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3回目の7月

2011-08-04 04:00:00 | 思い出
 考えてみたらここ、3年ほど7月が魔の月だったわよ。

 2008年の7月、家族が倒れ、家がごたごたになった。

 その年の秋頃は疲れ果て、新たな希望を見つけようとするものの、どうも山を見るとその茂った木々の下で白骨死体になって眠りたいと思うくらいだった。

 2009年は、師が旅立たれた。


 今年は…、

 劇団の名前を消さなきゃな、と思いながらできず、いろんな出来事に翻弄され、わけが判らないままここまでへ来た。



 でも仏の顔も3度っていうじゃない。
 凄く例えが違うけど。

 石の上にも3年とかさ。
 また違うけど。

 3年続けば好転するんじゃないかしら?そう言いたいわけよ。

 でもいろんな、今まで見えなかったこと、判らなかったことが判った。新しい夢もできた。
 そう考えると自分が鍛えられた意味のある3年だったのでしょう。(と思えるようになりたい)

 来年は、いろいろ噂の1012年ですが、きっとこの年の7月はもう災難に見舞われないと思います。


 と、少なくても祈っています。

いい人にはなるまい…母は反面教師の筈だったのに

2011-08-01 15:00:00 | 思い出
 うちの母を見ていると反面教師だと思うのです。

 電気工事に着た人が翌日ひょっこり訪ねてきてお金を貸してくれというのです。

 義理ないでしょ。まして仕事を1日のうち半日もかからない時間帯してもらっただけですよ。

 でも貸すのが母なのよ。

 そしてとりあえず問い合わせてみると、その人は何らかの事情でその電気屋を辞めていたりするのです。
 「あげたと思ってる」

 悔しいでもなく、負け惜しみでもなく、判っているけど困ってそうだったから貸した、母の論理はそうなんです。(貸したと言っても1万くらいですよ)


 例えば、良かったらどうですか?と点検に来る勧誘などがあるじゃないですか。
 注意を促されてますよね、それでリフォームを勧められ、必要のない工事をして多額の金額をとられる。特に年配の方は気をつけるように言われてると思います。
 うちも換気扇を見ましょうか、風呂場の点検をしませんか?と言われそれは無料なんですね。
 「でも危ないな」
 と切りださて、清掃だのなんだので、別料金をとられてやってもらう。
 「いいの、安からしてもらっただけだから」
 あんまり気にしない、いいカモなのです。

 さびしいというのもあるのかもしれませんね、年を取ってからは特にそれがあるのかもしれません。
 これはうちの母に限ったことではないと思います。
 うちの母の場合は、特に馬鹿がつくほど人がいい。

 なんて言っても若い時から「仏様」と呼ばれるほどいい人ですからね~。

 でも仏様の家族は大変です。人に言えない苦労があります。


 大きなお金が動くときは、家族に承諾を取らないとできないと言えと言い含めてあります。
 判を押したりして保証人になるのはまずいと思っているらしいのですが、小金であれば、まあいいかと騙されてるかもしれないのに払ってしまう。

 あれは人がいいに分類されると思います。

 どこかでこの人困ってるんだなと思うとそうなっちゃうみたいです。

 

 なんせ、バスの中で隣り合わせに座った人の四半世紀の人生をバスに乗り合わせている間聞いてしまうような人です。

 ある意味、馬鹿か何だか判らない人です。


 その母を見ていて反面教師として、ああはなるまいと思っていた私がそうなりつつあることが今は怖い。


 親には似るもんですね、この間思わず母を知ってる人に言いました。

 いやだいやだと思っていたのに、よく似てきている…。


 気をつけよう。

 母のような歩くお節介にはならないようにしよう、思っていたのに。


 その道を着々と歩んでいるのが、なんだか怖い。


 どうしたらいいんだ?

君はうさぎさ

2011-07-24 15:00:00 | 思い出
 知り合いに英語が喋れるって人がいて(すごいなー)とか思ったの。
 どこで覚えたの?

