年金暮らしの自由人

サブタイトル:自然とお酒と音楽と
私の趣味や出来事を書き込んで行こうと思っています。

私がお奨めする愛聴盤 第55弾(Jazz)

2012年12月26日 19時59分27秒 | JAZZ

181566私が所持しているアルバムの中から第55弾として、入門される方にお奨めする2枚を選びました。
  Heavy Sounds  /  This Is How I Feel About Jazz の順です。

タイトル/アーティスト名 /アルバムデータ /ミニレビュー の順です。

1.  Heavy Sounds / Elvin Jones / Richard Davis (エルヴィンジョーンズ/リチャードデイヴィス) / 1. Raunchy Rita   2. Shiny Stockings   3. M. E.    4. Summertime   5. Elvin's Guitar Blues   6. Here's That Rainy Day  / Bill Green(Piano),  Billy Greene(Piano),  Elvin Jones(Drums),  Elvin Jones(Guitar),  Frank Foster(Sax (Tenor)),  Richard Davis(Bass), 

エルウィンのリーダーアルバムと同時に名ベ-シスト、リチャードデイヴィスのリーダーアルバムで興味深いアルバムです。
タイトル通り、ヘビーウエイト級ともいえる重量感あふれるサウンドです。勿論、内容もグットですよ。モダンジャズ時代の黒人ドラム、黒人ベースの最高に位する、個性溢れる二人が奇跡的に邂逅した作品です。

2.This Is How I Feel About Jazz ( 私の考えるジャズ )  / Quincy Delight Jones    /   1. Walkin'    2. Stockholm Sweetnin'  (05:38)   3. Evening in Paris  (04:06)   4. Sermonette  (05:55)   5. Sleepin' Bee, A  (04:38)    6. Boo's Bloos  (05:12)   7. Dancin' Pants  (03:47)   8. Be My Guest  (04:26)   9. Kings Road Blues  (05:03)    10. Bright Moon  (05:17)   11. Oom Is Blues, The  (05:07)   12. Ballad Medley: What's New/We'll Be Together Again/Time on My Hands/You: What's New / We'll Be Together Again / Time On My Hands / You Go To My Head / Laura  (06:17) /

愛のコリーダで世界的に名声を高めた人で有名ですが、ジャズの世界でも若くして天才ぶりを発揮していました。本アルバムは初期の頃の作品です。有能な若手メンバーの発掘にも才能があり、後に、それぞれの分野で活躍することになります。本アルバムは一流ソロイストを起用し自由に編曲の腕をふるったのは本アルバムが初めての作品です。

 

 

 

 

 

 

 


イギリスの国民的な曲”ボヘミアン・ラプソディ”について

2012年12月19日 17時43分21秒 | ロック

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「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)は、イギリス(正式名はGreat Britainである)のロックバンド「クイーン」が1975年に発表した、アルバム『オペラ座の夜』に収録されていてフレディ・マーキュリー作の楽曲です。また、このアルバムは明確な意味でのプロモーションビデオとしては世界初と言われています。

2002年にはギネスブックを発行しているギネス・ワールド・レコーズ社が31000人以上から取った「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートの結果、「イマジン」(ジョン・レノン)や「ヘイ・ジュード」「イエスタディ」(ビートルズ)を抑えて見事No.1に輝いた。そして、過去100年間で最も国民的な曲として取り上げられた。

その後、2010年現在でも、この曲はビートルズやレッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンなどの楽曲を抑えて、子供からお年寄りまでを対象にNO.1に輝き、最も愛されている曲として親しまれ続けています。

曲の構成は冒頭から順にアカペラから始まりバラード→オペラ→ハードロック→バラードの延長の展開になっています。

初めて、LPに針をおろした時は衝撃的であった。オペラの部分でのハーモニー、エレキギターの音色は当時としては、初めて耳にした音であった。メンバーの各人は何れもイギリス本国で有名な大学を卒業しており、中には学者としても職業で十分可能なメンバーや、それぞれの分野で活躍できるメンバー揃いである事を知らされた。歌詞にしても、ビジュアルにしても、アートにしても他のロックバンドにはない独自のスタイル、サウンドの世界があった。

