はなこのアンテナ@無知の知

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韓国周遊~7つの世界遺産を巡る(5)

2007年08月14日 | 韓国周遊旅行(2007年夏)
 次に訪ねたのは世界遺産(2)「石窟庵」。仏国寺、石窟庵共、海抜754mの吐含山中腹に築かれた寺院である。ほぼ同時代(8世紀半ば)に何れも時の宰相、金大城が創建に関わったとされる。中国の石窟寺院に倣ったものだろうが、実際は自然石を形成して人工のドームを築いた後に土をかぶせて自然の洞窟のように見せかけたものである。なぜわざわざそのような造りにしたのだろう?

 内部は四角い空間の「前室」と丸い「主室」に分かれており、奥の主室に本尊仏の釈迦如来像が鎮座し、その本尊仏を守るように菩薩や弟子像、十一面観音像などがあり、前室の彫刻も含めれば計38体のレリーフ(浮き彫り彫刻)が現存している。

 仏国寺エリアの地図

 ”統一新羅の宗教的情熱の結晶”であったはずの石窟庵は時代と共に忘れ去られ(李朝時代は廃仏政策がとられたしね)、20世紀初頭には崩壊寸前であったと言う。日本統治時代に修復工事がなされたが(1913-21)その工事が杜撰であったために今では仏像の本来の位置や石窟の正確な構造を知ることができなくなったと韓国は主張しているらしい(さらに通風も悪くなったという説もある)

 崩壊寸前であったものを救うべく行われたはずが、綿密な保全策を検討する間もなく行われたのだろうか?例えば「絵画」の修復作業は、昔は見てくれ重視の補筆一辺倒だったのが、現在は保全重視の原状回復を目指すものになっている。時代と共に「修復」の概念及び方法論も変わって来ているが、下手にいじると却って劣化を早めてしまう危険性は十分あると言えよう。

 地図を見れば分かるように、仏国寺から石窟庵までは山肌を縫うように蛇行する道路が続く。5月に訪れた六甲山の道を思い出した。道幅もそんなに広くはないので、カーブを曲がるたびに対向車が気になり緊張した。そんな私の不安などお構いなしに運転手は慣れた手つきでハンドルをさばく。仏国寺からは30分ほどで石窟庵に到着。

山門―立派な屋根を支える柱が結構華奢なのに驚く  


写真左:本尊仏、釈迦如来座像。もっと近くからじっくり見たかったな…
右:1930年当時の石窟庵内部(『日本地理風俗体系 朝鮮編上巻』新光社より)
日本による修復後でこの状態だから、修復前はどんな状態だったのか…


 実は石窟庵は今回の旅で最も楽しみにしていた訪問地のひとつだった。新羅仏教美術最高峰の石仏と誉れ高い釈迦如来座像。私は大学での専攻は西洋美術ではあったが、大学の「古美術研究」の授業で仏教美術の宝庫~福井、京都、奈良を訪ね、数多くの仏像を目にした経験がある。以来、仏像にも関心があって寺院や展覧会によく足を運んでいる。特に渡岸寺の『十一面観音像』(国宝)には東博の『仏像展』でも再会したが、その優美な佇まいは何度見ても惚れ惚れする。それだけに石窟庵の石仏への期待も大きかった。

 しかし、石窟庵訪問後の印象はいまひとつ薄い。その理由は慌ただしい旅程であったことと、石窟庵内部が保全のためにガラス越しに、しかも遠目にしか見られなかったからである。感覚的には、混雑した美術館の企画展で流れ作業的に作品を見た、というのに近い。山門から緑深い参道(帰り道リスにも遭遇!)を20分ほど歩き、さらに石段を上ってやっと辿り着いたかと思ったら、ものの数分で見学は終了だったのだ。諸事情で仕方ないとは言え、かなり消化不良な感じだ。
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