歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

小説「北条泰時の野望・民のために」・下書き・唐船の巻

2022-11-07 | 鎌倉殿の13人
舞台 1216年、実朝の死(この小説では死なない)の3年前

設定
北条泰時・・実朝側近。聖人君子ではなく、自分の政治をしたいという野望に溢れた男、いとこの実朝を同志と思っており、人のいないところでは「金剛、千幡」と幼名で呼び合っている。本当は「太郎、次郎」と呼ばせたいが、実朝が「次郎」であったという学者がいない。33歳。

源実朝・・生まれたからずっと坂東で育った坂東武者。上皇を「だます」ため、上皇の言うことを従順に聞く上皇懐柔政策をとっているが、それにもそろそろ限界を感じている。本来は坂東独立志向を持ち、そのためには「源氏もいらない」という立場をとっている。24歳。

安達景盛・・頼朝最側近安達藤九郎の息子。実朝最側近。かつて頼家に女性をとられそうになった過去を持つ。後、宝治合戦を引き起こす武闘派だが、実朝や泰時とは気が合い「3人グループ」を形成している。史実上、娘を北条泰時の子に嫁がせている。執権北条経時、時頼兄弟の祖父である。北条執権の元で、御家人代表として安達氏は力を振るい続けた。通称、弥九郎。30代後半か?

唐船の巻

10日ほどして、泰時が伊豆から戻ると、鎌倉は「鎌倉殿が大船の建造を命じた」と騒がしい。評判は良くない。いやすこぶる悪い。無駄な出費と労役だと不満の声が聞こえてくる。
泰時はなんの相談も受けていなかった。さっそく御所に乗り込んだ。

当の鎌倉殿、実朝は安達景盛と冗談を言いながらふざけている。泰時は腹がたった。「おい、千幡、貴様なんのつもりだ!」。
実朝はあっけにとられている。やがて「ああ、唐船のことか」とつぶやいた。

「いや、あれね。あれは弥九郎(安達景盛)もしきりに勧めるしな」
「弥九郎てめー」と泰時は景盛の肩を蹴飛ばした。景盛は予想していたのだろう。うまく受け身をとってくるりと回って起き上がった。
「やりやがったな。太郎」と景盛は泰時に殴りかかる。こんなことは坂東では日常茶飯事である。顔は殴らない、が暗黙のルールらしく、足を蹴ったり、関節を取り合ったりしている。遊んでいるようにも見える。実朝は笑って見ていた。いつものことで慣れている。

ひとしきり争いが終わると、実朝が口を開いた。
「陳和卿とかいう宋の工人がやってきてな。オレは前世、ナントカ山の長老で、自分は門弟だったとか言うわけさ」
「千幡、そんなアホみたいな話を信じたのか」
「信じるか、アホ。いくら信心深いオレでも信じない。」
「でもまあな」と景盛が口を開いた。
「頼朝公がほとんどの金を出した大仏再建の時、いろいろ尽力したのは本当らしい。」
「本当か、どうもうさんくさいおっさんだな。じゃあ京にいればいいじゃねーか。なぜわざわざ鎌倉に下ってくる。」
泰時の怒りは収まらない。
「ところで金剛、竜骨というのを知っているか」と実朝。
「竜骨、なんか聞いたことはあるな」
「中国の船にはな、竜骨という柱が通っていて、それで強いらしいのさ。陳和卿はうさんくさいおっさんだが、技術はあるらしい。まあ失敗しても、唐船の作り方を教わるだけでも意味はあるかも知れない。何より後ろに上皇がいるらしい。上皇の言うことは尊重して、アホな話でも尊重して、上皇に戦を起こさせないというのが、オレたちの、いや鎌倉の考えだろ」
「それは分かるが、金がかかり過ぎる。御家人も民も不満を持っている。」
「それはオレも考えた。あいつらの気持ちも分かる。頭の痛いところだ。だが、オレには別の狙いもあるのさ。おい金剛、オレが誰を一番尊敬しているか知ってるか」
「おやじの頼朝公と言いたいところだが、そう聞くからのは違うのだろうな。誰だ。」
「平清盛と北条義時よ」

