年金暮らしの自由人

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ロックギタリストのゲイリー・ムーア死去、58歳

2012年12月04日 21時56分42秒 | ロック

1最近、私の好きなロック・アーチストが逝去する記事が続くが、少し忘れかけてきたのでお知らせします。

私も、LPのアルバムを7~8枚所持していて、好きなギタリストでもあります。
アイリッシュ・タイムズ紙の電子版によると、ムーアは2011年2月6日早朝、スペイン南部エステポナのホテルで亡くなっているのが見つかったと発表されている。死因は不明、58歳だった。

ムーアは、北アイルランドのベルファスト出身であるが、少年時代の北アイルランドは内紛が多く、政治は不安定でドンパチが日常茶飯事でもあり治安が非常に悪かった。少年でも煙草の喫煙、ウイスキーの飲酒は当たり前で銃も所持している光景は、しばらく続いた。日本では想像すらできない

その時代の中で、10歳の頃ギターに興味を持ちテクニックを磨いていった。1969年に16歳でダブリンへ移り、バンド「スキッド・ロウ」に参加。その後、「ヤツらは町へ」などのヒット曲で知られるアイルランドのロックバンド「シン・リジィ」に加わった。後に他のグループに加入、脱退、再加入、スペシャル参加などを経て、1972年にロンドンで自己のバンド「ザ・ゲイリー・ムーア・バンド (The Gary Moore Band) 」を結成する事になる。ロック・ギタリスト期を経て ブルース期→モダン・ミュージック期→再度ブルースに返り、進化していった。

取材での会話では、非常に温厚な性格に感じられるが、ブルースをベースに、コロシアムII時代に培われたジャズ、フュージョンのほかクラシカルなフィーリングも加わり、驚異の速さ、正確さを兼ね備えている。
影響を受けたギタリスト達のスタイルを、そのまま再現できる腕前から“巧すぎるギタリスト”、またマシンガンのようなピッキングによる速弾きから“ギタークレイジー”と形容されていたが、彼の魅力が最も発揮されるのはバラードにおける泣きのギターであろう。

以前、ロート製薬のTV番組で本田美奈子と共演した曲が、私の好きな曲の一つ”パリの散歩道”ででしたので、今でも記憶に残っている。また2008年7月には、有名なモントルー・ジャズ・フェスティバルに参加している。

他に、大韓民国での飛行機爆破事故を取り上げた、VICTIMS OF THE FUTUREやOUT IN THE FIELDS 、STILL GOT THE BLUESなどの曲が印象深い。