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つかこうへい氏の遺志を継ぐ者たち

2016-05-15 07:03:36 | 戯曲塾

 uncover.unblog.fr(出典)



 いつもブログをご覧くださるみな様、本当にありがとうございます。

 中々、気持ちを伝える時がないものですから。



 ちょっとブログの「ご注意欄」が長くなっています。

 私には6年に渡り、嫌がらせをしてくる方がいます。



 他の、私より人気のあるブログを読むと、みんなその対策としていろいろなことが書かれています。


 1つだけ言えること、今、改めて思うのは、つか氏の言葉です。


 彼は作品の中で、どんなひどい言葉を投げられても、主人公たちは


 「褒め言葉として受け取っておきます」


 と言います。

 またこれは私の信条でもあります。


 だから、そういうつもりでお書きになっているんでしょう?
 

 人は自分が傷つくことには敏感ですが、人を傷つけることには鈍感です。


 改めてこういうことを書く機会を与えて頂き、嬉しく思います。

 
 

 スタッフは笑っていますが、場合によっては弁護士沙汰になりますよ。ここでだけのことじゃないですよね。すでに動いているようです。こういう話は私には1番最後に言いますから。

 そんなことをして自分を傷つけることはないでしょう。


 自分を大事になさった方がいいと思いますよ。

 私は最初からあなたにはそれしか思っていません。


 いつまでもくだらないことに時間を裂いてもしょうがないでしょう。


 どうせなら

 「Unknown」ばかり連発せずに本名をお書きになったらいかがですか?


 これからもみんな関係者一同楽しみにしています。


 優しい、優しいあなた、本当にありがとう。


 私の気持ちをまた1つ「遺志を継ぐ者」そしてそれ以外の、しっかりしたものへ育ててくださって。








 そして、もう1度、それ以外の常識のあるみな様、いつもブログを読んでくださってありがとうございます。

 お礼を言える機会が中々ないので、この機会を借りて、お礼申しあげます。は

つかこうへい氏のいう美しさとは

2016-05-02 02:00:00 | 戯曲塾

 以前つか氏の主催する「北区つかこうへい劇団」におりました。

 現在は存在しない劇団ですが、私はここの劇作家・演出家コースにいました。


 そしてここで私は、役者コースの1次審査の審査員を何度かつとめました。

 そのとき、ある子に質問したことがあったんです。

 その子が何度か受けていたから、何故、ここにこだわるの?そんな話でした。


 その子が答えた答えの中に、こういう言葉がありました。


 つか氏の作品で「熱海殺人事件(以下『熱海』」というのがあります。

 設定は時代で変わりますが、田舎から出てきた2人の男女が都会でそれぞれ仕事をしている。

 けれど、女は「うちは1番になる」そういう彼女に男は田舎にいた頃の純粋さはどうした?結婚して田舎に帰ろうという。

 けれど、女にはそんな人生はもう考えらえない。

 それを断ります。

 そして男は熱海の浜辺で女を殺してしまいます。


 そして東京の警察で、連行された男がそこの部長刑事によって、たかが不細工な女の首を締めて殺しただっ?

