今日、ガンダーの特集が放映された。
この出来事は出版されており、良く知られている話ではあるが、
何回見ても、心が温まる。
簡単に紹介すると、9.11 の後、アメリカ上空が完全閉鎖された。
つまり、民間機はアメリカ領空に入れない。
大西洋上空をアメリカに向かっていた飛行機は400機以上。
約半数はヨーロッパに引き返すことが可能だったが、残りはカナダに着陸するしか選択肢がなかった。
そこで、選ばれたのがガンダー、人口約1万人の小さな町だ。
ガンダーには第二次世界大戦中に、戦略上の拠点として世界最大級の軍事飛行場が建設された。2万機以上が駐機していたとされる。
戦後は航続距離の長い機材が投入されるまで大西洋路線の給油基地として活用されていた。
飛行機を受け入れるスペースは確かにあった。
問題は、人口1万人足らずの町に前触れもなく7000人近くが着の身着のまま到着したことである。
太平洋路線はバンクーバー(オリンピックを開ける都会)が選ばれたことを考えると、差の大きさが分かる。
もともと厳寒の地。
平均最低気温は11月から4月までずっと氷点下だ。
(年間を通じて最高気温は8℃、最低気温は零下1℃)
みんなで助け合わなければ生きていけない。
どこにも行き場の無い人たちを助けるのは当然だ、とガンダーの人達は言う。
移動にはスクールバスが使用された。
偶然スクールバスの運転手達はスト決行中だったが、全員ストを中止して駆けつけた。
乗客達は着替えすら持っていない。
預けた手荷物は飛行機から降ろせないからだ。
商店は棚を開放して衣類を無料で提供した。
つまり、お店に入っていって好きなものを持ち帰っていいのだ。
処方薬の切れる乗客もいた。
薬局は無料で薬を提供した。
多くの住民が手作りの料理を大量に作って持ち寄った。
みんな必死だった。
全ての飛行機が国際線である。
乗客達の言葉も文化も多様だった。
国籍も何もない。
ただ善意だけが存在していたのだ。
乗客の中には、感謝の気持ちを表すためにガンダーの子供たちに対する奨学金制度を立ち上げた人もいるくらいだ。
住民達が個人的に金銭的な謝礼を受け取らないからだ。
次の世代に対する公的な投資なら受け入れるということだった。
危機が訪れると、人間は助けあい始める。
まるで、Slime Mold (粘菌)のようだ。
普段から、こんなふうに人の良いところがたくさん出てくるといいのだが。