 って言ったら、英会話スクールなんだって。

 いわゆるかつての駅前留学ってやつね。


 そしたら「あーそうなんだ…」と価値がガタ落ちした。

 偏見であろうか?


 そういう私も、せめてという気分で英語学校にはいっぱい通ったさ。
 やる気はゼロさ。

 覚えんなー。


 あるとき、好きな動物を訪ね合うっていうのがあって、私は兎だと答えたわけさ。
 すると、外国人の英語の先生が回ってきて、こういいやがったのさ。

 「うさぎは脳が軽いよ」

 とな。

 日本じゃ、たいがいの場合、女の子に「君ってうさぎみたい」って言う時って可愛いって意味を含んでるじゃん。

 でもお脳が軽いと言われるとさ―――。


 あっちじゃ「君ってうさぎみたいだ」というのは、あほという意味を含むのか?一晩のアバンチュールに相応しい程度の相手という意味を含むのか?

 たまたまその人(外国の先生1人の)考えだったのか?


 たまに思いだすと、ちょっとイラっとくる話です。

日曜学校はいかない

2011-07-23 23:16:21 | 思い出
 BSが見られるようになって劇的に変わったんだけど、好きなのよ。宗教画みたいなの。
 天井に書かれてたりするじゃない、

 実際に見たのもあるけど、でも、やはりなーという不思議な感覚がある。



 個人的にはキリスト教徒じゃないですけどね。

 子どもの頃、教会通ってたことがある。

 親が邪魔じゃない。それで教会に預けるのね。子ども会みたいな集合があるから、大人からしたら宗教云々じゃなくていい日曜日の学童保育状態だったのね。

 友だちが通っててそれについて行ったんだけど、すぐに止めた。


 変な子でね。

 年寄りに育てられたせいか、子ども…同じ年といるのがあまり好きじゃないのね。どちらかというと、嫁と姑のごたごたを聞いてる方が好きなの。

 人生勉強になるじゃない。

 だから、同じ年の子どもといるのが嫌だったのね。


 だから、幼稚園の時から嫁と姑のごたごたばなし聞いてたわ。


 初恋も、私も嫁いびりされるのかしら?という方に傾いていくという不思議な子だったわ。

 今少しでも役にたってるのかしら?



 謎ですけど。

究極のお愛想は虫売り場で

2011-06-28 17:00:00 | 思い出
 私、鹿肉食べただよ。
 でも、サイコロ状で1口で天ぷらだったせいか、何味って言っていいか判らないのね。

 淡白だと思う。

 別に違和ないよ。

 羊なんかの方が匂いとかいろいろ癖強いよ。



 私、内心、南米の奥地とか言ったら、虫の幼虫とか食べそうな気がするだよ。

 ありとかもいっちゃうかもしれない。

 郷に入っては郷に従えみたいなものなんだけど。
 日本じゃイナゴも食べないね。


 矛盾してる~~。


 手足あるのきついぞ。
 あれは慣れだと思うよ。



 でも1番凄いと思ったのは、友人が何かのはずみでショッピングセンターの虫売ってるコーナーあるじゃない。あそこへ入りこんだね。
 だから好きなのかなと思ってたわけ。

 それでやたらお兄さんが、幼虫を勧めてくるわけよ。
 多分、成長したらいい虫(どんな虫? かぶと虫なんかになるんじゃない?)と勧めててずっと愛想良く、
 「そうなんですかー」
 って言ってるから平気なのかと思ってたら、店を出た途端
 「虫、嫌い」
 と言われた。特に幼虫嫌いなんだって。



 嫌いであれほど愛想良く振舞ってたのか!

