Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Recipes for making a talent才能作りのレシピー

2020-02-29 | 生き方

『才能があるか無いかは努力した者だけが言えるセリフだ』と

観ていたアニメの主人公が言っていた。

“Talented or not it is only allowed to tell for whom efforts have done”

this line was told by the main character when I was watching TV anime.

それを聞いた時、眼がぱっと醒めた。

When I heard that my eyes awoke in a flash.

 

私はこれといった才能が無い。

I have no specific talent.

絵は上手く描けて学校の教室に展示されたことは結構あるが、

学校の課題以外は描いたことが無い。

I was somehow good at drawings

so a few paintings of mine exhibited in the classroom

but never drawn anything other than school assignments.

作文も何回か選ばれたことはあるが、

それも必要とされない限り書いておくことはない。

Essays also have been selected several times,

but I didn’t write anything unless needed to record.

 

3か国語もなんとか話せるが、

それは生きるための術だから日常生活の活動でしかない。

I can somehow speak three languages,

but it is just daily activities because they are tools to live.

デザインも習ったが、仕事まで発展できずで、

自分の住まいディスプレイに役たてるレベルに留まった。

Also, I learned to design,

but I couldn’t improve it to work and stayed at the level

that was just useful for my home decorating and display.

 

料理やお掃除などの家事は特に上手くも下手でもなく、

問題がない程度で収まっている。

For my housework, such as cooking and cleaning,

I am neither particularly good at it nor bad,

so fit into the limit with no problems.

簡単に言うとこれが私だと言える独自の能力が無く、

人よりできると言える技も無いということだ。

To put it simply, I don’t have a unique capability

that makes me distinctive as being me,

and there are no better skills to show than others can do.

 

だから、自己紹介する時など何を言えばいいのか相当悩む。

So, when I introduce myself,

I am quite troubled about what to say.

好きな色とか、好きな食べ物とか、

他人にとってはどうでもいいことだし、

好きな本や好きな映画とかも、

状況によって感想も変わってくるから、

ピックアップして言えない。

People never care about my favorite color, food I like

and even I can’t pick up to say the books or movies that I like

because their impressions get change by the situations.

 

毎日、夕食の支度や家事をしている一人の時は

キッチンの窓から裏庭をぼんやりと眺めたり

流れている水の音をただ無心に聞いたりする。

Every day, the time when being alone

while I do housework or preparing for dinner,

Watching dully backyard from the kitchen window,

Listening to the sound of flowing water without thinking.

そうだらだらしていると必ず、

今私は何をしているのだろうかと心からの問いが聞こえてくる。

Whenever I have time such being slovenly,

I can listen to my inner voice questioning what I am doing now.

 

その問いが聞こえると

私は今すべきことをしていると自問自答をする。

Heard that voice I answer to myself

that I am doing what I should do now.

 

私にとってすべきこととは、したい・したくない関係なく、

今手元にある仕事をすることだと決めているから、

何かをする行為自体に意味がある。

As for me, the meaning of what I should do is

an act of working to be done

that I am holding now in my hands,

regardless of whether I want to do it or not.

だが、すべきことはするのがあたり前だから、

他に疑問の余地が無い。

However, there is no question elsewhere

because, should do is the matter of grant to do so.

 

そこまで考えると、これらすべきこと以外に

私に何ができるのだろうかと次の疑問が湧く。

With that in mind, the next question arises as to what else I can do

besides these should do kinds of stuff.

その連続する疑問に一旦、火が付くと火が黙々と燃え上がる。

Once the question was continuous

it starts to be lit on fire silently.

 

私ができることはなんだろうか。

What is can I do?

そう考えると私にしかできない、

何か才能があると言えるものがあるのかと

次々と問いが繋がってしまう。

Reaching to the question,

such monologue questions come up one after another

asking that if I have a significant talent which only, I can do.

 

 

バレエを初めてトライしたのは35才当たりの時で、

当時通っていたジムのバレエクラスだった。

The first time I tried ballet was

when I was around 35 at a gym ballet class.

