最近の出来事

ニュースや新しいテクノロジー、サイエンスについて感じること。

ハロウィン Halloween

2009-10-31 10:36:08 | 日記

仮装の季節です。アメリカ人は蜘蛛の巣とお化けを結びつけているようで、数多くのの家が前庭に蜘蛛の巣を模した装飾を施している。

ノックされた時ドアを開けたらこの動画のような子供達が一杯いるわけで、すこし怖い。子供達は大変楽しみにしているので、仕方ないか。

言葉遣い

2009-10-30 06:03:31 | 日記
アメリカの病院は受付の職員の態度がとても丁寧だ。比較は他業種。いつも微笑みを絶やさず、教科書的な言葉遣いをする。それだけにとどまらず顧客観察もしっかりとしている。列の二番目や三番目の人にも気を遣って、もうすぐですからと口唇会話をする。ニューヨークにいることを忘れてしまいそうだ。

ニューヨーク周辺は言葉の効率がとても良い。例としては:

1.ダイナーのウェイトレス。典型像は、やたら親しげな態度と究極まで絞り込んだ言葉使いである。
まず案内されて席に着くと、メニューを持ってやって来る。
"Hi." と媚びを売るように挨拶をしてメニューを置いていく。
直後に飲み物の注文を取りに来る。 "Drink?"
飲み物を持って来て注文を取る。 "Ready?"
食事をバスボーイと一緒に運んでくる。 "Anything else?" (Finally two-word sentence!)
食事途中で様子を見に来る。"OK?"
勘定を頼むと請求書を持ってきて "Thank you."
多くの場合7語である。

2.車の修理や整備
受付の人はまず "Telephone?" と電話番号を聞く。
それを入力すると車のカルテが出てくる。
"Key?" "Inside." (鍵は?と聞かれ、車の中と答える)
係の人が車の外回りをチェックして、塗装やへこみを記録する。
車の修理点検が始まる。
待っていると、請求書を持ってくる。
レジでお金を払うと車の鍵を返してくれる。
外に出ると、そこに車が止めてある。

以前ボストンの喫茶店に入った時、ウェイターの言葉遣いに驚いたことがある。
"How are you today, sir?" (メニューを持ってきた時)
"May I get you something to drink, sir?" (飲み物の注文を取りに来た時)
"Certainly." (飲み物や食事を注文した時)
"Did I give you enough time to decide, sir?" (注文を取りに来た時)
"How is everything, sir?" (途中で様子を聞きに来た時)
"Should I bring you a dessert menu, sir? (食器を下げに来た時)
"Whenever you are ready..."  (勘定書を持ってきた時)
”Have a great evening, sir." (帰る時)
単語の数が違いすぎる。
ところ変わればってやつですか。

2009-10-29 10:51:54 | 日記
昨夜から今日にかけて嵐が吹き荒れた。
玄関脇に飾ってあった菊の一部が根こそぎの被害にあった。すぐ植え直したが無事根付いてくれるかどうか。

天気が悪いのを言い訳にして昨日は自宅でゆっくりした。今週はいつもより多忙なのに、昨日だけぽっかりと空白だったのを利用したと言えば聞こえが良いが、サボったことに違いはない。

動画の編集をして YouTube に投稿しようと思ったが、編集がうまくいかない。どうやらハードディスクからの画像読み込みが遅れているらしく、動画を仕上げてみるとサウンドトラックと映像がずれている。調整して動画を書き出すという作業を5回ほど繰り返したが納得の出来る仕上がりにならなかった。再考してみるとHDの読み込みだけが問題では無いらしい。録音は路上の定点。音源はゆっくりとながらも4分間で100mは移動している。約10コマ分(1/3秒)ずれる計算である。そのままで合うわけがない。そういうことで最終的には2コマくらいなら目をつぶると言う態度となった。

昨日の作品はここ。
こちらのリンクは Play List。

ともかくHDはもう少し読み書きの速いものに取り替えることにした。早速注文。値段も1.5TBで1万円と可愛くなってきた。

Zombieland: Woody Harrelson etc

2009-10-28 12:19:52 | 日記
Zombieland

What a pleasant surprise!

