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人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読の積み重ねは、モノの見方を変え、人生を前に進む勇気を与えてくれます。ご一緒にしませんか?

エステル記8章

2009年11月26日 05時33分12秒 | ネヘミヤ記
 エステルは、神に用いられて自らの命を助け、ユダヤ人の命をも助けることになった。しかし、王の命令が取り消されることはなかった。王は、ジレンマをどのように解決したか。王は、新しい法令を出す。それは、ユダヤ人を攻撃する者に対して対抗しうる権利をユダヤ人に与えるものである。まさに「目には目を、歯には歯を」というべきか、根絶やしにしようとする者を根絶やしにし、殺害しようとする者を殺害し、滅ぼそうとするものを滅ぼし、家財をかすめ奪おうとする者をかすめ奪うことを許すものであった。つまり、ユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、家財をかすめ奪えという先の法令はあってなきものである。法令は取り消されずにして元の状況を取り戻したというべきだろう。
 ここに、神が罪人を救いに導かれた十字架の思想がよくあらわされているようにも思う。神は罪人を罰するというその律法を変えることはない。一度出した律法は永遠に変えられることはないのである。神の決定は永遠に有効である。しかし神は、イエスにおいて律法の要求を満たし、イエスにおいて罪人のすべての咎と罪を罰せられたのである。法令は取り消されずにして、罪人は救われるという道が開かれている。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」(ヨハネ3:16)エステル記が、メシヤ性を示しているとすれば、実にこの章がその性質をよくものがたっているのではないだろうか。すべての罪人は神の律法のもとに罪人であると明確に宣言され、律法の死の要求のもとに置かれている。しかし、この律法の要求を満たす者は誰もおらず、律法が変えられることもない。ただ律法の要求を、私たちの身代わりに満たした方がおられることによって、その方のゆえに、私たちは救われるのである。
 また、救いに与った私たちは、王の急使に重ね合わせられるであろう。私たちが主の救いに与るということは、「光と、喜びと、楽しみと、栄誉」に与ることにほかならず、私たちはイエスの十字架の愛を独り占めにしてはならないのである。あるいは、自分の光と喜びと楽しみと栄誉に安堵してしまうということは、結局、神の救いの素晴らしさの半分も理解していないということになるのではないだろうか。私たちは、神の命令によってせきたてられ、急いで出ていく、急使と同じであって、自分の救いの恵みを分かち合わなくてはならない。私たちがなすべきことは皆キリストがやってくださった。私たちはキリストの十字架の恵みによって、今、光と喜びと楽しみと栄誉にあるとしたら、その恵みを急いで語り伝えなくてはならないのである。パウロは「私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ」(1コリント9:16)と語っている。福音を伝えるということは、どうしてもしなければならないことである。そうしなければ災いですらある。というのも、私たちは、罪の滅びから、恵みによって救われたからである。今日もこの恵みを語り伝える機会が与えられることを祈り、機会に応じて語ることとしよう。

エステル記7章

2009年11月25日 06時09分24秒 | ネヘミヤ記
 あっという間に坂を転げ落ちたハマンというべきか。王妃エステルは、即座にハマンのことを訴えたわけではなかった。エステルは機会をうかがった。また、エステルが陥った窮状を王に訴えている。その窮状は王の損失を償うことができないものであると、具体的に示している。
 ある老牧師が語ってくれたことがある。頭の良い人は先がよく見える。しかし先を語っても誰もついては来ない。凡人というのは、そんなに先を見通すことはできないし、考えることもできない。たいていは、ちょっと先にこんなことがあるとわかれば、納得して、そんなものかとついてくる。
 確かにそうであると思った。エステルもそういう意味では賢い物事の進め方をしたのだろう。しかし大方はエステルのようには物事を進められなくて、何もかも台無しにするような駆け引きをしてしまうものである。大切なのは思慮深くあることであろうし、知恵を持って語ることである。そして知恵は、神に願えば与えてくださると聖書は約束するのであるから、何よりも祈りの中でよく考えて物事を進めることなのだろう。
 エステルの訴えは、王の心を動かした。王はそれまで、自分の利益を図る者、自分が最も信頼する者が、自分の懐で悪を図る者であったなどとは思いもよらなかったはずである。王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出ていったという。頭を冷やして、自分がどのように欺かれたのかを考えようということであったのか。王は災いを下す決心をしていた。
「正しい者は苦しみから救いだされ、彼に代わって悪者がそれに陥る」(箴言11:8)とされる。ハマンの絶頂からの転落を考えた時に、またハマンが自ら設けた絞首台に掛けられたことを考えた時に、実に、聖書のことばは正しいものであることを信じなければならないように思う。モーセの時代、パロはイスラエルの戦力を恐れてユダヤ人の男の子をナイルに投げ込ませて殺したが、神はパロの軍隊をエジプトの紅海でおぼれさせた(出エジプト14:19)。ヘロデは、ヤコブを殉教の死に至らせたが、自らは神の裁きによって虫に噛まれて死に絶えた(使徒12章)
 大切なことは、神の前に責められることのない良心をもって歩ませていただくことだろう。正しく歩む者が揺るがされることはない、たとえ揺るがされるようなことがあっても、神が、その足を守ってくださる。神に委ねて思慮深く歩ませていただくこととしよう。

