goo blog サービス終了のお知らせ 

人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読の積み重ねは、モノの見方を変え、人生を前に進む勇気を与えてくれます。ご一緒にしませんか?

ネヘミヤ記2章

2019年08月14日 08時19分51秒 | ネヘミヤ記
2章 エルサレム再建に取り組むネヘミヤ
<要約>
おはようございます。エルサレムの再建に取り組むネヘミヤの姿があります。それは、神の御心を求め、神の導きに従う姿です。再建は神の業であればこそ、神の導きが何よりも大事にされなくてはなりません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ネヘミヤの祈り
 エルサレムの窮状を嘆き、これを何とかしたいと願ったネヘミヤであるが、彼は即座に、献酌官を辞めて出て行ったわけではなかった。彼は、祈りながら、神の時を待った。しかしそれで、何かが起こるという保障もなかった。時は、容赦なく過ぎて行った。
そんなネヘミヤの変化にアルタシャスタ王が気づいた。献酌官ともあろう者が、王の前に、神妙な顔つきで出ていることは、王にとっても心穏やではなかったことだろう。しかしそこに神の業があった。神はネヘミヤを信頼する王に、ネヘミヤの気持ちを聞く心を与えてくれたのである。ただそのように、心を開いてくれる王に対して、率直に自分の心の内、ことに政治的なユダヤの町の再建を願う思いを語ることは、誤解を招く恐れもあり、王に心配されるのは、ネヘミヤにとって嬉しくもあり、恐れを抱くことでもあったと言える。
ネヘミヤは、「天の神に祈ってから」答えている。聖書の神は「天の神」として語られる。単に神ではない。それは、イスラエルのみならず、ペルシャにおいても、あらゆる民族の上にある天の神である。すなわち異教の王アルタシャスタの思いすらも、支配し、導かれる神である。その神が、ネヘミヤの一つ一つのことばを、王に納得させてくださるようにという思いからであろう。王はそれを受け止めた。祈りが、私たちのことばを導き、ことばを相手に納得させ、物事を動くように導いていくのである。
2.エルサレムに来たネヘミヤ
こうして後、ネヘミヤは、王の厚意を得てエルサレムに来ることになった。ある時、彼は夜中に起きた。一人、エルサレムの廃墟の中を歩き回った。崩れた城壁を巡り、泉の門と王の池の方に進んだがそこには通れる場所がなかった。彼は、一人で町を巡りながら、これをどのように再建すべきか、知恵を求めて心から神に祈る思いであったのだろう。ネヘミヤは、崩れたエルサレムの城壁の跡を辿りながら考えた。何をどのようにすべきか、どこからどのように手をつけるべきか。事実神は私たちに考える頭を与えてくださっている。祈るだけではなく、具体的に物事を考え抜いていくところに、私たちの道も開かれていく。つまり不都合なことがあったならば、祈りつつ神の大いなる導きを期待し、さらに、そこでどのようにこの不都合を乗り越えるべきかを考え抜くことが大切なのである。また、自分が失敗してしまったとしたら、どうしたらこの失敗を起こさなくてすむようになるかを考えて行けばよい。祈りと思慮をもって、明晰に物事を考えて、物事を整理して、物事にあたっていくのである。
3.再建に取り組むネヘミヤ
 こうしてネヘミヤは必要を確かめた(11節)。そしてなすべきことを、代表者たちに訴えた。「さあ、再建にとりかかろう」と言って、その良い仕事に着手したという。神を信じる者は、慌てずに物事に取り組んでいく。神がなさろうとしていることは、実現していくのであるから、じっくり腰を据えて取り組んだらよいのである。なすべき当たり前のことをしていけば、いつしか神が全てを導き整え動かしておられることに、気づくようになる。神の御心に取り組んでいるとなればこそ、神の先導を覚えて、神の熱心さがこれを成し遂げると思い、なすべきことをなすまでである。落胆したり、不安になったりするのは、どこか自分の思いで動いているところがあるからなのだろう。神の働きに取り組もう。

