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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

笄(こうがい)の渡しと女涙坂(おなみだざか)

2007年09月23日 | 雑記
 今日の大河ドラマ「風林火山」で、村上義清の奥方「玉の井」が葛尾城から抜け出し、千曲川を渡る時、村人の舟を借り対岸へ渡るシーンがありました。戦に巻き込まれないよう躊躇する村人でしたが、相手が村上夫人であることを知ると危険を冒して舟に載せます。夫人は礼として、自分が身につけていた髪につける笄(こうがい)を渡します。その後、対岸に着いた夫人とその一行は、待ち伏せしていた武田方の「馬場信春」の軍勢に追い詰められ自刀します。
 坂城町と戸倉の境近くある千曲川のほとりに、現在も「笄の渡し」として史跡が残されています。対岸には夫人が自害した場所であるという姫宮の跡碑があり、ドラマではその説を元に放送されていましたが、船頭に類が及ばないよう舟から身投げをして、川中島付近まで流されて、農民に匿われて助かったという説や、対岸に渡り、落ち延びる途中振り返ると葛尾城が燃えているのを見て涙を流したという由来が残る女涙坂を経て東国寺に逃れ仏門に入ったという説などがあります。
 村上義清はその後、上杉家の家臣になり、川中島の戦いでは、敵の有力武将である武田典廐信繁(信玄の弟)を討ち取ります。義清の奥方がどうなったかは、おそらくドラマでのあらすじが自然の流れのような気がしますが、武田滅亡後、再び坂城の旧領に嫡男の国清が城代としてはいることになります。
 武田信玄に敗れたあるいは、武田についた東信濃の武将が多く登場しますが、その子孫が現在も多くこちらに住んでいます。また私の親戚にも武田方の有力武将を先祖に持つ家もあるのですが、身近なところでは今日登場した馬場美濃守信春の子孫が知り合いにいます。馬場家は現在も何年かに一度、一族が集まり先祖祭りを行っているようです。
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