自業自得の結腸癌

菌状息肉症と結腸癌、2つも癌を抱えちゃったけど、病気のおかげでかえって人生が豊かになった気がするよ。

大腸癌術後の後遺症

2012-07-30 | 手術

私の結腸癌の摘出術は、邪魔っけな子宮筋腫がありながらも
腹腔鏡下で無事、速やかに施行された。

術後翌日から、ナースやドクターに「ガスは出たか?」と聞かれるも、
翌日も翌々日もガスは出なくて、でも、そんなことより
とにかく痛みに耐えて歩くことが私の当面の大きな課題だった。

そして術後3日目くらいだっただろうか、便意を感じるようになったものの、
とにかく少しでも腹筋に力を入れると、七転八倒の痛みがくるので、
もうこれは自然と漏れ出てくる(!)のを待つしかない、とあきらめた。
何も食べていなくても、便は出るんだって

そうして、4日目には下痢のような排便があり、
その後は、腹痛はないんだけどもずっと水様便が日に何度も出ていた。


私は、退院して4~5日自宅療養したら、仕事に復帰するつもりだった。
痛みはまだ残っていたが、これは鎮痛剤の助けを借り、
仕事に集中していれば我慢できる程度のものだから良いとして、
仕事への復帰を躊躇させていたのが『頻便』である。
それまで“頻尿”という言葉は聞いたことがあったが、
『頻便』ははじめて。ネットで見た。

まあ、とにかくもう下痢ではなく、しっかりと形のある良い便なんだけど、
一日に多い時で10回、少なくても6~7回は出る
最初は、あんまりたくさん出るので腸まで出ちゃったんじゃないかと思ったほどだ。

仕事復帰には、まず片道30分のマイカー通勤が心配だった。
道中、コンビニとかトイレを借りれるような場所がないのである。
猫のトイレを車に積もうか、とか、おむつをしようか
など考えているうちに数日は経ってしまい、
腹部の傷口を診てもらいに受診した時、主治医に
「頻便は仕事に行くと止まるものですよ。緊張している方が出にくいらしい。」
と言われ、思い切って出勤してみたら、本当だった。
前日まで6回以上は便が出ていたのに、復帰初日は朝家でトイレしてから、
夜帰るまで一度も便意は催さなかった。


そうして、職場では何もなかったかのように仕事をしていたが、
家では口の悪い夫に、「リアルあっぱバサ」と呼ばれていた。
新潟弁で、あっぱ=ウンコ、バサ=婆さん
ひどい、ひどい 「リアル」をつけることないじゃん


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医療職なのに・・・

2012-07-27 | 仕事・職場


私は言語聴覚士として病院勤務が長かったが、
今はリハビリテーション専門施設で働いている。

今回の大腸癌では、入院・手術で約1ヶ月も
仕事を休んでしまった。

職場では、普段よく関わる一部の人には
事情を詳しく説明したが、
それ以外の人には「病気休暇を頂きます」とだけ伝えた。

事情を詳しく話しておいた仲間の一人、外来ナースに
私がK先生に「結腸を切るついでに
子宮筋腫も取ってはいただけないでしょうか?」
と尋ねて「悪性腫瘍を切除するのに、ふつうは
そんなことしませんよ。それに、腹腔鏡下手術ですから
そんなに大きな子宮筋腫は取れません。」
と、笑いをこらえた表情で言われた、と話したら、
「やだ、アニーさん!
医療職のくせして、そんなこと聞いたの
と、あきれられてしまった。

だって~、、、
大腸のことなんか専門外だから知らないよ。


だけど、術後に言われたの。
「卵巣嚢腫が見つかったので、ついでに取っておきました
って。ほら~、、、
やっぱりいらないモンは取り除いてくれたじゃない。

若手のM先生には
「子宮筋腫は猫の頭くらいあって邪魔だったよ
と言われた。

この大きな子宮筋腫は、私の年齢からして、
もう女性ホルモンが少なくなる時期だから、
放置しておけば、徐々に小さくなるらしい。


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抗がん剤ダイエット

2012-07-26 | 抗がん剤の副作用


私は身長が155cmしかないのに、
今年のお正月ごろは体重が57kgもあった。

食べることが大好き、料理も大好き
おなかが空いては食べ、いっぱいでも食べ、
悲しくても食べ、腹が立っても食べ・・・
で、気付いたらおそろしい体型に

これはイカン
と、取り組んだのが『低糖質ダイエット』。
わずか3週間で体重は53kgに。

その後、検査や手術で食止め&下剤の繰り返しがあったものの
思ったより体重は減らず、52~54kgをいったりきたり。

ところが、6月8日初回のケモで、
20時間にわたり、噴水のように吐きまくった
その後吐き気が治まっても、食べるのが怖くなり、
おっかなびっくり、おなかがいっぱいになる前に
食べるのをやめてしまう習慣がついたためか、
今は49~51kgでとどまっている。

体脂肪もピーク時は31%もあったが、
今は23~25%くらいである。


今日の夕方、4月に異動になってお別れしたA氏に
職場でバッタリ会った。
「アニーさん、痩せましたね~」と言われたので、
「ダイエットしたのよ~」と答えたら、
「大成功ですね」と返された。

 ――― 「抗がん剤ダイエットだがな

と、心の中で一人ツッコミを入れた。



写真は我が家の可愛いおデブさん


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癌の告知

2012-07-25 | 告知


「今から告知をします」

なんて、言われたわけではないけれど、
癌について、自分の知らないことを知らされるのは
“告知”だよね?