I usually avoid horror movies around Halloween.
I reluctantly went to see Zombieland because it was highly recommended, saying it was no horror movie. It was funny and heart-warming. I could see this would become an instant cult classic.

Woody Harrelson was a typecast, providing a sense of security. The other actors' performances were good. Even though there were some gruesome scenes, it did not bother me. Zombieland is simply an enjoyable movie.

ウディー・ハールソンのゾンビーランドはいわゆるハロウィン映画(エルム街とかチャッキー等)ではなくただのコメディーだ。それも上手に仕上げられている。ゾンビー達はかなり怪しいがあまり恐怖を感じない。むしろ4人しか登場しない人間の間のドラマが面白い。それぞれのエピソードはかなり笑えるし、ビル・マレーも楽しむために出演したと思われるふしがある。

スプラッターがそれほど気にならない人にはお勧め。十分笑えます。

夏時間

2009-10-27 22:52:03 | 日記
夏時間

今週一杯で夏時間が終わる。ブッシュ政権の時に夏時間を適用する期間を延長したので、今では午前八時でもまだ薄暗い。10月中には元に戻して欲しいと思う。でも、どうして5ヶ月しか使わない冬の時間(EST)が標準時間で、7ヶ月も使う夏時間(EDT)が特別な時間なのだろうか?

EST: Eastern Standard TIme
EDT: Eastern Daylight TIme

時間が変更になるにつけては幾つかおもしろい話がある。

ルーマニアの人とウェブ上で待ち合わせをしていた時のこと。ヨーロッパとアメリカ大陸で時間の切り替えが1週間ずれていることに気付かなかった。30分待っても相手がオンラインに登場しない。後の予定もあったのでその時は諦めてメールを打っておいた。何のことはない。相手はもう既に標準時間に戻っていたのだ。ついうっかりだった。

一緒に働いているロシア人が最近仕事に来るのが遅いな、と思っていたら、彼は夏時間になっていることに気づいていなかったそうだ。それにしても、2週間以上も1時間ずれたまま生活できるロシア人ってすごいと思った。テレビを見ないってことだし、遅く出てきても仕事に支障がないってことだ。日本ではまず考えられない。

自分も失敗。時間の切り替えに伴い全ての時計を合わせるのだが、普段使わない腕時計の針を進めるのを忘れていた。その腕時計をしてオペラを見に行った。ゆっくりと食事をしながら外を眺めていると、時間の割に外が少し暗い。そこではっと気づき、慌ててオペラハウスへ。ぎりぎりで間に合った。

時間が一定の日本は少し暮らしやすいか。緯度も高くないし、夏時間の必要性もヨーロッパ諸国に比べて高くないと思える。


The Other Side of the Hedge: E. M. Forster

2009-10-26 11:55:05 | 日記

The Other Side of the Hedge: E. M. Forster

High school students challenged me on "The Other Side of the Hedge" by Edward Morgan Forster. I think it is because they needed to write an essay about the story and knew my interpretation would be unique.

The story is narrated by a man who is exhausted of a compulsory journey on the road that is "monotonous, dusty, with brown cracking hedges on either side." Enticed by a puff coming from the hedge and a glint of light through the tangle of boughs and dead leaves , he decides to see what is on the other side. He manages to go through the hedge with a strenuous effort and finds himself submerged in cold water. There he encounters a man who explains to him the world is dead-end but shows two gates and roads. He argues with the man over the importance of advancement and the reason to keep walking. The world on the other side is too confined and the residents seem too peaceful for him to trust. He refuses to sleep there or join them in their meals. A man with a scythe over his shoulder and a can of some liquid in his hand passes by. He snatches the can and drinks it. He experiences the extraordinary sound, odor and vision before his senses sink into oblivion. As he does so, he realizes the man with the scythe is his brother.

My view of this short story is that Forster described the "Internal Utopia," contrasting it to the civilized life. It is beautifully written. All sorts of symbols including "dusty monotonous road" and "brown cracking hedges" are included. This book demands certain knowledge of classic literature. For example, the gates of ivory and horn are derived from Greek mythology.
The Other Side of the Hedge is an allegory. It is important to understand relationship between concrete objects and abstract concepts. The following is my interpretation.

