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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

秋山紀行 5

2008年01月11日 | 雑記
さて、雪深く、半年は外界と完全に隔絶した秋山郷ですが、もちろんお寺もないところですので、その間にお葬式がでた場合は、村の宝とされる「黒駒の太子の掛軸」を死者の上で振り、この世との縁切り引導とするところや、15歳未満の子供達を集め、子供達だけで、「なむなむ」と念仏を唱えさせるだけで済ませる地区もありました。一応、旦那寺は妻有庄や信濃の高井郡にありましたが、冬は呼ぶこともできません。村内にお寺がないので文字を読み書きする人もおらず、見よう見まねで少し字が書ける人は村人から尊敬されていたそうです。太古からの原生林が残る自然豊かなところで、自給自足を行っていた当時の人々は思いのほかみな長寿で、病人がでると重湯を与え薬にして直していました。季節の産物をその時々で食べ、外界との接触がないことからストレスもないことが長寿の秘訣です。秋山郷の人は酒は飲まず(米もなく、町で買うと大変高価、時折粟酒を作る人がいたそうですが、酒のように酔わないので仕事に差し支えることもなかった)、人と争わず、賭け事もせず、温厚篤実、藁一すじでも盗む人はいなかったそうです。
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2 コメント

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多様性のある死に方、送り方 (胸の振り子)
2008-01-12 12:04:52
昔はそういう孤立的な村が各所にあったようですね。
三浦半島の海岸沿いにも佐島という、地形上孤立した村があって、戦前までは地域内での婚姻を繰り返していました。そのため高血圧の疫学的調査対象として有名だった所です。今は、山に切り通しが付けられ、マリーナやリゾート開発が進められ、全く様変わりしました。

20年ほど前、知り合いのドクターの奥さんが、長野県のものすごい田舎出身の人で(場所は聞き忘れました)、おばあさんが自宅で臨終を迎える時に、医者がいないので、家族で看取らなければならなかったそうです。
でもみんなしろうとなので(あたりまえですが)、最後の方は、まだ息をしているのか、本当に止まったのか分からなくて、みんなで悩んだそうです。
それで電話で東京の孫夫婦に実況中継をしながら、「あっ、今息が止まった」、「と思ったら、また息しだした」。「さっきのはまだ死んでいなかったんだ」とか、やり取りしていたんだそうです。
不謹慎かも知れませんが、その話を思い出す度に笑ってしまいす。
昔はみんな自宅で死んでいたわけで、こういのもありじゃないかなあと思うのですが。
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大往生 (ガイ)
2008-01-13 09:05:52
おばあさんの話、おもしろいですね。こういった自宅での大往生は今はほとんどないですが、私もそれはそれでいいものだと思います。大往生の場合はある意味おめでたいものでもありますので、よくあるお葬式の司会者が低いトーンで暗い雰囲気を一律に演出していることも、ケースバイケースで変えてもいいんではないかと思います。

三浦半島のようなこちらから見れば都会でもあったんですね。地理的孤立に関しては、意味が違うかもしれませんが、県内のあるところでも、その地区の人しかかからない風土病などがあったり、やはり20数年前まではハンセンシ病患者への迷信による山中への幽閉があったり、いろいろなことがあったのですが、今はすっかり均一化しています。

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