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人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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ネヘミヤ記13章

2019年08月25日 05時54分51秒 | ネヘミヤ記
13章 ネヘミヤの宗教改革
<要約>
おはようございます。ネヘミヤの一連の宗教改革の要点が描かれていきます。城壁を再建し、新しいスタートを切った新しい神の民が心得るべきこと、中心に据えるべきことは、やはり礼拝であり、それをあらゆる観点から守っていくことでした。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.礼拝の民を育てる
 城壁再建後、再び行われたネヘミヤの宗教改革が記録される。改革されたものは改革され続けなければならない。まず彼は、アンモン人やモアブ人の混血の者を「イスラエルから取り分けた」。それは、イスラエル人社会からの追放ではなく、神殿礼拝、宗教儀式に参加させなかった、という意味である。イスラエルは、まことの神に仕える民なので、異教の習慣を捨てようとしない者はその宗教儀式から締め出されたのである。
大切な点だろう。礼拝は、やはり神を覚え、神を崇め、ひれ伏すところに本質があるのだから、そのような場となる配慮が必要だ。実際そうであるからこそ、主を真剣に求める人々も、その雰囲気の中で、神を知るに至るのである。もちろん求道者への配慮は必要とは言え、日本の教会は、求道者へ気を使い過ぎて、また人間関係を重んじるために、どうしても、何を目的とした集会なのか、わからなくなることがある。ネヘミヤの人づくりの第一は、礼拝を礼拝として意識し、大事にする人々を育てることであった。
2.神殿を神殿として機能させる
次のトビヤとの絶縁は、大祭司職にある者の不正を正したものである(4-9節)。ネヘミヤは、エルサレムに12年在任した(BC445-433)。その後、ネヘミヤは報告のために一時的に王のもとに戻ったようである。その間、大祭司エルヤシブは、かつて城壁修復工事に反対したアモン人の役人トビヤに神殿の部屋を提供していた。
その部屋は、祭司のための奉納物を保管するためのものであったが、奉納物は集まらず機能せず、空き部屋になっていた。その代わり、金銭的に何かと役立ったトビヤにその空き部屋を自由にさせていたのである。ビジョンのないところには、こうしたいい加減な事柄が起こってしまう。ネヘミヤは怒った。トビヤを追い出してその部屋を聖別し、本来の用途に戻した。
教会にとって本質的なことは礼拝と祈りであり、教会におけるもっとも重要な奉仕は、礼拝と祈り会に参加すること、そして献げること、それが中心的なものであろう。教会を教会として考え、教会の建物をその用途に応じて正しく用いていく人を育てる、それが第二のポイントである。
3.奉仕者が尊重される
 さらにネヘミヤは、レビ人の処遇を改善した(10-15節)。ネヘミヤ不在中に起こったエルヤシブなど指導者層の妥協、不熱心は、イスラエルの民にも蔓延し、イスラエルの民は、律法に定められた10分の1の献げものを献げなくなっていた。トビヤの事件は、こうした絡みで起こったものなのだろう。つまり安易にお金持ちに財政援助を求め、教えるべきことを教えなかった大祭司エルヤシブの姿勢は、他のレビ人にも影響したのだ。奉仕によって生計が維持できなくなったレビ人は、農耕によって自活しようとし、神殿奉仕を放棄していたのである。ネヘミヤは、ここでも修正を試みている。ネヘミヤの厳しい態度は、レビ人を復帰させ、ユダの人々に10分の1の献げものを献げさせる効果をもたらした。注目すべきは、こうしたネヘミヤの姿勢が、彼の神に対する愛から生じている点である。彼はただ律法的であったわけではない。神への愛という本質的な事柄を形にしようとしたのである。