The Gates of Ivory and Horn:
In Homer's Odyssey, Penelope mentions: "For two are the gates of shadowy dreams, and one is fashioned of horn and one of ivory." It reads that men see false dreams through the ivory gate, while the horn gate usher in true issues. This is a clue to clarify the nature of "the other side of the hedge."

The Road:
The road and the pedometer represent the life and the age, respectively. Forster views that ordinary lives are monotonous and competitive. In this story, people including Miss Eliza Dimbleby, the great educationist, are obsessed by walking on the dusty road. It is "shocking thing to stop walking." The road also represents a civilization history. When humanity saw a "false dream" through the Ivory Gate, its quest on the road, that is civilization started. The irony is that nobody knows the goal although everybody on the road believes in the "quest." Also note that there are only people on the road.

The Park or Garden:
The garden represents "Internal Utopia" where the truth and virtue materialize. The narrater regards it as a prison and the hedge as a barrier that prevent him from going back to the road. He obstinately spurns everything in the world on the other side. He states, “This is perfectly terrible. One cannot advance: one cannot progress. Now we of the road -." Evidently he believes in advancement of science and competitions in life. Only when he glimpses the road through the Gate of Horn, he acquiesces in the truth and takes a drink.

The Hedge:
The hedge is brown on the road but green on the other side. It separates toilsome life and serene Utopia. The barrier is thicker in some area but penetrable in various places. Many walkers are occupied by the progress on the road too much to notice such variegation. However, some are curious enough to attempt a traverse.

The slumber:
The slumber represents spiritual awakening, which Forster frequently utilizes in his writings. The narrater senses "the magic song of nightingales, and the odour of invisible hay, and stars piercing the fading sky." This intimates his entrance into the Utopia. It completes his transformation that was initiated by the symbolic burial of old himself on the road, that is, immersion in cold water.

The scythe:
Honestly, I have no idea what it symbolizes. My excuse is that Forster simply tried to create an allegory with a hint of a fantasy. The sudden appearance of the scythe definitely confused me and stimulated the imagination.

The Other Side of the Hedge is my favorite short story. Forster always remains ambivalent. His view is unfathomable from his work, which makes him more intriguing. It is like Venus de Milo, missing arms.



フォースターの「垣根の向こう側」(訳本は檸檬社から出ている:ISBN4-7733-3967-5)について。この短編は最も気に入っている話の一つである。原文は、9月26日9月27日のブログに掲載した。幻想的で寓意の濃い話で色々と考えさせられる。寓意物語(Allegory)なのでどの抽象的概念がどんな具象的なもので比喩されているかをはっきりさせないと全文の解釈ができない。もちろんフォースターは常に態度保留を貫いているので、彼自身の考えを見つけるのは難しい。一人称で語られたこの話の中の、「私」のつぶやきを彼自身の声と信じたい。

あらすじ:
まず、物語は果てしなく続く道を先を急いで歩いていく人々のなかで、落ちこぼれそうになる若者を描写する。疲労困憊した彼は立ち止まり、ふと垣根の向こうを覗いてみたくなる衝動に駆られる。大変な苦労をしてやっと垣根を通り抜けたと思った瞬間に彼は水の中に沈んでいく。浮かび上がったときに彼は一人の男と出会い、彼にこの世界はどこへも続く道のない場所だと告げられる。袋小路のような場所では進歩がない、住んでいる人々も信じられないと、彼は垣根の向こう側の世界に住むことを拒否する。食べ物を受け付けず、眠ることもしない。男は彼に2つの門を紹介する。象牙の門と角の門である。彼は角の門を通して道路を見たとき、初めて自分の過ちに気づく。そして、通りがかった男の持っていたビールを飲み、意識を失っていく。その時、彼の感覚は研ぎ澄まされ、不思議な音、匂い、光景を経験する。そして、彼が飲んだビールを持っていたのは彼の兄弟だったことを知る。