今は亡き、バンドのリーター的存在のフレディ・マーキュリーは本曲に関しては妥協せずメンバーを説得して、5週間のレコーデング時間を要したと言われている。

当時の日本では、16トラック録音が主体であったが、ボヘミアン・ラプソディは24トラックレコーダーを使用して行われたと言われています。NHK放送のドキュメンタリー「ボヘミアン・ラプソディ殺人事件」では、多重録音を詳しく説明しているが、実際は180トラック以上録音されたとも解説されています。

 

コーラスの部分はフルコーラスになるまでに、何十回も録音を繰り返しボヘミアン・ラプソディが完成されたと記されています。当時の多重録音の技術は現在でも十分活かされています。
現在では、珍しくないが、エレキキダーやエフェクターにしても、独自で設計し、ギターにエフェクターを組み込んだアイディアは当時としては画期的であった。バンドの方向性や数多くの実験を得て独自のサウンドを作り上げたと言えよう。

話は替わるが、私たちの時代はジャズにしても、ロックにしても元気で記憶に残る音楽が多いが、今は記録に残る曲はあるが、記憶に残る曲は数少ない。


ロックギタリストのゲイリー・ムーア死去、58歳

2012年12月04日 21時56分42秒 | ロック

1最近、私の好きなロック・アーチストが逝去する記事が続くが、少し忘れかけてきたのでお知らせします。

私も、LPのアルバムを7~8枚所持していて、好きなギタリストでもあります。
アイリッシュ・タイムズ紙の電子版によると、ムーアは2011年2月6日早朝、スペイン南部エステポナのホテルで亡くなっているのが見つかったと発表されている。死因は不明、58歳だった。

ムーアは、北アイルランドのベルファスト出身であるが、少年時代の北アイルランドは内紛が多く、政治は不安定でドンパチが日常茶飯事でもあり治安が非常に悪かった。少年でも煙草の喫煙、ウイスキーの飲酒は当たり前で銃も所持している光景は、しばらく続いた。日本では想像すらできない

その時代の中で、10歳の頃ギターに興味を持ちテクニックを磨いていった。1969年に16歳でダブリンへ移り、バンド「スキッド・ロウ」に参加。その後、「ヤツらは町へ」などのヒット曲で知られるアイルランドのロックバンド「シン・リジィ」に加わった。後に他のグループに加入、脱退、再加入、スペシャル参加などを経て、1972年にロンドンで自己のバンド「ザ・ゲイリー・ムーア・バンド (The Gary Moore Band) 」を結成する事になる。ロック・ギタリスト期を経て ブルース期→モダン・ミュージック期→再度ブルースに返り、進化していった。

取材での会話では、非常に温厚な性格に感じられるが、ブルースをベースに、コロシアムII時代に培われたジャズ、フュージョンのほかクラシカルなフィーリングも加わり、驚異の速さ、正確さを兼ね備えている。
影響を受けたギタリスト達のスタイルを、そのまま再現できる腕前から“巧すぎるギタリスト”、またマシンガンのようなピッキングによる速弾きから“ギタークレイジー”と形容されていたが、彼の魅力が最も発揮されるのはバラードにおける泣きのギターであろう。

以前、ロート製薬のTV番組で本田美奈子と共演した曲が、私の好きな曲の一つ”パリの散歩道”ででしたので、今でも記憶に残っている。また2008年7月には、有名なモントルー・ジャズ・フェスティバルに参加している。

他に、大韓民国での飛行機爆破事故を取り上げた、VICTIMS OF THE FUTUREやOUT IN THE FIELDS 、STILL GOT THE BLUESなどの曲が印象深い。