今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

対談 コミック10年選手(フランキー堺 楠トシエ)

2007-02-09 17:38:43 | 昭和の名歌手たち


フ=フランキー
楠=楠トシエ

週刊明星(昭和36年11月12日号)
対談 コミック10年選手 フランキー堺・楠トシエ

水のんでリサイタル
フ:この間の、あなたのリサイタル。大成功でおめでとう。
楠:ありがとうございます。前の晩には、とうとう一睡もしなかったわ。
フ:どうして?
楠:ミュージカルの稽古で徹夜になっちゃったの。では本番いきましょうってのが、開演十五分前。「もうお客さん入ってますよ、早くしてください」なんて・・・(笑)
ですから、ごはんも食べずに、水を舞台のそでへおいといて、ハイ、つぎ、ハイ、なに、つぎ・・・・・・。頭もクシャクシャだけど、とにかく出りゃいいんだからって、それでやっちゃった。
フ:そんなだったの。たいへんだったなァ。
楠:水だけで一日もたせちゃったけど、人間て、意外ともつのね(笑)
フ:好評だったんでほんとよかった。
楠:まるでお子さまの集まり、会場のアナウンスが、「トイレは、廊下をつき当ってどちら・・・」なんてのばかり(笑)
でも満員で二千六百人の客席がぎっしり・・・・・・。切符が足りなかったんだから、嬉しかったわ。
フ:それは感激だよな。ところでビン(楠トシエのニックネーム)ちゃんは、もう何年になる?
楠:十年だわ。
フ:そうかおたがい、十年になるかね。ぼくがドラムをはじめたのが十八。そして映画を最初にとったのが昭和二十八年ですから・・・ね。
楠:もう、すごく撮ったでしょう?
フ:七十本くらいかな?
楠:七十本。じゃあ何から何でも分かっちゃうでしょう。自分が主役やってると、気持ちいいだろうな。そんなのやってみたいわ、チキショー(笑)
でも、あっという間ね、十年なんて・・・・・・。
そのわりに、苦しかったことは思い出せない。楽しかったことやうれしかったことばかり。人間がおめでたいせいかしら(笑)
フ:おたがいにね(笑)

ラッキーボーイ
楠:あたし、フランキーさんをはじめてみたときは、太鼓たたきながら、途中で「セ・シ・ボーン・・・・・・」なんてやってたわ。それがとても面白くって・・・・・・。
フ:とにかく、卒業試験の最中の日劇のステージに出てましたからね。昭和二十八年ですよ。
楠:へー、学校では、何やってたの?
フ:法学部。
楠:ホーガク?ヒエーッ(笑)間違わないでいったら、いまごろ何になってたかしら?
フ:だいぶ、ホーガク(方角)がちがっちゃったからね。ハハハ・・・・・・
楠:学校とお仕事じゃ大変でしょう。
フ:そのころから、カケモチやってた。試験と日劇のカケモチ(笑)
午前中に試験うけて、午後はステージで太鼓たたいてる。そして夜は試験勉強・・・・と使いわけてた。
楠:アルバイトとしても最高よね・
フ:そうだな、いちばん最初は学生の手慰みみたいだったけど、ゲイ・スターズに入ったとたんに、三万円の給料だから・・・・・・
楠:アーラ、すごいじゃない。
フ:それは基本の給料だから、ステージへ出ると、分けまえがつく。
楠:一流のバンドへ入ったから、幸せなのよ。あたしなんか、日劇へ出たとき、八百円だもの、日給が・・・・・・。憎いわね、まったく(笑)
フ:税務署のかた、いないでしょうね、ここには(笑)
そういう点ではたしかに恵まれていたね、ぼくは・・・・・。
楠:ドラムはいつから?
フ:その前、学校の演劇部にいたんですよ。十八ぐらいのとき。そのころ、芦原英了さんがやっている『白鳥の湖』の第一回公演に出たんだ。
楠:(スットン狂な声で)ハクチョー・・・(笑)
何やったのオ?
フ:お盆もって、赤いカツラつけて・・・・・・。廷臣ってわけさ、小牧さんと貝谷さんが合同でやったでしょう。
楠:あれ、見に行ったわ。
フ:ワルツやって、踊って疲れて、お酒でも飲もうってんで、パッパと呼びにくると、出ていくのが、あたし(笑)
[すましてお盆を捧げて、踊りながら近づくゼスチャーに、爆笑]
楠:それ、フィルムに撮っときたかったわねえ。
フ:ちょうどそのころ、友だちと、何となくドラムを叩いてみようかというんで、はじめちゃったのが、そもそも・・・・・・なんだ。
楠:それが、そもそも・・・・・・だから、ツイてたのね。
フ:たしかに、ラッキー・ボーイだったかもしれない。二十六年に卒業して、その翌年には『世界大戦争』を撮った松原宗恵監督が、いきなりぼくを主役にしてくれた。『青春ジャズ娘』・・・・・チエミちゃんと一緒ですよ。
楠:そして、いい奥さんをもらっちゃうし・・・・・・。確かにラッキーだわ(笑)

