折々のうま-当たらぬでもなし

裏金じゃないよ、脱税だよ。

震災を「神の与えた試練」で片づけるな

2011年08月27日 06時23分22秒 | 社会
苦悩のあまり沈黙している宗教者はまだいい。
立腹するのは震災は「神の与えた試練」で片づけようとしている人たちだ。

冗談ではない。
神は耐えられない試練は与えられないなどといっているが、
津波で一家全滅の人たちは耐えられないと神が判断されたのか。

いかなる人たちも神の定めた摂理を超えることはできないということだ。
摂理を超えたとき、それは震災などの天災であったり、様々な事故に見舞われる。
人的要素が原因なら、戦争や社会崩壊に繋がる。

震災も風水害も、この現実で生活する以上避けられないことである。
その被害を食い止めよう、小さくしようと人間は努力してきたはずなのだが、
力が及ばなかったり、思いが至らなかったり、さまざまな思惑であるべき方向から
外れてしまうことがある。

人間は誤る。自然の摂理に跳ね返されることもある。
それは往々にして残酷でもある。
しかし、あるべき理想、果たすべき人道、守るべき正義に立ち返るなら、
人間に未来はある。
犠牲となった人たちの思いを果たすべき責務が、我々にはある。

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