 そんな恥ずかしい事件で終わるんじゃないと、お前に立派に13階段上らせてやるからよといい、それこそ大事件の犯人に仕立て上げていくという話です。

 長年に渡りいろんな俳優さんで繰り返し上演されてきたものです。


 この「熱海」には4人の役者しか出てきません。

 そして女性は1人です。

 こうなってくるとその女性は美人でなければならない。男の中に女1人なんだから、それこそ全人類を代表するかという「美しい人」でないとならない。

 そうなってしまうんですね。


 それを、このオーディションに来ていた彼女は、自分は美人じゃないから、違うことで自信をつけたい。だからそれで頑張っている。

 「熱海」の1人出てくる女(女優)は1人だから美人でなければならない。


 このときはこれにどう答えるべきか、私は当時は迷った。


 今ならはっきり言える。


 つかさんがいう、美しいだったり、いい女っていうのは、顔がどうじゃないんだよ。


 それを言った彼女も顔だちも特に劣るわけでもなく、体型もバランスが取れていたし、背丈もあった。
 
 人に恥じる女性ではなかった。

 ただ彼女は自分に自信がなかっただけだ。


 美人っていうのは整った顔立ちをした人のことだ。

 これは一歩間違えば没個性になる。

 みんな均一な、それこそ黄金比に入る顔だちになるわけだから。

 役者はそれだけでは済まない。

 むしろ「可愛い」という顔でいい。

 そこにはその人なりの個性がある。

 そして可愛いは時代によって変わっていくんだよ。

 自分が新しい「可愛い」の基準になればいい。それだけだ。


 つかさんがいう美しさは「生命力」が強いかどうかだ。

 みんなを引っ張っていける力強さのことだ。

 この人のためなら、自分の生命を差し出してもかまわないと思えるほどの強さを与えてくれる人のことだ。

 そこまでしてその人にほれ込める強さを持った人だ。

 生命力が強いということはそれだけで、キラキラと輝いているものなんだ。


 顔の綺麗かどうかじゃない。


 でもこれって若い時代の特に女性は判らないんだよね。


 ちやほやされる綺麗さに憧れる。


 でもそういう顔立ちの美しさは時と共に失われていくものだ。


 個性のある可愛い顔なら、その時々自分の魅力を放ついい役者になるだろう。


 「生命力」のことなんだよ。


 それを言ってあげたかったと今、切実に思う。


 そしてその「生命力」は同時に役者の「華」を含んでいることもある。

 これは説明すると、とても難しいんだけどね。


 力強い生命力があるのなら、その「華」にさえ、1歩近づくんだよ。

つかこうへい様へ

2016-03-28 03:00:00 | 戯曲塾


 あれから、長い月日が経ちました。

 少し私も心に余裕が持てるようになり…余裕といえるほどではないかもしません。少し違う視点から改めてものが見られるようになっただけです…それでもやはり、先生が懐かしいです。

 間違いなく、自信を失っていた私に、もう1度自分を信じること、自分を肯定すること、否定しないことを教えてくれたのは、先生なのです。

 これだけは間違いないのです。


 またいろいろ考えると泣いてしまいそうです。

 私、あれから父を亡くしました。

 これは本当につらく、世界がひっくり帰るような出来事でした。

 先生が旅立たれた時よりやはりつらかったです。

 先生が旅立たれてから…、父が亡くなってまだが間がないので、父のことの方が心の整理がついていません。


 順番なのかもしれない。

 でも、そんな優しいものじゃないですよね。

 今になってこんな経験をするとは…想像もしていませんでした。


 私はやりたいこと、全てがまだ途中の段階です。

 思うように進まず、イライラしてしまうこともありますが

 「うまくいかないのが人生だ」

 「うまくいかないことほど、苦労をすることほど中の実は甘い」

 そんな言葉を思い出して、どうにか重い足を引きづり人生という坂を上っています。


 いつかいい報告ができるときがくるでしょうか?

 私はそう願っています。

 そして父は先生の所へあちらの世界で挨拶に参りましたでしょうか?

 

 娘がお世話になりました。


 
 父はそう申していたでしょうか?


 父も私と同じで、変なところ、緊張する人です。

 もし、まだ行っていなくてもご勘弁ください。

 もし伺いましたら、酒の一杯も飲んで、現世を一緒に見ながらそれをさかなに暇つぶしでもしていただければ、とても嬉しいと思います。


 今、1つ私は心の整理をつけたいと思います。


 いつか、本当に先生にいいご報告できる日が来ますように…。

 毎日1歩1歩、小さな歩みで頑張っています。


 どうか、先生、静かにお眠りください。



 かしこ



 元・北区つかこうへい劇団 劇作家・演出家コース6期生 石川洋子

つかこうへい氏…私がなるべきもの

2015-12-09 05:13:23 | 戯曲塾

 blog.goo.ne.jp(出典)

 映画版「蒲田行進曲」の風間杜夫&松坂慶子

 現在もご活躍のお2人


 japandance.blog.so-net.ne.jp(出典)

