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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

個人情報保護法の壁

2012年12月11日 | Weblog
今回のデリー滞在では、unita・デリー大学教授にお会いできなかった。夏頃から、何度もメールしているが、まるで返事はないし、電話も通じない。病気ではないかと心配しているが、人を介して聞くと、病気は治ったと言う。どうなっているのやら。というのも、以前、私の次の就職口に言及していたから、期待していたのだ。
デリーでは、大使館の枝一等書記官にお会いできたのが、良かった。
日本語を学んでいる学生の日本企業就職の可能性について聞くためにお会いしたのだが、私自身の仕事についても、ご考慮をいただいているからだ。
ひょっとして、ひょうたんから駒かもしれない。
それと、NHKに問い合わせていた『竹取物語』ウルドゥー語訳の校正をして下さった元NHK WORLD ウルドゥー語放送のアナウンサー、ザーヒル・シャー・アーフリディー氏の連絡先が、氏からのメールで分かったので、ホッとしている。この本を送りたかったからだ。
なかなか、NHKから返事をもらえなかったのは、個人情報保護法に引っかかるから、教えられなかったが、ご本人がメールしてくるのは構わないということらしい。中々面倒な法律である。

風邪気味に

2012年12月10日 | Weblog
デリーが寒かったせいか、風邪気味になって戻り、昨日、食料の買い出しにオートでバーザールを廻って来たら、疲れが出て、今朝は熱が出ている症状。熱っぽい上に身体の節々が痛い。
デリー迄、往復2000キロを急行列車で往復するだけでも疲れるのに、帰りは、ほぼ定刻の18:45に発車したものの、セーワーグラーム駅には1時間半遅れの翌8日15:10到着であった。片道だけで20時間以上かかっている計算だ。しかも、揺れが激しく、パソコンを机において打っていると、パソコンがどんどん滑って行く。しかし、このくらいの揺れはまだ良いほうで、シャタブディー、ラージダーニー等の特急になると、脱線するのではないかと思うほどに揺れる。慣れたとは言っても、70歳の身にはこたえているのかもしれない。数年来の懸案であるウルドゥー語訳『竹取物語』を出版できるようになったから、まだこれでも良いが、いやな仕事だったらもっと疲れたであろう。




インドは今、インフレ

2012年12月09日 | Weblog
インドは今、インフレで都会の物価が上がっている。このワルダでも、毎日配達されている牛乳1リットル25ルピーが、11月から27ルピーに値上げされた。
一昨日ニューデリーから乗った汽車でチャーエを注文したら、7ルピー(約12円)取られた。この数年5ルピーだったのが、昨日から値上げされたと言う。コーヒーも同じ7ルピーである。コーヒーもいずれ値上げされるであろう。
昨日セーワーグラーム駅から宿舎迄乗ったオートは、いつも130ルピーだったのが、140ルピーになった。
帰途買った卵は、12個で54ルピーとまだ安かった。