エステル記3章

2009年11月21日 06時38分01秒 | ネヘミヤ記
 女性を容姿で選び、一つの民族の命運を好きなようにせよ、とまさに世俗性そのもの世界が描かれている。エステルの時代も現代も変わらない。
 ハマンという一人の人物が王に重んじられ、昇進させられた。ハマンにひれ伏するようにという王の命令も、大方はこの人物から出たものなのだろう。この人物、実にケツの穴が小さいというべきか、自分にひれ伏しようとしないモルデカイに憤りを燃やし、モルデカイのみならず、モルデカイの民族をも根絶やしにしようと執念を燃やす人物であった。
モルデカイの小さな片隅の出来事が大きな事件とされていく。
 人間関係の不幸というのは大方このようにして起こっているものなのだろう。プライドばかり高い、器の小さな者が人の上に立ち、本来なら見過ごすべきどうでもよい出来事を敢えて大きな問題にしていく。害した感情が癒えるまでに激しい復讐心を燃やし、行き過ぎた行動を展開していく。本当に人間ほど愚かしく恐ろしい存在はないと思う。エステルの時代も今も同じである。そして果たしてその愚かしく恐ろしい事が起こったわけだ。
 ハマンは第一の月に、ユダヤ民族撲滅にふさわしい日を籤で決めることにした。籤は、その年の最後の月、アダルの月にあたったとする。ハマンにとっては、即座にでも実行したいところであったのだろうが、神のみこころは、ユダヤ人に1年の猶予を与えた。一方、ハマンはすでに心に決め、実行しようとしていることを、王の許可のもとに行おうと、周到に用意をした。ハマンが王を納得させるために用いた理屈は、巨大なペルシャ帝国内で謀反の元となりかねない民族を絶つこと、そしてその民族から財産を没収して銀1万タラント、つまり345トンの銀を王のものとするということである。ハマンを信頼し昇進させた王に、ハマンを疑う心もない。王は、不動の王の決定を証することになる指輪を渡して、ハマンの意に任せることになる。ハマンは個人的な恨みを、こうして国家の政策としていくのである。「根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの財産をかすめ奪え」実に恐ろしい。人間が人間を物とみなすようになった時に起こる不幸なのだろう。
 以前、池のほとりで、大学生が白鳥に向かって石を投げている側を通り過ぎたことがある。白鳥は、慌てて池の向こう側へと移動した。そんな様子が面白かったのか、ますます追っかけるように石を投げていたようだった。「白鳥を驚かせてはいけない」そんな気持ちにはならなかったのだろう。しかしなぜにそんな大人が育ってしまったのであろうかとも思う。小さな動物にしても、人間にしても、物としてしか見ることができないハマンのような大人が、人の上に立つことがある。非道な命令を発布しながら、楽しく酒を飲んでいる、そんな人物が、権力の座に上り詰めることがある。
 なぜ神は、このようなことを許されるのであろうか。私たちにはわからないと思う。そしてそのような横暴の時が長引くにつれて、神はいったい何を考えているのかと思うばかりではないか。悪者が栄えることに対して、私たちは神の存在を疑わざるをえない。しかし、神は、悪者が栄えることについて、私たちの気持ちがわからないお方ではない。「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者」(箴言6:16-19)主が私たちと同じ気持ちであることは聖書に明らかだ。しかし、主は、ハマンの行為を敢えて止められない。なぜか。それは、悪者は自らの悪によって滅び去るものだからだろう。私たちが手をかけて葬り去るものではなく、自らの悪によって破滅していくのが悪者の運命なのである。
 悪者が栄えるのをみて、私たちは快く思わないものであるが、たとえ悪者が栄える一方であるように見えても、「まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。目ざめの夢のように、主よ、あなたは、奮い立つとき、彼らの姿をさげすまれましょう。」(詩篇73:17-19)と心得るべきである。そのような状況にある時は、ただ主に信頼して、思い煩いのすべてを主に委ねて歩ませていただくこととしよう。