確かに、礼拝によって信徒は恩恵を受けるわけなのだから、その恵みにしっかり応答する。愛は痛みをもって経験されるというように、ちゃんと献げるべき分を献げ、教会が機能するように支えていく信徒を養う、これがネヘミヤの人づくりの第三のポイントであった。
4.神の安息を喜ぶ
 第4にネヘミヤは安息日の改革をはかっている(15-22)。農業従事者も、商人も運搬者も、外国人もユダヤ人も、安息日の規定を全く無視した生活を送っていた(15-16節)。10分の1の献金といい、安息日を守ることといい、今日の教会には示唆的である。
どんなに教会が教会らしい建物を持ち、人が集まる活況を呈していても、大切にすべきことがいい加減になっているとしたら、そこは正されなければならない。イスラエルの国が滅びたのはもともと安息日をないがしろにした結果である、とネヘミヤは思い起こさせている(18節)。富を求め、豊かさに生きることは、必ずしも悪というわけではない。大事なことは、休むべき時に休む、そして、自分を祝福してくださっている神を喜ぶ、そのための日を聖別する心がけをもった信徒として成長することである。大切にすべきことがいい加減になっているとしたら、そこは正されなければならない。イスラエルの国が滅びたのはもともと安息日をないがしろにした結果である、とネヘミヤは歴史的教訓を思い起こさせているのだ(18節)。礼拝は、まさにクリスチャン人生の要である。それは神を認め、神の御業を想起し、神への信頼と献身を新たにする時だからだ。神を心から愛することの証だからである。
5.慎重な選択を促す
最後にネヘミヤは雑婚を禁じた(23-29)。結婚の問題は、いつの時代にも、難しい問題を起こす。信仰は、一生涯の共同生活においては、根本的問題である。パウロが若い青年が身につける価値の第1として思慮深さをあげたのは理由なきことではない(テトス2:6)。よく考え抜いて結婚もし、就職もする、それはよくよく、教えられなければならない。浅はかな選択が結果、余計な苦労を一生しょい込む結果にもなる。真に霊的な識別力を持ち、神に祝福された人生を歩んでいきたいものである。




ネヘミヤ記12章

2019年08月24日 07時18分01秒 | ネヘミヤ記
12章 奉献式
<要約>
おはようございます。カタカナ語が羅列され、時代が錯綜し、いささか、読みにくい部分ですが、まあ、忍耐を持って読み進みたいところですね。かつては、幕屋の荷物運びであったレビ人の役割が、歌い手と門衛となり、礼拝においていよいよ重要な役割を果たしていく、そんなところです。改めて、私たちの生活の中心である礼拝を考えたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.レビ人と祭司の記録
 エルサレムの城壁再建後の奉献式を記録する前に、その式において重要な役割を演じた大祭司とレビ人たちのリストが記録されている。最初に、バビロンから帰還した祭司(1-7節)やレビ人の一族(8-9節)のリスト。これは、エズラ2:36-39に符合するというが、かなり内容は異なっている。流れとしては、ゼルバベル時代(1-9節)、エホヤキム時代(12-21節)、エルヤシブ時代(22-23節)、ネヘミヤ・エズラ時代(24、25節)とリストが続いている。
22節は、新改訳の2017では、第三版と訳が異なっている。以前の新改訳第三版では、「エルヤシブの時代に、レビ人エホヤダ、ヨハナン、ヤドアは、一族のかしらとして、またペルシヤ人ダリヨスの治世に祭司として登録された」となっていたが、2017では、「エルヤシブ、エホヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代にレビ人は一族のかしらとして登録され、また、祭司はペルシア人ダレイオスの治世に登録された」となっている。「時代」がかかるのは、エルヤシブのみか、エルヤシブからヤドアにまでかかるのか。