象徴について:
道路は人生であり、また人類の辿ってきた文明化の道でもある。大事な背景として、ギリシャ神話がある。ホメロスのオデッセイに、象牙の門と角の門がでてくる。象牙の門を通して見えるのは虚の夢、角の門を通して見えるのは真の姿である。主人公は角の門を通して道を見た時に今まで先を急いで歩いていた道の本当の意味を知るのである。さらに、ビールを飲んで意識が遠くなるのは、悟りを開くことを意味している。フォースターは眠りを開眼の象徴としてよく使うので間違いないと思う。そう考えると、「垣根の向こう側」は天国ではなく、内面的な楽園と考えるのが自然だろう。

解釈:
主人公の若者は、科学の進歩と競争社会が人類の文明化を進めてきたと信じている。偉大な教育者ですらひたすらなる前進を勧めている。人生に疲れ切った彼は、垣根の向こう側からの誘いに乗って反対側へ向かう。大変な努力を要したことは悟りを開くのは容易でないことを意味している。水の中に沈むのは埋葬の象徴で、古い自分の死(再生)を意味する。フォースターの住んでいた西洋社会は火葬の習慣がないので自然である。彼は当初、新しい世界に途惑うが角の門を通して外界を見て真実を知る。象牙の門は幻に誘われて文明化への道を歩き出した人類を象徴している。文明を盲目的に信じてきた彼に疑問がわく瞬間である。眠ると言う行為はフォースターにとって真理に開眼することを意味している。主人公がかたくなに眠ることを拒否していたことには意味がある。最後に、ビールを飲んで眠りにつくことで彼の再生が完了する。その瞬間、彼は魔法の歌を聞き、干し草を香り、星空を見る。これは美しい楽園の真実を彼が獲得したことを意味している。

この短い物語の中で、フォースターは重要な問題を提起している。科学万能の競争社会を批判しつつ、人生を楽しむ必要性を強調している。この作品は百年近く前の1911年(明治44年)に書かれているが、現代社会においても立派に通用する話である。私がこの話を好きな理由が伝わるだろうか?

現代倫理を考える ー続きー

2009-10-25 08:45:14 | 日記
昨日の問題について、一つの考え方を紹介しておこう。これは "killing or letting die" problem である。Michael Tooley は "An Irrelevant Consideration: Killing Versus Letting Die" (下記文献) のなかでこの両者に道徳的な差異がないと論じている。つまり、暗殺計画の例ではA (Killing) とB (Letting die) は同じくらい悪いというのである。彼に同調するのは Jonathan Bennett や James Rachel("Active and Passive Euthanasia", 下記文献)だ。

彼らは、ある結末を迎える行動過程を起こすことと、必然に向かって進んでいる過程を止めないことの間に何ら違いはないと断言して、"Moral Symmetry Principle" と名付けている。さらに、この論理を応用するために、暗殺計画における道徳観を次のようにも表現している。毒殺は邪悪であると同時に、他の人が毒殺を敢行しないように防ぐ義務もあるのだ。

それでは拷問の例はどうなるだろうか?
Michael Tooley をはじめとする前述の論客達は、暗殺計画と拷問の例の間には根本的な違いがあると考えている。

(1)邪悪な結果をもたらす行為を行うこと
(2)既に行われた行為の邪悪な結末を回避する努力を怠ること
(3)邪悪な結果をもたらす行為自体を未然に防ぐこと。

(1)と(2)は道徳的に同じであるが、(2)と(3)は道徳的に異なると言うのだ。
まだ行われていない行為を予測して防ぐことと、既に進行中の過程に干渉することは違うのである。
これは安楽死は道徳上許されるか否かを論じる際、頻用される論理である。(正しいかどうか、とかどれだけ説得力があるかは別として)

参考文献
Norcoross & Steinbock, "Killing and Letting Die", Fordham University Press, New York, (1994)

ウェブ上の文献で使えそうなもの
Perspectives on Death and Dying


現代倫理を考える

2009-10-24 02:29:02 | 日記
来週の講座から、問題を二つ。

その1(2例)暗殺計画と拷問

暗殺計画: 
ある暴君(X)は罪のない人を拷問にかけて処刑することで悪名をとどろかせていた。そこで、二人の男(AとB)がそれぞれ独立してXの毒殺を企てた。二人とも毒と万一に備えての解毒剤をを準備して宮廷に忍び込んだ。しかし単なる偶然によって、AがBに先んじてXに毒を飲ませることに成功した。Bは物陰から様子をうかがい、Xが息絶えるのをじっと見つめていた。
AがXを毒殺した。
BはXが死ぬのを手をこまねいて見ていた。
AとBはそれぞれ別に暗殺計画を練っていた。
AとBの行為は同じくらい悪いだろうか?