ニューデリー駅の三番線には、ムスリムのためのマスジッドがある

2012年12月08日 | Weblog
昨日、宿のあけ渡しが12時までなので、一応、部屋を空けて、ロビーでネットをやりながら、時間を過ごした。15時に汽車の席が取れると言われ、待ったが、さっぱりなので、催促したら、心配するな、100%大丈夫取れる、と言われた。
『竹取物語』ウルドゥー語訳の校正刷りが16時に出ると言われているので、インドのことだから、遅れるかもしれないと思い、14:30に電話したら、もう出ているから来るようにと言われた。汽車の切符が中々入手できないほうが当たり前なのに、予定より早くゲラが出ているなどインドではありえないことであり、折角だから、もう出かけるからと、早く行くため、予約を早く確保してくれるように言った。しかし、15:30にならないと分からないと言う。なぜぎりぎりまで引っ張るのか、昨日は今日の11時までに分かるといったじゃないか、私はもう出かけなければならない、予約の確保に一体いくらかかるのかと聞くと、最初は、500ルピーといい、まだ出来ていないではないかと言うと、300ルピーで良いと言う。出来てもいないのに金を払えない、いや、100%大丈夫だ、自分たちホテル業者用の席確保の別枠があるのだと、ネット上で、その席があと4席あるのを見せてくれた。汽車の乗客名簿を作る、15:30に席が貰えることになっている、いや、席が貰えたら払うと、やり取りし、結局、200ルピーをホテルの係に渡して、オートで印刷屋ゴンダールス・プレスに向かった。ゴンダールス・プレスは先日もそうであったが、表は施錠したままで、今、裁判沙汰になっていて、表は開けられないから、裏から入ってくれと言われた。会社が潰れるような裁判沙汰なのかと心配であったが、ゲラは良く出来ていて、しかも、製本までしてあったので、こんな仕事の速いことはインドではありえないことだから信用できると思い、校正刷りを丹念に見て、直しを指示して、辞去した。
校正中に、ホテルから電話で、席が取れ、番号はHA一等のA室だと言われた。
なんだかんだと時間が経ってしまったので、16:00という遅い昼食を隣りの南インド料理の店、サラヴァナで摂り、菜食のターリーと南インドコーヒーを食した。この店は、美味しい。
18:40発まではまだ時間が相当あるので、地下鉄のラージヴ・チョーク駅まで重い荷物を背負ってゆっくり歩き、ひと駅だけ乗って降り、国鉄ニューデリー駅のホームで1時間半ぼど待った。
汽車が入線したので、席を探してホームを歩いていると、「マスジッドを探しているのか」と、ムスリムの男に聞かれ、いや、と応えたが、「マスジッドは、そこだ」と教えてくれた。私が彼と同じようなムスリム風のあご髭を生やしているので、私のことを、ムスリムと思ったらしい。ニューデリー駅の三番線には、ムスリムのために、マスジッドがあり、18:00で、夕方のお祈りの時間のため、狭い祈祷所から溢れるほどのムスリム達が、お祈りを始めるところだった。

帰国が躊躇われる日本の現状

2012年12月07日 | Weblog
昨日、クラレにその迎車で行く時に、ホテル受付で今日の帰りの汽車の予約は確保できた、席番号は明朝11:00に、分かると言われた。しかし、今朝、ネットで見てみると、相変わらず、席待ち1番である。どうなっているのか。心配だ。ホテル・ローマ・デラックスよ、頑張ってくれよな。と言いたくなる。、クラレ・インディアの設立を手伝うように紹介したヴァルマーさんもクラレに来てもらって会い、旧交を温めた。彼は私の今の日本語教師にするのにも尽力してくれたので、私の現状を説明して、出来れば、台所のある大学に移りたいと言ったら、元々、日本語教師だった訳ではない私が、インドの大学に就職するには規定に則さなかったのを規定を変えて雇ってくれたのだから、移りたいなら、移籍先が確保されてから移るようにと助言された。
今、日本に帰っても、放射能汚染は全く改善されていなくて、杉花粉などに高濃度の汚染があるということが、最近の情報で分かったので、帰国がためらわれている。私もいつからか、杉花粉に悩まされるようになっているので、それを吸うと、肺にも悪いのではあるまいか。帰るにしても杉花粉が終わった時期ということになる。
クラレの隣りのシェラトンホテルで昼食をご馳走になり、日本大使館の文化、教育担当の枝氏に電話して、面会を取り付けて、16:00過ぎに行って、私の日本語授業の学生の就職先が日本企業にありそうか、聞いて、そこから、ヴァルマーさんの法律事務所に行って車をクラレに返した。
ヴァルマーさんは、急に呼ばれたと社会改善運動をしているパータクさんのところに行っていて、そこに私も呼んで紹介してくれた。中々の人物であることが、その物腰で分かる。
そこから、デリー北部の結構式場に連れて行かれ、お知り合いの結婚式に私も出席して、ご馳走になり、ホテルの近くまで車で送ってもらい、別れた。

