昨日で阪神淡路大震災からまる15年が経過しました。15年前の当時のことを思い出します。といっても、完全に覚えているわけではありませんが.....。東京の下町、自宅の朝。いつものようにTVを見ていたら、関西地方で大きな?地震があったという第一報が流れました。「地震か。やだな。」と思いながら、そのままTVを見ながら準備をして家を出ました。家を出たのは、たぶん7時ぐらいだったと思います。家を出るまで、地震に関する情報が何度か報道されたとは思いますが、特にそんなに甚大な被害が出たなんて思いもよりませんでした。ところが出勤してみると、大変な被害が出ているとの情報が。朝の8時30分前後だったと思います。そうです。地震発生当時、なかなか情報がつかめず、いったい何が起きたのか、どういう状況なのか、ということがしばらくの間まったく分からなかったのです。多くの情報が飛び交う社会に生きているはずだったのですが、いざという時に情報が入らないという状況が初めて広く認識された大震災であったと思っています。日本国土が広いといっても、そんなに遠くない場所、新幹線で3時間足らずの場所の情報すら正確につかめないということはある意味衝撃的でした。あれから15年。震災にあった街は表面的には再建されたようですが、当然のことですがその傷跡は被災者とその家族に深く刻まれたままです。先日、遠く離れたカリブ海に浮かぶハイチで起こった大地震。建物の崩壊が著しく、被害も甚大であるということですが、いまだに正確な情報がつかめていないようです。建物の崩壊は「パンケーキクラッシュ」というパターンだそうです。柱が天井を支えられずに折れたり倒れたりするものらしいです。現在の日本では、耐震基準を満たしていればこうしたクラッシュは起きないということです。でも、多くの学校はまだ補強が済んでいないのでは.....。子ども手当や高速道路無料化より、学校の耐震化工事を一刻も早く完了させるべきではないでしょうか。
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