いや、なんというか、私は少々鈍いところがあって、
あとになってから「あの時のアレは・・・」などと気付くことがしばしばある。
大事な告知の局面に、自分では告知だと思っておらず、
家族を同伴せずに一人でぷらぷら診察室を訪れ、
「お一人でいらしたんですか?」
と、ドクターに心配されたこともあった。



最初の告知は近所のKクリニックで生まれて初めて内視鏡検査を受けた時。
まだ麻酔覚めやらぬもうろう状態で、検査をしてくれた先生から
「アニーさん!聞こえる?S状結腸というところにね、大きな腫瘍があったんですよ。
あとで、院長が詳しく説明しますからね。いいですか?」と言われ、
夫とともに院長から説明を受けた時。
「内視鏡では取れないくらい大きな腫瘍なので、手術が必要です。
少しだけ細胞を採取しましたから検査に出しますけど、癌だと思っていいと思います。
まあ、病理の結果が出てみないと、悪性とは断定できませんけど、
これはもうできるだけ早く手術を受けたほうがいいと思います。」との説明だった。

 ――― 癌? 悪性でないかもしれない? 悪性でなくても癌と言う?
麻酔が抜けきっていないこともあり、私の中では少々混乱していた。



そして、二度目の告知。
Kクリニックの院長から紹介されたドクターを初めて訪ねた時。
外来で自分の番が来て、K先生の診察室をノックした時、
K先生自ら出迎えて下さり、にこやかに、でも少しだけ心配そうに
「お一人でいらしたんですか?」とおっしゃった。
K先生は私が渡した紹介状を、私に見えるようにデスクに広げ、
「かなり大きな腫瘍だったんですね。よく検査を受けましたね。
見つかって良かったですよ、ほんと。」と、穏やかにおっしゃった。
でも、続けて「悪性の進行癌として治療します。」とも言われた。

 ――― “悪性の進行癌”・・・この言葉が私の胸に突き刺さった。

だけど、ショックに浸る間もなく「切れば済む話ですから」と
K先生は笑顔で言い、すぐに入院と手術日の相談を始めたので、
私の意識は癌になったことよりも治療の方に向けられた。



最も私が動揺した告知は、もう元気に職場復帰をしたあとのことだった。
職場復帰をした翌日が術後初めての外来診察だった。
退院した時点では、まだ病理検査の結果が出ておらず、
この外来診察でその結果を知らされることになっていたので、
私はこれまでで一番緊張し、「告知を受ける」意識で診察に向かった。
一人で。

私は「おそらくステージ1」と思う気持ちが強かった。
腹腔鏡手術ではピカイチのK先生が執刀医だったし、
T先生もM先生もH先生もついていてくれたのだから、
サッパリきれいに癌は取り除かれたはず、という根拠で。

だけど、言われた言葉は、
「実はね、リンパ節に転移してたんですね。
リンパ節を25個切り取ったんだけど、そのうち4個に転移していた。
3個までがステージ3a、だけど4個以上は3bに分類されるんです。」
というものだった。
ものすごく胸がドキドキした。
とりあえず夫に説明できるように、手帳にメモを取ろうとしたけれど、
字を書く手が震えていた。

その日、診察の帰り道、いつも運転している道を間違えてしまった。
化学療法の説明も受け、悲しいというよりちょっと興奮気味だった。
これまで他人事だったケモを、自分が受けることになるとは。



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1本、また1本・・・

2012-07-24 | 手術


1本、また1本と抜けていく・・・

と言うと、薄毛を気にする夫はすぐに
「なんだよ、その人をバカにした言いぐさは」とか、
「なんだよ、その上から目線の発言は」と言う。

いえいえ、あなたの髪の話ではありませんから


トイレまで歩いて行けるようになったら
(といっても個室でトイレはベッドのすぐそば)
尿道カテーテルが抜ける。
術後3日目にまずこれが抜けた。

術後3日目からは食事も開始された。
まずは重湯と流動食から始まり、
五分粥食、全粥食、常食へとほぼ1日ごとにレベルアップ。
五分粥食になるころには点滴が抜けた。

術後5日目。痛みはまだあるけど、
食事とともに錠剤の鎮痛剤が飲めるようになると、
手術時に入れられた背中の硬膜外麻酔の管が抜けた。

あとは腹部のドレーンだけ。
これは癌部分を腸ごと切り取って、腸と腸を縫い合わせた部分の
縫合不全がないかを確認するために入れてあるのだそう。
もし縫合不全があったら、不純物(つまり便?)が
管を通って出ているのでわかるらしいけど、
私のドレーンにはいつも鮮やかな赤い血液と、
ところどころやや黄色っぽいけど透明な液が流れ、
まったく浮遊物というか、固形状のものは出ていなかった。
これは術後7日目に抜いてもらった。
抜いたら、今流れ出ている血液はどうなるのかと思ったら、
お腹の中で吸収されるから問題ないとのことであった。


「私だけは回復しない稀な症例」だと自分では思っていたけど、
術後、順調に管が1本、また1本と抜けていき、
当初の予定通り、術後8日目には退院した。



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