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エペソ人への手紙1章

2018年05月22日 05時35分28秒 | パウロ書簡
 パウロが、エペソで伝道をしたのは、53年頃のことである(使徒18:19-21)。その二年後、つまり第三回伝道旅行の際に、パウロは、エペソにおおよそ2年ほど滞在し、この地をくまなく伝道している(使徒19:1-20)。これによって、ダイアナ神信仰に熱心なこの町に教会が設立された(使徒19:21-20章)。この手紙は、それから約10年後、AD62年頃、ローマの獄中から書き送られた(エペソ3:1)。この時、ローマの獄中には、逃亡奴隷のオネシモがいた。また、コロサイ教会の働き人テキコが教会の問題を相談するために訪問していた。そこでパウロは、三つの手紙、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、そしてピレモンへの手紙をしたため、テキコに託すのである。
 最初にパウロは、神を褒め称え、神からの三つの霊的祝福について語る。まず、父なる神の祝福として、神の選びを語る。選びは神の主権的な恵みに基づく行為である(4節)。そして「御前で聖く、傷のない者にしようと」いう目的を持つ。注目しよう。神は、一人ひとりを選ばれるだけではなく、「私たち」を集合的に選んでくださっている。ということは、その目的も集合的である。皆が神の聖めに一緒にあずかるということである。また、神は選びによって私たちを子としてくださった(5節)。神の子イエスとは全く違う者ではあるが同様の特権にあずかるようにしてくださった。救いは神との親子関係を築く一生のプロセスである。
 次に子から受け継ぐ祝福(7-12節)がある。「御子の血による贖い」(7節)こそ、イエスの救いのみわざの中心である。イエスは、具体的なあれやこれやの一切の罪を赦してくださったのみならず、奥義を受け継ぐ(9,10節)ようにしてくださった。「奥義」は、エペソ書を理解するキーワードであるが、簡単に言えば、全人類がキリストの基に一つとされる壮大な計画を言っている。
最後に聖霊から受け継ぐ祝福(13,14)がある。聖霊は、御国を受け継ぐための保証(14節)である。「保証」は、売買契約を保証する手付金のことで、以上の神との取引は成立したことを意味している。これらすべての霊的祝福が、キリストにあってわたしたちのものとなるという。
パウロが語る祝福は、目に見えない霊的な祝福である。その霊的な祝福を理解できるか否かが、私たちの信仰生活の幸せ感の基礎になっている。だからパウロは、祈らざるをえない(17節)。確かに、外からの光無くして理解しえないものがある。特に、聖徒の受け継ぐものが何であるか、将来の望みの素晴らしさをはっきり知る必要があるだろう。そこには、復活と不死の召し(1コリント15:19,20)、キリストと共に治める召し(ローマ15:4-13、黙示3:21)、天における永遠の相続(コロサイ1:5、1ペテロ1:4)、さらにキリストの形に変えられる(ローマ8:29、1ヨハネ3:2、黙示22:3-5)召しがある。私たちの目が、見えないもの、永遠に続くものにこそ開かれる必要がある。信じる者に働く神のすぐれた力もそうだ(19節)。キリストを死からよみがえらせただけではない。キリストを神の右の座につかせられたその力を認め、信仰の中で味わい知ることだ。そんなことは知っている、ではなくて、理屈抜きに、深く、体感的に知ることだ。それは祈りによらずして決して起こらない。私たちの理性を越えた体験なのである。そしてそれがわかれば、人生は、本当に祝福に満ちていることを悟るようになるのだ。

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