そして誰が、どのように登録されたのか、が問題だ。第三版では「エルヤシブの時代」、2017では、「エルヤシブからヤドアの時代」となり、また第三版で「エルヤシブの時代(BC445年)に一族のかしらとして登録された者が、祭司としても登録された」とあったものが2017では「レビ人と祭司、それぞれの時代に登録された」となる。直訳すれば、「レビ人は、エルヤシブ、エホヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代に、一族のかしらとして記録され、祭司は、ペルシヤ人ダリヨスの時代までである」、となるのではないか。つまり、ここで言いたいことは、ネヘミヤ・エズラの時代の前の状態のことであり、あの時代のことは年代記にしるされており(23節)、今の時代は、24節以降に記されたとおり、つまりハシャブヤ、シェレベヤおよびカデミエルの子ヨシュアである、ということなのだろう。そして彼らの役割は、賛美と門衛だったのであり、賛美のための要員が探し求められた、ということになる。
2.奉献式
31節より、7章5節以降途絶えていた、ネヘミヤが自らを一人称で記録する書き方が復活している。ネヘミヤの目をとおしてみた城壁の奉献式の様子(27-43節)が記録される。奏楽者、合唱者が、エルサレム周辺の町々から集められた。おそらく、集められたレビ人は神殿の奉仕だけでは生計維持が困難となり、エルサレムの近郊に住んで農耕をするようになっていたのであろう。奉献式に先立って、きよめの儀式が行われている。身や衣服を洗い、罪のためのいけにえをささげ、断食をした。実際の奉献式は、二つの聖歌隊を編成し、城壁の上を、感謝の歌を歌いながら右回りと左回り、つまりそれぞれに反対方向に回ることで、初められた。糞の門(31節)に向かう学者エズラに率いられた聖歌隊は右回りに行進して水の門まで行き、もう一方はネヘミヤが参加した聖歌隊で、おそらく谷の門から左回りに進んだ。そして、それぞれが宮に到達すると、奉献式は最高潮に達し、その喜びの声ははるか遠くまで聞こえたとする。感極まったこの喜びは、神が与えてくださったものであると、ネヘミヤは強調する(43節)。それは、ちょうど、ゼルバベルの神殿の基礎が据えられたのと同じであった(エズラ3:13)。
 こうして神に与えられた喜びに浸った時に、彼らは、自分たちにとって、神殿と礼拝がいかに重要であるかを再認識した。そればかりか彼らは祭司とレビ人の職務の重要性を認識して、その姿を喜んだ。そして彼らがその職務に専念できるように、必要に応じたという(44節)。今日、思い起こされるべきことがここにある。教会と礼拝の重要さは、教会と礼拝を失った者でなければわからない。牧師の職務の重要さは、牧会の恵みを失った者でなければわからない。神殿を破壊され、捕囚の長き時を過ごした彼らが、再度認識したことは、当たり前のなかにあった重要さなのである。

ネヘミヤ記11章

2019年08月23日 05時58分47秒 | ネヘミヤ記
11章 神の約束とその誠実さ
<要約>
おはようございます。今日の箇所は、城壁再建後、起こった霊的な大いなる覚醒について挿入的な記録の後、再び、城壁再建後の町の動きを語っているものです。彼らは具体的にエルサレムに人を移住させ、エルサレムの町を活気づけようとしました。しかし、彼らのそうした動きを起こした神の約束の誠実さにこそ、教えられるものがあります。神は誠実なお方、主の恵みを心から仰ぎたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.エルサレム移住
11章は、文脈から言って7章4節につながるものであるとされる。つまり城壁や城門を修復した後、捕囚から帰国した者の出所を明らかにし(7:6-72)、律法の学びによって人心を刷新し(8-10章)、いよいよ、エルサレムの居住者を定め、町の再興を目指すことになったというわけである。エルサレムに住む者が決定されていく。