トライして1分も経たないうちに、

私にバレエは全く向いていないことを知った。

As soon as I was trying within a minute,

I realized clearly that I was not any good at all for ballet.

 

けれど、トライすることを辞めなかったのは、

バレエは向く向いてないことが明確に決まっていて、

明快だったからだった。

But I didn’t stop trying

because ballet has made me sure that

who is gifted or never be and it seemed clearly decided already.

こんなに才能が無いことが初めから分かれば、

あるか無いか迷う時間が省けるから、

考えに悩まずにことを済ませる。

When such acknowledgment comes for the first try

whether who has it or not,

it can save time for the wandering around

and cut the troublesome thoughts out.

 

だから、バレエは趣味にも入らず、

ジムのトレーニングの一種に過ぎなかった。

So, for me, the ballet was not even my hobby,

it was just one of the training programs at a gym.

だが、仕事を辞めてまともな時間ができた時に、

やりたいことのリストを作っていたら、

なんとバレエがトップ3の中に入っていた。

But surprisingly, when I could have a decent time after quitting my job,

I made a list that I have been wanting to do,

the ballet was rose up in the top three.

 

恐らく、バレエは内筋肉を使うから、

作りたい体形を手っ取り早く作れると見積もったに違いない。

Probably, ballet has to use internal muscles,

so I might have calculated that

ballet can make the ideal shape of the body quickly which I desired to be.

 

それでもバレエはできる時に、

無理のない程度でやって、

ステップを覚えるために一人で練習をすることは全くしなかった。

Even though I did ballet conveniently only when I had extra time,

I never practiced alone to remember the steps.

そのような冷たくも熱くもない生ぬるい心構えが、

気が付いたらいつの間にか積極的な取り組みに変わっていた。

Such temperature neither cold nor even warm,

the mental attitude I had was like lukewarm,

but without realizing I suddenly found

my thought was changed into proactive for ballet.

 

今思うと私のバレエの心の持ち方が変わったきっかけは、

今のバレエ先生に出会ってからだったかもしれない。

Now, to think back then,

which trigger could lead me to change my mind

how to manage ballet was,

probably it was from the moment

when I met my current ballet teacher.

 

彼女は成人バレエを習っている私達に

彼女自身の理想を要求しない。

She does not demand her own ideals forms to us,

we the adult ballet leaners.

だが、毎回新しい振り付けを教えてくれて、

脳に刺激を与えてくれる。

But she teaches us a new choreography for every class,

and it stimulates the brain.

 

彼女が教える指導法は基本的なテクニック中心で、

その基本から枝別れしたような応用編についていける人は

自由に新技術を身に付けられ、

その難易度についていけない人は基本に留まることができる。

Her teaching is mainly based on basic techniques

and the practical application version is branched out from the basics.

If someone can come up with the practical application,

can freely acquire the skills

but if not be able to catch up with the difficulty can stay on the basics.

 

教える側が教わる側の発展意欲を握っていなく、

学ぶ側が自分を進歩させるか・しないかを選択していく教え体系である。

The systematic teaching structure shows that

the instructor does not operate the learner’s conation of improvement,

but leaners choose whether to manage to improve or not in their own ways.

 

その結果、教わることに心的負担が無く、

ついていけないことにストレスが無い。

With those results,

there are no mental burdens for learning

and no stress in not being able to keep up.

私はバレエに才能が無いと初日で達観したから、

彼女の指導法が心地良かった。

As I saw the insight that I don’t have any talent for ballet at the first tried day,

her way of teaching made me taken easy.

 

けれど、性格上、ただ真似るだけはできないタイプなので、

時間がある時は常にバレエに関する本を読んだ。

However, for my personality,

I am the type that never just imitates,

so I have been always reading ballet books whenever I have time.

自分が教わっているバレエが何で成り立って、

何を必要とし、どのようにさせるのかを

理論から理解しておきたかったからだった。

That is because I wanted to comprehensive from those theories,

such as what is consisted of ballet,

what is in need, how it makes to be.

 

だから毎日、分かるまで、

何かを掴めるために努力をした。

So, I efforted every day to get an understanding

and tried to grasp something until knew something.

