最近の出来事

ニュースや新しいテクノロジー、サイエンスについて感じること。

初雪

2009-10-16 22:47:19 | 日記

今日初雪が舞った。
まだ十月も半ばというのに。
写真に写っているメープルの葉が大部分青々しているところが冬らしくなくて面白い。
手前のハナミズキも紅葉しているが坊主ではない。

今年は年末にスキー旅行を計画しているので、悪くない出だしではある。

雑食のクモ

2009-10-15 08:37:01 | 日記
雑食の蜘蛛(Bagheera kiplingi)が見つかったと雑誌に出ていた。(October 13, 2009 of Current Bioloogy)それを読売新聞が「草食の蜘蛛」と報道している。アリの幼虫も食べるので「雑食」とすべきところだ。サラダを食べている人を見てベジタリアンだと言うようなもの。元々の論文ではアリの幼虫も食べると書いてあるし、葉っぱを食べる蜘蛛と言うだけで面白いと思うのだが。確かに「草食の蜘蛛」とか「空飛ぶ豚」という見出しの方が人目を引くのは事実だ。読者の注意を引くためにどこまでやるかは、職業倫理の問題だから編集者・記者が自分と違う基準を持っていても当然なのだが、やはり価値観が違うとしか言いようがないのか。

ところで、この蜘蛛はつぶらな瞳をしている。アカシアの木にアリと一緒に住んでいると書いてあった。アリは結構うるさいというか、攻撃を仕掛けてくるのでどうやってこの蜘蛛は暮らしているのだろうと思い調べていたら動画を見つけた。敏捷な動きでアリの攻撃をかわしている。大変そうな生活だなあと思っていると、時間が来た。仕事だ。

黒尊川: 四万十川と沈下橋

2009-10-14 09:08:17 | 旅行
昨日の紅葉狩りで写真と動画を撮影したので、フォルダーとファイルの整理を始めた。忙しさにかまけて夏の分もたくさん未整理のまま放置されていることに気づいた。その中に黒尊川の写真と動画があった。黒尊川から30kmと離れていない海沿いの街で生まれ、数十km上流で少年時代を過ごしたのに、一度も訪れたことのない場所だった。

四万十川の支流の中で最も水が綺麗と言われているだけあって、水の透明度が今まで経験したことがないくらい高い。添付の写真の通り、手前の方は砂利の上に水が15cmくらいかぶっているのが信じられないくらいだ。写真の上の方は水深が1メートルくらいあるのだが、斜めに見ても川底の石が綺麗に見えている。

人家の方から河原に降りてくると空気がひんやりと冷たい。ヨーロッパの映画で、時折、夏に川遊びをするシーンを見かけるが、大変涼しげだった。例えば、Manon des sources (泉のマノン)とか。(エマニュエル・ベアールは良かった。)水温が低く、気温が摂氏30度を軽く超えているにも関わらず膝上まで水につかるのは不可能だ、と思った。すると、子供達は何人もあの冷たい水の中に入って行った。すごいね。

口屋内沈下橋を渡っていったのだが、結構狭い。子供の時に沈下橋を渡る時に車とすれ違うのが怖かったのを思いだした。沈下橋を通るなんて何十年ぶりだっただろう。


紅葉狩り

2009-10-13 13:22:27 | 旅行
ハドソン川を北上しながら紅葉狩りを楽しむ。上の写真は North Lake。


まずは恒例のボスコベルから。まだ少し早いようだ。そのためか、まだバラ園に花が残っていた。




ボスコベルがこの状態なら North-South Lake までいけば紅葉真っ盛りではないかと推定して Kaaterskill まで行くこととする。目的地に着いたのがお昼だったので腹ごしらえをしようとダイナーに立ち寄る。そこで目撃したのが熊。つい最近、日本の駐車場で熊に襲われた人がいたと聞いた。一応警戒しておこう。




Kaaterskill の滝の写真を一枚。




庭いじり

2009-10-12 11:38:28 | 日記
大分、朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。
そろそろ紅葉前線が近くまで南下して来たかな。ハローウィーン用のカボチャ購入をかねて、ハドソン川沿いに北上してみよう。
さっき電話が入り、近所の子を預かってくれと言われたので、ついでに連れて行くことになった。

