年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(キ-ス・ジャレット)について(第26弾)

2019年07月01日 20時44分48秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、6枚程度所持していて、ジャスの楽しさを与えてくれたピアニストです。 その一人であるキ-ス・ジャレットについて簡略的に触れてみます。

キース・ジャレット(Keith Jarrett、1945年5月8日 - )は、アメリカ合衆国のジャズ・クラシックピアニスト、作曲家です。 ジャズ・ピアニストとして広く認識されているが、クラシック等、ジャンルを超えた音楽表現を身上とする。演奏楽器もピアノに とどまらず、ソプラノ・サックス、パーカッション、ハープシコード、リコーダーなど多岐にわたる。メロディーの美しさもさることながら、 中腰の姿勢で、時折うめき声を出しながらピアノを弾く姿が印象的です。2003年にはポーラー賞を受賞。

ニューヨークへ活動拠点を移し、1965年にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーにジョン・ヒックスの後任として加入。 メッセンジャーズのアルバム『バターコーン・レディ』がレコード・デビュー作となった。わずか2ヶ月あまりのメッセンジャーズ時代の後、 翌年にはチャールス・ロイドのカルテットに参加し、ジャック・ディジョネットとともに注目される。在籍中に発表されたロイドのアルバム 『フォレスト・フラワー』は、60年代後期のジャズの作品としては最もヒットしたものの一つである。1967年には後のアメリカン・カルテット でも共演するポール・モチアン、チャーリー・ヘイデンの2人を擁したトリオで初リーダー作『人生の二つの扉』をアトランティック・ レコード傘下のVortexより発表している。ロイドのカルテットには1968年頃まで在籍。

その後、1970年、マイルス・デイヴィスのバンドに参加。当時のマイルスは発表したばかりの『ビッチェズ・ブリュー』のようなエレクトリック なサウンドを経験し、入団後はその考えも変わった。またチック・コリアとのツイン・キーボード制のなかで、主にオルガンを演奏を経験している。

70年代においては、ピアノ・ソロでの活動と並行して2つのバンドを率いた。1971年には以前から活動していたチャーリー・ヘイデン、 ポール・モチアンとのトリオにサックスのデューイ・レッドマンを加えた通称「アメリカン・カルテット」を結成。カルテットの音楽には 、オーネット・コールマンとの共演歴があったレッドマン、ヘイデンによるフリージャズの要素や、ゲストとしてパーカッショニストの ギレルメ・フランコやアイアート・モレイラらがしばしばバンドに参加したことからエキゾチックな民族音楽の要素も見られた。 1970年代以降から現在まで30年以上に渡ってECMより作品を発表し続けることになる。

数多いアルバムを残しているが、代表作として、ザ・ケルン・コンサート 、メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー、生と死の幻想 、 スタンダーズvol.1などがある。『  ウィキペディア フリー百科事典抜粋による)