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はぶて虫のささやき

日々の出来事について、雑感を書いてます。
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(旧:はぶて日記)

名将逝く!

2021-11-17 | 日記
元広島カープの監督だった古葉竹識氏が亡くなった。

とにかく弱かった広島カープを1975年の初優勝に導いた監督として、決して忘れることのない人だ。

特に、優勝を決めた後楽園球場(当時)の巨人戦は今でも覚えている。

1-0のままで進んでいたゲームを、9回表にホプキンスの3ランホームランで一気にケリをつけ、その裏リリーフに立った金城が最後の打者・柴田をレフトフライに打ち取った。

球団創設26年目での初優勝が決まった瞬間だ。

カープファンが経営するあるお好み焼き屋さんでは、入り口を入ったら正面に見える場所に、優勝決定時のスコアボードが掲げられている。

それほどカープファンにとっては象徴的な試合なわけである。

余談であるが、この試合でウイニングボールを掴んだ水谷は、その後トレードで阪急ブレーブスに行くのだが、阪急で打点王を取るなどの活躍をした後、1984年の日本シリーズで再びカープと顔を合わせている。

この時、確か西宮球場で代打で登場した水谷に対して、3塁側のカープファンから大きな拍手で迎えられた記憶がある。

相手チームの選手に対して拍手で迎えるのって、今では巨人から移籍してきた長野くらいか?

いずれにしても、常にBクラスだった広島カープを優勝できるチームに変えたのが、この古葉さんだった。

中でも1978年のカープは、チームで何と205本のホームランを打っている。

主な内訳は、山本浩二44本、ギャレット40本、ライトル33本、衣笠30本、水谷25本。

40本打っているのが2人もいる、というのもスゴいが、30本以上打ったのが4人というのは、プロ野球最多タイ記録ということだ。

ライトル・ギャレットの外国人選手2人も、カープ歴代最強の助っ人と言えると思う。

あと、「江夏の21球」に関する話(近鉄との日本シリーズで、最終戦の9回裏にノーアウト満塁のピンチを作った江夏に対して、古葉監督が交代の投手の準備を始めたことにプライドを傷つけられた江夏だが、それに気が付いた衣笠に叱咤激励されて立ち直った等々)も、今思えばいい思い出だ。

ベンチの中で、姿が見え隠れする様子もとても印象的でした。

ご冥福をお祈りします。

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