ネヘミヤ記1章

2019年08月13日 06時13分56秒 | ネヘミヤ記
ネヘミヤ記1章 エルサレムの惨状
<要約>
おはようございます。本日からネヘミヤ記に入ります。指導者ネヘミヤの祈りに、色々と教えられるところでしょう。キリストの恵みにあって神の子とされている私たちは、大胆に神に近付き、祈ることが許されていることを覚えたいものです。確信をもって、種々の必要について祈りましょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.政治暦と宗教暦
ネヘミヤ記に記録された出来事は、アルタシャスタ1世の第20年(BC445年)のことであるから、時間順から言えば、エズラ記、エステル記の後ということになる。実際、それは、エズラがエルサレムに旅経った13年後の出来事である(エズラ7:7)。
さて1:1「キスレウの月」は、太陽暦の11-12月頃になる。しかし、2:1には第20年の「ニサンの月」とあり、それは3-4月頃になるので、時間の流れからすれば1:1の11-12月は、アルタシャスタ1世の第19年のこととなるだろう。つまりそこには、筆写上の誤りがあるのではないかと言われてきた。しかしそもそも古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦(または「教暦」「新暦」ともいう)と、秋から1年が始まる政治暦(または「政暦」「旧暦」ともいう)との2種類があった。ユダ族(南王国)では後者の政治暦を使っていたため、その流れで現代のユダヤ暦も政治暦に準拠するものとなっているが、このネヘミヤの時代も、主として捕囚帰還がユダ族の者であることを考えると、チスリの月(現在の9-10月頃)を年の初めとする考え方にそって、この順序でよいことになるだろう。
2.ネヘミヤの苦悩
 この時ネヘミヤは、シュシャンにいた。ペルシャの王は、シュシャンを春の王宮にしていた。ネヘミヤは王の献酌官、つまり王の給仕をする王の酒の毒味役であった。それは、王の命のみならず、政治的な相談役としても重要な役割であったようだ。
 そこに、親類のひとりハナニがやってきた。ユダから来た数人の者と一緒に、やってきて、エルサレムの窮状について聞かされた。城壁の破壊は、ネブカデネザル王時代のバビロン軍によるものではなく、むしろエズラ4:7-23に描かれた、神殿再建の途上で起こったものであるとされる。つまり、城壁を再建しようとしたところ、それがアルタシャスタ王に報告され、直ちに武力、権力で工事が中断された出来事である。ネヘミヤが、深い悲しみをもってその報告を受け止めたのは、それがつい近頃の出来事であり、同時代の同胞の苦しみを聞かされたことによる。ネヘミヤは、一人神の前に出て、神に祈り求めた。
2.ネヘミヤの祈り
ネヘミヤの信仰の姿勢に教えられるところであるが、まずネヘミヤは、自分も自分の先祖も罪を犯したと告白している。自らが罪人であることを率直に認めている。私たちに足りないのは、自らの現実を直視することだ。なかなか自分自身の問題を素直に認め、ここに問題がある、ここが悔い改めなければならないところであると、自分自身に向かい合うことができない。しかしそこが、神の回復に与る第一歩である。
次に、ネヘミヤは、モーセに対する約束を取り上げて、信頼をもって祈った。たとえ私たちが神に裁かれ、散らされ、回復の見込みなしと思われる状況にあっても、神の前に悔い改める時に、神はこれを回復される約束である。私たちの祈りに希望があるとすれば、それは、自分ではなくアブラハム、モーセ、またイエスに対して神が約束されたことがあるからだ。そこに立つわけである。モーセに対する約束も、イエスに対する約束も、私たちのものである信仰に立つことだ。ネヘミヤは、モーセに対する約束を自分自身に対する約束として取り上げた。「立ち返り、命令を守り行うなら」(9節)、いつでも、主は私たちに心を開かれると約束されたそのことばをそのまま取り上げて、信頼して祈った。
そして最後に、ネヘミヤは、自分たちが贖われた者である信仰に立っている。私たちに神の特別な恩恵があるとするならば、それは、私たちが、イエスの十字架の血潮という尊い代価によって贖われた者である事実にある。誰でも、イエスの十字架を自分の罪の赦しのためであり、神との和解のためであると受け入れる者は、贖われた者である。特別な神の愛顧を受けるようにされた者である。神に期待を寄せて歩ませていただこう。