 ドラマ版「蒲田行進曲」の萩原流行と沖雅也

 共に劇的な死を遂げた…そういう方が増えてますね。役者ってそういうものなのよね


 この映画、ドラマが公開された頃、私がつかさんを思い、こういう展開を辿るとは思っていませんでした。

 どうだったか、昔のこと過ぎて覚えていない。

 自分の行き先を模索していたのかもしれない。


 ただ昔、こんな風に言われた。

 例えばAさんというタレントさんがいて、Aさんが出るんなら面白そうだから行ってみようとなる。

 例えばBさんというタレントがいて、Bさんが出るなら絶対に行く。

 そういうパターンがあるなら、私はBさんパターンになればいい。

 なんとなくAさんなら面白いと思ってきてもらうより、Bさんのように絶対Bさんなら好きだそう思わせる者になればいいと言われた。

 つかさんってAさんタイプより、Bさんタイプに近いのかも、またはその中間のようでもあった。

 劇場に来るお客さんの層を見ていても、結構年配の方が多く、長年のファンって感じでした。


 つかさんのお芝居に出るのは、みんな個性的な方々です。

 そしてつかさん自身も大きな心を持ちながら、細かいという(笑)そういう方でした。


 バランス感覚があったんでしょうね。

 でも私なんかより多くの人々と関わり合い、それをうまく裁いてきた、そんな人でもあった。

 ある元劇団の人が、この前つかさんの夢を見たと言っていた。

 
 いつものように、つかさんが自分の顔を覗き込み「○○、これはどうだ?」と聞いてくる。

 そうして、人の意見も参考にして芝居を作る人だった。


 つかさんはつかさん、私は私、違う者になっていくだろう。

 時代が変われば、それでいい。

 同じ人間は2人いらないものね。




 なんか、取り留めなくなっちゃった…。

つかこうへい氏の下で軽んじられる賞というやつ

2015-11-22 02:08:11 | 戯曲塾

 www.news24.jp(出典)

 
 www.bumper-inc.net(出典)

 藤谷美和子版「幕末純情伝」


 www.officiallyjd.co(出典)

 石原さとみ版「幕末純情伝」



 

 つかさんが大抵の賞を受賞していたため、役者たちから見れば、賞は獲って当たり前だったらしい。

 劇や小説を書く者にとってね。


 つかさんは演劇界の芥川賞と呼ばれる「岸田戯曲賞」を当時最年少で受賞している。

 小説の世界でも、直木賞を受賞している。

 日本アカデミー賞でも…

 最終的に紫綬褒章(こちらの世界から旅立たれた後、旭日小綬章を受賞している)


 ここまで受賞していれば、賞など簡単に獲って当たり前と思われてもしょうがない。


 ただ賞ってタイミングがあって、いつでもなんでも獲れるものではない。

 特に直木賞ではそれが強い。


 だけど


 獲れるだろう



 これで、周囲の意見は終わりだ。


 いやー、そんな簡単なものじゃないんですけどぉ~と言いたいところだ。

 い、い、言えないところがつらい。

 言う気もない。


 受けて立つぜ


 これが意気込みになってしまい、自分の首を絞めることになる、っと。


 ただいま、最大限で頑張ってます。


 そしてまた書こうと思っていた「オーディション」の話が飛んだ。

つかこうへい氏の下で再認識したこと

2015-11-20 22:34:16 | 戯曲塾

 ticket-news.pia.jp(出典)


 残念ながらというべきか、私は子役の頃より芝居をしていた。


 つかさんの劇団に入ってくるのは基本オーディションが18歳以上となっているので、それ以上の子達。

 初めて芝居に本格的に触れる。

 芝居をした。

 そういう若者だったりする。


 ここに私との誤差が生じる。


 つか人気絶頂の頃、入ってくるのは、とにかく つか芝居がしたいっ という子達だった。

 だた彼らがその後、芸能界で芝居をしたいかというと、そういうわけでもないようだ。

 つか芝居というのは、本当に特殊なんです。

 なんたって、他の劇作家や演出家でそういわれる芝居ってないでしょう。

 だから独特の地位を築いていた。


 まだつかさんが若く、一緒に芸能界の荒波でもなんでも乗り越えて行こうぜって思ってる「つかこうへい事務所」にいた役者の多くは、一線の舞台に立つ役者になることがある。

 経歴を見て驚くのが、私が脇役でも(この人好きだな)と思うのはつか芝居を通過してきた役者たちだった。

 でも「北区つかこうへい劇団」になってからは事情は少し違ったように思う。

 つか芝居がしたい。

 でも、それだけでは芸能界では通じない。

 それ以外の芝居も身に着ける必要がある。

 ここで葛藤が生じる。


 そしてつか芝居にこだわる人は劇団に残る(ちょっと想像が入る)女優として、俳優として芸能界でやっていきたい人は、ある時期が来ると、事務所に移って本格的に仕事を始める。