ネヘミヤ記13章

2009年11月18日 00時04分00秒 | ネヘミヤ記
ニューアーク空港に無事到着。これからセントポールへ乗り継ぎであるが3時間の待ち合わせ。こちらは夕方の5時。日本時間では朝7時になる。すでに日は暮れて、こちらでは夕食の時間である。
 さて、あまり熟睡もできなかったが、いつもなら、ディボーションを終わっている時間。頭はぼんやりしているが、少し聖書を読むことにしよう。
 ネヘミヤ書も終わりになる。ネヘミヤ書後半はネヘミヤの宗教改革について。神の民として、いかに神のみことばを生活化していくか。ただ単に神を信じているというのではない。神の御言葉に生きることを再考させられるところである。
 ネヘミヤはまずイスラエルにアンモン人モアブ人の混血の者が混じっていることについて、問題にし、これに対処しようとした(1-3節)。これは事実上の混血というよりも、イスラエルの社会に住む異教の習慣を持っていた者であったと考えられている。だから混血のものを「イスラエルから取り分けた」というのは、イスラエル人社会から追放したのではなく、神殿礼拝、宗教儀式に参加させなかった、という意味であるという。イスラエルは、まことの神に仕える民とすれば、異教の習慣を捨てようとしない者をその宗教儀式から締め出すというのは、当然のことであった。そういう意味では、今日聖餐式に求道者も自由に参加してよいという傾向がしばしば見られることがあるが、私は、やはり聖餐式は、イエスの弟子になることを明確に自他ともに公にした者、つまりバプテスマを受けたに限るというのが本当であろうと思う。信仰告白した者であればよい、という考えもあるし、その場に居合わせた者はだれでも招かれているという考え方もあるが、やはり、聖餐はイエスの十字架の恵みを確認する行為であるから、信仰告白が前提であるし、主の交わりにバプテスマをもって入った者であることが前提であろうと思う。まだまだ信仰告白を先延ばしにし、イエスの弟子になることを躊躇っている者を含めることもそうであるが、ましてまだイエスの十字架の恵みもよくわからずに、同じ行為を受けられないことに疎外感を感じさせないということでもって聖餐の場を提供するというのは、イスラエル、いわゆる霊的な神の民の中に、異教の混血の者を混じらせる行為ではないだろうか。
 次にネヘミヤは、大祭司職にある者の、不正をただそうとしている(4-9節)。ネヘミヤは、エルサレムに12年在任した(BC445-433)と言われる。その間短期間であったのかもしれないが、ネヘミヤは報告のために王のもとに戻ったのだろう。ところがその不在期間に大祭司エルヤシブが行ったことは、ネヘミヤの期待を裏切り、ネヘミヤを非常に怒らせるのである。エルヤシブはトビヤに神殿の部屋を提供していた。トビヤは、アモン人の役人で、サマリヤの総督サヌバラテのもとで、ネヘミヤにより城壁修復工事に反対し、妨害した人物である。ところが祭司エルヤシブはトビヤと親しい関係があったために、ネヘミヤが留守の間に、イスラエルの敵であったトビヤに、ある種の便宜をはかっていたのである。しかも自分の家の部屋を提供するならまだしも、祭司のための奉納物が保管されるはずの、聖なる神殿の部屋を、トビヤに流用したというわけである。人間的に親しいということのゆえに、本来祭司のための奉納物保管に使われるべき部屋を流用するということは、信じがたい背任行為であったことだろう。ネヘミヤはトビヤを追い出し、その部屋を聖別し、本来の用途に戻している。本来教会が使われるべきはずのものに使われないという問題があっては、ならないのである。
