、

突然バレエの仕組みが一瞬で理解できた。

But one day, all of a sudden

I could understand how ballet works

even though I was not sure what was the trigger to make happen.

その瞬間から練習すれば、

バレエができるようになると想い始めたのである。

Since that moment,

I began to think that if I practiced,

I would be able to do ballet.

 

才能が無ければ、作ればいいと思えるようになった。

I became to think that if I don’t have a talent then I can create it.

 

何かに才能を持ちたければ、

全くないゼロから始めて一つから準備すればいい。

If you want to be talented on something,

then start from the total zero and get ready from the first.

 

一つ準備すれば、二つ目が視野に入ってくる。

Once be able to prepare with a just single, the double comes into view.

 

一個ずつの準備が積み上がれば、

いつか準備が完了できる時がくる。

As soon as the preparations are built up one by one,

the time complete preparation finally will come.

 

準備ができたら前に一歩踏み出せる。

When you are ready, can take one step forward.

 

一歩踏めたら歩ける。

Stepping on the first step, you can walk.

 

歩ければ、いつかは走れるようになる。

If you can walk, you will be able to run someday.

 

走れたら、きっといつか飛べるようになる。

If you can run, certainly you will be able to fly someday.

 

 


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23 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (月のような者)
2020-02-29 23:09:18
今やっていることを始めた頃は自分に才能があるかないかなんて考えもしなかったですよ。大げさに言うと無意識に自分のことを天才だと思っていたんじゃないかと思いますよ(笑)それが当たり前だから意識もしないみたいな…。今考えると阿呆というか、たぶん今でも阿呆ですよ(笑)なぜそんなに自信を持っていたのか本当に分からないですね。まあ自分のことながらそれなりに才気のあるものを書いていたし私の作品に興奮している人もいましたから、少なくとも自信喪失にはならなかったんですね。たとえこの先売れなかったとしても自信はなくならないと思いますよ。売れっ子だけど明らかに私以下の実力の人もいますから。そういうものですよ。私よりすごい人を目標に努力するだけでしょうね。自分の中に進化し続けたいという意欲があることがありがたいです。
返信する
Unknown (sure_kusa)
2020-03-01 06:12:44
>一歩踏めたら歩ける。
 歩ければ、いつかは走れるようになる。
 走れたら、きっといつか飛べるようになる。

このシナリオ、大事にしたいっす ♪
返信する
Unknown (榮久)
2020-03-01 08:32:10
好きこそ物の上手なれ

続く続かないは
それが好きか否かに尽きるようにも

私は幼い頃より絵とか文字に
引かれていたように思う
生家の窓ガラスや壁のあちこちに
絵やら文字モドキの落書きが残されて
いたのを覚えている。

幸い家に書籍は多くあり
文字を覚える前から百科辞典の絵を
眺めていたと母から聞かされてもいたし
記憶もある

成長に伴い絵本から童話と
未だに本の世界から抜けだせないでいる
また、此も幼児期よりの楽しみも
絵や彫塑、電子工作と創作と工夫に
明け暮れていた

長じて仕事も探求心を要する
 職種を得て現在に至る
特殊機械の点検修理、保守には
手先の器用さ
トラブルシューティングには
推理と経験の独り仕事が中心です

やはり「好き」に尽きるようにも

こちらはコロナウイルスで
感染抑制として休校措置やら
マスクの品薄やらが妹からの
電話で伝えられ、更にマスクと手洗い
 もとご注意が


日頃あまり出歩かないのですが
図書館のwebで確認したところ
昨日から3月中頃までと
これだけが残念です
年間約四百冊ほど予約したり
リクエストしたりで利用させて
貰っていましたので

何か中世のペスト騒ぎのようにも
病気でなくとも
死は平等に与えられていますのに
返信する
Unknown (月さんへ)
2020-03-01 19:13:42
才気があることを信じる、これこそが才能だと思います。
私が文を書けるようになったきっかけは、日記を書いて隠しておいたら
姉が無断で読んで、私に才能があると言ってくれた時でしたね。
でも、もの書きになるほどの能や脳が無いので、
体験談(このブログ)なら書けるかなと、その程度だけです。

月さんの文を読むと
文脈が高度すぎるのもあって、連想していく過程も普通じゃない感じです。
偶に、映像化できる文を読むと、
場面を描けるのに手が込んでいて、詳細さに驚かされたりします。

月さん自身を最後まで信じてあげてくださいね。
最後の最後まで信じてあげるのです。
私にはそれができなかったのでしたが、月さんならできると思います。
返信する
Unknown (スレクサさんへ)
2020-03-01 19:18:02
人気ブロガーのスレクサさんから、大事にしまっすっと言われるとウキウキしちゃいますね。
今回の記事、書いて良かったと胸をなでなでしているところです。
コメントありがたく受取りましたん。
返信する
Unknown (栄久さんへ)
2020-03-01 19:36:27
栄久さんはクラシックですよね。
明治時代の紳士みたいな感じかな。
古いとかの意味でなく、古風な感じの明治時代、です。
昭和の感じはしないから
きっと、明治の紳士の方が合ってると思います。
生き方も小粋な感じもするから、坊ちゃん育ちだっただろうに
謙虚ですよね。