その分かろうとすることが日常になって、

分かろうとする意識さえなくなって、やがて習慣になった。

Such attempting to understand it became a daily routine,

and the conscious to know was fade out,

finally it became a habit.

 

バレエの運動力学の原理を知るとそれを自分に実験する。

When I learned ballet kinematics and the principles,

I experimented with me.

 

実験で分かったことを実際のレッスンで試す。

Things that I earned from the experiments

I tried it in actual lessons.

 

試したことで何が効いているのか、効いていないか把握する。

Knowing what is worked on me and what did not by trying it.

 

効いたことと効いていないことのデーターを集める。

Collecting data either way what could work or not.

 

そのような実践の繰り返しだった。

I repeated such practices on me.

 

だが、ある日、何が引き金になったか定かではないが、

突然バレエの仕組みが一瞬で理解できた。

But one day, all of a sudden

I could understand how ballet works

even though I was not sure what was the trigger to make happen.

その瞬間から練習すれば、

バレエができるようになると想い始めたのである。

Since that moment,

I began to think that if I practiced,

I would be able to do ballet.

 

才能が無ければ、作ればいいと思えるようになった。

I became to think that if I don’t have a talent then I can create it.

 

何かに才能を持ちたければ、

全くないゼロから始めて一つから準備すればいい。

If you want to be talented on something,

then start from the total zero and get ready from the first.

 

一つ準備すれば、二つ目が視野に入ってくる。

Once be able to prepare with a just single, the double comes into view.

 

一個ずつの準備が積み上がれば、

いつか準備が完了できる時がくる。

As soon as the preparations are built up one by one,

the time complete preparation finally will come.

 

準備ができたら前に一歩踏み出せる。

When you are ready, can take one step forward.

 

一歩踏めたら歩ける。

Stepping on the first step, you can walk.

 

歩ければ、いつかは走れるようになる。

If you can walk, you will be able to run someday.

 

走れたら、きっといつか飛べるようになる。

If you can run, certainly you will be able to fly someday.

 

 


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23 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (朱夏さんへ)
2020-04-01 12:38:26
リンク先にいきました。
筋肉の使い方が繊細なバレリーナですよね。
自分の体に自信満々な感じを受けました。

この歳になると自信満々な人は疲れますんで。
返信する
Unknown (朱夏)
2020-04-01 12:07:34
こんにちは!今週もクラスはクローズです。
私は動かないことに慣れてきてしまって、危機感を覚えています。
ツイッターですが、よい自宅レッスン動画を見つけました!すばらしいバレリーナ!あなたも彼女が好きだと思うのですが、どうでしょう?
https://twitter.com/HaruhiOtani
返信する
Unknown (月のような者)
2020-03-14 06:54:15
この作品の線の力ゆえに私はこれを一生涯繰り返し見ることになると思います。ますむらさんのマンガにもこの映画にも80年代的なカジュアルテイストは表面化していますが、「ネアカ(日本的辛気臭さの80年代的隠蔽様式)」とは一線を画していることをぜひ認識してください。決して「ネアカ」の侵入を許さない強度がますむら作品やこの映画を凡百のマンガ、アニメとは隔絶した存在にさせているのです(もちろん他の多様な理由もあるが)。「時代」を見極めつつやはり普遍性を信じる者の人生を無駄にしないヒントがあります。日本文化とは何か、人間とは何かを学ぶ格好の資料でもあると言っていいでしょう。
日本のアニメとしてはオールタイムベスト5、世界で見ればベスト20には入る作品です。宮沢賢治そのものが壮大な失敗作だとしても、相も変わらず後進のクリエーターに宇宙的で豊穣な力を与え続けているのです。この映画のジョバンニはいずれ美術史的な文脈の中の猫として記憶される可能性もあると思います。
返信する
Unknown (🌙さんへ)
2020-03-13 11:21:38
元々、擬人化されたペット類(猫、犬)やモンスター類が嫌いで、その類のアニメはみたくない派ですが、月さんとの義理で最後まで観ました。朗読の原文の方に月さんが言っている宇宙観とかが描かれていましたね。
アニメは関連サイトで監督のインタビューまで観たのですが、
なんだか、そのアニメ風、タッチかな、線の使い方などが漫画風過ぎてあまり気に入らなかったです。
しかし、その本が書かれていた時とか、
そのアニメがリリーズされた時代のことを参考にすると、革新的な要素が強かったでしょうね。
でも、月さんがコメントに添えたくれたおかげさまで
そのアニメだけでなく、関連サイトも拝覧できて
私が必要としていた情報を得ることができました。
Youtubeのアルゴリズムは恐ろしいほどの正確性がありますよね。
月さんがそのアニメを取り上げてくれなかったら
そのサイトを見つけることはできなかったと思います。
ありがとうございます。

