語学学習日記です.そこらのおっちゃんが書いてます.怪しいよ!眉唾物です.

ご一緒に学習を!
私は先生ではありません.間違いだらけかと思います.
ご容赦下さい.

1462番: 法華経講読(第2回)

2022-07-24 15:29:22 | 日記


 法華経講読2回目

  

法華経をすでに読まれた方も多くいらっしゃると思います.
みなさん、これを読まれたときのご感想は
いかがでしたでしょうか?

私は、この法華経は、効能書きばかり書いてあって、
「ではどうすればその奇跡がいただけるのか?」
何度も疑問をもちました.

常不軽菩薩は亡くなる直前に
法華経十万偈を聞いて成仏されたとか.

法華経には、69384文字しかないはずなのに、どうして
100000偈もの偈頌が聞けたのでしょう.  その法華経は
1頌が4文字として40万文字にはなろうかと思われる.
それはいったいどこにある?

謎の多い経典ではありますが、正覚者たちが編んだ仏典
です.謎のひとつでも解けて、自分の正覚への道に取り
入れられればいいかなと思っております.

では続きを読みます.

「大比丘衆、万二千人と俱なりき.」

霊鷲山でお弟子さん1200人の中で、これから
法華経を説くところから始まります.
霊鷲山の説法場所の画像をみましたが、あの
広さに、12000人は、絶対収容できません.
せいぜい、すし詰め状態で、やっと観光バス1台
分の見学者が「何とか見てきました.」と言える
小さな場所です.

ではどう読むかといいますと、12000という数字
は、「その場所が、満席になった.」という形容詞だと
解釈します.

これは誇張表現と受け止めるのではなく、釈尊の
説教場面の荘厳のためにこういう言い回しを
していると受け止めましょう.

経典に出て来る数字は、4、8、16、32・・
その倍数です.4が「完全」という意味をもって
いるためです.  9という数字もあります.
前後左右に4隅で8、そして中央を数えて、9
になります.
つまり、4の倍数、もしくは9が出てきたら、
「完全に満たした」という「荘厳形容詞」と
考えてください.

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1461番:悪童物語(5)

2022-07-24 09:14:10 | 日記


悪童物語(トーマ)
Lausbubengeschichten (Ludwig Thoma)

     
悪童物語(5)


 ———————————【5】————————————————

  Bei uns sind sie am Abend vorbei,*¹   wie wir gerade
gegessen haben.  Meine Mutter hat gegrüßt*²  und Änn-
chen*³ auch.  Da ist er hergekommen*⁴ mit seiner Frau 
und hat gefragt:„Was essen Sie da*⁵ ?“

   
———————————(訳)————————————————

 夕方のこと、ぼくたちがちょうど食事をしていると、彼等
が通りかかりました.ぼくの母が挨拶、そしてアンナちゃん
も挨拶をした.そしたら男のほうが奥方を連れて近寄ってき
て聞いたのだ.「それは何を召し上がっているの?」 

 

———————————《語彙》————————————————
     
*1) Bei uns sind sie am Abend vorbei:
        Bei uns sind sie ...vorbeigekommen
       「彼等は私たちのそばを...通りかかった」.
    bei jm. vorbeikommen には「ある人のところ立ち寄る」
    という意味があるが、ここでは「そばを通り過ぎる」 
*2) gegrüßt:(過去分詞) <grüßen (4格人に) 挨拶をする
        ここでは目的語がないので自動詞扱い.ただし辞書
    には自動詞の項目はない.(あっても別の意味).
*3) Ännchen:Anna、もしくはAnne の縮小形.愛称として
    呼ばれる.
*4) hergekommen:(過去分詞) <her/kommen (自/s) こちらへ来る、
     近寄る.
*5) da:そこで、

 

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1460番:スガンさんの山羊(11)

2022-07-24 09:11:55 | 日記


スガンさんの山羊(11)


——————————【11】———————————————————
             
 M. Seguin avait derrière  sa maison  un clos entouré
d'aubépines.   C'est là qu'il mit la nouvelle pensionnaire. 
Il l'attacha à un pieu,  au plus bel  endroit  du pré, en 
ayant soin  de  lui  laisser  beaucoup  de corde,  et de
temps  en temps  il venait voir  si elle était bien.


