はるのほっぺ

備忘録です。仕事柄、政治の話題が中心です。

第164通常国会・政治家の姿2「江田五月」

2006年01月24日 | 政治
今日は、参院本会議で代表質問が行われました。
民主党からは江田五月参院会長。
民主党の参院は連合組織内候補が多数いて「関東軍」と呼ばれているそうです。
官公労依存体制を見直すと前原代表が言ったことで、大騒ぎした面々です。
そして取り上げた江田五月は元社民連代表。
現在、副議長へと祭り上げられた横路孝弘とは学生運動仲間。
旧社会党の横路グループは小沢一郎との連携で息を吹き替えそうと躍起になっています。
ちょうど前回の参院選の時、仕事で岡山に主張していました。
会議の最中に、選挙カーがやってきて「江田五月」の大連呼。会議が何度も中断してしまいました。自分が話しているときに、腰を折られたのでよけいに印象深いのかもしれません。
昨年出版された「自民党を壊した男」(新潮社)114Pにおもしろいエピソードが載っていたので紹介します。ちょっと長くなりますがお許し下さい。

60年安保当時に結成された学生運動組織「日本社会主義青年同盟」(社青同)のOB会が2004年3月10日夜、東京・新宿の農協会館で開かれた。
横路孝弘は会場で懐かしい顔を見つけた。学生時代に共に活動した民主党の倉持和朗・板橋区議だ。2人はこの時、共に63歳。横路は会の途中で、倉持を新宿南口の居酒屋に誘った。
「今日は江田君が来ていなかったな」
元社民連代表で、現在は民主党の江田五月参院議員のことだ。横路はつぶやいた。
「江田君は今は憲法改正論だからな。おれも少数派だよ。」

そう江田参院は憲法改正論に転じてしまっています。この件は本人の決断ですからいいのでしょうが、どうしても時流に乗ろうとしている感が否めません。
そう思うのは、前々回の総選挙の時、岡山1区に菅直人のせがれ菅源太郎が立候補したことから来ています。
もともと源太郎は大阪高槻市の代議士(比例当選)秘書をしていたのですが、辻元清美の辞職にともなう補選に出馬したかったようです。もちろん菅パパ・ママも大賛成。そこに横やりを入れたのが○○元代議士。結局、高槻から追い出してしまいました。
そんな源太郎くんを温かく迎入れたのが江田五月だからです。
横路孝弘の言った『江田君は今は憲法改正論だからな。』は、非常に意味深であると思っています。

お楽しみ頂けましたか。よかったらクリックをお願いします。励みになります。





道義的責任論

2006年01月24日 | 政治
事件と選挙応援は別問題 堀江容疑者逮捕で首相 (共同通信) - goo ニュース
事件と選挙応援は別と言い切りましたね、小泉首相は。
自民党執行部内も「公認はしていない」という理屈だけで、ホッと胸を撫で下ろしているでしょう。
昨年、解散直後にある方とお会いしました。小一時間ほどでしたが、示唆に富むお話でした。
その方は政界を引退し息子さんに代替わりしていますが、元国務大臣経験者です。
解散総選挙に関して、「人気投票」を行う訳ではないということを力説されていました。たしか「刺客・くの一」と騒がれていたときです。
政治家を志そうとするのと政治を利用しようとするのでは、大きな差があるということもおっしゃっていた記憶があります。
自民党がツケを払うときが必ずくると言明していました。
結果は自民党の大勝でしたが、TVで開票速報を見ながら“ツケを払うとき”は次の選挙だろうな、と思っていました。
しかし半年経たないうちに、耐震偽装問題、ライブドアショックと立て続けに与党への激震が走りました。
偽装問題に関してはのらりくらり逃げてきましたが、ホリエモンは突発的。
報道関係者の間では、地検の捜査が噂にはあったようですが、おそらく官邸が正確な情報をつかみ切れていなかったのでしょう。
これは検察庁からの秘密が漏れなかったことを褒めてあげるべきでしょうか。そしてライブドアが繰り返していた企業買収などへ社会的責任を問おうとする、確固たる意志が現れている証左とも考えられます。
だいぶ脱線してしまいましたが、確かに事件と選挙応援は切り離してもいいでしょう。
しかしホリエモンに飛びつこうとした自民党の責任は重たいです。人間のすべてを調査することまではできないとも首相はコメントしましたが、あまりにお粗末すぎます。
これからの国のかたちを決めていく政治家の人たちが、道義的責任を感ずることがないようではお先真っ暗です。
素直に責任を感じて対応策を真剣に練り上げた方が、得策だと個人的には思っています。
失敗を責めるよりなぜその失敗が起こったのかを分析してほしいですよね。

読んでくれてありがとうございます。ボタンをクリック!励みになります。