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親が大事か子が大事か

2012-03-29 02:00:00 | 日記風
 私はたまたままだ子がいないから、どっちと聞かれると「親」となってしまう。

 でも、これ大きな問題でしょうね。

 ある年齢の親御さんを抱えていればなんらかの病気はみんな持っている。腰痛などある年齢に達した方がなるもので病院に薬もらいに通えばいいものであれば、不安でもそれは少ないだろう。

 ここで、我が子もいる。日々の生活で学校のことの用事を済ませ、もし風邪でも引いたら看病して、塾へ行きたくないとただとこ寝れば叱り飛ばして…。

 その間に親が倒れたら?

 ある程度の年齢に子が達していれば、例え呼ばれたのが夜中だろうと説明しておいて行けるだろう。でも1人にしておけない年齢なら?連れていくか、そういう状況じゃなければ、誰か知り合いに急いで頼んで預かってもらうしかない。

 ここで、親の倒れた理由がたいしたものじゃなければ、一安心だが入院をとか、今のうちに会わせたい人に連絡をとこられちゃ、動揺する。

 かと言って子どもも学校にやらなければならない。
 「あのね。おじいちゃんが病気だから」
 年齢に合わせて説明をしても子どもは子どもの生活をさせなければならない。今日はお弁当を持って行かないといけない日かもしれない。そうすれば母親として、自分の親のことをおいておいて作らないといけない。

 社員として働いている、もしくはパートをしている。だとしたらそこへもいかなければならない。子どもの塾の費用を母親のパート代から出しているなんて場合は行かざるを得ない。そのあとから自分の親の所へ様子を見に行く。

 意外に元気そうにしてくれれば安心するだろう。

 それが、びっくりする状態であったら?


 心は乱れる。

 家に帰って夕食を作らないといけないと思って作っても、子どもがぎゃあぎゃあ言ったら、つい怒鳴ってしまうかもしれない。

 自分の親は死なないものだ、いつまでも元気なものだ、どうしてもそう思っている。


 でも違う。


 人それぞれの時期は来る。

 自分の親がそれを迎えている。




 どうしたらいい?




 自分自身はもう大人なのに、初めての経験に戸惑い、日々の生活もこなさないといけなくて…。



 これができますか?


 でもきっと多くの人がやっている。


 みんな何らかの不安を抱えて生きている。


 子どもがいれば手間はかかっても、我が子を抱きしめて、血を繋げたことをまだ喜べるのかもしれない。

 最後の砦のように親がかつて自分を思ってくれたように、親を思いながら我が子に(たすけて…)声にならない助けをもとめるられるだけ、いてくれるだけ、幸せなのかもしれない。


 もしかしたら、だけどね。

 「きたわよ」
 おばあちゃんと一緒に無口に訪ねてきた父の姿が脳の裏に浮かびながら…。


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