ネヘミヤ記13章

2013年02月19日 06時03分53秒 | ネヘミヤ記
<朝のディボーション>
 城壁再建後、再びなされたネヘミヤの宗教改革が記録される。改革されたものは改革され続けなければならない。まず彼は、イスラエルにアンモン人モアブ人の混血の者を「イスラエルから取り分けた」。それは、イスラエル人社会からの追放ではなく、神殿礼拝、宗教儀式に参加させなかった、という意味である。イスラエルは、まことの神に仕える民とすれば、異教の習慣を捨てようとしない者をその宗教儀式から締め出すのは、当然の結果であった。
次のトビヤとの絶縁は、大祭司職にある者の不正を正したものである(4-9節)。ネヘミヤは、エルサレムに12年在任した(BC445-433)。その後、ネヘミヤは報告のために王のもとに戻ったのだろう。すると大祭司エルヤシブは、かつて城壁修復工事に反対したアモン人の役人トビヤに神殿の部屋を提供したのである。しかも自分の家の部屋を提供するならまだしも、祭司のための奉納物が保管される神殿の部屋を、トビヤの便宜に供した。ネヘミヤは怒った。トビヤを追い出し、その部屋を聖別し、本来の用途に戻している。
<夜のディボーション>
 さらにネヘミヤは、レビ人の処遇を改善した(10-15節)。ネヘミヤ不在中にエルヤシブなど指導者層の妥協、不熱心は、イスラエルの民にも蔓延し、イスラエルの民は、律法に定められた10分の1の捧げものをささげなくなっていた。トビヤの事件は、こうした絡みで起こったのかもしれない。安易にお金持ちに財政援助を求め教えるべきことを教えなかった大祭司エルヤシブの姿勢は、他のレビ人にも影響したのだろう。奉仕によって生計が維持できなくなったレビ人は、農耕によって自活しようとし、神殿奉仕を放棄する始末であった。ネヘミヤの厳しい態度は、レビ人を復帰させ、ユダの人々に10分の1の捧げものを捧げさせる効果をもたらした。注目すべきは、こうしたネヘミヤの姿勢が、彼の神に対する愛から生じている点である。
 第4にネヘミヤは安息日の改革をはかっている(15-22)。農業従事者も、商人も運搬者も、外国人もユダヤ人も、安息日の規定を全く無視した生活を送っていた(15-16節)。10分の1の献金といい、安息日を守ることといい、今日の教会には示唆的である。大切にすべきことが加減になっている部分ではないだろうか。イスラエル王国が滅びたのは安息日を破った結果であることをネヘミヤは思い起こさせている(18節)。礼拝は、まさに自分の人生において神を認める行為である。神を心から愛する民が集められるために、私たちは聖書に忠実に従う点で腹をくくらねばならないのである。
最後にネヘミヤは雑婚を禁じた(23-29)。結婚の問題は、いつの時代にも、難しい問題を起こす。信仰は、一生涯の共同生活においては、根本的問題である。パウロが若い青年が身につける価値の第1として思慮深さをあげたのは理由なきことではない。結婚や就職において、思慮深く人生を歩み進めていくべきことは、よくよく、教えられなければならない。真に霊的な識別力を持ち、神を愛する心から信仰の深まりを求めたいものである。

ネヘミヤ記12章

2013年02月18日 06時03分31秒 | ネヘミヤ記
<朝のディボーション>
 エルサレムの城壁を再建し、その再出発としての奉献式について、またその式においてて重要な役割を演じた大祭司とレビ人たちのリストが記録されている。最初に、バビロンから帰還した祭司(1-7節)やレビ人(8-9節)のリスト。これは、エズラ2:36-39に符合するというが、かなり内容は異なる。ともあれ、ゼルバベル時代(1-9節)、エホヤキム時代(12-21節)エルヤシブ時代(22-23節)、ネヘミヤ・エズラ時代(24、25節)とリストが続く。
22節は、新改訳と新共同訳には違いがある。新改訳では、「エルヤシブの時代に、レビ人エホヤダ、ヨハナン、ヤドアは、一族のかしらとして、またペルシヤ人ダリヨスの治世に祭司として登録された」となっており、新共同訳では、「エルヤシブからヤドアの時代に、レビ人は、ペルシアの王ダレイオスの治世まで記録された」となる。問題は二つある。「時代」がかかるのは、エルヤシブのみか、エルヤシブからヤドアにまでかかるのか。そして登録、記録されたのは、エルヤシブからヤドアか、それとも単にレビ人か、である。新改訳では、エルヤシブの時代(BC445年)にかしらとして登録された者が、祭司としても登録されたとなり、新共同訳ではダリヨス2~3世の時代を通じてレビ人が登録された、となる。ヘブル語原文の接続詞のつながりからすれば新改訳の方が自然で、理解しがたいものをそのまま受け止めることも、一つの読みである。
<夜のディボーション>
31節より、7章5節以降途絶えていた、ネヘミヤが自らを一人称で記録する書き方が復活している。ネヘミヤの目をとおしてみた城壁の奉献式の様子(27-43節)が記録される。奏楽者、合唱者が、エルサレム周辺の町々から集められた。おそらく、集められたレビ人は神殿の奉仕だけでは生計維持が困難となり、エルサレムの近郊に住んで農耕をするようになっていたのであろう。奉献式に先立って、きよめの儀式が行われている。身や衣服を洗い、罪のためのいけにえをささげ、断食をした。実際の奉献式は、二つの聖歌隊を編成し、城壁の上を、感謝の歌を歌いながら右回りと左回り、つまりそれぞれに反対方向に回ることで、はじめられた。糞の門(31節)に向かう学者エズラに率いられた聖歌隊は右回りに行進、水の門まで行き、もう一方はネヘミヤが参加した聖歌隊で、おそらく谷の門から左回りに進んだ。そして、それぞれが宮に到達すると、奉献式は最高潮に達し、その喜びの声ははるか遠くまで聞こえたとする。感極まったこの喜びは、神が与えてくださったものであると、ネヘミヤは強調する(43節)。それは、ちょうど、ゼルバベルの神殿の基礎が据えられたのと同じであった(エズラ3:13)。
 こうして神に与えられた喜びに浸った時に、彼らは、自分たちにとって、神殿と礼拝がいかに重要であるかを再認識したのであろう。そればかりか彼らは祭司とレビ人の職務の重要性を認識して、その姿を喜んだ。そして彼らがその職務に専念できるように、必要に応じたという(44節)。今日は、教会において同じ認識が必要とされることだろう。