今日は4歳の次女と庭仕事。
芝を掘り起こして200リットル分くらいの potting soil で花壇の下ごしらえをした。
チューリップの球根を5種類、全部で50個植えた。
ただ球根を植えるだけの作業でも幼稚園児にとっては大変重要なことらしい。
尖っている方を上にするいうことと、5種類の球根を順番に植えることに神経を集中していたらしく、大変だったとため息をついていた。いつもより1時間早く寝たのはそのおかげか。

鉢植えのチューリップは何度か試したことがあるが、直接植え込むのは初めてなのでどのくらい花を咲かせられるか楽しみ。
花壇の東側と南側が開けているので日当たりは十分だと信じたい。
食用としてミョウガを裏庭の日陰に植えて、ハローウィーン用に菊を6色、玄関前に準備した。
長女には申し訳ないが彼女の百日草を半分移植させてもらった。一メートル以上の背丈になって、花の鉢と言うより藪という方がふさわしくなったので、表舞台から引退と言うことです。
久しぶりのスコップ作業で腕がだるい。

The Help by Kathryn Stockett

2009-10-11 06:07:48 | 日記

This is a book about social awakening during African-American Civil Right Movement in 60‘s, observed from both sides. Stories are spun through the eyes of Eugenia Skeeter Phelan, Aibileen and Minny. A criticism of the novel is the lack of diversity in male characters. All of them are stereotypic and insipid. The book could have harbored another vantage to bestow extra dimension to the plots.

Liberal-minded Skeeter was supposed to be the protagonist but ended up with being just a detonator. She returned to Jackson, Missisippi after graduating from Ole Miss with a degree in English. She was experiencing difficulty in mingling with the “white-ladies circle.” She stirred up the town because she was an ignorant outsider. She was single and pitying the mistreated house maids. Her bossy colleague, Ms. Hilly pushed her to the point where she decided to write a book about the maids in Jackson. Her intermittent romance was intertwined but it was superficial and wrapped up all of a sudden, not furnishing the novel with the complexity. Furthermore, the episode between her family and Constantine could have been substantial but it was bungled. Skeeter’s viewpoint had been myopic but, by the end of the book, she seemed have learnt a lesson. She finally broadened her horizon, which was the only notable event. The insignificance of Skeeter’s accounts, however, contrasted other multi-layered stories that provided the novel with depth.

It was Aibileen and Minny who actually provided inspiration in the book.

Minny had a colorful character. She was not mature enough to maintain her job. She talked back when she was pushed. At one point, she carried out her abhorrent cabal, which turned out to be a key event. A discriminating witch Miss Hilly retaliated. It was the beginning. Imperfect and angry Minny was the most powerful character in the book, representing many issues of maids in Jackson. Her struggle for survival was brought to life effectively in The Help. All maids who gathered to aid Skeeter became aware that the world started to change. How many of them, however, expected that an African American would become the president within 50 years?

The most lovable character was undoubtedly Aibileen. She had moved frequently as if she had been specialized in nursing, while most others stuck to one family. Ms. Stockett illustrated her life so vividly that I could feel her torment she had when the babies had grown up and flown away. No matter how heartbreaking such departures had been, she was ready to spread her arms widely for a next baby. She embraced Mae Mobley with a nurturing soul. Ms. Stockett beautifully depicted every detail of their interaction, making it plausible. The portrayal is filled with affection, endearment and intimacy. A new cognizance Aibileen planted was sprouting within Mae Mobley. It was the best part of the novel. Ms. Stockett seemed to have the best comprehension of such a relationship between a housemaid and a child. She mentioned that the motivation to write this book was originated from her experiences with a housekeeper Demetrie who had reared her. She confessed that she had been ignorant of Demetrie’s life although she had admired her. The Help was meant to be the missing link between them.

This is a book I would like my children to read when they are ready.

Four stars.

