従兄弟の奥様のお位牌上げ、お骨納めの法要へ出席しました。
実家近くのお寺さんへ親戚縁者が参列。
法事があるたびに 叔父や伯母の顔が見られなくなり、代わって従兄弟たちへと代替わりしてきました。
寂しいことですが、世のならいなのでしょう。不祝儀の回数を重ねながら、生い立ちや歴史を知り、それを又子供等へと伝えていく。しかし、どの家庭も、順風満風とは行かない。皆悩みや困りごとを抱えているものだ。だからと言って、人一人、お線香を上げられないのでは情けない。いつも、何事にも顔を見せていた、従兄弟たちがいなかったのです。
せめて縁あって知り合い、お世話になった最後の時こそ 損得、有り無しにこだわらず、手を合わせても良いではないか。ふるさとが遠く感じた一日でした。
「遠くの親戚より近くの他人」が身に凍みました。