返信する
東北某県銀河ステーション (月のような者)
2020-03-13 04:17:06
映画版の原案になったますむらひろしさんのマンガ版(登場人物が全部猫)は絶品と言ってもいいのですが、やはり映画化となるとマンガのような表現の小回りは利かなくなるのでしょう。様々な改変によって映画版で何が最も犠牲になったかというと、「賢治的な宇宙の深淵、広大さ」だと思います。個人的にはジョバンニの横顔のカットは極力排除してほしかった。窓越しのカットに限定するぐらいの工夫が欲しかったです。私はこの映画の中で、いや明治も大正も昭和も消えた印刷所の廃墟で…活字を拾う少年工の影や「宇宙の波」や賢治の横顔を見ていたかったのです…あの猫の表情ならそれが映るはずですから…。
キリスト教徒の女の子とその家庭教師の役割を原作の通りにすれば「宇宙の分からなさ」をもっと観客に意識させることはできたかもしれません。しかし「文部省特薦映画」としては彼らを自己犠牲を高尚に説く角のないナレーターとして性格付けた方が色々と座りがいいし平均的な観客も悩まないだろうと判断したのでしょう。それはたぶん正解だったと思います。結果的にはキャラクターを猫にしたことの賛否両論以外はほぼ絶賛と言っていい評価になっているので不満は私一人の中で密かにくすぶればいいのでしょう…。
賢治自身の思想が生と死の概念を相対化できるレベルにまでは至っていなかったことは明白です。あくまで不出来な仏弟子なのです。つまり賢治の天才性、作品の輝きは人間の不安定性、悲劇性とも不可分に成立しているのです。それゆえに読者が「銀河鉄道の夜」を「冥途の旅」と解釈するのは決して不当なことではありません。しかし賢治はこの作品の中で生と死の克服にまで至ろうとするたどたどしいマグマの胎動のような衝動も読者に暗示しているのです。やはり早急な解釈はもったいないはずです。それなりの、かなり重大な倫理的理由ゆえに未完の状態で読者に投げ出された、冒険的で国宝的な「生命体」であると見なしてほしい作品なのです。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-03-10 10:07:27
素質がないのにやる人と、
素質があってもやらない人がいるわけです。
要は好みの問題です。
返信する
Unknown (鈴木さまへ)
2020-03-10 07:22:03
フォロワーの多い鈴木さんからコメント頂いて驚きでした。
私も何かに夢中になることはあまり無いのですが、
できないこととか、知らないこととかをそのままにしないで
最低限の努力はすると決めて取り組んでいます。
ですが、後になって振り返ると
あの時、燃えていたのね、と思える時が割と多かったです。
バレエも仕組みが分かってしまったから
もう燃えてたー過去形になりつつありますが、
少なくても現在進行形だから、何となく書いてみました。
読んでくださってありがとうございます。
返信する
Unknown (月さんへ)
2020-03-10 07:14:23
「宮沢賢治・銀河鉄道の夜」
昨夜、月さんのコメントを読んでから
そのアニメがアマゾンプライムにあるかと探してみたのでしたが、あいにく見つからなかったのでYouTube検索したらありました。
アニメを観る前に、原作の本の朗読があったので、
そっちを先に聞いてみようと思って聞いてたら
いつの間にか寝込んでしまいました。
まだ、観終えてないので、全部観てからコメントします。

