<朝のディボーション>
しいたげと悲しみの中にある者を慰める者はいない。むしろしいたげる者は、勝ち誇ったかのように権力を奮う。何とも空しい現実ではないか(1節)。なぜ人はこれほどまでに傍若無人に振る舞うことができるのか。なぜ血や涙の一欠片もなく残酷にあしらうことができるのか。弱い者の立場は益々弱く、強い者の立場は益々強くなる。そして権力を握った者がそれを弱者のために誠実に用いるかというとそうではない。むしろ自分のために、動物的に、人間身のない用い方をする。そんな人間社会の現実を見るよりであったら、死んだ方がましで、まだ生まれてこない人の方がましである(2節)。
次に人間社会の成功を見るにつけ、それは、ただ妬みに動機づけられたものであることがわかり、これもむなしい、という(4節)。何が人間を成功に向かって駆り立てるかといえば、それは妬みや抑圧に対する怒りであったりする。そのために、人は人を利用し、踏み台にしていく。しかし一方でその日暮らしの、自分の身代を食いつぶすような生き方もある。それは愚かのようにも思えるが、様々な地位を得た、役職を得た、しかし、人間的な競争の泥沼の中に日々雁字搦めになって生きている、というよりは、あばらやに打ち破れた者のようにひょうひょうと生きていく方が楽だということがあるだろう。
第三にひとりぼっちのむなしさ。たった一人になりながらも、なおも成功と富を求めてあくせくする、その虚しさを人間は認めることができないでいる。なぜか。それは金は、持っている限り人を楽しませ裏切らないからだ。しかし人間は、家族であってもしばしば期待を裏切ることがある。税金取りのザアカイが、不正によって、富を追及したのもそんな理由からだろう。しかし彼も富と地位を保証されて生きていたが、友を失い、孤独さを噛みしめ、楽しみも、喜びもなく生きていた。真に助け合い、支え合う友や伴侶を持つ事の方が、人間にとって幸せである。それほど心を暖め、身体を暖め、勇気を与えるものはないが、それは得難いものである。
<夜のディボーション>
最後に、組織の長であることのむなしさ。組織の長は自分が後何年この役目を全うできるかを弁えなくてはならない。忠言を受け付けなくなるほどに年老いてもなお、組織の長たろうとすることほど、愚かなことはない。組織を誤った方向に導くからである。しかしそれが人間の現実社会そのものであったりする。しかし、世代が変わり、知恵のある若者が組織の長になっても、彼もまた頑固になり、他人の忠言を受け付けず、歓迎されない者になることがある。空しいことの繰り返しが、私たちの現実にはある。
こんなむなしさを一つ一つ思い返していると、何とも、人間の社会には救いがない。しかし、そのような空しい社会の中にあって魂の救いを得て生きていくことが人間にとっての幸せである。この世は一時的なものであり、私たちは世を一時的に過ぎていく者にすぎない。世と世にあるものに囚われず、神の永遠の都の祝福を目指して、神の祝福の中に守られて生きていく生き方もある。
しいたげと悲しみの中にある者を慰める者はいない。むしろしいたげる者は、勝ち誇ったかのように権力を奮う。何とも空しい現実ではないか(1節)。なぜ人はこれほどまでに傍若無人に振る舞うことができるのか。なぜ血や涙の一欠片もなく残酷にあしらうことができるのか。弱い者の立場は益々弱く、強い者の立場は益々強くなる。そして権力を握った者がそれを弱者のために誠実に用いるかというとそうではない。むしろ自分のために、動物的に、人間身のない用い方をする。そんな人間社会の現実を見るよりであったら、死んだ方がましで、まだ生まれてこない人の方がましである(2節)。
次に人間社会の成功を見るにつけ、それは、ただ妬みに動機づけられたものであることがわかり、これもむなしい、という(4節)。何が人間を成功に向かって駆り立てるかといえば、それは妬みや抑圧に対する怒りであったりする。そのために、人は人を利用し、踏み台にしていく。しかし一方でその日暮らしの、自分の身代を食いつぶすような生き方もある。それは愚かのようにも思えるが、様々な地位を得た、役職を得た、しかし、人間的な競争の泥沼の中に日々雁字搦めになって生きている、というよりは、あばらやに打ち破れた者のようにひょうひょうと生きていく方が楽だということがあるだろう。
第三にひとりぼっちのむなしさ。たった一人になりながらも、なおも成功と富を求めてあくせくする、その虚しさを人間は認めることができないでいる。なぜか。それは金は、持っている限り人を楽しませ裏切らないからだ。しかし人間は、家族であってもしばしば期待を裏切ることがある。税金取りのザアカイが、不正によって、富を追及したのもそんな理由からだろう。しかし彼も富と地位を保証されて生きていたが、友を失い、孤独さを噛みしめ、楽しみも、喜びもなく生きていた。真に助け合い、支え合う友や伴侶を持つ事の方が、人間にとって幸せである。それほど心を暖め、身体を暖め、勇気を与えるものはないが、それは得難いものである。
<夜のディボーション>
最後に、組織の長であることのむなしさ。組織の長は自分が後何年この役目を全うできるかを弁えなくてはならない。忠言を受け付けなくなるほどに年老いてもなお、組織の長たろうとすることほど、愚かなことはない。組織を誤った方向に導くからである。しかしそれが人間の現実社会そのものであったりする。しかし、世代が変わり、知恵のある若者が組織の長になっても、彼もまた頑固になり、他人の忠言を受け付けず、歓迎されない者になることがある。空しいことの繰り返しが、私たちの現実にはある。
こんなむなしさを一つ一つ思い返していると、何とも、人間の社会には救いがない。しかし、そのような空しい社会の中にあって魂の救いを得て生きていくことが人間にとっての幸せである。この世は一時的なものであり、私たちは世を一時的に過ぎていく者にすぎない。世と世にあるものに囚われず、神の永遠の都の祝福を目指して、神の祝福の中に守られて生きていく生き方もある。