The Help (Kathryn Stockett) の書評。良い本でなおかつ売れているので、映画化される可能性がある。 ということは訳本が出る可能性があるが、邦題は想像もつかない。

黒人の市民権運動の萌芽期が設定で、南部のど真ん中、ミシシッピ州ジャクソンでの話。南部白人婦人の間では、Junior League で奉仕活動をするのが社会的地位の高さの象徴であった。Junior League は実在の団体で、現在でも立派な社会奉仕活動をしている。例えばニューヨークでは1901年に設立されている。登場する白人婦人達はその奉仕活動団体のメンバーで人種隔離政策を支持している。もちろん、各人によって温度差はある。そこに市民権運動の影響が押し寄せる。

主要な登場人物は3人。一人は大学を出たばかりの白人女性スキーター。彼女は比較的自由な思想を持っているが自立できないお嬢様である。スキーターを巡っては恋愛関係、過去のメイドとの関係、母親との関係、社交界での関係、そしてジャクソンのメイド達との関係と言う様に複雑に話が絡み合っているよにみえる。実際のところジャクソンのメイド達との関係だけが深く掘り下げられている。その他の話は切り口が甘く、表面的に繕っているだけである。小説の主旨からすればそれが妥当なのかも知れない。最後に彼女が自立できるかどうかが一つの読みどころとはなっている。

二人目はメイドのミニー。彼女は大変苦労している。自己コントロールが出来ないため雇い主に口答えをしては解雇されることを繰り返している。遂に、ジャクソンで一番影響力のあるヒリーとの確執によって彼女の生活は大変惨めなものとなる。彼女は後先考えずに行動しているように見えるが、本当は短気なだけで深く先読みをする能力は持っている。里中満智子的といえば歳がばれてしまうか。スキーターはミニー達の助けを借りて、メイドの立場から見たジャクソンについて本を書こうとする。

三人目はエイビリーン。彼女は17人もの子どもを育ててきている。白人の赤ん坊の面倒を見て、子どもが大きくなると次の家庭に移るのである。別れのつらさを十分知り尽くしてなおかつ、次の子どもに愛情を注ぐのだ。彼女の子どもに愛する愛情と子どもの彼女に対する信頼はとても上手に描かれている。この小説の最高の読みどころだ。

著者は両親が離婚した後メイドによって育てられたと公表している。彼女はそのメイドを心より愛していたが、彼女の生活について思いをはせられる年齢ではなかった。彼女のトイレがはなれにあったこと、彼女と一度も食事をともにしたことがなかったこと、彼女が白人の居住地に来るためには必ず白のメイド服を着なければいけなかったこと。今にして思えば、それに全く気づかなかった自分が恥ずかしいと告白している。この小説は、著者の育ての親に対する愛情と無知の間の溝を埋めるために書かれたのだ。

登場人物の描き方に物足りなさがあり、描写の角度にももっと変化をつけて欲しいと思ったが、書かれている内容は素晴らしく、自分の子どもに是非読んでもらいたいと思う一冊である。

四つ星。


彫刻の庭(Sculpture Garden)

2009-10-10 22:39:27 | 旅行
長女が小学校の遠足で彫刻の庭に出かけたが、半分しか見られなかったのでもう一度行きたいという。近くだし(車で十分くらい)駐車場も入場料も無料と言うことで立ち寄ってみようと言うことになった。実は、ペプシコの本社(World Headquarter)なのだが一般に公開しているのだ。

まず、このページの写真。「ベンチに座っている人が何をしているか想像してください」という先生の問いに対して、娘の同級生が「株の投資に失敗して、世の中を悲観しているおばさん」と言ったそうな。想像力がたくましいなの思う一方で、現実的というか、小学3年生にしてこのネガティブな発想が悲しい。

幼稚園児が一緒だったので全部を回りきるのは体力的に厳しく、半分位楽しんだところで退却となった。一部の作品をアップしてみた。最後の「イブ」はロダンの作品だ。

情報リンク:彫刻の庭園の記事

Further information:
New York Times   
Wikipedia

The Road - Cormac McCarthy

2009-10-09 10:35:19 | 日記

I enjoyed “No Country for Old Men” immensely at the theater. Even though it was a simple story of being hunted, the mesmerizing acting captivated me and two-hour runtime flew by. Then I started to feel curious whether it was because of the artistic directing or the powerful plot. I also understood the movie received mixed reviews, whether 9/10 out of 10 or 1 out of 10. I became more and more intrigued by Cormac McCarty. I had to read his novel. Here goes “The Road.”