お陰様でアニメ検索ついでに、他の良い朗読サイトを見つけることができました。
月さんは江戸川乱歩の心理試験、読んだことありますか?
あれは朗読サイトで見つけたのですが、
”これ、月さんの好みだ”と思いながら聴いてました。

返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2020-03-10 07:01:49
素質が無くてもやりたいことをやって
やれるように自らを訓練する、それだけに焦点を当てているだけです。

でも、レッスンを受けていると
素質がある人は何でもすぐにできちゃいますよね。
クラスルームで背の高く、スクールの舞台にいつも立っている子は何でもすんなりできちゃいます。
私は四苦八苦しながら、その素質やらに気負けしないようにと、余計に考えてしまいますけどね。
返信する
Unknown (To-朱夏)
2020-03-10 06:53:38
It is glad to read from you and heard your ballet life.
I think even though you are not doing ballet for a while, you can catch up quickly because your muscles already had programs like installed applications.
Like once get used to riding a bicycle or swimming, the body has the capability, not the memory brain.
Someday, I may reach the level that you are at now???...this is just my wannabe desire...
返信する
おはようございます (鈴木)
2020-03-09 07:50:35
還暦過ぎの暇なおじさんです
ブログ拝見してます

何かに夢中になり打ち込めるとは幸せな事ですね
還暦後の人生も現役時代も過去も未来も・・・
私はそれが見つかりません
人は容姿に恵まれるかで人生は大きく変わります
それを大事に使うのも特技の一つでしょうね
それも・・・・・・・・・
返信する
Unknown (月のような者)
2020-03-09 01:31:03
すごく久しぶりにアニメ映画の「銀河鉄道の夜」を見てみたのですが、うーん、百点満点中…65点から70点ぐらい(笑)
「宮沢賢治・銀河鉄道の夜」のタイトル表示からストーリー前半を経て銀河鉄道に乗るまでの作りは完璧だと思います。しかしこれはあくまで個人的な感想なのですが、それ以降のあまりにも分かりやす過ぎる死のメタファーの多用や80年代の出来合いのSFアニメを想わせる三角形の飛翔体(キリスト教徒の女の子のキャラ造形も80年代臭い)などが興を削いでしまっている感が強く、せっかくの素晴らしい音楽(サントラCDも持っている)もストーリーと絵との三位一体の弱体化に伴って空転してしまい、本来の深い響きを失しているような印象さえ受けてしまいました。しかも最後の「詩集・春と修羅」の序文の朗読が作品全体のちぐはぐ感を駄目押ししてしまったような気がします。宮沢賢治という天才の作品を別の形で再現することの難しさを物語っていると思いました。
女の子とその家庭教師とジョバンニの「宗教論争」をはしょったのは映画的には英断だったと思います。そもそも映画監督と言えども、宗教、特に仏教のメカニズムを基礎知識として完璧に把握することを求めるのは酷というものです。観客に対してならなおさらです。だとすれば猫として描かれたジョバンニの感情の機微とカンパネルラとの(猫らしい一見無表情な)交歓をもっと徹底的にクローズアップして「位押し(力押しではない)」するべきだったと思います。猫であること(猫の象徴性)を慎重かつ最大限に活用することによって宮沢賢治の天才性、神秘性にもっと接近できる可能性はあったのです。(私の採点は置いておくとして)この映画の合格ラインがどこにあるかと言うと、観客こそが生と死の神秘の主体であると気付かせる(もしくはそう思わせる)地点にあるのでしょう。つまり「フィクションであってフィクションでない」賢治の天才的メッセージを誰かと共有できる地点です。あの猫は宇宙が始まって以来の「あなた」であり「誰か」なのです。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-03-07 00:10:25
トップバレリーナにせよ、アスリートにせよ、身体的素質に恵まれていることは最低限の条件だと思います。
努力や訓練が無駄だとは決して思いませんが、
超一流と呼ばれる人達には、素質は絶対の欠かせないと思います。
返信する
Unknown (朱夏)
2020-03-05 12:25:54
Hello. I respect your efforts. How intelligent!
And your teacher is the perfect teacher to teach ballet to adults.
Currently, my ballet class is closed. The April performance has also been postponed.
I have not danced for a long time!
To tell the truth, my passion for ballet has cooled a bit since the last stage. But now, when I couldn't dance, I realized that ballet was already part of my everyday life.
When I return from the countryside to the city, can I stop breathing just because the air is not so good?
Please enjoy your dance!
返信する
Unknown (月のような者)
2020-03-04 22:22:17
手塚治虫氏の何がすごいって漫画を描くことが即幸福(多幸状態)になり得たということでしょう。そこまで何かに没入できるということは自分も他人も「肯定」に巻き込むことができるということです。手塚氏にとっての漫画を描く瞬間とは、どのような内容であってもその都度深い肯定を生きるということだったんです。
田河水泡ののらくろが軍国主義を牽引したという批判について、しかし特攻隊員として死んだ弟はのらくろを愛せて幸せだったと思う、という文章を目にしたことがあります。たとえ軍国主義の矢面に立たされても「根本的にまともな人」への評価とは前向きなものになるのです。人は極限状態では仏像みたいなものが見えたり誰かの慈しみの言葉が聞こえたりするものです。死んだらどうなると言っても、生も死もとりあえず流れていく「過程」だと思っているのが「心」なのです。それはどうこうなるものではないし、どうかしたいと思ってもいないはずなのです。極限状態ではただ「平常心を取り戻すための肯定」が必要になるのです。戦前の漫画の読者が宮尾しげをよりも田河水泡を記憶したのは軍国主義の流れに乗りつつも元の湿った「人間」でい続けた芸当によるものです。田河水泡の功績は自分や読者の内面を初めて漫画に投影したことです。孤児としての悲哀が戦争という大きな状況で死にゆく誰かを支える力として選ばれる不思議。極めて興味深い形で、ある一つの才能が驚くほど輝いたのです。時代に呼ばれるとは驚くべきことなのです。
新型コロナウイルスの流行でとても不幸なことも起きているかもしれないけど、もしも自分にとって一番大事なことに気付く体験をしたならばそれを他人のためにも生かしていく勇気を持ってもらいたいですね。才能は世のため人のため。
返信する
Unknown (元サラリーマンさんへ)
2020-03-04 14:03:10
そうですね、才能は厄介ですよね。
個人的には、私はゲームに才能があるようです。
(苦笑い( ..)φメモメモ)
今手かけているゲームは2つですが、
一つは完了してしまって、そのゲームの新しいレベル待ちなのです。
1600レベルまで行きました。