 この辺は個人でも考え方の差があるので、なんとも言えない。

 だからあくまで私の想像が強い。


 ただつか芝居を愛する役者の子達は、劇団の中では貪欲だった。


 ここを出て、本格的な役者の道に進むときに、いろいろなことが起きる。


 私の場合、他を知ってここへきてるわけだから、逆だった。


 この子達の言ってることが判らないということがあった。


 《芸能界》という場所を知らない。

 それだったのかもしれない。

 それがどっちが幸福でどっちが残念は判らない。

 ただ一部の講師からは多くの芝居を体験しろと言われた。

 劇団の中でも『エチュード』というのはするのよ。

 私はほかで『即興』と言っていた。


 その場で、設定を与えられて、何人かが出る。

 名前もない。どこへ話を運んでいくかも判らない。

 ここは船の上という設定だけを与えられて、4人がいれば、それで1つの話をその場で作る。


 もちろん、名前も決まっていない。誰がメインになるかも判らない。

 だから、誰かが先に「嵐だっ」と言ってしまえば、嵐の設定で話を進めないといけない。

 そしてまた誰かが「由美子っ、大丈夫」と言ってしまえば、由美子と呼ばれた人はそこから名前は由美子になる。

 大丈夫を由美子はどう受け取り、どう動くか、考えて誰かにまたフルか、先に誰かが「あそこに島が見える」と言ってしまえば、そこへ向かおうとなるかもしれない。

 いや、待て、この辺にはサメがいる。泳いでいくわけには行かない。この船はもうもたない。

 救命ボートは?使えないよと言われれば、それで話を進めていかなければならないというものだ。


 だから、ここはうまい奴、要領のいい奴が有利である。


 あくまで、そこから他の人はそれを盗んでも、うまくなればいい。

 それだけです。



 って、本当はオーディションにまつわる話を書くつもりだったのに…。


 間違えたぜ。


 私の『エチュード』書きになってしまった。

つかこうへい氏の脅威

2015-10-30 00:00:00 | 戯曲塾

 blog.livedoor.jp(出典) 


 TBSの「下町ロケット」が視聴率が勢いづいてるようだ。

 昨日…というか、今朝、コンビニ行ったら、下町ロケットの大福?を売っていた。


 この主役を務める阿部寛さんもかつてつかさんの指導を受けて、新境地を開拓した。

 古くも新しいドラマ「トリック」(テレ朝)なんかまさに脱皮した阿部寛になっていた。

 そして同じくTBSの「新参者」だ。


 でもそれは阿部さんが、それを求めて行きついた先だったと思う。

 阿部さんは私など覚えていらっしゃらないだろうが、以前お会いした。

 背が高いというのは有名だったが、とにかく細い方で、大きいという印象より、「ほそっー」という感じが強くて、大きいと感じなかった。そのとき一緒だったダンスの先生も大きい人で、こちらは骨太系だから…というせいもあったかもしれない。


 一説には日本の3人の劇作家に入ると言われていた時期もあった。

 これはフランスで言われたことと聞いたが、戯曲が書けて、なおかつ演出もできるということが評価されたものらしい。

 同じ、演出家のお名前を出すのは何ですから…演技ができてないと灰皿投げるといういわれる方とは違う…脅威はありました。


 ここは冷徹と言っていいくらい。

 つかさんにとって役者は自分の作品を演じる人々であり、そのインスピレーションを与えてくれる存在だ。

 だから、その役者から出るパワーのようなものがないと、いかにつかさんと言えどどうにもできませんわの世界らしい。

 ここははっきりしてました。

 甘さがまるでない。

 見切りもいい。


 冷徹以外のなにという?


