くらしのタネ


原田 晴子
やきものやる日々

生きてます。

2015-08-18 | 日記

京都三日目からまったく更新できずにいたので、倒れてるのでわ??ともしかしたら

ご心配してくださった方。ご心配なく。なんとか生き延びております。

しかし・・今回の京都は体調を崩しての参加だったからか、38度気温のせいだったか

帰ってからのだるさがひどい。

だのに、三年越しのいわくつき無垢テーブルが我が家に届いたということもあり、

ストレス解消とばかりひいひい言いながら、またもキッチンのDIYに手を出す私。

8時過ぎまで子供に日本昔話を見せつつ、お腹がすいたらアイスをあてがうひどい母さんぶりで

なんとか大工事を終わらせ、力尽きて結局外へごはんを食べに行き、力尽きて寝る・・・

常滑の焼き祭りと注文品との同時進行で、さっと仕事に取り掛かればいいというのに、

なぜか変な方向へ突き進んでしまう。多分こうして気持ちをきりかえる(または追い込む)でないと

軌道に乗れない性分なんだろう。

ひいこら言いつつ昨日三時までかかって、やっとひと窯目に点火。

途中寝ていたはずのたあちゃんが「ママ!!寝なきゃだめだったよ!」と起きてきてしまったり

上の娘に頼むからたあちゃんを寝かせてやってくれと頼み込んでなんとか修了したのであったが、

二時を過ぎたあたりから、もう頭は完全にどこかの世界へワープしていた。

 ここのところ、暑さのせいか内蔵がバクバクするのだ。たぶん心臓。

なんだか息苦しかったり、ドキドキする。

元看護士その後保健の先生だった母に、愁訴すると、脈はどうだのといろいろ言われ、

「私もあなたぐらいの年によく不整脈がでたよ。もうやっぱり更年期にはいってくるから・・」

と言われ、ちょっとホッとする。祭りがおわったら検診の通知が来ていたので行かなきゃ。

それにしても、体のことは母だのみ。ケアハウスに移った後も毎日母は祖母のところに

顔を出していたっけ。祖母はさぞ頼もしかっただろうな・・・息子は頼りにならんし・・

 この母がいなくなったら・・私はどうすればいいんだろう。

とか、とめたんがプッチにしっかり面倒を見てもらって、爪も出さないいい子になったっけ。

その後Jちゃんちのネコ、チーさんが爪は出すわ、小さいネコに対して加減ができるか心配と

言ってたっけ。はっ!!うちの娘達も同じだ…

子供同士の小競り合いや取り合い、喧嘩。など大人になってからは到底できない体を使い、本性むき出し

でのぶつかり合い。すぐにやめろやめろと割って入るが、どれだけ大人になるうえで大切なことかわからない

のではないか???

眩暈がしているのか、乱視がひどくなってくらくらしているのかわからん・・

いろいろ思い出しては悟りを開く。もはや小宇宙。

子の年で3時過ぎまで。きつすぎる。

この後はご自愛します。

 


京都陶器市3日目

2015-08-09 | 展示会・イベント

やっと美味しい夕食。
お寿司屋さんに入って、盛り合わせをおりに詰めて頂いた。
お値打ちなのに京都らしく、鱧の梅肉のせや、うざく(鰻ときゅうり)の巻き寿司など入っていて旨し!
売っている中でこんなに食べ物にお金使う馬鹿いないわな…
なんつって思いますが、もうコンビニごはんはやだ。
来る前に1日点滴とコーンフレークとヨーグルトしか食べられず、その後も半日コーンスープや即効元気!アミノ酸ドリンク…
だったのが、やっと食欲が出てみるとコンビニの食べ物はことごとく塩辛く、1日目にはいつものインドカレー屋にテイクアウトを頼んだものの、怠け者のインドおっさん(勝手なイメージ)が、今まで作ってたカレー弁当はもう今やってません。
メニューにあるのだけね なんて言うから買ってみたものの割高だし妙に量多くて食べきれないし。
じゃあ、また来てね
とインドおっさんは言っていたが、ちょっとあの量は無理だわ。
昨日の夜は、そこそこ忙しくてタピオカミルクティーとカロリーメイトで10時まですごしたので、どうしても何かまともなものが食べたくて、ホテルの途中にある居酒屋さんに自転車を途中下車。
福山似の大将がジロッと見つつ、
まあ ええか… と結構混んでるカウンター席に通される。
横には大きなシニア外人夫婦。
にこりと挨拶をして席につくと懲りずにビール。(でもグラス小)
じゃこおろし、ネギマ、お餅と生麩のモチモチ揚げ出し を注文。
おいしかった~。
やっと大根おろしとか、生麩とかの温かいお料理が頂けた。
その後ちょっとしたことから横のご夫婦と話して、ベルギーから来てねとか、ブルージュという街は世界で一番美しい街だからオススメだなどと聞いてお別れ。(因みに金持ちばかりが住んでるとも言っていた)
その後そこがあくと、後ろにどっかと座っていたおっちゃんが満を持してそこに通され、お連れさんのこれまたでっかいおっちゃん到着。
後から思うと、この方々はいつもそこに座る常連さんで、その横に私が合間なく座ったので、大将が …まあ ええか…と言ったのだと納得。
お料理がみんな来た頃には恐る恐る蜂蜜梅酒のお湯割り(普段なら絶対ロック)なんぞも頼んじゃって、自らを京都のおっちゃんやで。と称するおっちゃんに根掘り葉掘り聞かれ、押しぎみに入りまくるダジャレに笑いまくって失礼します~とそこを後にした。
やっぱり京都て基本一見さんには厳しいが、慣れるといい人つーか、お店が多いのである。
そして、11時過ぎに餅を食べるとどういうことになるのかはご存知の通りなのであった…


