ウィキッド

2009-03-28 21:33:13 | 舞台
 これ、こんなに悲しい話だと思わなかった。

 観てきたんですよ。
 正直びっくりした。

 休憩が入るんですが、その休憩で泣きそうになった話はない。
 さすがブロードウェイから来たと思う。

 いやー、前半は中学生以下のみな様に是非観て欲しいと思います。
 と言っても目茶苦茶展開が速いから判りづらいかも知れない。

 のちに良い魔女と言われるグリンダと悪い魔女と言われるエルファバの出逢いが描かれていくのがここなんですが、この2人の友情が築かれていく過程も・・・凄いですね。
 でも何処かで凄い納得できるの。
 
 子供の頃から父親にすら愛されず足が不自由な妹の面倒を見る何故か緑の身体に生まれついたエルファバ。
 子供の頃から人気者でそれに答えることが楽しくてしょうがない軽薄なグリンダ。
 でも、エルファバが愛されないのはその見た目の色、みんなと違うそんなことが原因だった。しかしそれは彼女の心を傷つけ愛されない自分が当たり前になってしまった。
 
 けれど、大学に来たことでその思いがけない魔法の才能が評価されるエルファバ。最初はそのことが気にいらず嫉妬するグリンダ。
 それが思いがけないことが原因で2人が近づき友情を深める。

 そしてエルファバは天性の魔法の才能によりエメラルドシティへと旅立っていくオズの魔法使いに逢う為に。彼ならきっと自分を認めてくれるそう思っての旅立ちだ。しかし恋人と上手く行かないグリンダが可哀相でつい彼女も一緒にと誘ってしまう。エルファバだって本当は同じ彼のことを思っていたのに・・・。

 ひょんなことから良い魔女と悪い魔女に別れてしまう後半の2人。
 あんまり書くと内容をばらすことになりますので書けませんが、恋に悩む2人、友情に揺れる2人、愛する人を奪われる苦しみをそれぞれに味わっていく。

 そしてそれぞれの道を疑いなく進んでいく。

 2人に幸あれとしかいいようがない。
 
 エルファバの勇気と決心は賞賛に値すると思う。
 思うけど何故そんなつらい道を歩んでいくかと言えば生まれついて緑だったから。人の痛みが判るから。
 それが健気過ぎて本当に幸せになって欲しいと願わずにいられない。1番愛されたいと思うのは彼女だろうに、けれど彼女はよりつらい道を歩み出してしまう。
 
 終わりの頃、いやに周囲がぐすんぐすん言ってたんだけど、集団花粉症でなければ泣いていたんだろうな。

 もう底力って感じですよ。

 凄いわ。

 そしてこれは父と娘の話でもありました。今の私にとってはとても意味深いわ。
 そんなもんですね。そうやって必要なものは惹き付けられてくるんでしょうね。

 しかし、こんなに深い話だとは思わなかった。
 
 四季っていうと、新しいものでは『春のめざめ』が観てみたい。
 古いものだと『オペラ座の怪人』ね、これが凄い観たくなった。
 あれは女の子の恋愛と出世の理想形が全部詰まってますもの。

 今は『ウィキッド』に乾杯ね。
 観ておいてよかったと思う舞台でした。
 エルファバにグリンダにこれでよかったと思う最後を歩んで欲しいと思う。
 そして私も迷わずいきたいと思う。
 

信じたのに

2009-03-28 17:59:50 | 日記風
 恋愛と限ったことではありませんが人が人に不信を抱く時ってそれぞれ決まったパターンが存在してるようにも思います。

 100%相手を信じれるってことはない。
 何処かで1度裏切られたり騙されたりすると、その時のことを引きずってしますう。

 友人の話を聞いてて思うことだけど、その方が客観的に聞けますからね。

 恋愛においての場合だと、相手に浮気されてる気がした。
 そこで何をするかと言うと、人それぞれでしょう。
 そして何をもってして浮気をしてると思うかもその人の経験によって違うと思う。
 以前あったパターンに似た言動があったから、浮気してるに直結する。するとそれに見合う自分なりの行動を相手に返す。
 相手はそれに不信感を抱く。

 不毛だね、こうなっちゃうと。
 
 以前は相手に不信を感じると言うのは相性が悪いからだと思っていた。
 要は不安にさせる行動を取る。こちらの求めている行動を返してくれないことに問題がある。イコール相性の問題かなって思った。

 でもパターンがあるんだよ。
 1度傷つけられると、同じパターンを違う人にも当てはめて、同じパターンを発見すると「あ、してるんだ」と短絡的に結びつける可能性が、それを受けとる側に多分にあるんじゃないかな。
 
 傷ついた傷がそう誘導してしまうのかもしれないけど、同じ危険にさらされないように自らを守るすべがそれしかないとそんなことにもなりかねない。
 必ずしも同じことが違う人にも当てはまるとは限らないんだけどね。
 似たような行動を取られ昔されたことを喚起されたとしてもそれはそれ、よくよく確かめてみるとまるで違う事情が背景にあったりする。

 それが考えられず、また同じことが起きると盲目的に信じると同じような結論だけ出るんだよね。
 まるで本人がそれを望んでいたように。
 違うんだけどね。

 だから同じ過ちを人は何度も起こすのかもしれない。望んでないけど再びそんな目にあいたくないと思う心が、幻を見せるんだ。
 恐怖の幻影を見せるんだ。

 ここら辺、ミステリーの過去の恐怖に脅え再び罪を犯してしまう犯人に当てはまりそうなパターンだな。

 ミステリー・・・虚構の世界はおいておいて。
 
 信じるって簡単なことじゃないよね。特に相手があって信じるって重たい。
 「信じてたのに」って責めるのは簡単なんだけど、相手を丸々信じたこっちにも非がないかといわれればそれは微妙だ。最初から信じるべき相手じゃなかったのかもしれない。相手の事情の全てを判っている訳じゃない。

 この辺が相性の問題なのかなって思ったの。良ければ相手の気持ちを待てると言うか余裕を持って見られると言うか、じゃないかって思った。
 その部分は今もあると思う。

 でもこちらのその時の精神状態で、以前なら許せたことが許せない時もあるだろうし、こっちも常に揺れてて一定じゃないんだろうし。

 そういう意味では人間関係はタイミングが全てなのかも知れない。受け入れられるタイミングに、まあ、相性のいい、自分にとって考え方や価値観の近い許容範囲の人が現れれば上手くいく・・・そういうもんかもしれない。

 違ったら、それはそういう結果しか生まないのかもしれない。その傷が重いか軽いかそれだけの問題で。

 でも、友人関係であっても恋愛関係であっても、お互い違うと思えばそれで別れられる。
 
 それが出来るのが友情であっても恋愛であっても他人同士の関係だ。

 でもこれが肉親であれば。血の繋がりがあればそんな簡単にいかない。
 多分こっちの方が、1度もつれたらやっかいなのよね。

 他人同士であれど何らかの縁が生じる。
 だって他人の方が明らかに多いもの。その多い他人の中で生きていくことを運命付けられてるんだもの。
 その中でどんな関係を築くか。それがこの世での1つの課題と言ってもいいもんね。

 運よく・・・いいえ、生き抜いていける為にその時々で必要な人が現れる。
 友情として恋愛として。
 
 それがこの世のその掟を作った天上人の優しさって奴かも知れないね。
 そう思えば例えすれ違っていくだけの縁でも笑って別れられるんじゃないかな。