Let me start by saying the book is stunning. The book focused on the essentials of humanity, namely, survival, love and hope. The story was so dark and depressing that I started to feel surreal then the book reached a point where it was punctuated by usual activities such as playing a board game and a common conversation in an ordinary family. It somewhat reminded me of “Suite Francaise” by Irene Nemirovsky that described people who struggled for survival after losing everything. Both books disguised the core meaning in a simple narration of a survival. The father and son kept traveling on a road after a cataclysm. They were incredibly genuine and candid. What is better, they loved each other. No civilization existed: no water, food or electricity. They encountered heinous situations one after another. Only a glimmering hope they carried let me wade through the atrocity. The father finally bestowed the unfaded hope to his son. Touched and reclaimed, I still ruminate. No other post-apocalyptic books have ever had a more profound impact on me than The Road.

McCarthy’s succinct style was much appreciated. Words were meticulously chosen. One sentence conveyed more meaning than several pages of Dan Brown’s book. His paragraph harbored an overwhelming amount of information. What a prodigious piece of work!

Five stars.

また、マッカーシーの小説が映画化されたらしい。とりあえず、原作を読んでみた。
すごい。
全てを失った人間の行動を描いた珠玉の一作だ。
生き続けるための壮絶な戦いと決して失われることのない希望が小説の全編を貫く。
父と子はお互いが全てという状況の中、無比の愛で結ばれている。
父が抱き続けてきたかすかな希望は子どもへと受け継がれ、人間の暗部描き続けた小説は未来への希望として昇華する。
人によって評価の分かれる本だが、五つ星をあげたい。
今年読んだ本の中ではまぎれもなくトップ10に入る。

キンドル国際版 Kindle (international version)

2009-10-08 10:07:43 | 日記
日本でもキンドルが発売になるらしい。
http://mainichi.jp/select/today/news/20091008k0000m020044000c.html

米国専用版と比べても$20しか違わない。世界中100カ国以上からインターネットにアクセスできることを考えたら、この$20の差は無いに等しい。いずれ Kindle DX の国際版も出るのだろうか? 多分廉価版で売れ行きを見ようというのだろうが、もし一年以内に DX が発売されるようなら先日、 eBook Reader (SONY) を買ったのは勇み足と言うことになる。Kindle DX (US version) を買っていたら、と思うとぞっとするというか、慰めになると言うか。これだからIT界の買い物は難しい。必ず後悔するのだが、問題は程度である。

マイクロソフトは Zune 専用のネットワーク(定期購読や音楽配信)をアップルの製品にも公開する方針だし、 Verizon はグーグルと組んで iPhone を追撃するらしい。マイクロソフトもついに現実に屈したか。マイクロソフトはビジネス用PCのOSを独占してきたので、新しい分野へ参入する戦略が良く理解できていない様に見える。 Verizon は電話の機能に様々な制限をつけさせることで有名だったが殿様商売に遂に終止符。グーグルに対して、VoIP (厳密には違うけどそんな様なもの)を認め、アンドロイドを全面的に支援するらしい。これも自由競争の効果か。本当に一ヶ月先にどうなるか読めない世界だ。IT産業に身を置かずとも、消費者の立場でも賢く立ち回るのは難しい。

アメリカ国内では12%の家庭でマックを所有していると発表があった。そんなに普及しているのかと驚いて読み進むと、そのうちの9割近くがウィンドウズも所有していると書いてあった。やはり、ウィンドウズは不滅なのか。自分自身のVista を使った経験に基づいて多くの人がウィンドウズを見限ったのではと推測していたが。アメリカ人の忠誠心を甘く見ていたとしか言いようがない。脱帽。

幼稚園

2009-10-07 07:08:07 | 日記
次女がこの9月から Kindergarten に通い始めた。学年を分ける日にちが学区によって違うので、私立の幼稚園(K)に通わせて来年一年生にしようという魂胆。同じ考えの親が多いらしく、12月生まれが多数を占めるという不思議なクラス構成となる。ちなみに、11月末日で区切るところと12月末日で区切るところがあるのでこういう現象が起こる。Kに入るときにはこの区分が使われるが途中で転校するときには無関係となるのである。

通わせて見た結果もう一年待った方が本人のためかなとなればもう一度Kに通うという選択肢もある。ただ、幼稚園で留年というのもいかがなものかなとは思う。ボーディングスクールの中には8月末で区切るという学校もあるので9月や10月生まれの子どももいる。来年ボーディングスクールに通うための準備である。彼らとは少し世界が違う。住んでいる家が(お屋敷という方が正解か)広いのでハローウィンに Trick or Treat が出来ないという。つまり、歩いて隣の屋敷に行くというのが不可能なのだ。今読んでいる The Help の白人奥様方を連想させるものがある。