 さらにネヘミヤが改革したのは、礼拝奉仕者に関する待遇の問題であった(10-15節)。ネヘミヤ不在中にエルヤシブなど指導者層の妥協、不熱心は、イスラエルの民にも蔓延し、イスラエルの民は、律法に定められた10分の1の捧げものをささげようとしなくてなっていたのである。神殿奉仕者のための奉納物保管場所は、空き室状態であったのはそのためでもあった。大祭司エルヤシブは、その神殿財政の欠乏を埋めるために、トビヤに流用したということもあったのかもしれない。しかしそれは本末転倒である。大祭司エルヤシブの務めは10分の1の捧げものを民に教えることであって、安易にお金持ちに財政援助を求めることではなかった。そのような大祭司エルヤシブの姿勢は、他のレビ人にも影響したのであろう。神殿奉仕によって生計維持することができなくなったレビ人は、農耕による自活の道を進んで、神殿奉仕を放棄する始末であった。
これは日本の教会の事情にも通じることかもしれない。日本の教会がなぜ伸びないのか。はっきりしている原因の一つは、牧師が生活していくことに精いっぱいで、牧会どころではないということがある。そしてなぜ生活していくことに精いっぱいなのか。それは喜んで神の働きのために10分の1献金を忠実にささげて、教会の働きを支援しようとする信徒は、ほんの一握りであるということの故である。やはり、10分の1献金を最低目標としてささげていきたいものである。それは、牧師の生活を助けるのみならず、牧師の働きを本当に充実させたものにする。3ないし4年、牧会者として専門的に訓練されていながら、その専門性が理解されず、生かされないということは、実に残念なことである。教会を愛し、伝道を進めるということの中には、10分の1をきちんとささげていく、ということが含まれているのである。ネヘミヤの厳しい態度は、レビ人を復帰させ、ユダの人々に10分の1の捧げものを捧げさせる効果をもたらした。しかしこうした厳しい態度も、ネヘミヤが祈っているように、ネヘミヤの神に対する愛から生じたものである。
 第4にネヘミヤは安息日を守ることについて、改革をはかっている(15-22)。農業従事者も、商人も運搬車も、外国人もユダヤ人も、安息日の規定を全く無視した生活を送っていた(15-16節)。10分の1の献金といい、安息日を守ることといい、実に今日の日本の教会に示唆的ではないだろうか。大切でありながらいい加減になっている部分ではないだろうか。安息日を守れないということについていたしかたのない理由があることも、確かなのだが、その多くは、人間に対しては言い訳ができても、神には申し開きのできないことはないだろうか。事実、イスラエル人にとって作物収穫などの繁忙期に安息日を守ることは困難に思われることであった。しかしそのような場合でも、神を第一とすることが求められたのである。仕事が忙しいというのは、最もらしい理由である。仕事に追われる毎日で教会から遠ざかる人はどの教会にもいくらでもいるものだろう。しかし、仕事を祝されるのも神であり、生活が維持されるのも、私たちの努力ではなく、神が祝福を命じられていることを忘れてはいけないのだと思う。私たちは神に背を向けて後ろめたい思いでいることがあるかもしれないが、神に背を向けられることの恐ろしさには気づこうとしない。ネヘミヤは過去において、イスラエル王国が滅びたのは、イスラエル民族が安息日を破ったということのためであったことを示している(18節)。
