心の動きには波長があるように思える。
It seems to me that mental movements
have a wavelength.
指紋が人によって異なるように
心の波長も人それぞれ違う。
Just as fingerprints differ from person to person,
the mental wavelength people have is also different.
元気な人の波長は安定していて、
波打つ間隔も一定している。
The wavelength healthy people have is,
stable and the beating interval also regulated.
反面、何らかの原因で不健康な人は
波長が不安定で間隔も不規則になりがちだ。
On the other hand, for people who are unhealthy for some reason
their wavelength is unstable,
and have the beating interval tends to be irregular.
何となく頼れそうな感じを与える人がいる。
There are some people who appear to be reliable somehow.
そのような人は常に安定しているように見え、
一貫した態度を示す。
Such people look like keep their minds calm
and show consistent attitudes.
何となく信じられない感じがする人がいる。
There are also some people who give a feeling
that somehow can’t trust.
そのような人は状況によって態度を変えるため
次に何をするか予測できない。
Such people change their attitude
depending on where they stand
so can’t predict what they would do next.
信じられる、信じられない感覚は、
人が過去にやってきた経歴や前歴を知らなくても
下す判断でもある。
The sense of trust and untrust is a decision people make
without knowing their prior history
or what carrier they have.
その信頼するかどうかを判断する心理的背景に
人が放つ波長を受信する身体機能が関わっていると思う。
I assume that the background of determining
whether to trust or not to,
it is related to the body reception function that
involving wavelength receiving.
20代に日本での生活を始めた時に、
韓国人と日本人から受ける印象が随分違い
文化の差を感じてから、
何がそのような感じの違いを生じるのか関心を持ち始めた。
When I started to live in Japan in my twenties,
the impression of Korean and Japanese was quite different
and felt cultural variation too,
so I began to have an interest in
what makes such differences.
韓国人は大概セカセカした感じを与える。
Most Koreans look like being hurried.
仕事を早く済まし、テキパキした返事をする。
Get the job done quickly and respond briskly.
反面、日本人は和やかな感じを与える人が多い。
Almost oppositely, many Japanese appear to be genial.
仕事を丁寧にこなし、礼儀正しく返事をする。
Do their job diligently and respond politely.
その例から考えると、
韓国人の波長は早く、
日本人の波長はゆっくりかもしれない。
Considering the above examples,
I assume that the wavelength Korean have is fast
and Japanese have is at easy.
それが、アメリカでは、
テキパキした人や和やかな人を見かけることは
非常に少ないので、それも驚きの一つである。
As such, one of the surprising things
since I live in the United States,
it is extremely rare to find people
who are being hurried or being in calm.
アメリカでは、例えスーパーで眼が合ったり、
すれ違ったりすると
大概フレンドリーに話しかけてくる。
In the United States, as to take an example,
people usually friendly speak to me
when my eyes met with them
or just passing through in a grocery store.
まるで知り合いのように瞬時で知り合った感じになる。
It feels like we got to know each other instantly.
もしかしたら、アメリカ人の波長は
軽快でアップテンポなのかも知れない。
Perhaps, the wavelength Americans have
is casual and up-tempo.
バレエの動作は8拍子で成り立つ。
Ballet movement is composed of eight beats.
私は最近になってやっと
その8拍子、4拍子、2拍子に追いつけるようになった。
Only recently I have been able to catch up with
the eight-count, four-count, and two-count.
意識して8拍子を数えなくても
身体感覚で合わせるようになった。
Even though I didn’t count the eight-count consciously,
I came to adjust with my physical sense.
以前では、基本的に音痴なので、
思いだけが先走ったり、体が遅く反応したりして
音楽と動作がバラバラだった。
In the past, as I have a tone-deafness fundamentally,
only my thought jumped out while my body react slowly,
so the music and my movement were inconsistent and came apart.
それが表面に現れるリズムと
その背景に流れる拍子を感じるようになった時、
体が何となくだが音程に反応するようになった。
But when I somehow caught up with
the rhythm that appeared on the surface
and was able to feel the basic tempo behind,
my body finally became too responsive to the tune.
レッスンの中で、みんなが同じテンポで
一つの動作セットを終える時がある。
There is a time we who taking the ballet lesson,
we finish a combination at the same tempo.
みんながそのように動きが同じくできる時は、
8拍子の各テンポを数学の割り算のように
正しく分割できたような一体感を持てる。
When we could the combination is done in the same way,
it gives me a feeling of unity that such like
all of us divided each of the eight-counts correctly
like we answered in the same
for the mathematical division question.
あの動作を同じくできることの一致団結感は、
個々人の差も乗り越えていけるような感じをさせる。
The sense of unity of being able to do the same movement,
it makes us feel we can go beyond individual differences.
一つの拍子の中で、波長がぴったり合った感覚は
それが瞬時で刹那であっても、
人と人を結ぶ絆になるような気がする。
The feeling that each other’s wavelength
matched exactly in one tempo,
even though it is a sharp moment or a blink of an eye,
it gives us the feeling that we are connected with people.
おかえりなさい。
バレエに特化した日々だったことがわかるような、blogアップ、読ませていただきました!
さすがお姉さんですね!