そのせいか 幼稚園自体、長女の通った公立学校と微妙に異なっている。長女が最初の週に習ってきたのが、ひげダンスも真っ青というお笑いダンス。確かに幼稚園児がそれを踊ると親は喜ぶかなとは思ったが。次女が最初の週に習ってきたのが、”Use your self-control! Integrity!” と言う台詞。 その差は微妙と呼ぶには無理があるか。次女(K)と言い争っていた長女は(3年生)は幼稚園児に Use your self-control! とたしなめられて呆然。鳩に豆鉄砲状態。それにしても意味がわかって言っているのかねえ。

Carol Greider とノーベル賞

2009-10-06 05:12:43 | 日記
キャロル・グライダーがノーベル賞を受賞したというニュースを聞いた。おめでとう。
http://nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2009/

数年前にジョンスホプキンスの大学院に志願している学生のことを電話で聞いてきたのが、話をした最後だったかな。学生の選抜委員会の座長をしていながら、出来るだけ多くの情報を集めようと精力的に活動していた姿が印象的だった。

初めて彼女と話をしたのは1994年。彼女はコールドスプリングハーバー研究所のPIとして活躍していた。彼女の研究室と自分が属した研究室は廊下の両端の関係なので、普段からお互いが丸見えだった。(ちなみに、研究室にドアはない)彼女の専門分野に関する実験手順も聞けば気さくに教えてくれたし、試薬等も融通し合うのが常だった。2年くらい彼女の仕事ぶりとか考え方に触れる機会があったが、その後 Johns Hopkins に移っていった。その当時の Demerec ビルの仲間で今残っているのは一人だけ。移り変わりは激しい。

ノーベル賞受賞者とは何人かと話をしたことがあるけれど、みんな受賞後に初めて会ったので、受賞自体は他人事と言って良かった。長年にわたって仕事を見てきた人が受賞するのははじめてなので、今年のノーベル賞は格別です。

それにしても、日本人のノーベル賞受賞者は田中耕一さんを除いて近寄りがたいまでの威厳がある。決して田中さんを誹謗しているわけではない。田中さんは人間としてすごく魅力のある人だ。話し方が穏やかで、人の話を真剣に聞く態度をはじめ学ぶところがたくさんある。良い意味で、自分の周りに垣根を作らないと言いたかった。キャロルや物理学者の Horst Stormer もその意味では親しみやすい人格者といえる。

ここまで書くとやはり James Watson を避けては通れない。良い思い出もある。週末に仕事していると散歩がてらやって来て背後霊のように後ろに立っている。人の気配がして振り返ると、初めて話しかけてくる。実験の概略を説明すると、彼の専門分野ではないにもかかわらず即座に鋭い質問が飛んでくる。頭の回転の速い人である。科学の話になると目が輝いてどんどん盛り上がっていくのが印象的だった。
一方、彼には人種差別的考えが残っていて(Eugenics)いつか問題になると広く信じられていた。イタリア人(シシリア人)の友人はワトソン博士が講演でイタリア人を無能だと馬鹿にする度に憤慨していた。くだんの件も遂にしっぽを捕まれたかという感じ。
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/article2630748.ece

コールドスプリングハーバー研究所も彼が研究資金集めに活躍するので、彼の言動に目をつぶっていたがついに見限った。 彼の頭の中はサイエンスのみ、周囲に対する思慮は無い。
http://www.cshl.edu/public/releases/07_statement2.html
http://www.cshl.edu/public/releases/07_watson_retires.html


ここで余り一般に知られていない話を一つ。Elizabeth Watson (リズ、ワトソン夫人)は専門が ビクトリア様式の建築で、電子顕微鏡を使って塗料を解析して当時の色彩を復元した。その異様な色彩の建物がコールドスプリングハーバー研究所の入り口に立っている。黄色というか何というか。リズは当然ながらその建物をいたって気に入っている。電顕を使えば元々の色が判るというのが新鮮だった。