2日目~。

2015-08-08 | 展示会・イベント

いつもの常連さま(ハート)から差し入れて頂いたトマト飴。
世の中色んなものが飴になるものだと感心しきり。
2時くらいに今日も暑さのピークを迎え、首につけると暑いので、手に巻き付けていた

アフリカンアンティークビーズがめちゃくちゃ熱い。
火傷を怖れて慌てて外し、これは内臓だってかなり湯気でてるのでわ…と命の危機を感じてトマト飴をIN。
なんか…クセになる味であった。
いつもご心配して頂いてありがとうございます。
今年も頑張っております。
しかしもうコンビニごはんはやだ…


京都陶器市一日目。

2015-08-08 | 展示会・イベント
やっぱり京都は暑かった。
夕暮れにゴロゴロっと雷曇が現れたり、昼間もこれは降るか?!て思いきやほんのちょっとパラッとしただけで終了。
毎年京都の夕立といえば、近年まさにゲリラ豪雨的だっただけに腰くだけ。
やっと少し食欲も出てきたものの、飲んでも飲んでも汗で出てしまう感じで、常に水分を摂っているのでお腹は満タン。
でも、やっと回復を実感してきました。
一年で変わった事と言えば、昨年台風で2日で中止となった影響か、止めてしまったり、場所を移った出店者が多数。
私の横も片方は、備前で学んだという外人さんになっていた。
さて、今年もあっつい中大勢のお客さま、観光客と、人の通りは結構多い。
中国語もよく聞こえ 、台湾からですか?と聞くとほぼ八割そうだった。
あちらの方が暑いと言っていたので、こんな暑くても避暑気分?!と青ざめる。
今回は、なんと高校時代三年間くさいめしならぬ冷めためし(母のお手製お弁当ですが)を共にしたバレー部の同級生しま(クラブネームで本名でないのでそのままで失礼)が、ブログを通して連絡をくれ、仕事帰りに遊びに来てくれた。
本当にありがたい。
高校のバレー部時代なぞは一年に5日位しか休みがなかったのだから、共に苦楽を共にした一生の友と言った所だが、何しろあまりに過酷な時代だったからか、三人しかいなかった同学年(それでも県下最高2位の強豪でした)だと言うのにあまりにも三人のキャラクターが違ったからか、あまり仲が良くなかった(三人共にそう思ってますのでご心配なく)
そのためか、卒業してからはもうあの頃の事は忘れようとばかり全く連絡を取り合ってなかっただけに余りにも久しぶりで面白かった。
もう一人にも電話しちゃったりして久々に旧交を温めあったわけである。
よくおみくじの吉とかに 友遠方より来る などとある。
きっと今年は運が上向きなのだ。そうだそうにちがいない。
今日もがんばるど~!
中国爆買いバッチ来い~
いつもの常連さま(ハート)熱烈歓迎でっす

やってまった。

2015-08-06 | 展示会・イベント
明日からいよいよ京都五条坂陶器。
が。しかーし。
父から電話。
お母さん、立てなくなっちゃった…

ガーン!!どうしようどうしようどうしよう。
一瞬パニックに陥ったが、その後、まあ手術をしなきゃいけないかもしれないけど直ぐに病室も空かないだろうし、まあ予定通りでいいよ…
という結末。ほっとしたものの、母の調子が悪いとなると、京都から帰ってそのまま常滑やきもの祭用の制作時間をそのまま3日ほどもらえたら死ぬほど嬉しい。
あんど戻ったら潤ちゃんと飲みに行こう!と言っていたこの2つの計画がいつ叶わないものとなるかわからない…
そんなわけで、父が子供達を迎えに来てくれるので、確実に子供がいない夜って事で、京都の搬入日にいつも京都の町に繰り出していたので、前夜祭で行こうか!
そう話はまとまり、常滑にもオサレなバルができたので二人でグイグイ攻め、フルボディの赤を煽って12時を回って帰宅。
そして。起こってしまった。
寝不足。日中なんだかいつもより涼しい気がしてムンムンの仕事場で扇風機のみ。
そして、ああ喉が渇いたと思ったのに、ビール美味しく飲めるかな♪と我慢。
アルコールをインし過ぎて帰宅後嘔吐…
2時過ぎに悪寒。これは!まずい!と水風呂・スポエネ摂取…3時頃高熱。
熱中症。やってしまった…朝まであちらを冷やしこちらを冷やしして、病院へ行き点滴を打って昼過ぎまで…
それでもなんとか重い身体を起こして積み込み。エアコンの効かない父の軽トラで凍らせたペットボトルを抱きながらなんとか京都に到着。
その頃にはやっと熱も下がってきた。
欲張りすぎると痛い目に合う。
教訓としよう。
ともかく暑い京都の幕開けは波乱に満ちたものとなった…