 言えばいいのに。

 そしたら私もそんなに興味があるわけじゃないから引っ張り出してあげたのに。

 好きかと思うから私も無理してたよ(笑)


 あれくらいじゃないと生きていけないと学んだ瞬間だったな、あれは。

「愛人」という職業

2011-06-19 18:00:00 | 思い出
 私の個人的な知り合いではないのだけど、

 職業・愛人

 という人がいた。

 若い女なら、世間が判っていない。若いうちならなんだってできるでしょう、と切り捨ててしまうわけだが、60を過ぎた女性だから、凄味があるわけだ。

 個人的な知り合いではなかったので会ったことがあるわけじゃないので、どんな顔をしているのかも知らない。

 でも何故か娘がおり、孫もいた。1度は結婚をして生んだのか、誰かの子を未婚のまま生んだのか、それは知らない。

 でも、今の話を聞いているなら、それなりに生きてきた女の人生があるだけだ。


 酒が入ると色っぽくなるらしい。それが男たちを虜にしたようだ。
 もちろん、長い人生の間、相手が切れることもあった。中にはそれだけのお手当を出してくれない男もいたのだろう。
 だから、その分は自分で働き、資格も持っている。

 でも主職業は愛人が1番長く、彼女の人生の中に横たわっていた。



 たまたま私が彼女の話を聞いた頃、仕事をしている先の経営が危ないのか、もう数カ月給料を払ってくれないから困っている…そんなことを言っていたらしい。


 さすがに60を過ぎると、愛人としてやってはいけなくなっていたらしい。
 仕事は違う方へ展開されていた。


 どうしてそんな人生を送るのだろう。
 そう思う反面、それでも生きていけるのだなと、何故か私を納得させた。

 なんと言っても物語じゃなく、本当にそうして生きてきたんだもの。
 そりゃ、説得力があるわ。

 彼女の後姿だけはちらりと見たことがある。

 姿を見ているだけなら、普通の人生を歩んできた、どこにでもいる、おばさんでしかない。


 しかし、彼女の人生は、そういう特異なものだった。

 自分で選んだのではなく、気付いたらそれが当たり前になっていたのかもしれない。

 しかし、年齢を考えるならいろいろな偏見と闘い続けた人生だったんだろうな、そうも思う。


 人の生き方はいろいろある。

 今の彼女がどうしているのか、さっぱりしらない。それなりにやっているのだろう。

 それなりにやっていけるのだな。

 私にそう教えた人でもあった。


 彼女の歩んだ人生は、私のその後の人生に大きな何かを残している…それだけは間違いがない。

人名は入国審査より重し

2011-06-05 21:00:00 | 思い出
 前にある海外の団体旅行に行ったとき、こんなことがありました。

 急病人が出たのですよ。それで救急車で搬送されていくわけですが、そのとき、聞いたんですね。

 

 その方の入国審査は病院から退院してからになる。



 なるほどね~。


 おそらく付き添いの家族もそうなるんでしょうね。

 一刻を争うときに病人本人、その家族まで
 「入国審査を」
 なんて言ってられないですものね。
 完治して退院してから改めて空港へ向かって入国審査を受けるらしいです。


 そういう時は特例扱いになるわけだ。

 入国審査より人命は重し、ということです。


 このときの方の急病は、いわゆるエコノミー症候群だったらしく、やはり機内の中で適度に身体を動かすことは大事だなと思いました。

 若いとね、何とかなっちゃいそうだけど、ある程度の年齢になると何があるかわかりません。
 この方も団体旅行だったから迷惑かけてはいけないと我慢してたらしいですが、空港内を移動するバスとかリニアモーターカーみたいなのに乗っていて押されたら、足の血管が切れちゃったそうです。
 それでほかのツアー客は2時間わけの判らないまま足止めとなりましたが、こういうのはしょうがないです。