もう一つもクリアすべきの全部やっちゃって新しいステージが無くなったのです。
ゲームの中で飛んじゃいましたね。


返信する
いつか飛べる (田植え機に乗った元サラリーマン)
2020-03-04 09:25:40
   こんにちは!
 私たちは毎日判断の基準となる価値観を生活しながら築きあげているような気がします、
たぶん死ぬまで。だから物事を始めるのに遅すぎることはありません。気がついた時にスタートに
すれば良いと思います。ただ「才能」は厄介な問題ですね、神のみぞ知る……。
私はまだ走れます、でも早く走れるかどうかは……。でも努力すれば飛べるような気がして
きました。ではでは。
 
返信する
Unknown (栄久さんへ)
2020-03-01 19:36:27
栄久さんはクラシックですよね。
明治時代の紳士みたいな感じかな。
古いとかの意味でなく、古風な感じの明治時代、です。
昭和の感じはしないから
きっと、明治の紳士の方が合ってると思います。
生き方も小粋な感じもするから、坊ちゃん育ちだっただろうに
謙虚ですよね。

ここは図書館で本のセールをよくやってます。
内の夫も本が大好きなので、
地域新聞とかで図書館本セールを見つけると
二人でワクワクして出かけるのです。

ある時は80冊買いましたね。
だけど、この前
Bloomfiled(土地価額最高地)の図書館で本セールすると
広告があって、二人で期待で朝早くから行きましたが、
なんと、ろくな本が一冊もなくて
手ぶらで帰ったことがあります。

帰りの車で、裏切られたと二人で
その図書館を罵りました。
あんなに高価な地域だから
Antiqueな本や宝物のような本があると思ってたから
すごくがっかりしましたね。