拷問:
女王(D)は敵である男(E)から重要な情報を引き出すために無関係の子供を拷問にかけるとEを脅した。Eは口を割らなかった。
Dが子供を拷問した。
Eは子供が拷問にかけられることを知りながら秘密を保持した。
DとEの行為は道徳的に同じくらい悪いだろうか?

その2(3例)安楽死

A: 末期がんの患者がいた。この激しい痛みを取ってくれと患者が懇願した。
医師は疼痛を除くために寿命を縮めるかも知れない強力な鎮痛剤を投与した。
B: 末期がんの患者がいた。 この激しい痛みを取ってくれと患者が懇願した。
医師は疼痛を除くために寿命を縮めるとわかっている強力な鎮痛剤を投与した。
C: 末期がんの患者がいた。 この激しい痛みを取ってくれと患者が懇願した。
医師は疼痛を除くために命に関わる強力な鎮痛剤を投与し、患者が死亡した。

それぞれ安楽死と言えるでしょうか?

American Girl アメリカン・ガール

2009-10-23 11:49:33 | 日記
次女に幼稚園の同級生からお誕生日会の案内が来た。事情があって彼女は少し離れた私立の幼稚園に通っている。その辺りは自分が住んでいる街と少し違う。以前にも書いたが、ハロウィンの Trick 'r Treat が出来ない人たちである。通常、誕生日会といえば、近所のピザ屋とか縫いぐるみ屋(Build-A-Bear)で全て込みにして一人当たり数十ドルくらいのパーティーを企画する。少なくともこの近所はそうだった。

今回は、マンハッタンのアメリカンガールプレイス( AmericanGirl)でパーティーをするという。ウェブで見てみるとDeluxe BD Celebration が$55(税別)だと書いてある。お土産とチップ代とか入れたら、一人$100を軽く超えそうだ。その上、彼女の自宅に集合(Drop Off)だという。ここからマンハッタンまでリムジンを出すらしい。人数的に、異様に長い車でないと駄目ではないかと思う。こんな感じかな。

どうなることやら。

Stephanie Meyer: The Host

2009-10-22 11:09:51 | 日記
Stephanie Meyer, author of "The Twilight Saga," claimed in an interview that this book was her best written work and the most important story she had told so far. I have never read Twilight series, although I know how poplar the books are. II believed that they were for teenage girls. However, she also mentioned on another occasion that she did not believe in categorizing books or placing under certain sections in a bookstore, implying try books without prejudice. I had to acquiesce in the comment. Nonetheless, the New York Times explicitly stated that the Host targeted new audience. It seemed that the book was destined to come here.

First of all, the book is a page turner. Even though some say this is an SF just because aliens are involved, I disagree. This book is not about science nor fantasy. It is about a naive question, what constitutes humanity and what is life. It made me ponder several questions. "D’ou Venons nous? Que sommes nous? Ou allons nous?" (Painting below)



The novel contrasts Melanie Stryder and Wanderer. One is physically strong and mentally tough while the other is benevolent and fragile. Melanie refuses to surrender after becoming a host for the alien soul who can only survive as an altruistic parasites. The species that Wanderer belongs to transforms even the society of their hosts into a paradise.

I was intrigued by the unfamiliar world Ms. Meyer created. The plot shone when the love triangle involving just two bodies emerged. It might sound weird but it was transcendently romantic. The fabulous conclusion provided an adequate closure, leaving the door open to potential sequels. The endearing characters in the book fascinated me. I am not ready to let them go. I hope Ms. Meyer has also fallen in love with them so that we could read another story of Wanda someday.

