Todaiji Temple, Nara City, Nara Pref.
さてさて、東大寺を訪れたワタクシは二月堂を参拝した後、さらに東大寺の境内を歩いて行きました
。

奥に見えるのは二月堂。手前にあるのは三月堂。この二つの建物が並ぶこの場所も、ワタクシが好きな場所の一つです。
東大寺というと大仏殿と南大門があまりにも有名で、観光ツアーなどでは二月堂まで来ない人も多いようですが、
それは勿体ないなぁと思うんですよ
。

この建物は三月堂ですが、三月堂は正式な名前は法華堂と言い、建立は奈良時代中頃の天平5年(733年)とも言われています。
当時はまだ「東大寺」として伽藍の整備が行われている時期ではなく、東大寺の前身の「金鐘寺」の時代となっているため、
法華堂の建物はこの「金鐘寺」の貴重な遺構であるということにもなります
。

法華堂は、東大寺境内の主要な仏堂、建築の多くが戦乱等で焼失した際も焼け残り、
門や倉庫としては「転害門」や「正倉院」も残されているものの、
東大寺唯一の奈良時代から残る「仏堂」の建造物として、現在も一部が当時の姿をとどめています。
ワタクシは三月堂は真正面から見たこの姿が一番好きで、その美しい姿に心惹かれるのです
。

この神社は手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)です。
手向山八幡宮は、東大寺二月堂や法華堂(三月堂)などの位置する東大寺境内の「上院」エリアに隣接する場所にある、
東大寺と深いつながりを有する比較的大きな神社です
。

その創建は古く、東大寺の大仏を建立するにあたり、天平勝宝元年(749年)に全国の八幡宮の総本社である大分の宇佐八幡宮より
直々に東大寺の守護神として神様が迎えられたことがその創建の由来となっています
。

奈良に鹿がいることは誰もが知っていると思うのですが、そもそもなぜ奈良に鹿がいるのでしょうか。
広大な敷地を持つ奈良公園の一部は春日大社の境内でもあります。
その春日大社の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、
鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。現在も奈良の鹿は天然記念物として大切に保護されています
。

とはいえ、鹿はあくまでも野生動物ですので、時として人に危害を加えることもあります。
特に発情期や出産期の鹿に近づいて行くと、体当たりをしてくることもあり、
ペット感覚で近づいて行った外国人観光客などがよく怪我をしているんですよ
。

次にワタクシは大仏殿に向かいました。奥に見えるのが中門、その向こうにある大きな屋根が大仏殿ですが、ここにも全く人がいません。
この時はコロナウィルスが全世界的に拡大するとも思っていなかったので、「中国人が来えへん今のうちに、京都とか奈良に行くべきやな」
「中国人がおらんかったらこんなに静かなんやなぁ」と呑気に思っていたんですよ。
まさかその後、日本はおろかヨーロッパやアメリカにまでコロナウィルスが拡大するとはその時には思いもしませんでした
。
使用したカメラ:2〜4枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
いつもなら観光客や修学旅行生で人がいっぱいいる東大寺。しかし、この時は閑散とした境内でした。
外国人がいない、外国語が聞こえてこない東大寺というのは、随分と久しぶりのことでした。
そして、境内にほとんど人がいない東大寺を見るのは初めてのことでした。
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さてさて、東大寺を訪れたワタクシは二月堂を参拝した後、さらに東大寺の境内を歩いて行きました



奥に見えるのは二月堂。手前にあるのは三月堂。この二つの建物が並ぶこの場所も、ワタクシが好きな場所の一つです。
東大寺というと大仏殿と南大門があまりにも有名で、観光ツアーなどでは二月堂まで来ない人も多いようですが、
それは勿体ないなぁと思うんですよ



この建物は三月堂ですが、三月堂は正式な名前は法華堂と言い、建立は奈良時代中頃の天平5年(733年)とも言われています。
当時はまだ「東大寺」として伽藍の整備が行われている時期ではなく、東大寺の前身の「金鐘寺」の時代となっているため、
法華堂の建物はこの「金鐘寺」の貴重な遺構であるということにもなります



