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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

徒然草 3

2009年01月03日 | 徒然草

さて、この第三十二段の「月を見る女」については、最近、光田和伸さんという国文学者が「恋の隠し方― 兼好と「徒然草」」(青草書房)という本で新説を展開しています。それはこの三十二段に出てくるある方と兼好は同一人物で、月見る女は結ばれなかった兼好の恋人だったということ。更に彼女との思い出についての記述は徒然草の他の段にそうとは気が付かれないよう散りばめて挿入しているということ。これについての歴史的理解の中での根拠も示され説得力のあるおもしろい本になっています。けれども兼好自身は何も語っていません。そういう見方も出来るのだということはいいのですが、私達の前にある徒然草は、くしくも小林が指摘しているように多くを語らず、それを読者が自分の体験したごとくに思い出し、理解して行くというのが一番いいやり方のように思えます。ですので、光田さんの理解はそれは光田さんの理解であって正しいものであり、他の研究者の方もその人自身の経験や知識の程度により理解して行っていることもまた然りだと思います。ただ一般的には古語辞典をそのまま当て嵌めて訳文を作りこれが徒然草の意味だと言っているのは、甚だ意味不鮮明というか明らかにおかしい。私にとっての月見る女は、兼好が垣間見た好ましい女性であり、あきらかに前三十一段の雪の美しさを書かないといって拗ねている女性とは別人なのです。

 

 「雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。」(第三十一段)

 

「雪が情趣深く降った朝、所用があり手紙を書くと、その内容に「雪の事が一言も書かれておりません。そういう趣を解しない無粋な方の願いは聞き入れません。」と言われたことがあった。今は亡くなった人であるが、そういった些細な事も忘れられない。」(第三十一段) この三十一段は明らかに兼好の恋人との思い出話です。

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