当時の首都エルサレムは、神殿があって宗教的な意義が大きいとしても、敵対者の攻撃による危険や、生活の手段となる畑が遠いなど不便で、住みにくい町であった。だから上層階級は城壁建設時、あるいはそれ以前からエルサレムに住んでいたが、一般の民は経済的な理由から農耕地のある町々を選んで住んでいた。しかし城壁再建後は、首都防備の必要もあり、住民増加をはかって、くじによる移住政策がとられたのである。そういうわけで、民は、犠牲の多いこの移住に、自発的に応じる者たちを祝福した。
3節以降は、帰還してエルサレムに住んだ人々の名簿となっている。多少の相違はあるが、1歴代誌9:2-21の名簿とほとんど同じである。ユダ族の指導者たち(4-6節)、ベニヤミン族の指導者たち(7-9節)、祭司たち(10-14節)、レビ人(15-18節)、神殿に仕える者(19-24節)という順にその名が記されている。神殿に仕える者は、オフェルに住んだ。それがどこであったのかはよくわかっていない。しかし、エルサレム内の神殿と旧ダビデ市街との間に位置したと考えられている。それが正しければ、彼らは神殿での務めのために、予めそれにふさわしい場所を選んで居住したことになる。合計約三千名の者が移住した。25節以降は、エルサレム以外の町々の居住地のリストになる。ヨシュア記15:21-62の地名や、エズラ2章、ネヘミヤ3章のリストと比較すれば、帰還民の居住状況の変遷を知ることができる。
2.神の約束に対する誠実さ
 しかしそれにしても一体誰が、このように町を再興するようになると予測していたであろうか。彼らが、捕囚から連れ戻され、町を再興することは、遠い昔からすでに預言されていたことであるが、実際にそのようなことが起こるなど考えられもしないことだったろう。事実、どれほど多くの文明が、歴史上戦争に敗れて滅び、二度と回復することもないままになっていることか。しかしユダヤ人の国は、戦争に敗れて、他国への強制移住、雑婚、捕囚の苦難を通りぬけながらも、新たに再興されるのである。
 このような歴史を示しながら、聖書が語ろうとしているのは、神の約束に対する誠実さであり、熱心さである。すべて神が約束されて語られたことは必ず成就する。イエスの十字架による贖いもそうである。イエスの復活のいのちによる私たちの新生もそうである。となれば、まだ成就していないイエスの再臨にも注意せねばならない、ことになる。
 ともあれ、歴史は動かぬ証拠を私たちに突き付けて来る。その証拠を前に、私たちは、神への信頼を新たにし、進んで困難な町エルサレムに住むことを祝福として受け止めていく必要がある。困難な町エルサレムを信仰と喜びをもって受け止めていきたいものである。信仰を持って将来を臨みつつ、移住すべき町エルサレムに出ていきたい。先を見通された神の約束と祝福の中にこそ、歩ませていただくこととしよう。

ネヘミヤ記10章

2019年08月22日 06時46分57秒 | ネヘミヤ記
10章 正しい神との関係
<要約>
おはようございます。国家が再生され、そのスタートとして礼拝が行われ、続くのが、主と盟約を結ぶということであり、その際に、イスラエルの民が決断したことが重要です。彼らの決断は、神の民としての自由を確保するものでした。主の与えてくださった自由に生きる、そこに主の祝福もあるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.宗教的純粋性を保つ
 国家の再興にあたり、まずイスラエル人が始めたことは、主との正しい関係を持つ盟約を堅く結ぶことであった。彼らは具体的に署名をした。また、実際に律法に従って歩む生活を始めるにあたり三つのことを決断した。
1) 宗教的な純粋性を保つ(異宗教の人とは結婚をしない)(30節)。
2) 安息日を守る(安息日の売り買いをせず、安息年の規定を守る)(31節)
3) ささげ物を携えて礼拝を守る(シェケルの三分の一、初物、十分の一)(32-29節)