———————————(訳)———————————————————
         
スガンさんは家の裏手にサンザシの木で囲んた畑を持っ
ていました.そしてその場所に今度の下宿人となる山羊を
連れて行きました.スガンさんはその山羊を近くの最も
綺麗な場所に、杭(を打って)につなぎました.そして
ときどきその山羊が元気にしているか、見に来るのでし
た.


———————————《語句》——————————————————
                 
clos (m) (囲いをした)畑、ぶどう園、
          
entouré(e)(形)(女などが)取巻きの多い
  femme très entourée 取巻きの多い女   
   être bien entouré いい仲間に取囲まれている
 < entourer [アントゥレ] (他) 取囲む (de で) 囲む、包む
aubépine [オベピン] (f) 西洋サンザシ
pieu (m)(pl: pieux) 杭 
attacher (他) (à に) 結び付ける、つなぐ
soin (m) 入念さ、注意、配慮、世話
  avoir soin de + 不定詞 ~するように気を付ける
laisser (他) 残す
    Les voleurs ne lui ont rien laissé.
    泥棒たちは彼(女)に何ひとつとして残して
  行かなかった.
  Laissez-lui de la place. 
    彼(女)に場所を空けてあげなさい.
  lui  laisser  beaucoup  de corde 
    そいつに綱の長さをじゅうぶん残してやる
*  laisser は、そういつもいつも使役とは限らないので
  あまり緊張しなくても大丈夫です. 

 

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1459番:法華経講読(第1回)

2022-07-24 04:51:22 | 日記


 法華経講読(第1回)

法華経を読みましょう。

——はい?何かご質問でしょうか?

——はい、お聞きします。法華経を含め、大乗仏教の経典は、ブッ
  ダの教えではないと聞いています. どうせなら、どうして釈
  尊が説かれたものに近いと言われている、「ブッダのことば」
  などを学習しないのですか?

——それはいい質問です。釈尊入滅後、500年は、教えが正しく
  行われるだろうと、ブッダ自身も言い切っておられました。
  すると、その500年間に、正しく修行して、覚りを得た人た
  ちも一応、ブッダですよね。そういう人たちが編んだ経典なら、
  ブッダのことばに準ずるものではないでしょうか?

   「大乗非仏説」のことは、よく耳にすることですが、一般に
 知られている「ブッダのことば」にしても厳しく言えば、弟子た
 ちの言行録ですから、「非仏説」といえば、非仏説です。 
  ただ弟子たちは悟りを得ていたわけですから、ブッダです。
 のちにこの正覚者たちは、アラカンに落とされてしまいますが、
 これはとんでもないことでした。覚(悟)りを得たらブッダです。
 
 のちに教団が分裂したときも、上座部にも、大衆部にも覚りを得
 た人たちは大勢いたと、私は考えます。のちにたくさんの如来た
 ちが出現しますが大日如来も、阿弥陀如来も、薬師如来もみな、
 そういう人たちのことを指していると考えても、まんざら間違い
 とは言えないと思います。

 どの書物だったか忘れましたが、大乗仏教は、既存の仏教教団を
 批判して生まれた、と説かれていました。

 それによると、当時小乗仏教(部派仏教のことを彼らはそう呼称
 しました)は、難解な哲学思弁にふけっていて、人々に教えを還
 元しなかった、それに引き比べ、大乗仏教は、衆生を救済する。
 ゆえに、救済の担い手として、様々な菩薩を編みだした。
(まあ、そういっていた大乗側も、たくさん難解な経論を作りまし
 たけどね)
(インド各地に小乗仏教が伝播した結果をみると、大乗側に負ける
 ことなく救済活動もしていたようです。)

