アラブのうわさ

アラビア語、アラブ文化、イスラーム(イスラム)等に関する話題を元留学生が等身大でお伝えします!

怠慢な日本大使館

2005年10月29日 02時46分52秒 | Weblog
 先日、在留届を出そうと日本大使館に電話しました。
 それなのに『日本人スタッフは今いない』とか『忙しいから5分後にかけ直せ』とか言われ、4回目にかけ直した時には『ラマダーン中だから今日の仕事は終わりました』と言い出す始末。
 今回は急用でないからいいものの、これがもし交通事故に遭っただとか、爆破事件に巻き込まれただのということの知らせなのだとしたら、上記のような応対で連絡が付かなかったとなるのは大問題だと思います。

奨学金がもらえない!

2005年10月29日 02時45分05秒 | Weblog
 サウディに来て1ヶ月以上経つのに、未だに奨学金(月に845リヤル、約2万5000円)がもらえません。先日、ようやく200リヤル(約6000円)の『前借り金』を受け取っただけです。これだけでは休暇中の食費で消えてしまいます。ですがもう大学は休みなので、奨学金の支給はラマダーン休暇後ということに・・・
 私などは日本で蓄えたドル札を持っているから大丈夫だけれども、アフリカ出身の学生などはかなり困窮していることかと思います。
 政府から奨学金の枠の予算が下りていないのか、あるいはただ単に大学内の事務手続きが遅いだけなのか。それにしてもちょっとひどいですよね。

イスラーム大学は狭き門 その2

2005年10月29日 02時43分33秒 | Weblog
 ですが、今年になってその狭き門が更に狭くなりました。
 というのも就学の際、出身国の政府からの『同意書』が必要となったからです。
 これは一般的に『テロリスト』と称される爆破事件等を起こす人達の中に、イスラーム教育を受けていた者が含まれていた場合、『サウディアラビアが余計な教育を施したからだ!』と責められるのを回避するのが狙いなんだと思われます。
 現に今年はイエメン出身の学生は政府からの同意が得られてないため、マディーナに来ていません。また同様の理由でタイからも学生が来ていません。
私もこれに関してはいろいろと大変でした。結果から言えばビザも取れたわけですし、就学手続きも無事に終えることができたわけなのですが。

イスラーム大学は狭き門

2005年10月27日 02時52分08秒 | Weblog
 現在、イスラーム大学には数千人の学生がいます。
 ですが聞いた話によると、この大学への就学希望者は世界中に何万人といるとのこと。例えばインドネシア人ですと毎年、5000人くらい出願するそうなのですが、就学許可が下りるのは約50人。なんと倍率は100倍ということになります。少子化の進む日本ではどんな人気のある大学でもそうそうありえない競争率ですね。またシリア人でも約300人の出願者の中で選ばれるのは10人程度といいます。
 私の場合は以前から面倒を見てくれているサウディ人の某大学教授がいるので、その人のつてで出願しました。ちょうど今通っている大学附属学院の学院長が彼の友人だったため、規定の年齢(新入生は25歳以下が対象)を超えている上、出願期限も明らかにオーバーしていたのに関わらず就学許可が下りました。
 アラブ社会はコネさえあったらなんとでもなってしまうものです。

チキンな食事

2005年10月27日 02時50分05秒 | Weblog
 こちらでの食事には毎日チキンが出されます。ラマダーン前の学食でも昼にチキン・夜にチキンと、とにかくニワトリだらけでした。
 ラマダーン中はモスクでイフタール(一日の断食を解く日没後の食事)をタダで支給してくれるのですが、それにも添えられているのはやはりチキン。
 もう一生分のニワトリを食べつくしたような気がします。
 あぁ、お刺身食べたい・・・

男は皆ムハンマド

2005年10月27日 02時49分03秒 | Weblog
 見知らぬ人への呼びかけって、日本語だと『ちょっとお兄さん』とか『ちょっと奥さん』とかですよね。アラビア語でもいろいろな呼びかけがあります。ただ地域により使い方はだいぶ異なるようですが。
 アラブのイスラーム社会全般では、まず『アヒー』(私の兄弟)という呼びかけが多く用いられます。それから他にも『サディーキー』(私の友達)といった形も耳にします。また年配の方やイスラームの有識者には『シェイフ』(長老)。一般的敬称として『ウスターズ』(先生)などなど。エジプトでは若者の男性に対しての『キャプテン』という呼びかけを耳にしました。
 ですがここ、サウディアラビアでは『ムハンマド』というのです。レストランで店員を呼びつける時も『ムハンマド』、通りすがりの人に声をかける時も『ムハンマド』。とにかく『ムハンマド』なんです。私もここ1ヶ月の間に何度か『ムハンマド』と呼ばれました。
 まあムスリムの中で一番多い名前がムハンマドなわけですし、預言者の名前もムハンマドなので、当たり障りのない呼びかけとして定着してしまったんでしょうかねえ。