 宗教的な純粋性を保つことは、彼らが、イスラエルの神を中心とするにあたり、まず最優先されるべきことであった。実際、結婚は生涯にわたる連帯であるから、異なる宗教を持ちながらその関係を維持するのは大変なことである。聖書は初めから正解を出してくるので、素直に従えない思いになることも多いだろうが、やはり、それは知恵ある神のことばであって、従うべきものである。ちなみに、若い時は、先を見通すことが難しく、後でこの結婚は失敗の何物でもないと思わされることもあるだろう。しかし、そこで、人生を諦めて、自ら落伍者になる必要はない。周囲の人がそのように求めても、聖書は悔い改めを要求している。神は哀れみ深く、見捨てられることはない。確かに、異宗教の伴侶を持ち、信仰の純粋性を保つことが難しい、と感じることがあっても、その現実を受け止めながら、神の権威の元に遜り、神が自分を新しく導いてくださることを期待すべきである。
2.安息日を守る
また安息日を守ること、信仰生活においては「しない」消極面だけではなく「する」積極面も大事なのだ。日本人がクリスチャンになって最も大きく変化を体験することは、毎週の礼拝に出席することである。信仰を持つ前は、日曜日と言えば、自分にとって有意義な時間を自分で決めて、自分の思うように過ごすことを考えたはずである。しかし、信仰を持つと、日曜日の在り方を決めるのは、信仰の主、神になる。神の期待に沿うライフスタイルを考えるようになる。こうして日曜日は、教会に集い神の過去の恵み深い御業を想起し、感謝し、信仰を強め、献身を新たにする日となっていく。こうした神を中心とした生活リズムは、人間の頑張りで作り出せるものではない。神との正しい関係が出来ていればこそ、生み出され形作られていくものである。
3.ささげていく
後半は、ほとんどがささげものについての記述である。そこにはもう一つの意味がある。つまり、彼らはペルシヤ帝国から帰還し、自分たちの国を再興していくにあたり、経済的な自立をまず願ったのである。彼らはペルシヤ帝国の支配を受けていたのだから、いつまでもその経済的な支援を期待することができた。しかし、そうはしなかった。むしろ、精神的のみならず、経済的にも自立した歩みをすることを願い、自らささげあった。
彼らの献げ物は、神殿の用、ことに祭司の生活のために用いられたようだが、興味深いことは、門衛、歌うたいを支えるために用いられたことである。彼らの神殿の運営は、ボランティアではなく、有償のスタッフによって行われた、ということだ。教会の経済力は、教会の働きを充実させる人を支えるものであることは理解しておく必要があるだろう。
そして教会財政に無関心であってはならない。教会を構成するメンバーの一人一人が教会の必要を理解し、教会を支えていくことを考えたい。日本の国家も、日本人一人一人が支えていくものだろう。税金の使われ方ばかりに神経を尖らせず、日本の将来を考えて、日本のミッションを支えていく国民意識が養われなくてはならないのと同じである。まず自分が、初物を捧げる。十分の一をささげる。信仰者としての習慣を実践していくことなのだ。

ネヘミヤ記8章

2019年08月20日 06時34分59秒 | ネヘミヤ記
8章 感動に満たされた礼拝
<要約>
おはようございます。城壁が完成し、町が建て直された後に、まず行われたのが、主の前での礼拝でした。ちょうど時は、イスラエルの新年を祝う第七の月、太陽暦でいえば、9-10月頃になります。この日、彼らは新しい出エジプトを確認したのであり、それは、神の大いなる恵みにさらに信頼する時でもありました。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.年の初めの招集
 城壁が完成したのは、第六の月。そしてエズラを中心に律法を朗読するために、民が召集されたのは第七の月である。それはイスラエルにとっては、年の初めの月であり、第1日はラッパを吹き鳴らす日(レビ23:34)、10日は贖罪の日(レビ23:27)、15日から一週間は仮庵の祭り(レビ23:34)が行われる月である。