長女はワリが悪い
フ:おたくは、ムーランが最初でしたね。
楠:それがひどいものよ、あのころは。私なんか気が短いから、しょっちゅう、ケンカしてた。剣劇とストリップだから、アタマへきてたのよ。なにしろ「専門は?」と聞かれると「クラシックです、シューベルト」なんていってたときだから(笑)
フ:その前は何を。
楠:あたし、のど自慢学校の先生してたの・
フ:こりゃいいや(笑)
楠:ラジオの『のど自慢』が人気があったから、学校もはやっちゃってね。四百人くらい生徒がいたわ。そこの学校の先生が家に下宿してたもんだから、その先生の助手になったのが最初よ。
フ:ゴキゲンだね。
楠:なにせ、生徒は年上か同い年の人が多いから、遊ぶほうが多いわけ。だけど、だんだん、こんなことをやっていてもうだつが上がらないと思い出してね。
ところが、その年のクリスマス・イヴの日にボーナスと給料をぜんぶ、持ち逃げされちゃったのよ。泣くにも泣けないし、「チクショー、自分が舞台でうたったほうがいいや」と思って、ツテをさがしてムーランへ行ったのよ。
フ:学生にファンが多かったものね、あのころのムーランは。
楠:ちょうど訪ねて行った日に、歌い手が胃ケイレンかなにかで倒れちゃったのよ。そこで「あんた、なにが歌える?」「あたし、シューベルト」(笑)
フ:困ったろう、向うは・・・・・・。
楠:でも、なんかやれるだろうっていうから、『ヘイヘイ・ブギ』と『水色のワルツ』をピアノに合わせてやったら「イケるイケる」というので、そのまま寄ってたかって、タヌキみたいなお化粧されて(笑)、さっそく舞台へ出されちゃった。
フ:いつごろ?
楠:二十五年の五月だったわ。ところが間もなくポシャっちゃって、浅草へ流れて花月劇場。そこもポシャっちゃって、NHKのユーモア劇場に拾われたの。そのころ三木(鶏郎)さんと知り合って、あとずうっと因縁があるわけよ。
フ:日曜娯楽版がうけてたね。
楠:あのころ、はじめてほんとのコミック・ソングというものを知ったわ。そして、今度はコマーシャル・ソングでしょ。
フ:そういうものがやれるってことは、しっかりとした技術をもってるからですよ。勉強はどのようにやったの?
楠:独学よ。学校の先生は音楽学校へ行ったら・・・・・っていってくれたけど、あたしは洋服屋の娘でしょ。親が許してくれないのよ。お勤めして、お金を家へ入れろ・・・・・・ってわけ、けっきょく泣きの涙で、一晩バタバタやって、音楽学校へ行きたいって騒いだけれどやっぱりダメ。五人兄妹の長女だから諦めちゃった。
フ:そう、長女なの。ぼくも長男だ。
楠:わりがわるいわ、長女って(笑)