 こういうときはこうなるって、判っただけでもよかったと、思うしかないです。

 幸い、ご病人も持ち直したようですしね。
 でも知らない国で言葉も通じず、さぞかし不安だったことでしょう。

注文の多い宿屋

2011-06-05 13:00:00 | 思い出
 また宿屋の話のなってしまうが、いろいろ経験はしてみるもんなのだ。

 なんていうかね。
 ああしろ、こうしろが多いのね。


 例えばお風呂へどうぞと言われてお風呂に入るじゃない。
 そこはドライヤー貸し出しになっているのは知ってたんだけど、貸し出しだから、いちいち貸してくださいっていいに行くのかなと思い、それも面倒だったので、自分のを持って行ったのね。

 それで髪を乾かせる所で自分のドライヤーで髪を乾かしていると女将がやってきて、
 「ドライヤーならあるのに」
 と、そこの備え付けのドライヤーを引き出しから出してくるのだ。

 もういいじゃん。自分の使ってるんだから。

 と、自分のものの方がつかいやいすからと断った。

 そして部屋でゆっくりしていると、ノックもなしに女将が入ってきて(なに?)と思っていると、引き出しから
 「風邪をひくといけないから」
 と丹前を出し、私に渡してくれるのである。

 なに?なに?

 勝手に入ってくるの?

 やっていることは親切なのだが、そのやり方が…ちょっとなのだ。

 目がテンな出来事であった。



 その後広間でお食事となるのだが、知らないお客さんと一緒なのだ。
 そして食事の間中、食材の説明、食べ方の説明延々と続くのである。
 
 これでゆっくりしろと言ってもなかなか難しいのである。
 さっさと食事が終わってほしくなってくるのだ。


 そして何より驚いたのが、食事の間にそっと消えた女将が
 「お布団しておきました」
 というのだ。

 え…。

 黙って?

 普通、お食事の間にお布団引いておきますって言葉がないの?
 すべて事後報告?

 知らないから部屋の中ぐちゃぐちゃにしてきたわよ(笑)

 ここはネットの評判で、気さくなご夫婦が迎えてくれると言うのを鵜呑みにして選んだ。
 確かに気さくだ。
 親戚の家に来たみたいだった。

 でもやはり、なにか鬱陶しさもつきまとう。

 ネット評判は当てにならんとしみじみ思う。
 相性が合えばいいんだろうけど、違うと、こうなっちゃうのよね。

 最後の日、どうぞお持ちくださいとそこの名水を渡された。

 2リットルの水入りのペットボトルをポンと。

 おいおいおい、なのである。

 私はまだそのまますぐ帰省するからいいのだが、もう1人の方など、これから名所巡りをしながらゆっくり帰ろうとしているのである。
 2リットルのペットボトルを持って歩けと言うのだろうか。
 うちもその2リットルのペットボトルをバックに入れた途端チャックが壊れた。もう10年ものだから寿命だったのかもしれないが、あーあ、なのである。

 もらっといてなんだが、車で来ているんならともかく、500ミリリットルくらいでよかったんじゃないか?
 大盤振る舞いしすぎなのだ。

 だから最後は相性なのかなとしか思えないのだ。親切は親切なのだが、大きなお世話と紙一重になってしまう。

 震災後、乳幼児は水道水を使わない方がいいと言った時、その水を赤ちゃんのいるお宅へ上げようかと思った。
 でも近所で思いつく人がおらず、電車に乗って職場へ行って、
 「これお子さんに使って」
 とドンと持っていくことになってしまう。まだ電車もあまり普通に運転してる頃じゃなかったし、もらった方も家に持って帰るとなると…考えてしまう。

 ということで、2リットルのペットボトルの水はまだ家に置いたままになっている。賞味期限とかあるだろうから、そろそろのまなきゃな~と思っているが、さてどうなるか。

 経験しないと判らないことはある。

 本当に、いい経験だったと思う。

 今度はもっと自由の聞く所に泊まるぞ~。

今度は夜行バスでおいで

2011-06-04 21:00:00 | 思い出
 あるところに旅行に行った時のことですが、
 「今日はなんできたの?」
 と聞かれるので正直に
 「飛行機です」
 って答えたの。

