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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

インパール作戦戦没勇士の碑

2012年12月01日 | Weblog
パンタオー活仏の参拝から、カマラ女史の家に戻り服を平服に着替えてから、カマラ女史のいとこの案内で平成6年(1994)三井物産の施工で建立のIndia Peace Memorialインド平和記念碑を訪問した。屏風のようなコンクリートの簡素な建造物で、現地の足の悪い男がそれを守っていた。ここは、隣の赤い丘中腹に潜んでいた数多の日本兵が英軍の爆弾で戦死した激戦地だったと言う。
この平和記念碑に先立って1977年12月12日ロトパチン村民一同建立と記してある、インパール作戦戦没勇士の碑がその向かいがわににある。こちらは、この地で戦死した日本兵達を悼んで、現地、ロトパチン村の人たちが建て、それを維持しているのだ。ここを続いて参詣した。碑はフェンスで囲まれ、腐りかけた入り口の鍵を先ほどの足の悪い墓守が扉を開けてくれた。日本人に似た二人連れの若者がここを訪れていたので、話しかけると、韓国人と分かった。このマニプルには、韓国人が多いと言う。日本人ではないし参詣というのではないようだ。
この四角い碑のそれぞれの面に文字が刻まれ、左面には、
「於インパール作戦
 為散華日本兵建立」
インパール作戦戦没勇士の碑
ロトパチンの碑を守る会
正面には、
「英霊よ
 この地で
 安らかに
 お眠り下さい」
右面には、
「天下泰平
 国土安穏
 願以比功徳
 我為与衆生
 皆倶成仏道」
また、背面には、
「赤丘に我が明日
  のため骨埋む
 日本男児に今日ぞ捧げん
    牧野財士」
と記してあった。
その碑の隣には、機関銃かなんかの残骸が、おいてあり、三連隊第三中隊戦死者の碑と記した卒塔婆があった。