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現代倫理を考える ー続きー

2009-10-25 08:45:14 | 日記
昨日の問題について、一つの考え方を紹介しておこう。これは "killing or letting die" problem である。Michael Tooley は "An Irrelevant Consideration: Killing Versus Letting Die" (下記文献) のなかでこの両者に道徳的な差異がないと論じている。つまり、暗殺計画の例ではA (Killing) とB (Letting die) は同じくらい悪いというのである。彼に同調するのは Jonathan Bennett や James Rachel("Active and Passive Euthanasia", 下記文献)だ。

彼らは、ある結末を迎える行動過程を起こすことと、必然に向かって進んでいる過程を止めないことの間に何ら違いはないと断言して、"Moral Symmetry Principle" と名付けている。さらに、この論理を応用するために、暗殺計画における道徳観を次のようにも表現している。毒殺は邪悪であると同時に、他の人が毒殺を敢行しないように防ぐ義務もあるのだ。

それでは拷問の例はどうなるだろうか?
Michael Tooley をはじめとする前述の論客達は、暗殺計画と拷問の例の間には根本的な違いがあると考えている。

(1)邪悪な結果をもたらす行為を行うこと
(2)既に行われた行為の邪悪な結末を回避する努力を怠ること
(3)邪悪な結果をもたらす行為自体を未然に防ぐこと。

(1)と(2)は道徳的に同じであるが、(2)と(3)は道徳的に異なると言うのだ。
まだ行われていない行為を予測して防ぐことと、既に進行中の過程に干渉することは違うのである。
これは安楽死は道徳上許されるか否かを論じる際、頻用される論理である。(正しいかどうか、とかどれだけ説得力があるかは別として)

参考文献
Norcoross & Steinbock, "Killing and Letting Die", Fordham University Press, New York, (1994)

ウェブ上の文献で使えそうなもの
Perspectives on Death and Dying



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