 大乗が「非仏説」と言われる所以は、様々な菩薩を生み出したと
 いう、この点にも あるかと思います。
 「架空の菩薩を大量生産しておいて、何が仏説だ!」
  と叫び声が聞こえてきます。

 まあまあ、そう固く考えないで、たとえば、「観音菩薩」様な
ら私たちも、きょうからでも、「準観音菩薩」と自称して生きてい
けばいいじゃないですか。 慈悲心を持って、生きていきましょ
う。

 たくさんある菩薩様のことは、修行者の名前とか特徴だと割り
切って考えましょう。

   あまたある如来、菩薩、魔訶薩は、もちろん仏教の権威付けの
ためではありましょうが、それ以上に、仏教そのものの、真実証明
書の役目を果たしていると思います。これがあるから、釈尊在世の
教えが「正しい」ものとして受け入れられると思います。
 それがなければ、「イソップ寓話集」と同じ仲間入りをしていた
ことでしょう。

大乗仏教がどこでどう生まれたかについては、幾つか説があります
が、この講読では、平川彰先生の説を採用したいと思います.どう
いうものかというと、仏滅後、各地にストゥーパ(仏塔)が立てら
れ、仏舎利が納められましたが、やがてそのストゥーパには、多く
の巡礼参拝する者が現れた.彼らはお参りしたあと、金品をお布施
としてストゥーパ管理者に手渡しました.巡礼者が増えるにしたが
いその奉納金額は半端なものでなくなり、仏塔管理者たちも、それ
に応えるため、新たな経典を編む、という方針を打ち立てた.経典
編纂に当たってはおそらく、部派教団の協力指導があったのであり
ましょう.

  
  では、よろしいでしょうか?スタートします。

———————————————————————————————————

  如是我聞。一時仏住。王舎城。耆闍崛山中。
  
 
  「かくの如く、われ聞けり。あるとき、仏は王舎城の
   耆闍崛山の中に住したもう。」

———————————————————————————————————

    如是我聞。経典の出だしは、この「にょぜがもん」です。
  お経文は、仏様が書かれたものではありません。お弟子たち
  も書きませんでした。これは、ずっと後になってから
  聞き伝えられた教えを、さらに後世へと語り伝えるために
  書かれたものです。

  書き手は各地に散らばった伝承を集め、順序立てて書いて
  います。特に法華経はその傾向が著しく、陀羅尼品もあれば
  観世音菩薩普門品もある。種々雑多の伝承をかき集めたもの
  の集大成です。ですが、だからと言って、掃きだめというわ
  けではありません。この編集には、多くのお坊様が集まって
  何度も検討を重ねて編まれたものだと思います。



    そして、この如是我聞ですが、これは当時の書き手の実印に
  相当するものです。「如是」の2字には、間違いなく、こう
  聞いたのだという明言があります。もし間違っていれば
  責任は私にあります、という実印ででもあります。つまり、
  書き手の勝手な解釈は一切混ざっていません、と言っています。

  それから「住したもう。」ですが、実際には山中で暮らしていた
  というわけではありません。法を説かれるときだけ、そこに
  上った、という解釈でよろしいかと思います。山中の炭焼き
  小屋で真っ黒な顔をした炭職人などを思い描かないようお願い
  したいです。法華経が説かれたと言う頃、教団はすでに大きく
  成長し、ブッダがどこへ行くにも、食事、宿泊の提供を申し出
  る在家信者は多かったと思います。
  
  滅後400年もたってから成立した法華経をこの山中で説くと
  いうことは、時間軸的にありえないのですが、12因縁などの
  覚りの中心軸をなす教えも、法華経は網羅していることから
  伝道にささげた生涯の後半でその一部分が説かれた、として矛
  盾はないように思います。一部分であって、28品が説かれた
  とは、到底考えられない。
    ではその他大部分は? はい、悟りを得た別のブッダたち
  (阿羅漢たち)によって付け足されたと考えます。
  釈迦牟尼如来ではないが、如来と呼ばれるに相応しい新たなる
  ブッダ(正覚者)によって。

 

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