はるのほっぺ

備忘録です。仕事柄、政治の話題が中心です。

政治家の姿6「逢沢一郎」

2006年01月29日 | 政治
今日から通常国会という言葉を省きます。

イラクにおける日本人人質事件で、現地に飛んで陣頭指揮をした外務副大臣逢沢一郎。
TVを見ていてチンパンジーに似ているなぁ、というのが第一印象の方も多いでしょうね。
詳しいプロフィールはこちらをご覧下さい。

NHKの日曜討論に自民党幹事長代理として出演していました。
いや、なかなか説明が上手でした。
江田五月のときに菅源太郎のことを書きましたが、この逢沢一郎が岡山1区の自民党代議士です。
驚くのは、三代目の代議士の割にあまり世間では騒がれていないこと。
祖父の逢沢寛、父の逢沢英雄も衆議院議員を務めていますが、地元では有名でも全国区ではないようです。
また、松下政経塾出身者では最初の国会議員ですが、世襲であることとその当時の政経塾の知名度の低さもあって注目もされませんでした。
うーん、つくづく地味であります。

父親の逢沢英雄は、
岡山青年会議所理事長、岡山商工会議所副会頭を経て、昭和51年(1976年)の総選挙に岡山1区(当時)から立候補し当選しています。
以後当選通算3回。残念ながら昭和58年(1983年)に落選してしまいました。
その3年後、息子である一郎の出番になります。
総選挙(衆参同日選挙)で郷里の岡山1区(旧)から、自民党公認で立候補し当選します。
以後、連続7回当選。
自民党では宏池会に所属。
父親の影響か、商工族議員としての経歴を積んでいます。そして衆議院外務委員長に就任し、外交政策にも幅を拡げ、2003年に外務副大臣になります。
この外務副大臣のときに、イラク戦争など靖国問題などで政治家として一皮むけたと言われています。
昨年の内閣改造時に、もしかして閣僚になるかもしれないと思っていました。
理由は慶応出身だからという簡単な発想。また以外と党務をしていないなぁという印象もありました。結局、自民党幹事等代理を務めることになりました。
現在、党務で汗をか来ながら人垂らしを覚えたら、中川秀直のような存在に化けてくるかもしれません。
派閥はパッとしませんが、これからは人物で登用されるケースの方が多くなるはずです。
自民党を担う一人であることは確かです。

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