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慶州市観光地図。
朝食後、慶州ワールド隣接のホテルから、まずは世界遺産(1)「仏国寺(プルグクサ)」へ。車で朝早めに出発したおかげか道路も空いていて30分弱で着いた。仏国寺は、長きに渡って勢力争いを続けて来た高句麗、新羅、百済の三国が、中国・唐との同盟関係を結んで軍事力を補強した新羅により統一されてから約200年後の8世紀半ば、景徳王(キョンドクワン)の時代に金大城(キムデソン)によって創建されたと伝えられている。しかし、豊臣秀吉の領土的野心による2度の朝鮮出兵(1592年文禄の役、1596年慶長の役)の時に放火され、一部石築だけを残して焼失してしまったと言う。
いきなり朝鮮出兵かあ…韓国仏教が国家統一の精神的支柱としての大乗仏教とは言え、他国の宗教施設への攻撃は褒められたものではない(そもそも戦争は敵方への敬意もへったくれもないクレージーな側面があるものだけど)。ガイドさんはどんな思いで加害者の子孫に対して、被害の歴史を語っているのだろう?聞いている私の方は心境複雑だった。
その後廃仏政策の李朝下でも荒廃が進み、1969年の発掘調査を元に、自国文化の見直しで国家の誇りの復活を目指した朴大統領政権下の1970年代にやっと復元されたらしい。しかし文献資料も十分でなく、残念ながら完全復刻とはならなかったようだ。一度失われた物を元の状態に戻すのは誰の手をもってしても至難の業である。戦争の愚かしさを示す一例と言えるだろう。
ただし歴史の解釈もさまざまである。秀吉による朝鮮出兵は”中国(明)の侵攻を止めるために進軍した時の通り道だった朝鮮に攻撃されたので抗戦したというのが真相であり、しかもその被害の大半は朝鮮人自身の「焦土作戦(日本軍の補給線を絶つためだけに同胞を殺し 食料を燃やす)」によるものである。”という説もある。(韓国は『なぜ』反日か?より)(←このサイト自体「嫌韓色」が強いので内容の全てを鵜呑みにはできないが、「こんな歴史解釈もあるのか」という驚きはある。そもそも誰もが納得しうる歴史解釈は成立するものなのか?どんな国家も自国の都合の良いように歴史を解釈しているだけなのでは?と最近「歴史」の普遍性に疑問を感じるようになった。だからこそ、歴史認識の違いで、後世の人間が争うことの不毛を私は感じるのだ。)
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「仏国寺」ユネスコ世界遺産登録記念碑の前にて
仏国寺山門。堂々とした門構え
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土台の石組みの見事さが目を引く…石の文化
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