肌の感じが・・・・・・
フ:しかし、コマーシャル・ソングが当たるってことは、たいへんなことだよ。ちっちゃな赤ん坊みたいな子が、回らぬ舌で歌ってるもの。
楠:けっしていい加減には歌えないですね。
フ:あなたの聞いてると、ほんとは一生懸命なんだが、その一生懸命らしさが、やたら表へ出ていない。あのおおらかな感じって、いいですよ。すごくチャーミングだな。
楠:はじめは、コマ・ソンなんて、ちゃんとした歌い手がやるもんじゃない・・・・・なんて思っていましたけど、やってみれば大変なの。
フ:コマーシャル・ソングというのは、一種のコントですよ。長く書けば一篇のドラマになる内容を、短くたたみこむとコントになるように、コマーシャル・ソングも、内容をもっている。しかも同じ歌が、歌い手によってガラッと変わっちゃうんだ。あれは、人(にん)によるもんですよ、楠さんの人(にん)が、コマーシャル・ソングを当てさせたんだ。
楠:やっぱりヒットすると嬉しいわ、ひょっとすると、コマーシャル・ソングのおかげで、来年、外国へ行かないかって話がでてるの。
フ:そりゃいい。はじめて?
楠:あたしって、外国はぜんぜん。地方へもあまり行かないんです。ほとんど東京ばかりだから・・・・・・。行くときは、仕事を離れて遊んできたいわ。
フ:それがいいよ、ぜったい。
楠:フランキーさんなんか、モテるでしょう、あちらで・・・・・
フ:モテない、モテない(笑)
何しろ、「きみは、もっともティピカル(典型的)日本人である」なんていわれたもの。典型的な日本人の顔らしいな。目は吊り上ってるし、四角い顔して、鼻がアグラかいてから(笑)
楠:あたしなんか、どうかしら?
フ:アノネ(と、調子をつけて)あなたは、ブルターニュ、フランスの・・・。
楠:あら、フランス・・・・・・
フ:うん、肌の感じなんか・・・
楠:(派手に)ギャアーッ(悲鳴を上げ)だめよォ(笑)
フ:肌にさわったことはないけどさ(笑)、フランスのブルターニュ地方の女の子の感じ。可愛い感じだ、ホント・・・
楠:きょうは、いったい何の日。こんなこといわれたの、初めてだわ(笑)

お互いが愛し合って
フ:こんど、『南の島に雪が降る』と『世界大戦争』を撮り終ってから、ドイツで合作テレビを作ってきたけれど、いま世界の焦点になってる西ベルリンであちらの青年と話してみると、つきつめたところは、実に簡単なことなっちゃうんだよね。つまり、まず隣の人を愛していこう、ということなんだ、それ以外に世界の平和を保つ道はない。
そうして日本へ帰ってきてから『世界大戦争』を見たんですが、この仕事をさせてもらった意義を、しみじみと感じましたね。
ぼくたちが、今、いちばんやらなくてはならないことは、お互いが愛し合って、平和のために大きく叫ぶ・・・・・・こういうことを、もっと積極的にやらなければいけないってことですね。
楠:そうだわ、ほんとね。
フ:これからも、そういうテーマを、ぼくは一貫して仕事の上で表していきたいね。
楠:いったい、こんど戦争が起ったらどうなるんでしょう。逃げるったって逃げられないでしょうね。
フ:とにかく、みんなと一緒にいたいよ、一人でも多くの仲間と・・・。
どうせ死ぬなら、こういうふうに(手を大きく広げて肩を組むポーズ)みんな一緒に・・・・・・さ。
楠:一人ぼっちじゃ淋しいわ。このまえの戦争のときも、空襲なんかひどいとき、いつ死ぬか分からないと思って、肌着だけは、ぜったいにきれいにしていたわ。モンペはいて、真っ黒けな顔してたけど。
フ:そういうとき、いちばん考えることは、せっかく、いろんな仕事をやってきたのに、これがぜんぶ灰になるのかな、ということだね、おれが死んだあと、惜しいことをしたなと考えてくれる人が、ひとりもいなくなるなんて淋しいからな。
楠:それにつけても恋人がほしいな。恋人もなるべく多勢いたほうが、にぎやかでいいでしょうから・・・・・・(笑)

楠ビンちゃんの経歴はあまりよくわかっていないので、興味深かったです。
よくムーラン入りは24年と見かけますが、ここでは25年5月とハッキリ行ってますし。
浅草にもいたことがあるというのも初耳、のど自慢の先生というも・・・。


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