北条義時の名は泰時にとっては不思議ではなかった。口うるさいが、偉大な政治家であることに間違いはない。後世、特に明治以降、北条義時は皇国史観というおよそ学問とはいえない非合理な学説のもとで「悪人」とされた。彼が勝利した「承久の乱」は「あってはならないこと」として「承久の変」と表記された。戦争の深まった昭和18年には、その「承久の変」自体、教科書の本文から消えた。しかしそれは後世の歪んだ評価であって、この時期、義時は御家人から圧倒的な支持を得ていた。それは京に対抗する坂東独立路線を彼が頼朝から継承したためである。坂東は長く闘争の場所であった。それは朝廷が現実を全く見ない政治を行ってきたせいである。朝廷は「徳治主義」という考えのもと、「天皇が徳を持ち、京の文化が盛んである、建造物が立派である」ことが「統治」であると考えていた。京の「徳」が全国に普及している「はずだ」と観念的に考えており「現実にどうなっているか」は問題ではなかった。そして現実的には、関東より以東は「収入源」以外の意味を持たなかった。つまり何の政治も行ってはいなかった。国司も派遣せず目代という代理人を送ったりした。ちなみに頼朝が最初に襲った山木も目代だが、貴族ながら流人である。流人が国司なのである。さらに知行国という制度を作り、平家や公家に「丸投げ」をした。無責任体制は究極に達し、地方は荒れに荒れた。無駄な争いが絶えず、無駄に血が流れた。源頼朝は、そこに粗削りながら「政治と実際の統治」をもたらした。北条義時はそれを継承した。御家人とて好んで戦をしたいわけではない。出費も多い。できれば安穏に暮らしたい。それには強い「芯柱」がいる。御家人が支持するのは当然であった。

平清盛は意外でもあったが、話の流れからして「宋との貿易」を実朝は強調したいのだろう。泰時は最後まで唐船建造に反対したが、結局はしぶしぶと引き下がった。
「陳和卿が本当に山師だったら、ただじゃおかねーからな」流石に実朝に直接言うのは嫌だったのだろう。安達景盛に向かってそう言った。

が、唐船は鎌倉の海に浮かぶことなく、朽ち果てた。それは「鎌倉殿実朝」の愚かさの象徴となってしまった。

それを笑って了承するほど泰時は温和ではない。御所に乗り込むや、今度は実朝の肩を思いきり蹴飛ばした。実朝は強く床に倒れた。
が、実朝は坂東武者である。すぐに起き上がり「なにしやがるんだ」と泰時の腕をつかんだ。実朝は中国から伝わったとかいう変な技を使う。今の言葉で言うなら「合気道」であろう。
泰時の体はあっという間に宙に浮き、床にたたきつけられた。腰を打ったのか、泰時は起き上がれない。「うーん」と唸っている。

泰時を見下ろしながら実朝は言った。
「泰時よ。どうやら間違っていたらしい。後ろに上皇がいても、時にははっきりと拒否すべきだったのだ。」
そうして歌を吟じた。

山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

「なんだそれは。お前が上皇に贈った歌ではないか。いつ聞いても腹が立つ歌だな」と泰時。

「これだけ言えば、上皇も気が付くと思ったのさ。いっぱしの大人が、犬じゃあるまいし、ここまでしっぽを振るか。オレは心のどこかで気が付いて欲しかったのさ。オレは心から上皇に従っているわけではないと。ここまで書けばオレが芝居を演じていると分かってくれると思ったわけさ。しかし上皇は喜んだという。ありゃ子供だな。そして子供が大好きなのが戦だよ。戦で民がどれほど困窮するか考えもしない。それで我慢をしてきたが、オレもそろそろ限界だ。泰時よ、オレは心を決めたぜ。戦を好み、民を顧みない上皇と、オレは戦う。」

「やっぱり俺の同志だけはあるな」。と泰時は腰をさすりつつそう考えた。しかし「戦う」とは、具体的にどういうことだろう。

つづく。