法華堂は、東大寺境内の主要な仏堂、建築の多くが戦乱等で焼失した際も焼け残り、
門や倉庫としては「転害門」や「正倉院」も残されているものの、
東大寺唯一の奈良時代から残る「仏堂」の建造物として、現在も一部が当時の姿をとどめています。
ワタクシは三月堂は真正面から見たこの姿が一番好きで、その美しい姿に心惹かれるのです



この神社は手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)です。
手向山八幡宮は、東大寺二月堂や法華堂(三月堂)などの位置する東大寺境内の「上院」エリアに隣接する場所にある、
東大寺と深いつながりを有する比較的大きな神社です



その創建は古く、東大寺の大仏を建立するにあたり、天平勝宝元年(749年)に全国の八幡宮の総本社である大分の宇佐八幡宮より
直々に東大寺の守護神として神様が迎えられたことがその創建の由来となっています



奈良に鹿がいることは誰もが知っていると思うのですが、そもそもなぜ奈良に鹿がいるのでしょうか。
広大な敷地を持つ奈良公園の一部は春日大社の境内でもあります。
その春日大社の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、
鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。現在も奈良の鹿は天然記念物として大切に保護されています



とはいえ、鹿はあくまでも野生動物ですので、時として人に危害を加えることもあります。
特に発情期や出産期の鹿に近づいて行くと、体当たりをしてくることもあり、
ペット感覚で近づいて行った外国人観光客などがよく怪我をしているんですよ



次にワタクシは大仏殿に向かいました。奥に見えるのが中門、その向こうにある大きな屋根が大仏殿ですが、ここにも全く人がいません。
この時はコロナウィルスが全世界的に拡大するとも思っていなかったので、「中国人が来えへん今のうちに、京都とか奈良に行くべきやな」
「中国人がおらんかったらこんなに静かなんやなぁ」と呑気に思っていたんですよ。
まさかその後、日本はおろかヨーロッパやアメリカにまでコロナウィルスが拡大するとはその時には思いもしませんでした


使用したカメラ:2〜4枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
いつもなら観光客や修学旅行生で人がいっぱいいる東大寺。しかし、この時は閑散とした境内でした。
外国人がいない、外国語が聞こえてこない東大寺というのは、随分と久しぶりのことでした。
そして、境内にほとんど人がいない東大寺を見るのは初めてのことでした。
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大仏殿の中門の前あたりに人が一人も
いないとは不思議な光景ですね。
僕が数年前の5月に行った時は、
南大門を中心に一般の観光客、欧米の外国人、
それに修学旅行の生徒ですごく賑わっていました。
鹿もせんべいを貰おうと、人間に
付きまとっていました。
修学旅行でまわったコース、大人になってから再確認している次第です。
応援☆
去年11月に歩いた山の辺の道、今年歩いた(登った)平群の椿井城の歴史探訪では、おそらくヨーロッパ系の人たちも歩いていました。外人も魅了する日本の寺院、神社仏閣、私たち日本人がもっともっと観て知るべきですね
東大寺のお水取りの記事拝見しますと、
おのずと春告げ祭りのひとつですから。
やっと、ことしも陽春が来るんだと、
それは思ったりもしながらですから。
鹿さんも見せていただけて、
手を合わせたりもしているところです・・。
三月堂の全景、美しいですね!
コロナ以前の頃は、観光地や空港で
辺り構わず大きな声でお喋りされてる
外国の方が多かったですが
今は静かですね
奈良の鹿は大切に保護されていて良かったです
田舎の鹿は駆除されています
農作物を荒らすから仕方ないのですね
そういえば社員旅行で仲間がしかせんべいをおしりのポケットに入れていたら、かじられかかったのを思い出しました
ぽち
東大寺の前身、金鐘寺の貴重な遺構。
勉強になります。
この時は、コロナがどんなもんだか、
良く分からないまま、ただただ不安でしたよね。
今はかなり、人も戻ってきました。
凸
あちらの人来ると大変
混雑するは声でかいは大変
写真撮るのに平気で花畑の中歩き回るし
困った人が多いです
行ったときはまだコロナではなかったので
賑やかでした
叉、あの賑やかな声が聞こえるんでしょうか
そういえば有馬温泉もどうなのかな
鹿せんべいを持つと
集まってくるんですよね。
観光客の姿がない景色
ちょっと寂しいですね。