ラマダーンも残り10日

2005年10月25日 02時51分17秒 | Weblog
 ラマダーンの残りも10日となると、学生の中にはモスクにお籠もり(イイティカーフといいます)してしまう人もいます。
 公には今週いっぱい講義が続くことになっていますが、今日は庶務のおっさんが休みだったため出欠は取られませんでした。また先生達にもあまりやる気は見られません。講義の途中に『君たちはそんなに勉強したいのか?君たちがいる限り、講義を行わなくちゃならないんだよね・・・』と、暗に自主休講を勧めるようなことをぼそぼそと言い出すくらいですから。
 本当は残り2日間あるはずなんですけど、この様子だと休講になるでしょう。おそらく先生達もこうなることはわかっていたはず。こんなんなら最初から『ラマダーンの最後の10日間は休み』ってすればいいのに。

インド人カット

2005年10月25日 02時47分16秒 | Weblog
 巡礼の最後には髪を切るか、頭を剃ることになっています。今回、私は髪を切るだけにしました。
 一緒にウムラをした知人に連れられ、聖モスクの近くのインド・パキスタン系と思われる床屋に入ったのですが、今までにない恐ろしい髪型にされてしまいました。
 『カット、シュワイヤ・シュワイヤ』(ちょっとだけ切って)と言ったのに、ザクザクハサミを入れてきます。しかもハサミはカット用のものではなく、そこの辺の文房具屋で売っていそうな代物。途中で泣きそうになってしまいました。
 前髪はおかっぱだし、左右で長さが違うし……床屋のおっさんは満足気な顔をしていましたが、仕上がり具合はどう見ても典型的なインド人カット。これで15リヤル(約450円)とはどうも納得がいきません。
 今度、自分で切り直そうと思っています。

ウムラ(小巡礼)に行ってきました

2005年10月25日 02時44分44秒 | Weblog
 ラマダーン中のウムラはハッジ(大巡礼)に匹敵する価値があるという預言者ムハンマドの伝承があるため、この時期のマッカには世界中から巡礼者が集まります(大巡礼と小巡礼の違いは後日説明します)。
 混雑はしていましたが、ハッジの時と違って礼拝スペースの確保も難しい、というほどではありませんでした。
 小巡礼は『カアバ』(聖モスクの中心にある黒い布の被された神の家)の周りを7周、モスクの裏手にあるマルワという場所とサファーという場所を3往復半するだけなので、2~3時間もあれば終えることができます。
 私は夜の1時過ぎに巡礼を始めたのですが、その時の気温が30度。カアバを周る時などは満員電車の混雑のまま人々が移動しているといったかんじでその熱気の凄いこと。途中、ゲホゲホとセキ込んでいる人がいると『うわー、お願いだから変な病気だけは伝染さないでくれー!』などと思ったものです。ラマダーン中・ハッジ中のマッカは世界中からの巡礼者がありとあらゆる病気を持ち込むため、時にはとんでもない奇病をもらってしまうという話も聞きますので。
 とはいえアッラーに願いが受け入れられるよう、残り少ないラマダーンの日々を有意義に過ごしたいものです。

書類の不備

2005年10月23日 04時12分25秒 | Weblog
 こちらで就学手続きをする際、私の持参した書類はすべて無効ということが判明しました。というのも、サウディアラビア大使館からの認証印をもらっていなかったからです。
 それだけでなく出生証明書やら推薦状、はたまた高校の成績証明書なども提出することになっていたらしいのですが、そんなもの準備すらしていませんでした。
 マディーナにまで来ていながら書類の不備を理由に就学拒否などされたらどうしようかと、ちょっとビクビクしていたのですが、ここがアラブらしいといいますか、『いつ日本に帰るんだ?来年?じゃ、その時に必ず取ってきなさいね』で済んでしまいました。
 でも来年になったら担当の職員はこのことを忘れてしまっているような気がします。結局、提出しないで済むかもしれません。こんなんでいいんですかねえ……