そういえば、中学の時
学校の図書館の本を全部読んじゃって
読むものが無くなった記憶があります。
トストイェプスキーの罪と罰にはまって
授業中にノートに隠して読んでましたね。

今は図書館の本セールでないと行かなくなりましたけど。

栄久さん行きつけの図書館早く開けて欲しいですね。
行きたいのに行けないのって結構しんどいものですしね。



返信する
Unknown (スレクサさんへ)
2020-03-01 19:18:02
人気ブロガーのスレクサさんから、大事にしまっすっと言われるとウキウキしちゃいますね。
今回の記事、書いて良かったと胸をなでなでしているところです。
コメントありがたく受取りましたん。
返信する
Unknown (月さんへ)
2020-03-01 19:13:42
才気があることを信じる、これこそが才能だと思います。
私が文を書けるようになったきっかけは、日記を書いて隠しておいたら
姉が無断で読んで、私に才能があると言ってくれた時でしたね。
でも、もの書きになるほどの能や脳が無いので、
体験談(このブログ)なら書けるかなと、その程度だけです。

月さんの文を読むと
文脈が高度すぎるのもあって、連想していく過程も普通じゃない感じです。
偶に、映像化できる文を読むと、
場面を描けるのに手が込んでいて、詳細さに驚かされたりします。

月さん自身を最後まで信じてあげてくださいね。
最後の最後まで信じてあげるのです。
私にはそれができなかったのでしたが、月さんならできると思います。
返信する
Unknown (榮久)
2020-03-01 08:32:10
好きこそ物の上手なれ

続く続かないは
それが好きか否かに尽きるようにも

私は幼い頃より絵とか文字に
引かれていたように思う
生家の窓ガラスや壁のあちこちに
絵やら文字モドキの落書きが残されて
いたのを覚えている。

幸い家に書籍は多くあり
文字を覚える前から百科辞典の絵を
眺めていたと母から聞かされてもいたし
記憶もある

成長に伴い絵本から童話と
未だに本の世界から抜けだせないでいる
また、此も幼児期よりの楽しみも
絵や彫塑、電子工作と創作と工夫に
明け暮れていた

長じて仕事も探求心を要する
 職種を得て現在に至る
特殊機械の点検修理、保守には
手先の器用さ
トラブルシューティングには
推理と経験の独り仕事が中心です

やはり「好き」に尽きるようにも

こちらはコロナウイルスで
感染抑制として休校措置やら
マスクの品薄やらが妹からの
電話で伝えられ、更にマスクと手洗い
 もとご注意が


日頃あまり出歩かないのですが
図書館のwebで確認したところ
昨日から3月中頃までと
これだけが残念です
年間約四百冊ほど予約したり
リクエストしたりで利用させて
貰っていましたので

何か中世のペスト騒ぎのようにも
病気でなくとも
死は平等に与えられていますのに
返信する
Unknown (sure_kusa)
2020-03-01 06:12:44
>一歩踏めたら歩ける。
 歩ければ、いつかは走れるようになる。
 走れたら、きっといつか飛べるようになる。

このシナリオ、大事にしたいっす ♪
返信する
Unknown (月のような者)
2020-02-29 23:09:18
今やっていることを始めた頃は自分に才能があるかないかなんて考えもしなかったですよ。大げさに言うと無意識に自分のことを天才だと思っていたんじゃないかと思いますよ(笑)それが当たり前だから意識もしないみたいな…。今考えると阿呆というか、たぶん今でも阿呆ですよ(笑)なぜそんなに自信を持っていたのか本当に分からないですね。まあ自分のことながらそれなりに才気のあるものを書いていたし私の作品に興奮している人もいましたから、少なくとも自信喪失にはならなかったんですね。たとえこの先売れなかったとしても自信はなくならないと思いますよ。売れっ子だけど明らかに私以下の実力の人もいますから。そういうものですよ。私よりすごい人を目標に努力するだけでしょうね。自分の中に進化し続けたいという意欲があることがありがたいです。
返信する

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