
1986年5月から1995年の9年間、ISOWAの前・風土改革期に全社一律展開した
TQC(全社品質管理)活動 『i-up運動』。
私にとって、ISOWAに入社早々、初めて本格的に取り組んだ『育てる』でした。
全社の各部署から7名に推進委員に就任してもらったんですが、その内のひとりだった
ISOWAフーパースイフト社のFさんが卒業しました。
Fさんは卒業にあたって全社員にとてもステキなメッセージをくれました。
失業して、食べることも困っていた1984年、「給食あり」というISOWAの
社員募集広告に惹かれて(笑)応募したけど、タッチの差で他の人に決まっていた
そうです。 あきらめていたところへ、ISOWAフーパーからお声が掛っって、
フーパーへ入社。
これだけでも十分聞かせる話ですね。
i-up運動は95年に終了しましたが、Fさんは熱い想いの持ち主で、その後も折に触れ
風土改革談義したものです。 だからi-upの推進委員の中でも、ある意味、その後も
折に触れ、熱く語り合ったひとりで、わたしからすると『戦友』でした。だから素直に
卒業を祝えません・・・
1972年のフーパーの設立から、2013年に私の弟の保之に交代するまで同社の
社長も務めた私の父に、Fさんはエンジニアとして長く師事していて、
「先代(私の父)にお世話になったお礼に、ぜひお仏壇を
お参りさせてください」
と、わざわざ自宅に訪ねてきてくれました。
父の位牌に長く手を合わせてくれました。
さらに、ツノ坊にも、
「私たち社員を守ってくれる英之さんを守ってくださっている
奥さんにも感謝しています」
と声をかけてくれました。
Fさんが心に残っている場面として、
「以前、英之さんとシンフォニーさんと話をした時、
『で、Fさんはどう考えるんですか?』
と切り返された時、自分の考えの甘さをはっきりと自覚しました」
と話してくれました。
元ISOWA散歩クラブのYさんとの交流も続いているということだったので、今度は
三人でも会いましょう!
38年間ありがとうございました。
ISOWAでの自身への人生の問は今の自分を創っていただきました。自身気が付かない領域は叱咤激励(受け入れられない自分への問いかけに応じられるか否か)にあると思いました。金メダルを取った方にはそこまでの人生観がやはり金メダルに表現されているのかもしれません。その領域に入れたのでしょうか?まだまだ生きていることへの不定の領域を脱してはいませんが、共に同じ釜の飯をいただきました先駆者として恥じぬ人生を過ごせるよう重ねた感を共に過ごしていきたいと思います。
そのけじめをありがとうございました。
お疲れ様でした&有難うございました🤝
浜木綿でのオフサイト😊
(少し飲み過ぎ・笑)今でも懐かしいですね🍻
Fさんの熱いDNAは、IHの財産ですm(__)mそ
必ずこれからもたまに会いましょうね。
きっとですよ!
ありがとうございました。