ステファニー・マイヤーの The Host は The Twilight Saga の熱狂的ファンからは酷評されているようだ。しかし、この本は元々対象としている読者が大人で Twilight とはだいぶ様相が異なる。一応、異邦人が出てくるのでSFに分類されているが本質は人間ドラマである。SFの嫌いな人のためのSFと言っても良い。作者自身が「この小説は私がこれまでに書いた中で最高の出来映になっており、また私の作品の中で最も大切なことを伝えようとしています。」と言っている。
これは、読まない手はない。

読み終わった時に宇宙人を好きになっている自分に気づき少し異様に感じたが、気持ちが温かくなったのも事実である。本で問いかけられているのは、「人間性とは何か?」である。それも地球外生物が、何をもって人間って言うのだろうという疑問を持つという一見ややこしい話である。その上、体が二つしかないのに、心が三つあって恋愛の三角関係になってしまうのである。とても奇妙な状況だがとてもロマンチックなのだ。登場人物をすぐ好きになったので感情移入が容易だった。結末も丁度いい。一つの達成感があって、なおかつ続編が作れるような適度な終わり方である。作者がはっきりとこの本は stand alone だと言っているが、このままキャラクターと分かれたくないとも言っている。続編が出るのを是非期待したい本である。おまけだが、Twilight も読み切ることにした。

Jodi Picoult: The Tenth Circle

2009-10-21 11:19:51 | 日記

Jodi Picould took the risk in this novel. She was successful in that she shed light on the darkest and the deepest parts of persons in the book. However, I had hard time keeping myself involved in the story simply because certain acts were theatrical. They were nothing but soap operas. I applaud her courageous experiment but I could not love the book.

A family of three goes through a crisis. The story revolves around a perplexed teenager Trixie, referring to Dante's Inferno. Her emotional distress is so vividly portrayed that it is almost afflictive to read through her heartbreak and confusion. Her parents' skeletons are gradually exposed as the story develops. Her father's intriguing previous life in Alaska is relevant to the story. Her mother's short-lived affair is also intertwined. They all ache for being somebody different from whom they truly are. The desire is so strong that they have unconsciously deceived themselves. Such human behaviors are described in a persuasive manner. That is the best part of the book.

This book also contains many flaws. Most notably there are too many mawkish dramas. Suicide attempts, deaths and a funeral incidence are over the top. I only wish she had created the plot believable. In contrast, her other books such as "Handle with Care" and "My Sister's Keeper" stay realistic in color despite certain problems. In addition, Ms. Picoult embraces irrational conducts in the book in order to make the conclusion sensational.

Although Ms. Picoult came very close to pulling all together, I can bestow only three stars due to aforesaid shortcomings.

ジョディー・ピコーの「偽りをかさねて」を読んだ。 14才の少女とその両親を中心に話が展開する。いつものように、ジョディは人間の奥深くに秘められた暗部を素晴らしい描写で暴き出している。

主人公の女の子は子供と大人の狭間で悩み苦しみ、自分に正直に生きられなくてもがいている。母親は大学でダンテの神曲、地獄編を教えている。ダンテは人間の罪を神曲の中で網羅しているが、一つだけ、自分を欺く罪には言及していない。彼女はその罪を犯している自分に気づき苦しんでいる。父親は、アラスカで育ったが本来の自分とは別人の生活を営んでいる。

(注意)英語版を読むつもりの人で、ジョディー・ピコーがお楽しみとして含めた絵解きに挑戦しようと思っている人はこの段落を読まないでください。
著者が、前書きや後書きで述べているように、この小説のテーマは「自己欺瞞ほど簡単なことはない、もし本人がそうあって欲しいと願っていれば」ーデモステネスー である。

ただ、話があまりにも大げさで、時々しらけてしまうのも事実である。さらに、話を続けるために、警察に不合理な行動を取らせている。 「わたしのなかのあなた」 "Handle with Care" ではそんな理不尽なことはなく話しについていけた。残念である。難しいテーマを選んで果敢に挑戦した意欲は買うが三つ星止まり。