Jodi Picoult: My Sister’s Keeper

2009-10-05 05:23:49 | 日記

ジョディー・ピコーの「わたしのなかのあなた」を読んだ。この物語は、いい加減な生物学の知識を使って、現代倫理学の論理を無視した上で構築されている。それでも、各登場人物の葛藤、成長、友情、慕情等が見事に織りなされ読み応えのある小説だった。もちろん、ジョディー・ピコーの道徳観と倫理観は自分と違っているので、ストーリー展開に違和感を感じなかったと言えば嘘になる。登場人物の中では、人間としては完璧ではないけれど弁護士キャンベルに何か魅力を感じた。彼の不思議な言動の理由は物語の最後で明らかになるのだが、読者はまず出来事を通じてそのことを感じるのである。基本だけれど、最近の小説には登場人物が台詞で安易に説明することも多くしらけてしまう。その点、ジョディーの作品は気持ちよく読むことが出来た。

さて、生物学上の問題とは何か。一つは、Perfect Match である。不可能だ。せいぜい一人の女性の持つ卵子の数はせいぜい百万前後。減数分裂の過程で染色体の組み合わせは2の23乗(2^23 = 8,388,608)通りあり、同じ組み合わせの染色体を持っている卵子が2個存在する確率はかなり低い。その上、減数分裂では遺伝子組み換えが高率に起こる(平均して五千万塩基に一回くらい)。ヒトゲノムは三十億塩基くらいあるので一つの卵のなかで数百回組み替えが起こると考えて良い。遺伝子的に全く同じ卵子は存在し得ないといって間違いないのである。それは精子にも当てはまる。もし百歩譲って、「数十個の遺伝子が一致すれば移植を考える上で “Perfect Match” と考える」ことにしても、試験管受精のために採取する卵の数はせいぜい30個。そのなかで、数十個の遺伝子が一致する確率は万に一つ以下である。もちろんゼロではないので小説には使えるが無理がある。さらにそれをデザイナーベイビーと呼べるかどうか。何も遺伝子操作をしていないのである。つまりデザインしていないのにそんな名前をつけても良いのかな。現実にはせいぜい、MHCと血液型が一致する受精卵を探すのが関の山だろう。

大学で生命倫理を教えるときに題材としてよく使われる有名な Jason Baby は、死んだ赤ちゃんからまだ生きている細胞を取り出してクローンするという話。これなら時間的にずれた一卵性双生児という状況と呼べるので、”almost perfect match” といえるだろう。どうやら、それではないらしい。それを題材にすればそれなりに面白い話が書けるのではないか。新しいジェイソンは自分の定義に悩むだろう。親は昔のジェイソンと新しいジェイソンを比べてしまうだろうし、違いに途惑いもするだろう。話がずれてしまった。

倫理上の問題とは何か。倫理は個人の行動規範なので、誰がどう考えようと自由である。とても個人的なものであり、みんなで話し合うなどという性質のものではない。しかし多くの人が各自の倫理観に基づいて行動すると利害が衝突することもあり、倫理が公共の問題となって話し合いが始まる。その摩擦を調整するのが政治であり司法なのだが、そこでの交渉や判断の過程において Stakeholder を特定するというのが最初の、そして最も大切な作業となる。この物語は倫理を中心のテーマに据えておきながら、その大事な手順を無視して進行するので、本来なら小説の中で詳しく語られるべきにもかかわらず、取り残された人たちがたくさんいる。そこをもっと突っ込めば話に深みが出るのにと残念でならない。さらに、各々の登場人物の判断手法が示されておらず曖昧なので、人物描写が不十分のそしりは免れない。せっかく、多くの人の立場で事件を追っているのだから、みんな違う倫理観を持った方が面白い。そのためにはどの人物がどんなふうに考えているかが行動から推測できるように物語が記述される必要がある。例を挙げると、 Ann の誕生のためにどれだけの命が失われたか。一個人になることの出来る受精卵を生命体と考えるならば、何十人もの生命が失われている。そう言う倫理観を持った人は多数いる。もちろん中には、受精後2週間がヒトの誕生と考える人々や、神経系の発生が見られたときがヒトの誕生と考える人もいる。社会的には生まれて声を上げてはじめてヒトであるとか、一歳の誕生日を迎えてヒトとなると考えるところもある。いずれにせよ、何故、Ann だけが意識を持つ権利を与えられたのだろうか?サラやブライアンにはそれを選択する権利があるだろうか。この大事な問題は全く捨て去られている。あるいはフィッツジェラルド夫妻は、そんなことは気にもかけてないと言いたいのだろうか。

