旧暦10月は神無月といい、日本中の神々がお隠れになることから、そう呼ばれているが、どこにお隠れになっているかというと、伊勢神宮にお集まりになっているという。月が明け霜月になると、この集まった八百万の神々を招待しお湯に入ってもらうという湯立ての神事が、信州南端の遠山郷及び、主に秋葉街道沿いの静岡県北部や愛知県の一部の地域において行われている。元々湯たての神事は、平安時代、宮中で行われていたものであるが、ほぼ当時の様式をもって現在まで連綿とこの霜月まつりでは伝承されている。この行事で特に有名なものが遠山郷で行われているものであるが、かつては、この遠山郷は北の秋山郷と並び平地から離れた最奥地としても知られていた。今ではこの遠山郷は合併して長野県飯田市になっているが、合併前は上村、及び南信濃村として独立した行政区画で、飯田市の中心部から旧上村を通り、南信濃村の中心地である和田までは45kmの山道が続く。道はほぼ2車線道路に改良されているが、所々国道にも関わらず、すれ違い注意の区間があり、かつては特に冬場の車での通行は大変であったたことがわかる。車載の高度計を見ていると飯田中心部が標高400m代ですぐに急勾配の道となり、矢筈トンネルを出た地点が1000m、そこから長い下り坂のカーブの続く道路で和田集落で400mとなっていた。同じ県内であるので、上田から近い気がしていたが、上田から旧南信濃村の和田地区までの道のりは176Kmもあり、霜月まつりの日帰り見学といっても八尾に平湯経由で行く道のりとあまり変わらないことに帰りの道すがら気がつく。徒然草の中で、「ただひとりあるこそよけれ」と述べられているとおり、まだ見ぬ行事を思いながら行く道中は楽しい。中央自動車道で伊那あたりから常に名古屋方面に向かい左側に見えている高峰の南アルプスの諸山の南端の麓に遠山郷はある。飯田ICに近づくにつれ、左奥にあった冠雪の南アルプスの手前にもそれよりもやや低い山並み(伊那山脈)が聳え、どこに集落があるのか想像がつかない。その謎は飯田市内からの急勾配を上るにつれ、段々と判ってきた。遠山郷はこの南アルプスと伊那山脈の谷間に点在している集落であった。矢筈トンネルは将来は、高速自動車道として利用される目的で作られた高規格道路で、それまでの細い山道を上がってくると突然巨大な構築物が林立する異次元空間で、短い距離で標高を稼ぐループ橋とそれに続くトンネルの車道の構成になっている。トンネルを抜けるとすぐに左側に程野正八幡社がある。こちらでは14日、霜月まつりが行われる。いよいよこの時期神々がおわします遠山郷である。(正確にはトンネル手間から上村)車窓から見る雰囲気は平湯から神岡に抜ける道沿いに似ているが、もう少し谷が深い。遠山郷の霜月まつりは当日(13日)は目的の南信濃村和田地区の諏訪神社の他、上村の下栗の拾五社大明神でも行われる。霜月祭りについては
http://www.tohyamago.com/simotuki/index.htmlに詳しいので割愛するが、毎年12月に入ると、県内のニュースで取り上げられ一度は行ってみたいと思っていた。
http://www.tohyamago.com/simotuki/index.htmlに詳しいので割愛するが、毎年12月に入ると、県内のニュースで取り上げられ一度は行ってみたいと思っていた。
こういうものを写真で残しておくと、貴重な記録になると思いました。
しかし秋山郷にしても、遠山郷にしても、たどり着くまでが実に大変そうです。お疲れ様です。
あげ足取りになりますが、神無月に神々がお隠れになるのは、伊勢神宮じゃなくて、出雲大社では?
伊勢と出雲とどっちが古いんだろうなどと考えると頭がくらくらしますが。
霜月祭りの原点は皇室行事であり、そういったことを考え合わせると、南信州や奥三河に伝わる本行事につき、より伊勢神宮の方が位置的にも近く宮中行事と深いところで関係がありそうなことから、極めて感覚的ですが、伊勢神宮説を書いた次第です。
盛んに「御師」(おし)が全国を回り、
布教と勧誘をしていましたからね。
ある意味、ライバルのような…
今でも、微妙な路線の違いはあるようですよ。
両者は別個の組織を立てていますから…
信州といえば、
諏訪大社があるじゃないですか。
伊勢や出雲に比肩し得る古さです。
面白いですねぇ。大根の神様とかひよこの神様とかいるのかな・・・。
建築的にも出雲大社はすばらしいですね。
諏訪大社は大変馴染みがあるのですが、こちらもいいですね。
天皇制という支配体制の中で伊勢神宮は発展して行きましたので、神々の家系である天皇家の本であるアマテラスの元へ日本の神々は集まる‥という筋書きは的を得ていると思います。
延喜式に出てくる社は、当地にも沢山あり人々にとって信仰が生活に深く関わっていたことが判ります。
ところで近年、日本に仏教がはじめて伝わったのは通説と異なり、実際はもう少し古く場所も善光寺であったという説が出てきています。
ここらへんは興味深いところなので自分なりに詳しく検証してみたいと思っています。
ただ真偽のほどは判りませんし、原作者ご本人がおっしゃてはいないのですがね。
ところでうちの近くの田沢温泉のますや旅館はあの湯ば~婆の温泉旅館によく似た作りで、これは極めてあてになりませんが、うちの勤務先の施設もモデルだとの伝説(笑??)もあります。