見習ってまいります。
私も、丹田を意識し、劇団のお稽古や篠笛のお稽古の時にお腹を腹式呼吸に変える努力しています。
楽しいし、研ぎ澄まして見渡せる景色が、確かに広くなり、他人様にも寛容になってきつつあるようです。
今朝、桂蓮さんについて書いた自分blog内のZIPさん宛てのコメントを、投稿して夫が起きる枕元で、読み上げました。これは、リアル世界の友達と、貴方と、ZIPさんの「余計なお世話」のお陰です。
いつも、努力してくださり、有難うございます。
1月17日 呼理百より
私は能を少しかじっています。最近は、小鼓と能管などの囃子が主です。能の音楽も基本は8拍子です。能の舞いや所作に、バレエと通じるものがあるのかもしれないと思いました。
能の場合は、主役(シテ)が絶対的で、それを周囲が囃すという舞台構成ですが、単なる伴奏ではなく、各楽器や謡て手がそれぞれの主張を奏でながら、全体を作りあげます。不思議な調和ですが、こういう一体感が無いと、つまらない能になってしまいます。バレエにも、きっとそんな事があるのだろうと思いました。
生まれ変わることができるなら、太鼓を打つ人になりたいなーといつも思っています。
能の動画を観ると、根本的に通じるところがあって、
クラシックはジャンルが変わっても
厳格な規律では同じだと思っています。
バレエでは股関節周りの筋肉と関節の動作範囲が肝要ですが、
能では見ている限り、コア筋肉と股関節の強さが根底にあるように思えます。
床を押す力
それに反発し抵抗してくる床反力に
更に押して立ち上がる力
それが恐らく、シテの役割をするかなと思います。
バレエも力の原点
力が広がる領域など
それらをただ見せかけるのと
作り出すのでは、完璧に違う動作になるのです。
ただ、それぽく見せる動きは
仰るとおり、つまらないのです。
私も日本の伝統舞や能に妙に通じることがあるねーと曖昧に思っただけでしたが、
詳しいコメント頂き、頭の中で整理ができました。
力の出発点を明確に決断なさると
作り出せる無形なものに命が宿り出すと思います。
同じ波長というより同じ周波数の音を出さないとハモれませんね。
これに波形が加わって個性が消されると思います。
ハモると倍音が沢山聞こえてとても心がやすまります。
「言葉の意味は、その語に共通する何かではなく、
互いに重なり合ったり交差しあったりしている。」と
アメリカで暮らしたことはなく
ただ会議や研修会に参加する程度の滞在が主で
ホテル近所を散歩したりホテル付設barで一杯など
通りすがりでしかありませんので
人々の気質やらは?
少年期を過ごした仏、英でも
暮らしていても、過客の人でした。
今、日本にいても心はいつも旅人です。
榮久様は遺伝子と合体した国に住んでいるから
少なくても、遺伝子のことは血縁だけで収まるでしょうけど、
まあー私の遺伝子は公にしてアジアを表していますね。
英国とフランスに住んでいた榮久さんなら
目立ってしまう遺伝子の差に
諦めたり、達観したり、したでしょう。
生まれた国が自分の国か、
住み慣れた国が自分の国か、
あるいあは、住んでいる国なのか、
私はどちらも決めないまま、ただここに
流れてきたから
住んでいる感じですね。
真っ先に到着した者に?
コロンブスのように
「神の名において
この未知の土地はわが雇主のもの」と。
宇宙の中心はどこであろうか?
ブラックホールの起源はなんなんだろう?
・・・? ? ?
さすらう、望郷、流星に と妄念が
Bigbangセオリーはもう宇宙の始まりでなくなっているようだし、
ブラックホールも誕生と消滅を繰り返すようだし、
ラージョ・ペンロスによれば
宇宙も誕生と消滅を繰り返すとか。
ブラックホールは流離う流星の間で生じた力、その力動で必然的に生じたと思ったり。
榮久さんの関心事は私が持っている日常の疑問と通じるものがありますね。
まあー残念なのは
私が生きている間はブラックホールを経験できず
死んでから経験しても
生きている私が全く解らないことですね。
私はブラックホールの中に消えていきたいです。
炭素さえも残したくないし。
e^iπ + 1 = 0
Stephen Hswking
One,
remember to look up at the stars and not down at your feet,
一般相対性理論と不確定性原理とを統一 「虚時間」が。
考え続けていた彼の抽象の極みみたいな高次元な計算式
形而上学的な「考え」を式に
即無 なのか
Theory of everythingというタイトルに惹かれて観たのでしたが、
理論の説明よりは、彼の結婚遍歴とか
筋無力症になっていく過程が大部分でしたね。
ブラックホールのコンセプトもろくに解説しなかったでしたね。
その映画の中で、ハイゼンベルクの不確定性原理は
何となく出ましたが、
彼が哲学的に、考えていたとは思えなかったです。
でも、今考えると
不確定性原理は必然的に考えられるので、
その過程でブラックホールを考えていたかもしれませんね。
映画ではかれが虚数についても
数学的以上に考えていたとは思えなかったなー
でも、初めてステパンさんの本を読んだ時に
宇宙の始まりさえ知らない人類の無知に
感動?した覚えがあります。
感動、感覚が動いた意味で。
無即ですかあー
即無のほうがしっくりきますね。