 贖罪の日は、断食をし、全ての仕事をやめて完全な安息を守る日となる。民の一年間の罪が赦され、きよめられる日(レビ16章)であり、そのために民のすべての咎とそむきの罪を負うとされるアザゼルのやぎを荒野に放つ儀式が執り行われる。これは、大祭司イエスによる罪の贖いのわざの予型である。仮庵の祭りは、収穫祭とも呼ばれ(出エジプト23:16)、ユダヤ人の三大祭りの一つでもある。祭りの7日間、木々の大枝となつめやしの小枝からできた仮小屋に住むところからそう名付けられた(レビ23:42)。イスラエルのエジプトからの脱出を記念し、荒野における放浪と仮小屋での居住を記念するものである(レビ23:43)。実際には、7日間神殿でいけにえがささげられ,初日に13頭の雄牛、その他の動物、その後、雄牛は1日に1頭ずつ減らし、7日目には7頭、合計70頭の雄牛がささげられる(民数29:12-34)。そして8日目に荘厳な集会が持たれ、1頭の雄牛、1頭の雄羊、そして7頭の子羊が屠られた(民数29:35-36)。これは祭のクライマックスとなり、イエスが「祭りの終わりの大いなる日」(ヨハネ7:37)と呼んだもの、と考えられている。
大切なのは、この祭りが、農業的な収穫を祝う近隣の国々の祭りと微妙に重なり合いながら、イスラエルの歴史の始まりを主の豊かな恵みと罪の赦しの概念に基づかせているところにあるのだろう。だからそれは、単なる乱痴気騒ぎに終わらず、静かに神のみことばに耳を傾ける時とされた。
2.み言葉への応答
この日、エズラは、律法を朗読し、解説するために呼び出され、民の前で律法をはっきりと呼んで説明した。それは「夜明けから真昼まで」(3節)。律法の書というのは、具体的に創世記から申命記までの五書を指す。午前中で読み終わるとしたらその抜粋であったのだろう。民は律法の書に耳を傾け、読まれたことをはっきりと理解した。そして、朗読そのものが、主の礼拝を導いた。民は皆、「アーメン、アーメン」と応答し、地にひれ伏し主を礼拝したのである。まさに、みことばに応答し、主を崇め、主の権威の前にひれ伏すことが礼拝である。主を認めることが礼拝である。
 さて、聖書は朗読され(7節)、説明された(8節)。おそらくそれは、ヘブル語から当時の言語であったアラム語に翻訳され、また解説されたのであろう。明解な解き明かしのもと、イスラエルの民は、神の前に自分たちの罪の歩みを覚えさせられた。しかしネヘミヤたちは、贖罪の日は、神の恵み深い赦しを覚える日であり、喜びの季節の幕開けなのだから、悲しみに終わらないようにと諭していく(9-11節)。聖書朗読において大切なのは、自分の罪や足りなさ、欠けを覚えさせられるところに止まらず、さらにそのような者が赦され、愛され、祝福に導かれていることを覚えることだ。信仰をもって、将来を望み見ることだろう。聖書を読み、自分を責めるような読み方ではなく、積極的に十字架の恵みを受け入れ、感謝と喜びをもってさらなる主の祝福を受ける気持ちで、神のことばを受け止め、神の誠実さに期待することが大切なのである。
3.第二の出エジプト
13節以降は、仮庵の祭りについての記録であるが、ネヘミヤはヨシュアの時代からこの日までそれが守られていなかったように書いているが(17節)、実際にはそうではない。ソロモンの時代にも(2歴代誌8:13)、ヒゼキヤの時代にも(2歴代誌31:3)それは守られている。ただしこれほどの喜びと感動を持って、新しい出発を期して行われたことは、イスラエルが約束の地に入った後の時代には、なかったほどのものだ、ということであろう。つまりそれは、第二の出エジプトであり、第二の解放だったのである。だからこそ実に感動的な礼拝となった。礼拝の中にもっと感動を、上から与えられる感動と祝福のある礼拝を、と思うのであれば、それは、まさに上からの深い恵みを覚える以外にはないものなのである。