 けれどそれだけの物を役者やスタッフに向けるのだから、ご自身に対しても同じだったと思う。

 
 これは成功する人の原則ではないかと思う。



 これはあとになり、落ち着いて考えて、私も気付いたことだ。


 つかさんの戦ったものは本当に大きかったと思う。


 小説を書いて、言われた話だが、潰されるんじゃないかと思ったと、書いていた間の裏の話をある方にしたら言われたことがあった。

 他の名前を出せば多くの方が知っている作家の方がやはり潰しに遭いかけたらしい。

 でも、その潰し方の意味が判らない。

 書かせるだけ書かせて使い捨てするなら、納得するけど(されたくないけど)そうじゃない潰し方というのが存在するようだ。


 けれどねー、私もつかさんの所にいた者だから、早々簡単にそんなもんには乗らないのよ。

 潰されかけても上手く逃げる。

 これもやっていけるかどうかの1つの要素だと思う。


 つかさんもこういうことと、かつて戦い、勝ち抜いた「戦士」だったわけだよ。


 だから、役者としてかかって来る者に遠慮はない。

 全身で戦う。


 そういう姿勢はお持ちだったと思う。


 つか氏の元にいてそれも学んだんだな、無意識のうちに。

 それは、私の大きな幸運以外のなにものでもない。

この業界、それを聞いちゃあ、おしまいよ

2015-10-16 22:00:00 | 戯曲塾

 grabpage.info(出典)

 たまに他のブログを見ていても、アジア人女優を使う場合、もう少し美人を使ってもいいだろうー??というのを見ることがある。

 もうアジア人が主演級のメンバーの場合は美形が選ばれる。

 でもそんな単純な理由じゃないと思う。

 演技とか、様々な事情があってそうなるものだと思うけど…特に女性が女性の容姿についてどうこう言うのは凄く嫌なことではある。


 でも、1つ思うのは、制作が米国なら、あちらに未だ、アジア人=容姿がイマイチという図式があるような気がする。


 実は、先の大戦で真珠湾攻撃で、日本人に祖父を殺されたと思っている米国人もいると知ったのも海外ドラマからだ。

 日本人は敗戦してるんだから、当然、敵国米国がと思っているのは当たり前にしても…勝った…しかも余裕で勝ったと言われる米国にさえ、そういう感情があるということを知って驚いた。


 日本の芸能界でさえ、勝ち抜くのは簡単なことじゃない。

 それを言語も習慣も違う国で役を獲得していくのはどれほどのことかというと…想像を絶すると思う。

 たまにどこそこで、偶然監督に会ったから、この役に起用してもらったという話があるが、それは何千分の一で起きたことで、実は失敗に終わった例はもっとあるだろうという話を読んだことがある。

 私でさえ、演出ができる立場だから、いつ芝居を公演してもおかしくないわけで、それを知ったとたん、売り込みに来たやつがいるほどだ。

 ってか、あんた、私が何書くか知ってるの?とこちらの方が聞きたい。

 とんでもない駄作しか書けない奴だったらどうする訳?凄いエロとか…さ。

 と思う反面、そうやって売り込まれる、監督なり、演出家なりは、さぞかしうっとしいことだろうなと初めて思ったくらいだ。

 役をとるというのは、そういう難しいところが、たくさんあるわけだ。

 顔がいい。演技ができる。これだけじゃダメなんだな。

 他の世界でもそうだろうけど、メンタルやら、なんやらいろんな要素が揃ってないと勝ち抜くのは無理なのだ。

 ってなことを改めて思ってしまった。


 たまにスター性などというのが、いるが、あれは、私も判りません。

 むしろそんなこと考えるんなら、演技の勉強でも、文章の勉強でもしろと言いたい。

 簡単に答えの出る問題じゃない。


 天才とは何かと聞くのに等しい難しい話なのだ。

つかこうへいは霊力の強い地を選んでいた?