ここは図書館で本のセールをよくやってます。
内の夫も本が大好きなので、
地域新聞とかで図書館本セールを見つけると
二人でワクワクして出かけるのです。

ある時は80冊買いましたね。
だけど、この前
Bloomfiled(土地価額最高地)の図書館で本セールすると
広告があって、二人で期待で朝早くから行きましたが、
なんと、ろくな本が一冊もなくて
手ぶらで帰ったことがあります。

帰りの車で、裏切られたと二人で
その図書館を罵りました。
あんなに高価な地域だから
Antiqueな本や宝物のような本があると思ってたから
すごくがっかりしましたね。

そういえば、中学の時
学校の図書館の本を全部読んじゃって
読むものが無くなった記憶があります。
トストイェプスキーの罪と罰にはまって
授業中にノートに隠して読んでましたね。

今は図書館の本セールでないと行かなくなりましたけど。

栄久さん行きつけの図書館早く開けて欲しいですね。
行きたいのに行けないのって結構しんどいものですしね。



返信する
いつか飛べる (田植え機に乗った元サラリーマン)
2020-03-04 09:25:40
   こんにちは!
 私たちは毎日判断の基準となる価値観を生活しながら築きあげているような気がします、
たぶん死ぬまで。だから物事を始めるのに遅すぎることはありません。気がついた時にスタートに
すれば良いと思います。ただ「才能」は厄介な問題ですね、神のみぞ知る……。
私はまだ走れます、でも早く走れるかどうかは……。でも努力すれば飛べるような気がして
きました。ではでは。
 
返信する
Unknown (元サラリーマンさんへ)
2020-03-04 14:03:10
そうですね、才能は厄介ですよね。
個人的には、私はゲームに才能があるようです。
(苦笑い( ..)φメモメモ)
今手かけているゲームは2つですが、
一つは完了してしまって、そのゲームの新しいレベル待ちなのです。
1600レベルまで行きました。

もう一つもクリアすべきの全部やっちゃって新しいステージが無くなったのです。
ゲームの中で飛んじゃいましたね。


返信する
Unknown (月のような者)
2020-03-04 22:22:17
手塚治虫氏の何がすごいって漫画を描くことが即幸福(多幸状態)になり得たということでしょう。そこまで何かに没入できるということは自分も他人も「肯定」に巻き込むことができるということです。手塚氏にとっての漫画を描く瞬間とは、どのような内容であってもその都度深い肯定を生きるということだったんです。
田河水泡ののらくろが軍国主義を牽引したという批判について、しかし特攻隊員として死んだ弟はのらくろを愛せて幸せだったと思う、という文章を目にしたことがあります。たとえ軍国主義の矢面に立たされても「根本的にまともな人」への評価とは前向きなものになるのです。人は極限状態では仏像みたいなものが見えたり誰かの慈しみの言葉が聞こえたりするものです。死んだらどうなると言っても、生も死もとりあえず流れていく「過程」だと思っているのが「心」なのです。それはどうこうなるものではないし、どうかしたいと思ってもいないはずなのです。極限状態ではただ「平常心を取り戻すための肯定」が必要になるのです。戦前の漫画の読者が宮尾しげをよりも田河水泡を記憶したのは軍国主義の流れに乗りつつも元の湿った「人間」でい続けた芸当によるものです。田河水泡の功績は自分や読者の内面を初めて漫画に投影したことです。孤児としての悲哀が戦争という大きな状況で死にゆく誰かを支える力として選ばれる不思議。極めて興味深い形で、ある一つの才能が驚くほど輝いたのです。時代に呼ばれるとは驚くべきことなのです。
新型コロナウイルスの流行でとても不幸なことも起きているかもしれないけど、もしも自分にとって一番大事なことに気付く体験をしたならばそれを他人のためにも生かしていく勇気を持ってもらいたいですね。才能は世のため人のため。
返信する
Unknown (朱夏)
2020-03-05 12:25:54
Hello. I respect your efforts. How intelligent!
And your teacher is the perfect teacher to teach ballet to adults.
Currently, my ballet class is closed. The April performance has also been postponed.
I have not danced for a long time!
To tell the truth, my passion for ballet has cooled a bit since the last stage. But now, when I couldn't dance, I realized that ballet was already part of my everyday life.
When I return from the countryside to the city, can I stop breathing just because the air is not so good?
Please enjoy your dance!
返信する

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