ハロウィンの準備

2009-10-20 22:09:02 | 日記

そろそろハロウィンの季節だ。街は、怪しい雰囲気でいっぱい。どうやらアメリカ人はクモが嫌いらしく、蜘蛛の巣を模した飾りが多い。ハロウィン後にまとめて写真を載せる予定だが、幾つか先に紹介する。ファミリーレストランには全幅1メートル以上というクモが二匹入り口の天井と受付の脇に待ち構えていた。近所の家も、幽霊や蜘蛛の巣でお化け屋敷のような風情。ただ、日本の怨念がこもったようなお化け屋敷ではなく、ゴーストバスターズに見られるようなどこか愛嬌のある幽霊である。スーパーに行くと等身大の人形が自分の頭を両手で持ち上げたり、箒が笑いながら自走していたり、クーポン券を発行する機会に目玉が着いていたりと、様々な工夫がなされている。

家は幽霊をテーマにしていないのでごく一般的に装飾する。玄関先とドライブウェイの脇に菊を並べて、カボチャはランタンにして階段に配置する予定。カボチャは日持ちしないので来週彫ることにする。カボチャを置くのは子供に対して Trick 'r treat にきても良いですよというお知らせをしていることになるので、当然、お菓子の準備が必要となる。近所のスーパーではお菓子詰め合わせが大量に売られている。

昔、自分のところに来ていた先生が9月に帰国するに当たって、家族だけは10月のハロウィン後に帰国するということになった。理由を尋ねると、子供達がハロウィンを楽しみにしているからという答えが返ってきた。札幌でももう雪が降ったのだろうか。

囲碁、インターネットと日本棋院

2009-10-19 09:40:34 | 日記
渡米してから囲碁を真面目に打ち始めた。(静岡県にいた時に覚えたのだが、その後ご無沙汰だった。)おかげで、多くの仲間が出来たので良かったと思っている。

最近はインターネットでの対戦が多いが、もっぱらKGSを利用している。無料でも十分すぎる機能が使えて、何より対局後の検討が容易なのが魅力だ。世界中の人が利用しているので偶然、強い人とまみえることもある。互い先のトーナメントでプロの Alexander Dinerchtein さんを相手に白を持ち、あっけなく玉砕したことがある。南米のアギラールさんと対戦する機会もあった。ほかにも、元院生のルーマニアの人々やアメリカに永住している中国人のプロも指導碁を公開している。勉強になるし、何よりプロや世界のトップアマを身近に感じられるのが素晴らしい。それに比べると、日本のIGSや幽玄の間は碁の普及が目的と言うより営利目的があからさまでげんなりする。何気なくボタンを押すと、「これは有料会員用サービスです。今すぐ会員になりますか?」と言うウィンドウが出てくる。グレーアウトするとか、何も起こらないとか、もう少し慎ましい方が好感が持てる。有料サービス紹介用のリンクが至る所に張ってあるからそれで十分ではないかと思う。KGSにも有料のサービスはあるが、無料会員でも囲碁の対戦、検討に関しては何も不自由はないし、それ以外にも制約を感じない。囲碁の普及が目的だからだ。その趣旨に賛同してKGSには年会費を払っている。有料サービスを使いこなしていないが、それで良いと思っている。幽玄の間やIGSがどれだけ囲碁普及(新規会員の獲得)に役立っているか疑問なのと、そこでのスタッフの発言が現実から乖離しているので、有料会員としてサポートするのをためらっている。

引用 (無料サービスを囲碁普及のためにもう少し充実したものに出来ないかという質問に対して)
「サーバーを運営するにはお金がかかるんですよ。それをただで使わせてくれなんて話がありますか。サービスを受けたら代金を払うのが当然でしょう。」(碁ワールドにも同様のコメントが掲載されていたのを何年か前に読んだことがある。)

囲碁普及のために自腹を切るという発想はかけらもなさそうだ。もし、囲碁をもっと身近なものにするために努力するという姿勢が見えたら、有料部分のコンテンツにかかわらず支援していきたいと思うのが人の気持ちではないだろうか。初心者や小学生に対しては無料でもっと充実したサービスを提供するとか、小中学校や高校など教育機関からの接続に対しては有料コンテンツを全て解放するとか、出来ることは色々あるはずだ。