礼拝は、神にこそ自分の人生の最大の価値があることを確認し、宣言する行為である。自分の生活の中心は神にあることを自他ともに認めあう機会である。神あっての自分ということ。とすれば、何よりも優先しうることであるのに、礼拝出席しないというのは、神を後回しにし、神を二の次にするという、信仰が口先だけであることを物語るものである。そこで、「ああだから、私はもうクリスチャンをやっていけない」と、自身の怠慢に居直るようであってもならないだろう。真に神を信じる者として、信仰を付け足しにするのではなく、自分の人生の中核に据えること、いわゆる神のみことばの生活化に日々、勤め励もうではないか。私たちは救われた罪人である。もともと私たちの心には神を第一とする性質などないのである。神が人生において最も大事な価値であることを気付かされて、神に従う決心をしたとしても、私たちの心は依然として世俗性を求めている。そういう私たちの罪人としての現実をよくわからなくてはならない。そして自分の罪と戦い、神を第一とする生活をこそ自分の内に実現するように努めるのである。信仰的に居直ってしまったら、私たちの信仰は、後退するばかりである。むしろ、居直りを戒め、新しいライフスタイルを確立するように自己訓練することにこそ心を砕いていく、そうすれば、私たちの進歩はあらゆる人の目に明らかになることだろう。
ネヘミヤの行為は非常に強硬であったに違いない。経済界の有力者たちを初めあらゆる所から、不安や反対の声があがったと思われる。きっと今の日本で安息日厳守、あるいは死守など言い始めたら、そういうことをあまり言わない教会に人々は流れていくということがあるだろう。そんな緊迫感がある。しかしそれでもネヘミヤは、神の民の聖さを実現するために、断固とした処置をとった。そして神に委ねた。神を真心から愛する民が集められるために、私たちは聖書に忠実に従うということに腹をくくらねばならぬ時がある。
最後にネヘミヤは混宗婚を廃止した(23-29)。結婚の問題は、いつの時代にも、難しい問題を起こす。愛情とか利害が信仰に優先されることがある。信仰の問題というのは、一生涯の共同生活においては、根本的問題であるのに、それが一時の感情や都合によってないがしろにされてしまうのである。パウロが若い青年が身につける価値の第1として思慮深さをあげたのは理由なきことではない。自分の人生において思慮深くあること、結婚において就職において、思慮深くあり、人生を歩み進めていくべきことは、よくよく、教えられなければならないことであると思う。ともあれ、教会には、神を第一にするネヘミヤや、人間の思いを尊重する者たちとの戦いが起こりうる場である。そこで神を第一とすることを教会が選び取り、ネヘミヤの側に立っていけるかどうかが、大切なことである。事実、ネヘミヤがイスラエルの民ばかりではない、民の有力者の混宗婚に口を出したためであろう。大祭司側からの反発もあったようだ。ネヘミヤは苦境に立たされる中祈っている(29節)。ネヘミヤの断行は、あくまでも純粋な神の民を形作るためのものであって、決して人間的な争いではなかったのである。教会の役員となる人がこうした純粋な神の民を形成するための戦いを理解できることが今求められているのではないだろうか。ただ単に教会で起こる摩擦を、人間的な事象として捉え、牧師が狭量であると非難するような教会では、真の神の民の群れとしての成長を望むことはできない。教会が真に霊的な識別力を持ち、切り捨てるべきものを切り捨て、改革すべきものを改革すべきことを教えられる。そしてその改革は本当に神を愛するところから、神がよしとしてくださることを求めてなされるべきものである。神のみこころがなされるように。神の聖さが教会にもたらされるように祈ることとしよう。

