歴史とドラマをめぐる冒険

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織田信長は中世の破壊者なのか

2020-06-11 | 麒麟がくる
田信長は中世の破壊者なのか。こう書くと「破壊者ではない」という結論を予想すると思いますが、「破壊者です」ということを書きます。

近年の研究について何も知らないのかと言われそうですが、そりゃ全部知ってはいません。でも15冊ぐらいは本を読みました。日本史学者、比較的まともな研究者の本です。

「織田信長は中世を少しも破壊していない」と言い切る学者等は一人もいないと思います。程度の問題なんです。

つまり「近世権力というには信長の政治体制は不徹底であった」。近世は秀吉をもって始まるということだと思います。あととにかく言いたがるのは「意識的じゃなかった」ということですね。天下統一戦争も「いつのまにかそうなちゃった」、天下統一なんて「意識はなかった」と言いたがります。変な論理です。

信長が保守的というのも、「保守的側面も強かった」「意外に強かった」と言われます。「意外に」ということは、革新的部分も多いということです。資質としては保守的というか、伝統、朝廷、宗教、室町幕府、宗教なんかを尊重していたよ、ということです。(私はそのまま信じたりしませんが)

言いたいことはたぶんこうです。
・政治的システム的には室町幕府のシステムを超えるものではなかった。
・室町幕府の存続を意外と熱心に望んでいた
・特に土地制度については先進的とは言い難い
・反抗しない限り、宗教も保護した。
・朝廷を尊重した。または利用した。天皇を超えようなんて考えはなかった。
・楽市楽座も不徹底であり、座を保護することも多かった。
・無神論者などではなかった。(そもそも誰が無神論者だなんて言っているのか)

一方で
・臨機応変な思考、合理的判断
・居城の敵地接近移転
・新兵器の活用
・軍事組織のスケールの大きさ
・強い配下武将支配・重臣の合議制ではない意志決定
・関所の廃止、ある程度成功
・伝統権威でも逆らえばつぶす方向で「意外と慎重に」行動する、比叡山
・室町幕府の存続を本心で望んでいたかは不明だが、結局は交渉決裂。義昭の子を将軍としてたてることはなかった。
・官位をもらうこともあるが、すぐ辞任してしまう。執着はない。官位を辞して後、死ぬまで官職はなかった。
・ある程度の検地
・兵農分離もそこそこ成功・専業武士団の創設
・反抗する宗教勢力・自治都市などには容赦なかった。ただし自治都市はさほど反抗しなかった。
・座の保護も含めた、商業政策の重視

結果としての日本半分程度の広大な領地の支配

こういうことを認めない学者はそう多くはないと思います。異見がでるとすれば「配下武将の統制」ぐらいでしょうか。あっ、兵農分離もなかったという人もいますね。なんでもかんでも「なかったこと」にしてしまう。

上記は、他の戦国大名もやったことですが、スケールの大きさが違います。

織田信長は結果として中世をある程度破壊していきます。そしてその幾つかは意図的なもので、たまたまそうなったわけではありません。その完成形が秀吉・家康ということになります。「織田信長は中世を全く破壊していない」と言い切る研究者はおそらくほとんどいないと思います。戦国大名はみな程度の差こそあれ中世システムを破壊しています。信長はそれを大きなスケールでやった。だから明らかに破壊しているのです。「いわれてきたほどじゃない」という論法を持って、結局は全否定をなすような詐欺的論述はなすべきではないと考えます。