最後に一つ。ウィンドウズだけのサポートというのも日本に特化している。例えばアメリカの大学生は過半数がアップルのコンピューターを使っている。子供の小学校でも何十台かあるコンピューターは全てアップル製(ほとんどiMac)。国際化を目指すとか、若い人をターゲットにするならOSXは切り捨てられないと思う。大手の囲碁サイトでOSXが使えないのはIGS関連だけではないか?
ウィンドウズも日本語版のみに対応している。英語版ウィンドウズから「幽玄の間」に接続するために230MBものディスクスペースを取り分ける必要があった。ちなみにKGSを日本語表記にするには、OSの地域に関係なく初期設定の単語一つを書き換えるだけ(English -> Japanese)。もちろんその他の言語も同じ。元々のソフトの柔軟性と軽快さが違う。もう少しユーザーに親切なシステムにして(せめて、数種のOSに対応して)普及に努めて欲しいと思うのは欲張りだろうか。

リンゴを食べる

2009-10-18 08:52:06 | グルメ
長女が昨日のリンゴ狩りに連れて行ってくれなかった、と怒りまくっているので、今日もう一度行くことにした。連日の果樹園。昨日、ふじと Jonagold を採ったので今日は Idared と自分用の Golden Delicious にしようと決めた。味見させると長女は Golden Delicious が美味しいという。次女は相変わらず、赤くないリンゴは食べないという。それぞれ一袋ずつ収穫して帰宅した。

食べ比べ:

まずそのまま食べる。
ふじは蜜が入っていて美味しい。小振りなのと数が少ないのが残念。 Jonagold はしっとりきめ細かくてかなり甘い。軽い酸味がきいていてこれも美味。Golden Delicious は予想されたとおり甘みと酸味のバランスが取れ、さっぱりしていた。Golden Delicious は長女の一番のお気に入りとなった。Idared は堅くてそのまま食べるにはすこしえぐみが残る。料理用と一般に言われているので当然なのだが。

焼いてみる。
ふじは当然崩れて Apple Sauce となった。糖分を一切加えなくても十分甘いので、ふじは Gala と並んで Apple Sauce を作るには一番適していると思う。Jonagold は焼くと酸味が強調された。自分の好みでは無いが好きな人もいるだろう。Golden Delicious は基本的に生食用なので焼かなかった。Idared はアップルパイに向いていると人は言うが、焼きリンゴ用としてもなかなかだ。形が崩れないし、歯ごたえもサクッとしていて楽しめた。意外な発見だった。

パイを作る気力はないので、Jonagold を簡単にソテーしてみた。
少量のバターで炒めて、透き通ってきたらシナモンでアクセントをつけるだけ。これが素晴らしい。しっかりした甘みを軽い酸味が引き締めている。バターやシナモンとの相性も良い。お手軽なデザートとして重宝しそうだ。もちろん、アップルパイの材料としては最適だろうなと再確認した。

リンゴ狩り ー 果樹園

2009-10-17 07:25:47 | 日記


今日は Wilkens Farm でリンゴ狩り。ふじが今日から解禁と聞いていたので、楽しみにしていた。次女を幼稚園で拾ってそのまま北上して果樹園に着いたが誰もいない。計量用のバッグを持っていたので、そのままふじリンゴの植えてあるところまで歩いていく。一応事務所に電話してこれから採るよと連絡を入れた。

今年のふじは不作だった。小粒な上に甘みが足りない。そのまま食べると言うより、Apple sauce の材料として使うとベストという感じ。ふじはバッグ一袋(20数個)だけとして、残り一袋は何か別の種類にしようと調べてみると、今取れそうなのは以下の数種類しかない。
Golden Delicious
Red Delicious
Jonagold
Crispin
Empire
Winesap
Idared

このなかで、青リンゴ(Crispin, Golden Delicious) は子供が食べないし、Empire と Winesap は自分の好みでは無いので避けることにした。Red Delicious は無難だがありふれている(アメリカで一番多く栽培されているリンゴ種)ので Jonagold と Idared のどちらかを選ぶことにした。試食してみると、Jonagold の出来がとても良い。蜂蜜のような香りとみずみずしい果実がとても気に入った。

木の背が高く、子供の手が届くところにはあまり結実していなかったが他に客がいないのをいいことに「手が届く範囲で良いから大きいリンゴを採ってこい」と指令を出して子供を放し飼いにした。本来ならば道具を借りに戻るのだが、大変嬉しそうにリンゴを集めていたのでそれで良しとした。