ネヘミヤ記11章

2013年02月17日 06時15分08秒 | ネヘミヤ記
<朝のディボーション>
 11章は、文脈から言って7章4節につながるものであるとされる。つまり城壁や城門を修復した後、捕囚から帰国した者の出所を明らかにし(7:6-72)、律法の学びによって人心を刷新し(8-10章)、いよいよ、エルサレムの居住者を定め、町の再興を目指すことになったというわけである。エルサレムの居住者が決定されていく。
当時の首都エルサレムは、神殿があって宗教的な意義が大きいとしても、敵対者の攻撃による危険や、生活の手段となる畑が遠いなど不便であり、住みつくには困難な町であった。だから上層階級は城壁建設時、あるいはそれ以前からエルサレムに住んでいたが、一般の民は経済的理由から農耕地のある町々を選んで住んでいた。しかし城壁再建後は、首都防備の必要もあり、住民増加をはかって、くじによる移住政策がとられたのである。そういうわけで、民は、犠牲の多いこの移住に、自発的に応じる者たちを祝福した。
3節以降は、帰還してエルサレムに住んだ人々の名簿となっている。多少の相違はあるが、1歴代誌9:2-21の名簿とほとんど同じである。ユダ族の指導者たち(4-6節)、ベニヤミン族の指導者たち(7-9節)、祭司たち(10-14節)、レビ人(15-18節)、神殿に仕える者(19-24節)という順にその名が記されている。神殿に仕える者は、オフェルに住んだ。その場所はよくわかっていない。しかし、エルサレム内の神殿と旧ダビデ市街との間の区域であろうと考えられている。それが正しければ、彼らは神殿での務めのために、予めそれにふさわしい場所を選んで居住したことになる。合計約三千名の者が移住した。25節以降は、エルサレム以外の町々の居住地のリストになる。ヨシュア記15:21-62の地名や、エズラ2章、ネヘミヤ3章のリストと比較すれば、帰還民の居住状況の変遷を知ることができる。
<夜のディボーション>
 しかしそれにしても一体誰が、このように町を再興するようになると予測していたであろうか。彼らが、捕囚から連れ戻され、町を再興することは、遠い昔からすでに預言されていたことであるが、実際にそのようなことが起こるなど考えられもしないことだったろう。事実、どれほど多くの文明が、歴史上戦争に敗れて滅びていることか。しかしユダヤ人の国は、戦争に敗れて、他国への強制移住、雑婚、捕囚の苦難を通らされながらも、もう一度再興されるのである。
 このような歴史を示しながら、聖書が語ろうとしているのは、神は真実であり、その預言のことばのすべてが成就されることだろう。イエスの十字架による贖いもそうであり、となれば、まだ成就していないイエスの再臨にも注意せねばならない、ことになるだろう。
 ともあれ、歴史は動かぬ証拠を私たちに差し出してくる。その証拠の前に、私たちは、神への信頼を新たにし、進んで困難な町エルサレムに住むことを祝福として受け止めていく必要がある。あなたにとって困難な町エルサレムは何であろうか。信仰を持って将来を臨みつつ、移住すべき町エルサレムは何であろうか。先を見通された神の祝福の中にこそ、歩ませていただくこととしよう。