 そしたらやたらと
 「もったいない」
 を連発された。

 「夜行バスで来ればいいのに」
 と言われる。

 何で来ようと自由じゃないか。

 私が飛行機で来たって言っても飛行機会社の早割を利用してる。あれは3か月前に購入すると70%引きにはなるのよ。時間の指定などはあるわけだけど、これを使うと片道9800円くらいになるのね。
 だから高いって感じじゃなくなる。(多分、当日に購入すると東京―大阪で2万いくらだったと思います)

 「でも私、夜行バス使ったことないけど」
 宿のおばちゃんはやたら人に夜行バスを勧める癖に、ぬけぬけとそういうのである。

 自分が使ってないものを人に勧めるんじゃない。多分、他のお客さんが使って安かったとかいう話を聞いたのだろう。

 夜行バスは以前調べたことがあるけど、やはり一晩乗ってるのはつらい。まして女性1人で乗るとなるといろんな意味で気を使いそうなんだよね。安ければ、3,4千で購入できるけど、少しいいものをつかうと五千円くらいは出る。

 それに現地に着くのが早いでしょ。
 次の日の会議が早いから、実家に帰るからなどの理由があれば、午前6時とか7時についてもちょうどいいんでしょうが、観光に行くのに、この時間についても3,4時間は潰さないと動けないのね。と言って、入れる場所もこんな時間だと限られてくる。

 レディース専用バスというのもあるけど、この手のものは帰省シーズンしか走ってない。需要の問題でしょうね。
 それにレディーズバスだと、1人のスペースが広いので7,8千円かかるのだ。

 だったら、普通に新幹線使った方が利口じゃない。
 ちょっと時間を短縮する気があるのなら、飛行機を早割で購入したほうが利口じゃん。

 なんたって早い。

 「今度来るときは、夜行バスできね」
 最後の最後までそこの女将に言われた。


 うーん、うるさい?

 しかしこの早割も微妙で、どうしても早割で帰る時間を多分、この辺で使うだろうなという勘で購入することになる。そうすると、いろいろ予定が狂うのね~。なんたって、3か月先のことだから。だからたいがい、行きと帰りを購入してもどっちかを変更することになる。

 便利かというと、私は微妙だ。

 それでも、そろそろ出ますよ~というニュースが出ると、飛行機会社HPを覗いてしまったりする。

 これでもいろいろ調べてるんだよ。

不器用ですが、愛していただけると幸いです

2011-05-29 14:00:00 | 思い出
 私の父というのがよく言うと無口です。
 悪く言うと感情表現の少ない人なのです。


 正直何を考えているのか読めないことも多々あります。


 こういうのは慣れであり、その内想像がつく時も出てきます。
 しかしそれは想像でしかないのです。



 子どもの頃ですが、あるお菓子をお土産に買ってきたら私が喜んだらしんですね。
 自分から渡し、どうだ?などと聞けませんから、母親から渡されます。

 美味しいお菓子だったんですね。

 それで母が「喜んでるよ」と報告したらしいのです。



 そしたらですね。それ以来どこへ出かけても、そのお菓子を買ってくるのです。

 そうかー、喜んでいるのかー。父としたら嬉々とした気分で買ってくるのです。

 でも前のお菓子もまだ残っている段階で、また同じお菓子を買ってこられても、幼い子どもにしてみれば

 (またこれかよーー)と露骨にでてしまうのです。


 いつの間にかあのお菓子を買ってくることはなくなりました。
 その代わり、違うものも買ってくることがなくなりました。


 怒った、というより、拗ねた、それに近かったのかもしれません。


 父の不器用な愛情表現だったと大人になれば理解もできますが、あの頃は無理でした。なんせ、小学校にも上がらない子どもの頃です。

 不器用ですね、そうとしか言いようがないのです。



 どこかでその血をひいているだろう私も、あの頃の父と同じように不器用なやり方を続けています。