2015-09-12 12:30:00 | 戯曲塾

 blog.goo.ne.jp(出典)

 
 この間、テレビを見ているとそれに触れている番組がありました。

 上の写真は何度かしつこく出てきていますが「北区つかこうへい劇団」最後の稽古場となります。

 この当時は、東京都北区の北赤羽駅の近くにありました。

 北赤羽駅は快速が止まらない(笑)

 そういう意味では地理がいいということはありませんた。

 

 以前、違うところで天河神社の話に触れました。呼ばれなければ行かれない所、それくらい地形が険しい所です。

 そしてこの神社がある場所が奈良県です。

 この奈良は霊力が強いと書きましたが、古墳が多いことが例に挙げられるようです。

 この赤羽という地域も八幡神社境内の森など、その一辺に古墳が多く存在していたそうです。

 開墾や砲兵連隊駐屯地の整備、もしくは戦後の開発でほとんどのものは消えてしまいました。

 けれど、中にはきちんと調査されたものがあるそうです。

 今はそこに団地などが建てられているようです。

 元々「北区」の稽古場があったのは小学校だったものが閉校になり、色々な事務所や何かとして貸しだされていました。

 その一角に「北区」のもあったのです。


 古墳の多い土地…。

 ここも霊力の強い場所でしょうか。

 結構文学に通じた場所です。

 私が胸をドキドキさせながらもここが怖いと思ったのは、その霊力ゆえのことだったのかしら?

 だったらここへ向かった分、何か拾った?

 そうだったら、いいんだけど…。

 そこを選ぶつかさんも霊力の強い方だったのかもしれません。



 売れる為には人を先んじる「勘」あってこそです。


つかこうへいが現代に伝えたかったこと

2015-09-08 17:00:00 | 戯曲塾

  写真提供:齊藤一男スタジオ(出典)

 何とは申しません。しかし私たちにつか先生は教えて下さったことがあります。





 今年、戦後70年という節目を迎え、政治でも多くのことが論議されている。

 私は、つか先生のあの言葉を思い出してしまうのです。


 今、伝えられている、戦争の頃のこと、または60年代の安保闘争の頃

 マスコミは全てを伝えていない。


 まだまだ隠された真実がある。

 つかこうへい氏はそれをある所から聞き、知っていました。


 作家とは自らが声高に叫ぶことでも、政治家になり、国を変えると選挙に出ることでもない。

 その作品を通し、社会に広く伝える、それが役目です。

 奇しくもベストセラー作家としてつか氏と同時代…もしくは少しズレながらも…小説を書いてベストセラーを連発していた赤川次郎氏も同じことを言っています。

 つか氏も作品を通し、多くの今は出てこない戦争の真実などを形を変え、フィクションを交えながら、世間に伝えようとしていました。


 以前私が書いた「赤紙が来る人来ない人の差」という話はテレビの番組で詳細な資料を得たとしてドキュメンタリー番組で放送されていたものから書かせていただきました。

 しかし、それは日本の番組ではないのです。

 戦争当時、敵国だった米国のドキュメンタリー番組なのです。

 何故、彼らはそんな詳細な資料を持っているのでしょう。

 日本だってあるはずのそれを日本が伝えないのは、何故でしょう?


 言えないことがあると、自ら告白したようなもの

 
 そう考えることは間違いでしょうか。


 私が戦争や安保闘争に詳しいわけではありません。

 しかしつか作品を通し、そうして、国を問わず、戦争の頃起きたことを放送する他国制作のドキュメンタリー番組を見て知るに至るのです。

 そして思うのです。


 つかこうへい氏が言ったことはいい加減なことではない。

 根拠があったことだった。


 時代は変わったものですね。

 かつては、ある作品の中で主演がJ事務所の若手アイドルグループの方だったのに、街宣車が来る騒ぎになったことがあるそうです。

 怖いですよ。でもそれもつか先生は背負っていました。


 今は芝居1つでそんなに騒がれたりしませんものね。

 それもつか氏の悩みの1つでした。

 携帯電話に何千円かけることは平気でも、芝居のチケットに数千円(つかさんの芝居の場合、1000円で行う芝居など珍しくはありません。外部公演=他の会社が主導権を持って公演を行うときは別ですが)

 それでも多くある娯楽の中で、芝居を改めて考える人々は少ない。


 でも、今は芸能界もタレントをライブ感覚の舞台に立たせ、お客様の反応をタレントに実感させたいと積極的に舞台に出しています。



 私はペンでものを言っていこうと思います。

 まだひよこすぎて、上手く伝えられないこともあります。

 でも、それでも、伝えたい、そう思うことはあるのです。

 師としてのつか氏の言葉を借りながら。


 それを引き継いでいくのも、また私たちの仕事だとも思うのです。