サラはどんな考えで行動しているのだろうか?
理解に苦しむ。
無意識のうちに多くの人が使っている Double effects ではあり得ない。カント思想でもない。アリストテレスでもない。功利主義でもない。様々な先人が倫理的な問題に直面して考え抜いた解決法のどれにも当てはまらない新しいタイプに違いない。本当にそこまで考えて行動しているのだろうか。
実際には小説の中で、彼女は多くの stakeholder のごく一部のみに目を向け、その他のヒトの不利益には無関心(死んでも良い)、あるいは耐性がある(アンの不幸)。 私には知的教育を受けていない人物が、ただの自己満足のために行動しているとしか思えない。サラを好きになれない理由がそこにある。一握りの人を除いて、周囲が彼女の行動に対して何も言わない、あるいは何もしないのは不自然だ。もちろん、アンとケイトが彼女に対して行動を起こしたから小説になった。

そういう生命倫理上の不条理さはあるが、それさえ無視してしまえば楽しめる小説である。
四つ星かな。(お薦め)

問題解決に対する姿勢

2009-10-04 23:21:36 | 日記
日本から従姉妹が遊びに来ることになった。2週間弱の滞在予定なので、いくつか Performing Arts のチケットを押さえておくことにした。観光シーズンと重なるので少し厳しいかなと思いながら計画を立ててみた。コンサートや観劇は平日の夜に予定。マチネはこの時期スクールバスの団体に占拠されるので雰囲気が違ってくるため避けることにした。
ニューヨーク・フィル:ベートーベン交響曲3番エロイカ他
メトロポリタンオペラ:フィガロの結婚
ブロードウェイ:ウェストサイドストーリー
と基本的なところで組んでみる。
今はオンラインで座席表を見ながら席を選べるだけでなく、その席からステージを見るとどんな感じかまで吹き出しで見られるので便利になった。ニューヨークフィルはチケット郵送だけど、あとは電子チケットなのですぐ印刷できる。トラブルに備えて使用したクレジットカードは持参しなければ。

トラブルと言えば、ニューヨークは問題が起きないようにするより問題が起きたときにどう処理するかに全力を注いでいる気がする。当然、トラブルは多い。

1994年に、初めてメトロポリタンオペラの定期会員になったときには年間チケットが届かなかった。結局手ぶらでオペラハウスに行くと身分証明書等で本人であることを確認して、手書きの紙切れ一枚で入場することに。余りに手慣れた処理にびっくり。良くあることと平然と言われてさらに驚く。日本ではそんなに頻回に経験することではなかった。

ブロードウェイのミュージカルでも行ってみたら閉幕になっていたということが数回ある。たいていは家を出る前にまだやっているかどうかを調べるのだが、確認を怠って失敗したことがある。別に公演中止だからと言ってお知らせが来るわけではない。これは日本で暮らしていたときの常識とかけ離れている。入場する際呼び止められて席が変わりましたと言われたこともある。一階席の中央で良い席だったので少し抵抗したが無駄だった。ふたを開けてみると、ブッシュ元大統領(お父さんの方)が自分の席に座っているではないか。政治力のある人がこの劇を見たいというと、一般客はどうでもいいという扱いを受けるのか。確かに、キャストや席は予告無く変更になることがあるとは書いてあるが釈然としない。

ごね得もこの辺りの特徴。商品の返品はすごく簡単である。領収書さえあればさも当然のようにてきぱきと処理が進む。ケーブルテレビの顧客対応が悪いと文句を言ったら一ヶ月分の視聴料が無料になったり、公共料金の請求書の数字が違うので抗議したら必要以上に割り引いてくれたとか枚挙にいとまがない。いずれにせよ不利益を被ったら立ち上がって何か言わなければいけない社会になっている。泣き寝入りするといつまでも損をし続ける。