西本氏に日系企業のありかなどを教えられる

2012年12月06日 | Weblog
日系企業について、大使館の枝氏に教えてもらおうと、デリーの日本大使館のウェブを見たら、大使館が日系企業について調べて載せていた。
1.全インドにおける日系企業の数は、926社。これは昨年の812社と比較し114社の増加(14.0%
2.全インドにおける日系企業の拠点数の合計は1804拠点。昨年の1422拠点と比較し、382拠点の増
加(26.8%増)。
私が、教えている日本語の学生にナーグプル大学で薬学を学んでいて、日系製薬会社で働きたいというのが数名いるので、ワルダから近いところで見ると、ハイデラバードのエーザイと、ムンバイの第一三共との合弁会社ラームバクシーがあることが分かった。
日系企業支援窓口というのもあることが分かったので、そこに連絡してみることにした。
こういうことが分かったのも、人間関係である。ボート部の大先輩吉島重秋氏から、日商インド所長の西本達生氏をご紹介いただいたお陰だ。
デリーゴルフ場は、日本人のたまり場になっているようで、西本氏からやはり数人の日本人と来ていたNECの小田氏を紹介され、外語ボート部の話しで、NECの上司で西沢氏がいると言われ、私が、ボート部時代親しくした後輩であることを話した。また、ウルドゥー語のボート部出身で小室氏も知っているというので、彼も私のウルドゥー語とボート部の後輩であると話し、ほんのわずかな立ち話なのに、親しみが増した。
西本氏にバーラカンバ通りまで送っていただき、別れた。デリーは地下鉄工事などで、埃だらけであり、靴が汚れたので、靴磨きの求めるままに磨かせたら、最初10ルピーと言っていたのが、白い光沢を出す墨を塗ったから、110ルピーと言われ、仕方なく、20ルピーを払ってやった。
それでも国際交流基金に電話する昼過ぎの時間まで間があるので、コンノートプレースの公園で、求められるまま、耳かきをさせた。最初見るだけ只、次に250ルピーと言われたが、50ルピーなら良いと言って耳かきをさせたら、おおかた取ってから、大きなのがあるが、これは、手術をしなければ取れない、手術には1000ルピー以上掛かるが、自分の薬でこれをほぐして取ってやると言って、耳に溶液を入れて、これが取れたと言ってみせられたのは、小指の半分大である。反対の耳も取ってやる併せて250ルピーだと言うが、断った。そんな大きなのが取れたら、耳を通る時に傷みかなにかあるはずである。恐らく、手品であろう。

ホテルで帰りの切符の確保をしてくれるという

2012年12月05日 | Weblog
アラカシャン通りのホテルは、どこもワイファイでネットが出来る。デリーからの帰りの、2等寝台列車が席待ち一番のままいまだに取れていないことがネットで分かった。朝ホテルの受付で相談すると、明日までに取ってやると言われた。もし取れなければ、明朝、前日発売の即売切符を買わなければならないが、それは相当並ぶことを覚悟しなければならない。一応、安心して11:45予約の日本商工会議所に行った。ニューデリー駅から地下鉄に乗るつもりでいたが、ニューデリー駅を跨ぐだけでも相当歩くし、乗り換えも面倒なので、ホテルの前でオートがいくらか聞いたら、60ルピーだというから、オートで行ったら、30分前に着いてしまった。事務所のあるニルギリ・アパートの前で国際交流基金に電話して時間を潰したが、昨日同様、会議で出られないと言うので、午後にまた、電話することにした。西本達生氏は、会議中だったが、直ぐ終わらせてデリーゴルフ場に案内してくれた。オベロイホテルの隣りのゴルフ場は以前からどんなところか知りたかったので、初めて入ると、立派な建物で、庭での昼食も中々美味しく、魚と鶏の料理をご馳走された。この会員権は、三年間で、12,000ドルと高く、毎月も200ドル掛かると言う。しかし高級感は相当ある。西本氏は『竹取物語』はよく知らないというので、丁度持っていた、私が訳した現代日本語・ヒンディー語訳『竹取物語』を差し上げた。
大使館と共同で日本語を習ったインド人を雇用するかどうかというアンケートを取ったのは、大使館側は文部省から出向している枝氏だと教えていただいた。ハイデラバードに日本の製薬会社が来ているとも教えられた。

