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結婚行進曲

2008-09-22 19:06:28 | 日記風
 結局偏頭痛がとれず、また明日祭日に入ってしまうので、内科へ行って来ました。

 順番が来て診察の部屋入った途端流れる、結婚行進曲。

 診察中に有線放送かなにかを流してるらしいんですが、たまたま、そのタイミングでそれがかかったらしい。

 
 ・・・・・・・・・。 
 ・・・・・・・・・。

 
 偏頭痛と結婚したらしいです。

 ここ1週間ほど家の問題や仕事のことで頭を痛めた、そのせいもあるんだろうけど。
 いつか人は状況を変える。

 変える、変える。

 結婚行進曲をきっともっと清々しく聞ける時がくることでしょう。

ある人の「穏やか」

2008-09-22 13:44:15 | 日記風
 krspy kremeのドーナッツです。
 例の待ってる時に試食でドーナッツをくれると言う所です。くれると言っても何分かの一をくれるのかと思っていたら、丸々1個くれると言う太っ腹振りです。

 「穏やか」という言葉があります。人との関係において「穏やか」をくれる人に恋したりします。その先にあるのは安定でしょうし。だから安心できると言うのがある。そこには確かな人間関係が築ける安心感があります。

 同じ「穏やか」をくれる人でもそれまでの人生の中で自分があまりに知らなかったかけ離れた「穏やか」をくれる人がいます。

 その時感じるのは安心と共に、恐怖です。
 あまりに自分が今まで知らなかった「穏やか」な世界に混乱をきたしてしまうのです。
 自分にはなかったそれを平然と持っている人。まるで想像がつかない「穏やか」な世界を普通のこととして存在させてしまう人。

 そこには憧れとと同時にどうしようもない怖さを感じる。
 知らないことに飛び込むとはそんなことかもしれません。

 自分の判る「穏やか」をくれる人にはそんな難なく反応できます。背負ってきた背景が同じということでしょう。だから無理せず受け入れられるそういうことかもしれません。

 どちらが自分にとって本当に「穏やか」をもたらせてくれるものか。一見「穏やか」に似たそれを与えられ、同じ苦労を繰り返すそれだけかもしれません。何せ背負っている背景が近ければ同じような経験があり同じような傷がある。それはいつ何時、どんな血を噴出すか判らない。

 経験ないほどの「穏やか」さは確かに一時恐怖をもたらしますが、それを1度受け入れてしまえば、それで自分の全てがもっと楽になるのかもしれない。
 同じ傷を持たない分、同じ傷を繰り返さない。
 しかし片方が受けた傷の痛みを知らない分だけ相手の痛みも辛さも判らない。
 判ろうという努力はあっても何処までも鈍感でいられる。

 判らないから、相手を励ますこともできるでしょうね。それが何だと言い切れてしまうのかもしれない。

 何を選ぶのか・・・全ては自分の判断ですね。

 ドーナッツとまるでかけ離れた話しになってしまいましたが、ドーナッツを選ぶ、誰とどんなシュチュエーションで食べる。どの「穏やか」な環境で食べるのか。
 
 ドーナッツを食べるだけのことなんだけど、それが1つの「穏やか」をもたらし、人の心に何かを刻み込むなら、それは間違いなく甘い心の栄養として人を成長させる一因になることでしょう。