ネヘミヤ記12章

2009年11月16日 07時25分25秒 | ネヘミヤ記

 エルサレムの城壁を再建し、その再出発としての奉献式について、またその式においてて重要な役割を演じる、大祭司とレビ人たちのリストが記録されている。最初に、バビロンから帰還した祭司(1-7節)やレビ人(8-9節)のリスト。このリストは、エズラ2:36-39に符合するものとされているが、かなり異なる内容である。また、元々祭司は、24組に分けられたが(1歴代誌24章)、ここでは22の家族の名前があげられるだけである。つまり、捕囚時代の間に途絶えた家族があったということなのかもしれない。
ともあれ、1-9節は、ゼルバベルの時代のリスト、続いて10-11節においてゼルバベル・ヨシュアの時代から6代にわたる大祭司の系図が記される。この間は、約BC538年からBC323 年(ギリシャのアレクサンドロス大王が死んだ時代)までの約200年に渡る内容である。もちろんこのリストには省略があるのだろう。
ちなみに、ネヘミヤは、この間のエルヤシブ(3:1)とエホヤダ(18:28)の時代に生きた。22節の訳文については、新改訳と新共同訳では違いがある。新改訳では、「エルヤシブの時代に、レビ人エホヤダ、ヨハナン、ヤドアは、一族のかしらとして、またペルシヤ人ダリヨスの治世に祭司として登録された」となっており、新共同訳では、「エルヤシブからヤドアの時代に、レビ人は、ペルシアの王ダレイオスの治世まで記録された」と随分と異なる印象がある。問題は二つある。時代をエルヤシブにのみかかるとするか、エルヤシブからヤドアにまでかかるとするかということ、そしてエルヤシブからヤドアが、かしらや祭司として二度登録されたのか、それとも単にレビ人が記録されたのかということである。
ペルシヤ人ダリヨスは、1世が前522―486年、2世が前424―405年、3世が前336―331年に生きたとされるから、新改訳では、おそらく2世か3世の時代に、エホヤダ、ヨハナン、ヤドアが祭司として登録されたということになるし、新共同訳では2世から3世の時代を通じてレビ人が登録されたということになる。ヘブル語原文の接続詞のつながりからすれば新改訳の方が自然な理解となるが、エルヤシブの時代(BC445年)にかしらとして登録された者が、その後のダリヨス2世か3世の治世に祭司として登録されたという解釈は何かすっきりしない。ヨハナンをヨナタン(11節)と読み替えれば、11節の大祭司の系図の流れと一致するので、新共同訳のような解釈は、理解しやすいような気もする。原文の状態を伝えるという新改訳の翻訳姿勢からすれば、理解しがたいものをそのまま受け止めるということも、一つの読みなのだろう。
また12-21節はエホヤキムの時代の祭司のリスト。24、25節はネヘミヤ・エズラの時代のリストの記録である。メレモテ(3節)⇒メラヨテ(15節)、ミヤミン(5節)⇒ミヌヤミン(17節)、マアデヤ(5節)⇒モアデヤ(17節)など、名前の綴りの違いが気になる。こうした系図については、ある程度、読み流すほかないのだろう。
 31節より、7章5節で一度途絶えていた、ネヘミヤが自らを一人称で記録する書き方が復活している。ネヘミヤの目をとおしてみた城壁の奉献式の様子(27-43節)が記録される。奏楽者、合唱者が、エルサレム周辺の町々から集められた。おそらく、集められたレビ人は神殿の奉仕だけでは生計維持が困難となり、エルサレムの近郊に住んで農耕をするようになっていたのであろう。奉献式に先立って、きよめの儀式が行われている。身や衣服を洗い、罪のためのいけにえをささげ、断食をしたと言われる。実際の奉献式は、二つの聖歌隊を編成し、城壁の上を、感謝の歌を歌いながら右回りと左回り、つまりそれぞれに反対方向に回ることで、はじめられた。糞の門(31節)に向かう学者エズラに率いられた聖歌隊は右回りに行進、水の門まで行き、もう一方はネヘミヤが参加した聖歌隊で、おそらく谷の門から左回りに進んだ。そして、それぞれが宮に到達すると、奉献式は最高潮に達し、その喜びの声ははるか遠くまで聞こえたとする。感極まったこの喜びは、神が与えてくださったものであると、ネヘミヤは強調する。それは、ちょうど、ゼルバベルの神殿の基礎が据えられたのと同じであった(エズラ3:13)。
 こうして神に与えられた喜びに浸った時に、彼らは、自分たちにとって、神殿と礼拝がいかに重要であるかを再認識したのであろう。彼らは祭司とレビ人が職務についている姿を喜んだのである。彼らは自分たちにとって、祭司とレビ人が立てられている職務の重要性を認識したのである。そして、彼らは、祭司やレビ人などの奉仕者たちがその職務に専念できるように、必要な組織や任務の整備をしたとする。今日、教会も同じように、神の喜びで満たされるのであれば、牧師の職務の重要性ということについても同じ理解が起こるのではないだろうか。神の喜びが日本の教会にあふれるように。そして喜びに満ちた礼拝が週ごとに捧げられるように祈ろう。本日よりアメリカ出張。