『竹取物語』のウルドゥー語訳の印刷を依頼

2012年12月04日 | Weblog
早朝7:10頃ニューデリー駅にほぼ時刻どおり着いた。
パハールガンジは駅から歩いて直ぐで、ザックにパソコンなど入ってかなり重いが、アラクシャン通りのHOTEL ROMA DLX に迷わず行けた。
あらかじめ、ネットで場所を確認しておいたのが良かった。
12:00チェックイン、チェックアウトであるが、三泊もするので、負けてもらって、早朝から入室できた。一泊日本円で、1000円足らずである。しかし、部屋はきれいだし、インド東北部のアッサームやインパールのように安かろう、お湯は出ずではなく、ちゃんとお湯も出るし、ネットも出来る。
デリーの朝は寒く、同室の同年齢の紳士にセーターは持って来たかと聞かれるくらいであるが、セーターの替わりに、シャトーシュを持って来たので、それで事足りた。
コンノート・プレースのP12にあるゴンダールス・プレス・インディアに10:00に来るようにいわれていたが、ホテルでネットをしていて遅くなり、あわててオートでちょっと過ぎに着いたが、まだ開いていなかった。15分くらい過ぎても誰も来ないので、電話してみたりしても出ず、隣りの店主に聞くと、戸を叩けと言うので、叩いたら、中から鍵を開けてくれ、中では既に社員達が働いていた。
『竹取物語』のウルドゥー語訳を本にするのに、4色ページ16、1色ページ32で4色ハードカバーの250部作ることにして申し込んでいたが、やく39,000ルピーと言われていたのを、私の給与が30,000ルピーしかないから、200部で30,000ルピーに負けてくれというと、すんなりと、30,000ルピー+税約1,500に負けてくれた。嬉しくなって、10,000ルピーを前金で払い、4日の夕方、見本を見せてもらうことにし、その時までに、次の『登米物語』のヒンディー語訳も校正しておいてくれるように依頼した。これの校正が出来れば、次の本も年内に印刷を依頼して出版出来ることになる。
バールティー教授に12月1日まで出版出来るよう校正を頼んだが、そちらには、先日食堂で印税は払えないことを通達した。しかも5分の3出来たというのは、彼の例の嘘ではないかと思うので、既に、締め切りを過ぎているから、私独自に出版することにした。

日本商工会議所のデリー支所長と面会を予定

2012年12月03日 | Weblog
デリーでは、初日は、印刷所との打ち合わせ、翌日は、日本商工会議所のデリー支所長と面会を予定している。この方は、私の学生時代のボート部の大先輩、吉島重秋氏から昨年ご紹介いただいた。しかし、折角のご紹介にも関わらず、デリーに行くことが少なく、お会いできなかったが、今回、三泊するので、ご都合付けていただけた。
私が教えている日本語科の学生の中に、日本企業に勤めたいと言う学生がいるので、その可能性などを伺おうと思っている。

『竹取物語』のウルドゥー語訳の印刷にデリーに

2012年12月02日 | Weblog
明日、12月3日からデリーに行くことにした。行きは、一等寝台列車の乗車券が近くの駅から取れない為、ナーグプル迄一旦出て、そこから急行に乗り換えて行く。4日早朝に着くので、パハールガンジに予約したホテル、ローマデラックスというのに投宿する。
10:00に印刷屋と約束したので、コンノートプレースの事務所に行き、「竹取物語』ウルドゥー語訳の印刷の交渉をする。
この本は、NHK ラジオジャパンで1昨年放送されたとき、ウルドゥー語訳を読んでくれた、ザーヒル・シャー・アーフリディー、アナウンサーに私の訳を校正してもらって、昨年から、用意ができていたのに、インドの大学教授や大学出版部で、印刷所を教えてくれるように何回頼んでも、教えてもらえなかったり、教えてもらっても印刷所が、返事もくれなかったりであった。
インターネットで、調べて、すぐに返事をしてくれた印刷所が見積もりもすぐに出してくれたので、食堂で、その話をすると、今迄教えてくれなかったインド人教師達が、その見積もりは高い、私が知っている所は、もっと安いと言い出した。例のバールティー教授も同様であった。一体これはなぜなのか。大学教授も紹介料を取るのが、インド的商法なのかもしれない。
パーキスターンで印刷すれば、ウルドゥー語の印刷は簡単であろうが、インドの場合、ヒンディー語と英語が主体であるから、ウルドゥー語印刷は難しい。しかし、日本の平河工業社で印刷したように、アドビー社のインデザイン、イラストレータで画像化して渡せば良いのだから、そのソフトを持っている会社であれば良いのだが、持っている会社がなかなか見つからなかった。そのソフトに加えて、フォトショップを持っていれば、完璧で、インターネットでそれを持っていると宣伝している会社を見つけた。これらのソフトは日本円でも高額であるから、インドで持っている会社の印刷代が高額なのは当たり前である。それでも印刷代は日本よりは安いから、売れない本だが、インドのこの会社で印刷することにした。