少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

答えのありか

2006-08-03 22:37:28 | 哲学
日々、仕事の中でいろんな問題に出くわす。作った機械のトラブルもあれば、取引先との人間関係だってそう簡単には上手くいかない。そういう時、どうやって答えを見つけ出すか。その答えはどこに潜んでいるのか。いや、もちろん様々な問題の解法がパッと何でもわかるのなら、苦労はしない。それぞれの問題ごとに事情はいろいろ違っているんだから、一般論など議論しても仕方がないかもしれない。

でも、今までの私のわずかな経験に照らし合わせて考えてみると、問題の答えというのは目の前に転がっていることがほとんどだったように思えて仕方がない。目の前にある答えに目を向けずにどっか遠くの答えらしきものに飛びついてしまうと、結局問題は一向に解決しないということになってしまうのだ。例えば、製作を依頼しているメーカーや使われている部品の製造ミスや、そんなことだ。人間関係にしても自分の周りに原因を求めるのではなく、最近余り会っていない人を犯人にしたてて、その人のせいでプロジェクトの調和が乱れたという、そんな具合だ。まあ、誰でも胸に手を当てて考えてみると少しは心あたりがあるのではないだろうか。

勿論、実際にそういう自分以外のところに問題の原因があり、それを是正しない限り話が前に進まないということもあるに違いない。でも、問題の原因が自分から遠くにあればあるほど、その問題を解決するには大きな労力を必要とすることを思い出そう。一番解決のコストが低いのは問題を自らに帰し、それを修正することである。自分の考え方を変えるだけだからほとんどコストは発生しない。そうでなくても、身の回りに原因を見つければ、それは身近なことだから、状況の把握も正確に行うことができる。したがって、打つべき手だってきちんと打てるに違いない。原因を遠くに持っていけば行くほど、そこで何が起こっているかを確認するだけでも大変なことになる。

「隣の芝生が緑に見える」

ということわざ(?)をご存知だろう。トラブルの原因を探すときも同じことが言えるのだ。自分ではなく遠くの問題を原因にした方が自分は楽なのだ。だから、原因は遠くにあったほうがいいのである。そういう力が働いている限り、問題の本質はきっと見えてこないと思うのだ。

問題の原因が遠くにあると考える時、その原因というのは遠くにあるから、その原因を細かく見ることはできないかもしれない。「大体こんなことだろう」と思っているだけかもしれない。そんなあやふやな事が問題の原因だといえるのか。自分で自分をごまかさずに、それを本当の原因を考えられるか。もし、その原因がまだよく見えないのなら、もうちょっとよく見えるところまで近づいていくしかないだろう。そして、それが確信を持って原因だと信じられたとき、問題は解決する。遠くの原因には自分から近づいていくしかない。やっぱり答えは目の前にある、いや目の前に持ってくるといったほうが正しいかもしれない。