基本概念は、問題が起きるのは仕方がない。起きたときにどうするかと言うことらしい。商品は必ずしもお客さんに満足いただけるわけではない。だから返品があって当然だし、それは織り込み済み。チケットが郵送中に失われたらチケットを購入した本人であることが判ればいいじゃないかという発想。だから運転免許証とクレジットカードは必携なのだ。満席の時に偉い人が来ることになれば即座に一般客を移動させる、というのもマニュアル通りでしょうか。より小さな問題にすり替える、あるいは、声の小さい(figuratively)方に問題を押しつけて切り抜けるという方が正しいか。座席変更の件に関しては、徹底抗戦すればなにか得していたかも知れないが、面倒くさくなって引き下がった。相手の思うつぼだったかも知れない。いずれにせよ、何かあったときの対応は迅速でそれなりの結果を生み出すのは事実である。何も問題がないことを前提としてしまうとこうはいかない。この危機管理の仕方は少し日本社会が見習っても良い気がする。

データベース・サーバー

2009-10-03 04:58:41 | 日記
今5個のデータベースを管理している。そのうち少なくとも3個はウェブを通じて閲覧できるようにしたいと思い、ついに FileMaker Server を購入することに。運営がうまくいけば、残りも FileMaker Server Advanced で公開するように持って行こうと計画している。良い知らせは iPhone 用のテンプレートが供給されること。現在ウェブにアクセスしている機器の過半数が iPhone OS を使っているので、簡単にそれ用のページが作成できるのが大変ありがたい。とりあえずは、固定のIPアドレスを持っていながら休眠しているコンピューターを専用サーバーとして使うように準備した。うまくいくかな。

一つ目のデータベースは Purchase Order が出先でも発行出来るようになるので、物品購入の手続きが便利になる。二つ目のデータベースは入力を建物内まで戻って来てから Intranet 内で行っているのが、現地からでもデータを更新できるようになるのがありがたい。元々複数の人間が更新作業をしているし。3つめのデータベースは、出先で情報が必要になったときに携帯電話からすぐアクセスできるようになるのがうれしい。全く関連のない3セットのデータなので一つにまとめても全くうれしくないのは仕方ないか。では今までどうしてサーバーを使わなかったのかと言われそうだ。まさにその通りで反論のしようがない。日々大きくなっていくデータベースをながめながら、データ保全と利便性の狭間で揺れ動いていた。半年前から、一つのデータベースは Perl - SQL で一般からのデータ投稿と閲覧を可能にしてみた。これまでのところ問題なく稼働しているようなので少し自信が付いたというのもある。やはりコンピューターは専門外なので必要以上に慎重になってしまうのだろうか。

Jodi Picoult: Handle with Care

2009-10-02 03:30:28 | 日記

Handle with Care was my first Jodi Picould. Despite mixed reviews from her fans, I chose it because it explored various issues around a special medical condition of my interest, osteogenesis imperfecta. It dealt two layers of ethics, personal and social. It raised difficult questions. The ethical conflict developed into a controvertial legal situation. There were personal struggle, emotional strife, financial problems and ethical conflicts. I liked her beautiful writing style and presentation of multiple points of views in the novel.

Ethics is intrinsicly personal since it represents standards based on which each individual would make her/his course of action. However, it becomes a public affair when such choices disagree. In this novel, characters faced seemingly impossible situations. Each of them struggled to find a solution to the conundrum. It kept driving me to the conclusion of the long and facinating story.

I decided to read another book by Jodi Picoult. My pick was "My Sister's Keeper" since it had the most reviews that were consistently good. I'll post what I think when I'm through.

作家のジョディー・ピコーはロングアイランド出身らしい。十年以上ロングアイランドに住んでいたので親近感を持ってしまった。何冊か翻訳されている彼女の本を見つけた。わたしのなかのあなた (My Sister's Keeper) すべては遠い幻 (Vanishing Acts) 偽りをかさねて (The Tenth Circle)。とりあえず Handle with Care (最新作)を読んでみた。医療倫理、個人の道徳観や価値観、法律、友情など様々な問題が幾重にも重なり、大変困難な状況に置かれた家族が題材。家族の中でそれぞれの道徳観がぶつかり、必死に答えを見いだそうと苦悩している姿が描かれている。文章も綺麗で長い小説ながら飽きることなく最後まで楽しめた。うれしくなって次の本を読み始めた。My Sister's Keeper も医学と倫理と法律が複雑に絡まった話のようだ。読み終わったらまた感想を。