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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

姨捨山伝説

2007年01月21日 | 雑記




冠着山(かむりきやま)…別名「姨捨山(おばすてやま)」です。
長野市から上山田温泉方面に向かう道すがら千曲川を挟んだ対岸に見える山並の
一部に、頂の下に猪の牙のような小さな岩が目印となります。
平安の御世から大和物語、今昔物語などにも登場し、また月見の名所として松尾芭蕉も
この山にかかる中秋の名月を見にきたそうです。麓には斜面にへばりつくようにいくつも
作られた棚田の水面に映る月が「田毎の月」として有名です。
山に囲まれた信州でも山そのものは標高もそれほど高くなく(1200m程度)
目立つ山でもなく、隣市へ行くと全く人々の口にもあがらない山です。
けれども姨捨山の名前だけは、姨捨伝説とそれを題材にした深沢七郎の名作「楢山節考」
で、大変有名で、実際にそのモデルとなっている山がほんの近くにあることや
まして家から見える山(家からも見えます)であることは、私の住んでいる地域の人々
はほとんど知らない。
そんな知名度だけが優先している例がもうひとつ。
松谷みよ子さんの児童文学の「龍の子太郎」ですが、こちらも全国で知らない人はいない
ほど有名な伝説ですが、これも私の住んでいる市内(山の方)に残る伝説が元となって
います。でも同じ市内でこれを知っている人は大変少ないです。

姨捨伝説にはいくつかの説話があるようですが、
飢饉が続き食べるものも無かった時代、60歳になった年にはそのお年よりを姨捨山
に捨てに行くきまりがあり、村人は従っていたのですが、ある若者はどうしてもそれが
出来ず、一度山へ母親を連れて行くが、翌日には迎えに行き人目のつかない場所に隠し
ます。その頃殿様の所に難題が起こっていました。3つの難しい問題を解かないと
その国が滅ぼされるとのことでした。けれども国中のだれもが解けない問題を、その
老婆が簡単に解いてしまいます。その話を聞いた殿様は改心して、以降お年寄りを
大切にし、尊ぶようになったそうです。
深沢七郎の「楢山節考」はこの伝説を感動的に蘇らせた名作で、是非沢山の人に、特に
子供達が大人になる前に読んでもらいたい作品です。

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2 コメント

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Unknown (minami)
2007-01-22 20:54:17
ガイさん、こんばんは。
は~これが有名な姥捨山ですか。
確かに牙のような岩みたいなものが見えますね。
姥捨伝説は実話だったのでしょうか?
本当の所はどうなんでしょうね。
ガイさんが書いた説話、私も何かで聞いた事があります。
今の60歳はまだまだ若いですが、昔は「人生50年」なんていわれていたので、60歳はもう用済みだったのでしょうね。

各地に伝説が伝わっている所がありますが、地元にいても知らない事が多いのかもしれませんね。
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そういえば (ガイ)
2007-01-22 23:43:29
minamiさん こんばんは

姨捨伝説は物語としては大和物語と今昔物語に出てきますが、多分そう遠くない昔、実際に(場所はともかく)あった話のような気がします。
伝説ではお年寄りの知恵は得がたいものであり、そういう意味でもお年寄りは大切にということが主旨なんですが
深沢作品では孝行息子と60になったら口減らしのために自ら死ぬことを決めている母親との悲しい話となっています。
実際に明治頃までは、日本の各地で貧困と飢えによる親殺し、子殺しがあり、柳田國男の本の中では死刑囚となった女性の手記として、ある日、自分の小学生くらいの子供が床に横たわり、ナタで自分の首を切ってくれと懇願し、気がつくと母親が手を下していたというような悲惨な事例があったそうです。

明るい話では、「松山の鏡」というラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の小説の題材。
てっきり四国の松山の話だと私は思い込んでいましたが、
これは私の隣県の新潟県の松之山(温泉)に伝わる伝説だそうです。似たような言い伝えは各地に残っているようですが、昔、早く母親を亡くした少女が成長したとき、泉で顔を洗おうとすると、水面を覗き込むと、そこに母親が写っていたという話。
また仏典には、似たような話で、母親が死の間際小さな娘に何年かしてどうしても私に会いたくなったならこの箱を開けてみなさい。と残した箱。その後我慢強く生きた娘が成長したとき、どうしても母親に会いたくなり残された箱を開けると中には鏡が入っていました。(昔は現在のような鏡はなく、銅鏡でしたのでぼんやりとしか写りませんし、非常に高価ですので庶民には普及していない時代の話です)娘が見るとまぎれもなくそこには母親の顔が写っていました。

そうそう伝説といえば、現在の遠野市は都市化され、もはや伝説の里ではなくなっていますよね?
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