自分がまだ学生の頃、信越線の特急あさまで東京へ帰京する際、東山魁夷と同じ車両に乗り合わせたことがあります。
当時、建設中の長野県信濃美術館の東山魁夷館の打ち合わせで長野へ行かれた帰りと思われますが、夏休みのUターン
ラッシュで客席が満員の車内の普通車で汗をかきながらお立ちになってのっていらっしゃいました。
後にこのことを、知り合いに話すと、ほとんど人がそんなことないだろう(有名な画伯がグリーン車でなく普通車で
しかも立って2時間30分いるのか?)と言っていましたが、確かにテレビや写真でみるスーツ姿の東山魁夷でした。
氏は生前長野県の各地を訪れ幾多の名作を残しており、多くの作品を県に寄贈されましたが、その中でも最も有名
な題材の地がこの奥蓼科へ向かい山にある人造湖の御射鹿池です。鏡面のような美しい水面に立ち、氏は何を考えて
スケッチしていたのでしょうか。
当時、建設中の長野県信濃美術館の東山魁夷館の打ち合わせで長野へ行かれた帰りと思われますが、夏休みのUターン
ラッシュで客席が満員の車内の普通車で汗をかきながらお立ちになってのっていらっしゃいました。
後にこのことを、知り合いに話すと、ほとんど人がそんなことないだろう(有名な画伯がグリーン車でなく普通車で
しかも立って2時間30分いるのか?)と言っていましたが、確かにテレビや写真でみるスーツ姿の東山魁夷でした。
氏は生前長野県の各地を訪れ幾多の名作を残しており、多くの作品を県に寄贈されましたが、その中でも最も有名
な題材の地がこの奥蓼科へ向かい山にある人造湖の御射鹿池です。鏡面のような美しい水面に立ち、氏は何を考えて
スケッチしていたのでしょうか。